好きだったはずなのに その1
「……で、本当に行くのね?」
翌朝。王都の宿の一室で、セラが腕を組んで俺を見ていた。
「行くって言っただろ。向こうから話したいって申し込んできたんだぞ? カルテルの幹部に直接質問できる機会なんて、そうそうない!」
「その幹部が、何を考えてあんたを呼んだか分からないんだけど」
「それも聞く!」
「質問すれば全部答えてくれると思ってるの?」
「……そこは交渉術で!」
「具体的には?」
「情熱!」
「交渉術じゃない!」
朝からセラのツッコミが鋭い。いつもなら、ここで俺も調子に乗って二、三発ボケを追加するところだ。
だが、今日はそうもいかなかった。
机の上には、昨日アーグがまとめた記録がある。
花の絵が載った小冊子。届かなかった追加の荷物。大口取引の優先条件。そして、商品が二冊足りなくなった店で、孫のために本を探していた男性の姿。
俺は二冊を移動させた判断を、今も全部間違っていたとは思っていない。
あの二冊を買えた人だって、本当に喜んでいた。
けれど、別の店にも買いたい人がいた。
誰かに選んでもらおうとするとき、選ぶ場所を作る俺たちにも責任がある。
だったら、なおさら確かめたい。
どうして、あの本を作った人と欲しがっている人の間で、荷物が止まったのか。
「アーグ、資料は?」
「必要なものはまとめた」
アーグは帳簿を閉じた。
「ただし、分かっているのは一部の荷が通常より後の便へ回されたことと、その集荷場所で大口取引が優先されていることまでだ。ケインの直接指示を証明できるわけじゃない」
「分かってる。決めつけるな、だろ?」
「覚えているなら結構」
アーグが頷く。
俺は腰の《タクミ・ブレイザー》を確かめた。
「よし! 武器よし! 鞘よし! 推しの尊さ、今日も限界突破!」
『拙者を持ち物点検のついでに扱わんでほしいのう』
鞘からゴルドスの声がした。
「大丈夫だって! お前も大切な仲間だから!」
『そう言われると、かえって不安になるのはなぜでござろうな……』
「先生、気をつけてくださいね」
リアが心配そうに言う。
「何かあったら、すぐ戻ってきてください」
「ああ。大丈夫だ」
「……先生が『大丈夫』って言うときほど、心配になるんですけど」
「リアまで!?」
シエルが小さく笑った。
「帰ってきたら、ちゃんとお話を聞かせてくださいね」
「もちろん!」
二人には、商人たちと連絡を取りながら、今日の入荷状況を確かめてもらうことになっていた。
俺とセラとアーグは、使者から伝えられた場所へ向かう。
目的は、カルテルの幹部との会談。
それだけだった。
少なくとも、このときの俺はそう思っていた。
*
会談場所は、王都の商館の一室だった。
建物の外には荷車が行き交い、商人らしい人々が帳簿を抱えて出入りしている。市場から離れているわけではないのに、ここでは売り声より紙をめくる音の方が目立った。
案内された部屋は、妙に整っていた。
机。椅子。水差し。数冊の帳簿。
壁には飾りらしい飾りがない。
「……地味だな」
思わず呟く。
「何を期待してたのよ」
セラが尋ねた。
「こう、悪の巨大組織の幹部がいる部屋って、もっと黒い椅子とか、意味深な像とか、天井から吊られた謎の宝石とか……」
「悪趣味すぎるでしょ」
「でも、絶対そういうのが似合うじゃん!」
「現実の商人がそんな部屋で取引してたら、まず経費を疑う」
アーグの冷静な一言に、俺は肩を落とした。
「夢がねえ!」
「夢を見に来たんじゃないだろ」
「おっしゃる通りです!」
そんなことを話していると、扉が開いた。
入ってきたのは、一人の男だった。
落ち着いた足取り。こちらを品定めするようでいて、露骨には見えない視線。
黒を基調とした装いは、派手さを抑えているのに妙に存在感があった。
男は俺たちを一度見渡すと、机の向こう側へ立った。
「来てくれてありがとう」
穏やかな声だった。
「オタクミ・ルミナス」
俺は椅子から立ち上がった。
「……あんたがケインか」
「ああ。プライス・カルテルのケインだ」
思っていたより普通の挨拶だった。
威圧も、脅迫もない。
だからこそ、何だか調子が狂う。
「話があるって聞いたけど、こっちにも聞きたいことがある」
「そうだろうな」
ケインは椅子を示した。
「まずは座らないか」
「……その前に一つ」
「何だ?」
「この部屋、もっと悪の幹部っぽい飾りつけとかしないのか?」
沈黙。
セラが俺の肩をつかんだ。
「本当にそれを最初に聞く!?」
「いや、ちょっと気になって!」
ケインは一瞬、目を丸くした。
そして、かすかに笑った。
「……相変わらずだな」
「え?」
