選ばせたつもり その2
「……昨日の企画に参加した店の荷物ばかり、遅れてる?」
オタクミはアーグの手元の記録を覗き込んだ。
「全部じゃない」
アーグは慎重に答えた。
「問題なく届いている荷もある。だから単純に、参加した店を全部狙ったとは言えん」
「でも、関係ないって言い切れないんだろ?」
「ああ」
アーグは記録の一部を指した。
「遅れた荷は、途中で同じ集荷場所を通っている。そこで後の便に回されているんだ」
「……誰が決めたんだ?」
「現場で積み替えを管理する者だろう。ただ、何を基準に決めたかは別の話だ」
セラが腕を組む。
「カルテルって、荷物の順番まで変えられるの?」
「すべての荷を動かせるわけじゃない。だが、扱う量の多い取引先に優先枠を与える仕組みなら、ほかの荷を後回しにできる」
「つまり、直接止めなくても?」
「そうだ。先に運ぶ荷を増やせば、後の便へ回る荷も出る」
オタクミは歯を食いしばった。
昨日、商人たちと相談して作った売り場。店ごとに品物を持ち寄り、客が選べるようにした。
けれど今は、棚に置くはずの商品が届かない。
「……なんだよ、それ」
怒りがこみ上げてくる。
しかし、目の前で困っている客は、怒鳴ったところで助からない。
「まず、入荷が遅れてることを店の人に伝えよう」
オタクミが言った。
「俺たちだけで抱え込んでも仕方ない。今ある品物と、届く予定の品物を整理する」
アーグが頷く。
「それがいい」
「あと、別の道で運べないかも調べたい」
「すぐには難しいが、当たってみよう」
「頼む」
セラは二人を見比べて、少し安心したように息を吐いた。
「……今日は、ちゃんと順番に考えてるのね」
「俺だって毎回、勢いだけで突っ走ってるわけじゃ――」
「毎回ではないわね」
「そこは力強く肯定してくれよ!」
いつもなら、もう少し笑えたかもしれない。
けれど今は、空の棚が気になって仕方なかった。
*
昼を過ぎても、追加の荷物は届かなかった。
別の運び手に頼めないか、アーグは何か所かへ確認した。
だが、すぐに動かせる者は少ない。空いている荷車があっても、元の荷物がどこで止まっているか分からなければ取りに行けない。
「……くそっ」
オタクミは拳を握った。
「昨日あんなに喜んでくれたのに、今日は品物がないって言うしかないのかよ」
「今は、そうね」
セラの返事は静かだった。
「でも、嘘をつくよりいいでしょ」
「……ああ」
そこへ、朝に小冊子を分けてもらった商人がやってきた。
「おい。今朝の二冊、どうなった?」
「二冊とも売れました。代金も記録してあります」
アーグが答える。
「そうか。それならいい」
商人は頷いたが、表情は晴れなかった。
「こっちも今日はよく売れてな。残しておいた八冊も、あと一冊になった」
「えっ、もう!?」
オタクミは驚いた。
「ああ。朝から続けて客が来た。昨日まで動かなかった本が、急に売れ始めたんだ」
「すごいじゃないですか!」
思わず声を上げてから、オタクミは商人の顔を見た。
「……でも、あんまり嬉しそうじゃないですね」
「そりゃ、売れるのは嬉しいさ。ただ、この調子じゃ最後の一冊もすぐなくなる」
「補充は?」
「頼んではいるが、まだ来ない。そっちと似たような状況だ」
オタクミは、朝に見た十冊のことを思い出した。
元の店に八冊残した。だから大丈夫だと思った。
けれど今、その八冊もほとんどなくなっている。
「……俺たちが二冊持ってきた分、向こうの在庫が少なくなってるんですよね」
「それはそうだ。だが、貸すと決めたのは俺だぞ」
商人はすぐに言った。
「お前さんだけのせいにするつもりはない」
「……はい」
返事をしながらも、オタクミの胸には小さな引っかかりが残った。
*
午後。
商人の店を訪れた一人の女性が、最後の小冊子を買っていった。
