選ばせたつもり その1
「……売り切れ?」
王都市場の一角で、オタクミは間の抜けた声を上げた。
昨日、小さな催しを開いた場所だ。
客が自分で商品を見比べ、好きなものを選ぶ。買わなくても構わない。そんな試みは、予想以上に好評だった。
そして翌日。
「そうなんだよ。朝から何人も来てくれてな」
小冊子を扱う商人は、嬉しいのか困っているのか分からない顔で棚を指した。
「昨日、花の絵が載った本を見たって客が多くてさ。残ってた分も、さっき売れちまった」
「マジで!? やったじゃん!」
オタクミは拳を握った。
「推しが! 布教した本人の知らないところで! 勝手に増殖している!!」
「増殖って言い方はどうなのよ」
隣のセラが呆れる。
「いや、これはすごいことだぞ! 昨日、あの子が見つけた好きが、別の人にも届いたってことだろ?」
「まあ、そうね」
「しかも俺は一冊も直接薦めてない!」
「そこが一番嬉しいの?」
「だってさ! 俺が知らないところで広まってるんだぞ!? これぞ自律型推し布教システム!」
「また変な名前つけてる……」
リアは空になった棚を眺めながら、微笑んでいた。
昨日、少女が自分の絵を気に入り、隣にいた少年から別の小冊子を教えてもらった。
あの出来事を見ていた客もいた。そこから話が広がったのかもしれない。
「先生。私、ちょっと嬉しいです」
「俺もだ!」
「でも、その本を見に来た人は困っちゃいますね」
リアの言葉に、オタクミは動きを止めた。
売り切れたことは喜ばしい。
だが、今ここに来た客は、もう買えない。
「……補充は?」
商人に尋ねると、返ってきたのは意外な答えだった。
「それがな。追加の分が、まだ届かないんだよ」
*
「商品が届かない?」
アーグは商人から受け取った注文控えを確認した。
「いつ頼んだ?」
「昨日の夕方だ。ちょうど次の荷が出るって話だったから、すぐに追加を頼んだんだ」
「作り手のところには在庫があるのか?」
「ああ。完成した分があるって返事は来てる。荷物も出したはずなんだが……」
商人は困ったように頭をかいた。
「普段なら、もう届いてる頃なんだよ」
オタクミは棚を見た。
空になった一角だけが、妙に目立つ。
「遅れてるだけじゃないのか?」
「その可能性はある」
アーグは頷いた。
「だから、まず確かめる。いきなりカルテルの仕業だと決めつけるな」
「分かってるって!」
そう答えた直後、オタクミは少し口を尖らせた。
「……まあ、めちゃくちゃ疑ってはいるけど」
「疑うのと、決めつけるのは違う」
「はい、アーグ先生!」
「その呼び方をやめろ」
二人のやり取りに、商人が苦笑する。
しかし、次の瞬間には心配そうに通りを見た。
「今日も何人か、あの本を探しに来てるんだ。入荷するって言えたらいいんだけどな」
そこへ若い女性がやってきた。
「すみません。昨日ここで見られた、小さな花の絵が載っている本は……」
商人が申し訳なさそうに頭を下げる。
「すまない。売り切れてしまってね」
「あ……そうなんですね」
女性は残念そうに棚を見た。
「友達が昨日買って、見せてくれたんです。私も欲しくなって」
「追加を頼んでるんですが、まだ届かなくて」
オタクミが説明する。
女性は少し考え、それから頷いた。
「分かりました。また来ます」
「本当にすみません!」
「いいえ。楽しみにしてますね」
女性はそう言って去っていった。
オタクミは、その背中をしばらく見送った。
昨日は、客が好きなものを見つける瞬間が嬉しかった。
今日は、好きになったものが手に入らない悔しさを目の前で見た。
「……好きになってくれた人に、ちゃんと届いてほしいな」
思わず呟く。
セラが横から答えた。
「そうね。でも、焦って何とかしようとするのも危ないわよ」
「分かってる」
「本当に?」
「……七割くらい」
「残り三割は?」
「気合い」
「一番信用できない部分じゃない!」
*
アーグは搬入経路を調べ始めた。
オタクミも同行したが、荷物の流れを確認しているうちに、早くも頭を抱えた。
「待ってくれ。荷物って、作ったところから店まで真っすぐ届くんじゃないのか?」
「品物による。今回は途中で別の荷とまとめて運ばれる」
「つまり?」
「荷を出したあと、集荷場所へ運ぶ。そこで行き先ごとに分け、次の便へ積み替える」
「なるほど! 俺の脳内では今、荷物が矢印になって飛んでいる!」
「実物は飛ばないけどな」
アーグは帳簿の一行を指した。
「ここだ。この小冊子は途中の積み替えまでは確認できている」
「じゃあ、そこから先で止まってる?」
「そういうことになる」
「道が混んでるとか?」
「可能性はある。だが、少し妙だ」
アーグが別の記録を広げた。
同じ日に、同じ集荷場所を通った別の荷物。
そのうちいくつかは、すでに王都市場へ届いていた。
「……何でこっちだけ遅いんだ?」
「それを調べている」
アーグは淡々と答えたが、その目は笑っていなかった。
確認できたのは、今回の小冊子を含む数件の荷物が、通常より後の便へ回されていることだった。
理由の欄には、荷の集中と書かれている。
「混んでたなら、仕方ないんじゃ?」
「混雑自体は珍しくない。問題は、どの荷が先に運ばれたかだ」