「いや。変わった奴だと思って」
「失礼な! 褒め言葉として受け取っておく!」
「そうしてくれ」
俺は椅子に座った。
そのときは、ただ妙な男だと思っただけだった。
*
「まず、昨日の荷物の件だ」
アーグが帳簿を開き、俺はケインへ向き直った。
「小冊子の追加分が届かなかった。ほかにも、昨日の企画に関わった店へ向かう荷物が遅れてる」
「知っている」
ケインはあっさり答えた。
「……知ってるのかよ」
「市場で何が起きているかを見るのも、俺の仕事だからな」
「だったら、何であんなことになった?」
「大口取引の荷が優先されたからだ」
「それも知ってる。俺が聞きたいのは、どうしてその順番になったかだ!」
ケインはアーグの帳簿へ視線を移した。
「調べたんだな」
「集荷場所の記録をな」
アーグが答える。
「荷が集中したとき、カルテルと継続取引のある荷主が優先される。今回もその条件が使われた」
「そうだ」
「偶然か?」
「偶然だけじゃない」
予想外の返事に、俺は言葉を止めた。
ケインは平然としていた。
「優先枠を使える取引先が、その枠を利用した。契約に沿った運び方だ」
「……あんたが動かしたのか?」
「使える条件を使うと判断したのは俺だ」
認めた。
俺は思わず身を乗り出した。
「じゃあ、やっぱり俺たちの企画を邪魔するために!」
「君たちの企画がどうなるかは、関心があった」
「言い方!」
「でも、現場の運び手に『あの店の荷を止めろ』とは命じていない。優先される荷が増えれば、ほかの荷が後へ回る。それだけの話だ」
「それだけって……!」
俺は机を叩きそうになって、手を止めた。
感情的になっても、ここでは何も進まない。
「……その『それだけ』で、欲しい人に本が届かなかったんだぞ」
「そうだな」
「だったら!」
「君は、昨日どうした?」
俺は眉をひそめた。
「……何の話だ?」
「別の店から、小冊子を二冊動かしただろう」
「それは、ちゃんと店の人に許可を取った!」
「知っている。全部持っていくわけでもなく、八冊を残した。売れた分の記録も取った。以前より慎重だ」
ケインは、そこでわずかに笑った。
「いい判断だったと思うよ」
「……は?」
叱られるかと思っていたので、拍子抜けした。
「じゃあ、何が言いたいんだ?」
「それでも、元の店で買えなかった人がいた」
胸の奥が小さく痛んだ。
昨日の、年配の男性の顔が浮かぶ。
「……知ってる」
「そうか」
「あの二冊を動かさなかったら、別の人が買えなかった。それも分かってる」
「うん」
「だから、簡単に正解だったとは言えない。でも、店の人と相談して決めたんだ。間違っていたとしても、次はどうするか考える」
言い切ってから、俺はケインを見た。
「だけど、それとあんたが物流の順番を操作したことは別だろ」
ケインの目が少し細くなった。
「……別?」
「そうだ。俺が判断を間違えたからって、あんたが人の荷物を遅らせていい理由にはならない」
隣でアーグが小さく頷いた。
「その通りだ。契約上の優先と、競争相手への影響を意識して利用することは分けて考えるべきだ」
ケインはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくり笑った。
「なるほど。そこまで考えるようになったのか」
「……何だよ、その言い方」
「感心してるんだ」
「全然そう聞こえねえぞ!」
「そうか?」
ケインは椅子へ深く腰かけた。
「君は、自分が見せたいものを並べて、客に選ばせようとした。だけど、何を並べるかを決めるのは君たちだ」
「……ああ」
「その商品がどこに届くかを決める人間もいる。運ぶ順番を決める人間もいる。選択肢は、誰かが用意している」
「そんなこと、分かってる!」
「本当に?」
その問いかけだけが、妙に静かだった。
*
「俺たちは、客に選んでもらいたいんだ」
俺は言った。
「俺が好きだからって、相手も好きになるとは限らない。だから、見てもらって、選んでもらう」
「好きにならなくても?」
「ああ」
「買わなくても?」
「もちろん!」
ケインは指先で机を軽く叩いた。
「……へえ」
何だ、その反応。
初めて会った相手のはずなのに、俺の答えを採点しているように見える。
「昔だったら、君はもっと熱心に薦めていたんじゃないか?」
「昔?」
「相手が興味を持ったら、嬉しくなって止まらない。説明したいことが次から次へ出てくる」
「そりゃ、好きなものの話ならそうなるだろ!」
「第一話を見る前に、ここが見どころだとか、何話からすごくなるとか」
「ぐっ……それはオタクあるあるというか……!」
「聞かれてもいないのに、好きなキャラの魅力を延々と語ったり」