「よかった。昨日、知り合いから話を聞いて、今日ここで買おうと思ってたんです」
「いつもありがとうな」
商人は品物を渡した。
女性は嬉しそうに帰っていった。
その少しあとだった。
店先に、別の客が現れた。
年配の男性だった。
「すまん。あの花が描かれた本は、まだあるかね?」
商人は棚を振り返り、それから申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまない。たった今、最後の一冊が売れてしまってね」
「……そうか」
男性は肩を落とした。
「孫に見せてやろうと思っていたんだが」
「追加を頼んでいる。また入ったら――」
「いや、責めているわけじゃないよ」
男性は首を振った。
「孫があの花を好きでね。昨日、市場で見かけたという話を聞いて、今日寄ってみたんだ」
商人は謝った。
男性は残念そうに笑って、店を後にした。
そのやり取りを、近くで荷物の確認をしていたオタクミが聞いていた。
「……あの」
声をかけかけて、止まる。
もう、売り場に小冊子は残っていない。
朝に動かした二冊も、すでに別の客の手へ渡っている。
売った相手から取り戻すわけにはいかない。
オタクミは商人を見た。
「……今朝、俺が二冊持っていかなかったら」
商人は何も言わなかった。
「こっちに、あと二冊あったんですよね」
「ああ」
「そしたら、今の人も……」
「買えたかもしれんな」
短い返事だった。
オタクミは唇を結んだ。
二冊を動かしたことで、別の売り場の客が二冊を買えた。その代わり、元の店では二冊早く品物がなくなった。
どちらの客も、本を欲しがっていた。
どちらの気持ちも、本物だった。
「……俺、ちゃんと考えたつもりだったんだけどな」
隣に来たセラが、黙ってオタクミの言葉を待った。
「許可も取った。全部持ってきたりもしなかった。元の店の分も残した」
「うん」
「でも、残した八冊で足りるかなんて、分からなかったんだよな」
セラは頷いた。
「そうね」
「俺、あっちの売り場に来た人のことばっかり見てた」
オタクミは空になった棚を見つめた。
今朝、二冊の小冊子が売れたとき、本当に嬉しかった。
それを買った人たちは、自分で選んで、自分の意思で持って帰った。
その喜びに嘘はない。
けれど、あのとき自分が喜んでいる間にも、別の場所で同じ本を探す人がいたのだ。
誰かの笑顔を見ていると、その向こうにも人がいることを、つい忘れてしまう。
「……俺、そういうとこあるよな」
口に出してから、胸の奥が少しだけ冷えた。
最近になって、何度か思い知らされたことだった。
一生懸命だったから。
喜んでほしかったから。
そんな理由があっても、見落とした相手の気持ちまで消えるわけではない。
「自分で選んでいいって言いながら、誰がどこで選べるかを、俺も動かしてたんだな」
「先生」
「いや、分かってる。あの二冊を動かさなかったら、今朝買ってくれた人たちは困ってた」
「そうよ」
「だから、動かしたことが全部間違いだったとは思わない。でも……俺が見てなかった人がいたのは、本当だ」
セラはすぐには答えなかった。
やがて、静かに言った。
「そうね。どっちが正しかったか、簡単には決められないと思う」
オタクミは小さく頷いた。
その言葉は、慰めでも、免罪でもなかった。
だからこそ、胸に残った。
そこへ商人が口を開いた。
「なあ、お前さん。あの二冊を貸したこと、俺は後悔してないぞ」
「……え?」
「ちゃんと買ってくれた客がいる。うちにも客が来た。それは悪いことじゃない」
商人は空の棚に目を向けた。
「ただ、もう少し考えられたことはあったかもしれん。それだけだ」
「……はい」
オタクミは頭を下げた。
それだけ。
商人にはそう言えたのかもしれない。