「どういうこと?」
「最近、この集荷場所では大口の荷を先に扱うことが増えているらしい。荷を大量に出す取引先に、積み替えの順番で便宜を図っている可能性がある」
「大口……」
「ただ、それ自体は珍しい商売じゃない。大口の客と優先条件を結ぶこともある。問題は、その扱いが誰の荷に、どんな形で影響しているかだ」
オタクミは記録を覗き込んだ。
先に運ばれた荷物の送り主には、プライス・カルテルと取引のある商人の名前もあった。
「……カルテルか?」
「まだ証拠が足りない」
アーグは記録を閉じた。
「この荷だけを狙ったのか、大口優先の結果として遅れたのか。それも分からん」
オタクミは唇を結んだ。
相手の情報網を逆に利用したとき、知ったはずだった。
市場では、店先に並ぶ商品だけが動いているわけではない。
値札も、注文票も、荷札も、誰かの手を通っている。
自分が知らない場所で、何かが決められている。
「……やっぱり、売り場だけ見てちゃ駄目なんだな」
「そういうことだ」
アーグは頷いた。
「それが分かっただけでも前進だ。だが、客は待ってくれない」
*
売り場へ戻ると、セラが一人の商人と話していた。
「先生、ちょうどよかった」
「どうした?」
「別の店に、あの小冊子が少し残ってるんだって」
「本当か!?」
オタクミの目が輝く。
「じゃあ、それを――」
言いかけて、口を閉じた。
昨日、協力を断った商人の顔が浮かんだ。
忙しいのには理由がある。
商品にも、それぞれの置き場所がある。
「……いや、勝手には動かせないよな」
セラが頷く。
「だから相談してるの」
その店の商人は、少し離れた場所に店を構えていた。
小冊子は十冊ほど残っているという。
「うちで売るつもりだったものだからな」
商人は腕を組んでいた。
「全部そっちへ持っていかれても困る」
「もちろんです!」
オタクミは即答した。
「全部じゃなくて、少しだけ見せてもらえないかと思って」
「見せるだけか?」
「買いたい人がいたら売ることになると思います。でも、売れた分はちゃんと記録して、代金も店に渡します」
商人は考え込んだ。
そこへアーグが口を挟む。
「一つ条件をつけたい。元の店に来る客の分を残すことだ」
「ああ。それは当然だな」
「なら、十冊のうち、まず二冊だけにしないか」
オタクミは少し驚いた。
「二冊?」
「客がどれだけ来るか分からない。元の店の客を優先するなら、最初はそれくらいだ」
商人は頷いた。
「それなら構わん。二冊だけなら回してやる」
オタクミは、残された八冊を見た。
「でも、もし向こうでもたくさん売れたら……」
「そこまで分かるなら、まず二冊で試すのがいい」
アーグが答える。
「確かに、昨日だけでは需要を読み切れない。売れたら続きをどうするか、そのとき考えよう」
「……そうだな」
オタクミは頷いた。
少し気になることはあった。
元の店にも、それを買いたい客が来るかもしれない。
けれど八冊残すなら、大きな問題にはならないだろう。
何より、今ここにも買いたくて待っている人がいる。
「じゃあ、二冊だけ。お願いします!」
商人は了承した。
店の許可も得た。元の店に商品も残した。
無理なことはしていない。
少なくとも、そのときのオタクミはそう考えていた。
*
二冊の小冊子が、昨日の売り場へ並んだ。
「おお……!」
オタクミは思わず歓声を上げた。
「これで、また見てもらえる!」
「二冊だけよ」
セラが念を押す。
「分かってる! 売り切れたらちゃんと説明する!」
ほどなくして、一人の少年が小冊子を手に取った。
「これ、昨日みんなが話してたやつ?」
「そうだよ!」
オタクミが頷く。
「買うかどうかは、ちゃんと中を見て決めてくれ!」
少年はページをめくった。
しばらくすると、ふっと笑った。
「……この花、変なところにある」
「変?」
「うん。こんな小さいところに、ちゃんと描いてある」
その言葉を聞いて、オタクミも笑った。
昨日の少女とは違う理由。
でも、また一人、誰かが自分で好きなものを見つけた。
少年は小冊子を買っていった。
その後、もう一冊も別の客に選ばれた。
たった二冊。
けれど、ちゃんと欲しい人の手へ渡った。
「よっしゃ!」
オタクミは小さく拳を握った。
「……でも、これで終わりか」
空になった棚を見て、セラが呟く。
「ああ。また補充が必要だな」
そのとき、アーグが戻ってきた。
「オタクミ。追加で分かったことがある」
「何だ?」
「後回しになった荷物には、共通点がある」
「共通点?」
「昨日の企画に参加した店へ向かう荷が、複数含まれている」
オタクミの笑顔が消えた。
「……それって」
「全部ではない。だが、偶然だけで片づけるには出来すぎている」
アーグは記録を握り直した。
「誰かが、こちらの売り場の動きを把握している可能性がある」
昨日、客たちが笑っていた場所。
今朝、好きなものを探す人が訪れた場所。
その売り場を、誰かが別の目的で見ている。
オタクミは、空になった棚へ視線を戻した。
商品を二冊動かしただけだ。
自分は、客が選べるようにしたかっただけだ。
その小さな判断が何を変えたのか、まだ答えは出ていなかった。