「うるさい! 推しが尊いんだから仕方ないだろ!」
つい、いつもの調子で返してしまった。
ケインが笑った。
ほんの一瞬だけ。
なぜだろう。
その笑い方が、妙に引っかかった。
「……あんた、俺のこと詳しすぎないか?」
「市場では有名だからな」
「いや、そういうことじゃなくて」
俺は言葉を探した。
カルテルには情報網がある。
宿泊記録も、荷札も、捨てた紙まで拾う連中だ。俺が推しについて騒いでいることくらい、いくらでも調べられるだろう。
だが、目の前の男の言い方は、何か違った。
「君は、相手が何を好きか気になるんだろう?」
「ああ」
「じゃあ、自分が薦めたものを相手が好きにならなかったら?」
「そりゃ、ちょっと残念だけど……」
「昔は?」
まただ。
さっきから、この男は何度も「昔」と言う。
「何なんだよ、あんた」
俺は思わず尋ねた。
「俺の昔を知ってるみたいな話し方して」
ケインは答えなかった。
ただ、何かを確かめるように俺を見た。
「今は、ちゃんと相手の好きなものを見ようとしてるんだな」
「……ああ」
「自分と違っても、笑わない?」
その瞬間だった。
胸の奥で、何かが引っかかった。
笑わない。
その言葉。
俺は息を止めた。
*
少し前、宿へ届いた匿名の絵。
眼が大きく描かれた、懐かしい雰囲気のキャラクター。
裏には、短い言葉があった。
『今度は、笑わないんだな』
俺は、あの絵を見て思い出した。
高校時代。
一緒に作品を薦め合った友達。
ケイスケ。
あいつが大切にしていた、古い作品。
それを見た俺が、何の気なしに笑ってしまったこと。
――眼、でかすぎない?
あのとき、ケイスケがどんな顔をしていたか。
今になっても、はっきりとは思い出せない。
けれど、俺が言ったことだけは覚えている。
謝りたいと思った。
今、あいつが何を好きなのかも聞きたいと思った。
なのに。
「……おい」
俺は、目の前の男を見た。
「今、何て言った?」
「自分と違っても、笑わないのかって聞いた」
「その前だ」
ケインは、わずかに首を傾げた。
「何が気になる?」
「……あんた、俺に絵を送ったか?」
セラが隣で身じろぎした。
「絵?」
「ああ」
俺は答えながら、ケインから目を離せなかった。
「眼が大きく描かれたキャラの絵だ。裏に、変な言葉が書いてあった」
ケインはしばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「見てくれたんだな」
背筋が冷たくなった。
「……何で、知ってる?」
「気に入ったか?」
「質問に答えろよ!」
声が大きくなった。
セラが俺を見る。
アーグも帳簿を閉じた。
ケインは少しも慌てなかった。
「じゃあ、一つ聞く」
「……何だ」
「今度は、笑わなかったんだな」
耳の奥で、何かが鳴ったような気がした。
あの絵を見たときの感覚が、一気に戻ってくる。
懐かしい。
申し訳ない。
もう一度、ちゃんと見たい。
そして、会えるなら謝りたい。
そんなことを考えさせられた、あの一枚。
「……お前」
自分でも驚くほど、声がかすれていた。
ケインが俺を見ている。
その目には、さっきまでの商人らしい穏やかさが残っていた。
けれど、その奥にあるものは違った。
俺が知っている誰かのようで。
俺が知らない誰かのようだった。
「……まさか」
名前が、喉の奥まで上がってきた。
違う。
そんなはずがない。
だって、ケイスケがこの世界にいるなんて、聞いていない。
この男が、あいつのはずがない。
それなのに。
「ケイスケ……なのか?」
ケインは、もう笑っていなかった。
しばらく俺を見つめてから、小さく頷いた。
「ああ」
それだけだった。
たった一言。
それだけで、さっきまで目の前にいたカルテルの幹部が、まったく別の人間に見えた。
「……本当に?」
俺が尋ねると、男は少しだけ目を細めた。
「久しぶりだな、タクミ」
その呼び方を、俺は知っている。
高校時代、何度も呼ばれた名前。
推しについて語り合ったときも。
一緒に笑ったときも。
くだらないことで言い合いになったときも。
あいつは、俺をそう呼んでいた。
「……ケイスケ」
口に出した瞬間、胸の奥が熱くなった。
会えた。
もう一度会えた。
そう思ったはずなのに、次の言葉が出てこなかった。
目の前にいるのは、俺の知っているケイスケだ。
そして同時に、俺たちの売り場を妨害した、プライス・カルテルの幹部だった。
ずっと、会えたら謝りたいと思っていた。
なのに。
俺は、謝ることも、もう一度名前を呼ぶこともできず、ただ目の前の男を見つめていた。