けれど、オタクミには、その「それだけ」が妙に重かった。
*
同じ頃。
プライス・カルテルの上層部へ、新たな報告が届いていた。
「小冊子を、別の店から移した?」
ケインは報告書の一行を指で押さえた。
「はい。少数ですが、元の店の許可を得て、企画の売り場で販売したようです」
「へえ」
ケインはわずかに笑った。
「ちゃんと許可を取ったのか」
「そのようです」
「前なら、もう少し強引だった気もするけどな」
部下は意味が分からず、黙っていた。
ケインは次の報告に目を移した。
元の店でも売上が伸び、最後には品切れになった。
追加の荷は届いていない。
「……なるほど」
ケインは報告書を置いた。
「客が選べるようにしたくて、商品を動かした。動かした先で買った客がいる。元の場所で買えなかった客もいる」
「はい」
「別に、商品を動かすこと自体が悪いわけじゃない」
ケインの声は落ち着いていた。
「ただ、あいつはどこまで考えてたんだろうな」
部下は答えられなかった。
ケインは別の帳簿を開いた。
集荷場所で後の便に回された荷物。大口取引を優先した記録。
そこには、カルテルと取引のある荷主の名前もあった。
「積み替えは?」
「現在の優先条件に従って処理されています。小口の荷は、予定より後の便へ回っています」
「そうか」
ケインは、机の端に置かれた別の報告書へ目を向けた。
昨日、タクミたちの企画について調べさせた資料だ。参加した商人の仕入れ先、荷物が通る集荷場所、そこを利用する大口の取引先。
調べてみれば、使えるものはすでに揃っていた。
カルテルが大量の荷を扱う取引先として、優先枠を利用する。小口の荷は、空いた便へ回る。
誰かに「あの店の荷を止めろ」と命じなくても、それだけで商品の届く順番は変わる。
もちろん、すべての荷を動かせるわけではない。別の経路を使う商人には、同じ手は通じないだろう。
だが、今回の売り場を支える商品の一部は、確かにその経路を通っていた。
「……便利な仕組みだよな」
ケインが呟く。
部下が顔を上げた。
「このまま継続いたしますか?」
「ああ。契約の範囲でな。現場に余計なことはさせるな」
「承知しました」
部下は頭を下げ、部屋を出ていった。
ケインは報告書を指先で軽く叩いた。
タクミが作った売り場は、確かに客に選ばせていた。
だが、何をそこへ届けられるかは、タクミだけでは決められない。
それなのに、あいつは客が自由に選べるようにと、自分でも商品を動かした。
「……昔と同じだな」
ケインは呟いた。
面白いものを見つけると、周りを巻き込まずにはいられない。
その顔を思い浮かべ、すぐに目を伏せる。
懐かしいと感じたことが、少しだけ腹立たしかった。
「じゃあ、そろそろ聞いてみるか」
ケインは机の上の紙を引き寄せた。
*
夕方。
アーグが戻ってきた。
「分かったことがある」
その声に、オタクミたちが集まる。
「遅れた荷の一部が通る集荷場所で、大口取引の荷が優先されている」
「……カルテルか?」
「優先されている荷には、カルテルと継続的に取引している荷主のものが多い」
アーグは記録を広げた。
「ただし、現場の運び手全員が事情を知っているとは限らん。契約条件に従って運んでいるだけの者もいるだろう」
「じゃあ、誰かが『あの店の荷物を止めろ』って命令したとは限らないんだな」
「ああ。だが、優先条件を変えれば、結果として小さな商人の荷が遅れる。そういう仕組みは作れる」
オタクミは記録を見つめた。
店先には客がいる。
商品を作る人がいる。
運ぶ人がいる。
その間には、見えないほど多くの判断がある。
そして、その一つが変わるだけで、欲しい人のところへ品物が届かなくなる。
「……俺たち、店先で勝ったつもりになってたんだな」
アーグが顔を上げる。
「昨日の成果が嘘だったわけじゃない」
「分かってる」
オタクミは頷いた。
「分かってるんだ。でも、それを続けるには、売り場だけじゃ駄目だった」
リアが、小冊子の置かれていた棚を見た。
「……作った人がいて、欲しい人がいるのに、届かないんですね」
シエルも静かに頷いた。
「選べる場所があっても、選びたいものがなければ……」
その先は、誰もすぐには言葉にできなかった。
*
結局、その日の催しは縮小することになった。
並べられる商品が足りず、これ以上客を呼んでも期待に応えられない。
商人たちはそれぞれの店へ戻り、オタクミたちは入荷状況を確認できたものだけを案内することにした。
「……終わり、か」
オタクミが呟く。
「今日はな」
アーグが答えた。
「明日以降もずっとできないと決まったわけじゃない」
「そうだよな」
「まずは荷物をどう通すか考える。それから、昨日のやり方を続けられる条件を整理する」
「……ああ」
オタクミは顔を上げた。
「まだ、やれることはあるよな」
「あるさ」
「だったら、諦めねえ!」
声には、いつもの勢いが少し戻っていた。
「好きなものを見つけた人が、ちゃんと手に取れるようにしたい。そのために必要なこと、もう一回考える!」
セラが微笑む。
「今度は、一人で突っ走らないでよ?」
「分かってる! みんな、力貸してくれ!」
「言われなくても、そのつもりよ」
リアも頷いた。
「先生。私も、自分にできることを考えます」
「ありがとう!」
失敗した。
けれど、すべてが無駄になったわけではない。
昨日の客たちは、確かに新しい好きに出会った。
今日も、限られた品物を手にして喜んだ人がいた。
その事実を、オタクミは手放したくなかった。
*
日が傾き始めた頃。
片づけを終えたオタクミたちのもとへ、一人の男が現れた。
見覚えのない顔だった。
男は丁寧に一礼する。
「失礼いたします。こちらが、オタクミ・ルミナス様でいらっしゃいますか?」
「……そうだけど」
セラがさりげなくオタクミの前へ出た。
アーグも手を止める。
男は、その反応を見ても表情を変えなかった。
「プライス・カルテルより、伝言をお預かりしております」
空気が変わった。
「……カルテル?」
オタクミの声が低くなる。
「はい。今回の販売企画について、責任者が大変興味を持っております」
「そりゃどうも。こっちはあんまり嬉しくないけどな」
男は軽く頭を下げた。
「責任者は、ぜひ一度、直接お話ししたいとのことです」
オタクミは目を細めた。
「……誰だよ、その責任者って」
「ケイン様です」
その名前を聞いて、アーグの表情が険しくなった。
オタクミは男を見据えた。
ケイン。
カルテルの上層部にいる人物。
この市場で起きてきたことの、少なくとも一部に関わっているはずの相手。
「……そうか」
オタクミはゆっくり息を吐いた。
「向こうから来てくれるってんなら、好都合だ」
「では、お会いいただけますか?」
「ああ」
オタクミは頷いた。
「こっちだって、話したいことが山ほどある」
男はもう一度頭を下げた。
「承知いたしました。お返事をお伝えします」
そう言って、雑踏の向こうへ姿を消した。
セラがオタクミを見た。
「……本当に会うの?」
「会う」
迷いのない返事だった。
「今まで、向こうが何を考えてるのか分からなかった。でも、直接話せるなら聞いてやる」
オタクミは空になった棚へ視線を向けた。
「どうして、好きなものを欲しがってる人の邪魔をするのかってな」
アーグは何も言わなかった。
ただ、手元の記録を静かに閉じた。
遠くで、王都市場の鐘が鳴る。
オタクミはまだ知らない。
これから会う男が、自分の過去を知っていることを。
そして、その男が何を奪おうとしているのかも。




