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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
11 誰が「好き」を決めるのか

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あなたを知っている人

 市場の一角にできた人だかりを見つけた時、オタクミは最初、またカルテルが新しい商品でも出したのだと思った。


 昨日、新しいキャラクターの冊子を売っていた辺りだ。


 今度は何だ。


 限定版か。


 特典付きか。


 それとも、また別の角度から客の心を狙ってくるのか。


 そんなことを考えながら人混みを覗き込んで、オタクミは足を止めた。


「……おお?」


 そこにあったのは、商品棚ではなかった。


 一人の女性が立っていた。


 淡い色の衣装。


 柔らかく流した髪。


 胸元には、小さな飾り。


 昨日、冊子で見たキャラクターとほとんど同じ姿だった。


 疲れて帰ってきた相手を、温かい食事で迎えてくれる女性。


 そのキャラクターが、絵から抜け出してきたように見えた。


 もちろん、本当に抜け出したわけではない。


 人間が演じているのだ。


「おかえりなさい。今日は少し疲れているみたいですね」


 演者が、目の前の客に微笑みかける。


 客の女性は目を丸くした。


「本当にいる……」


 周囲からも、似たような声が上がった。


「すごい、そっくりだ」


「喋り方まで同じ!」


「こっちを見てくれた!」


 オタクミは思わず感心した。


「そこまでやるか」


 セラが横を見る。


「驚いてないの?」


「いや、再現度には驚いた。でも、こういう発想自体は知ってる」


「そうなの?」


「俺のいた世界でも、絵のキャラを人が演じて、会えるようにするイベントはあったんだよ」


 オタクミは演者を見た。


 髪型も衣装も、細かいところまで作り込まれている。


 立ち方も、手の添え方も、それらしい。


 キャラクターが本当にそこにいると思いたくなる気持ちは、分からなくもなかった。


「……よくできてるな」


 そう呟いた直後だった。


 次の客が、係員に促されて前へ出た。


 演者は手元の小さな紙へ一瞬目を落とし、それから女性を見た。


 柔らかな笑顔が、少しだけ寂しそうなものに変わる。


「今日は、あの髪飾りをしていないんですね」


 女性の表情が変わった。


「……え?」


 胸の前で手を握る。


「覚えてくれてたの?」


 演者は静かに頷くような仕草をした。


 女性は嬉しそうに笑った。


 オタクミは、そこで眉を寄せた。


「……あの人」


 アーグも気づいたらしい。


「ああ。買い取り所に来ていた女性だな」


 母親からもらった髪飾りを売った人だった。


 オタクミたちは、査定員へ思い出を話しているところを見ている。


 だから、分かった。


 だが、今目の前にいる演者はどうだ。


 初めて会ったはずの相手へ、どうしてそんな言葉をかけられる。


 少し離れた場所でも、別の演者が客に話しかけていた。


「お兄さんとの約束、まだ守ってるんでしょう?」


 青年が驚いた顔をする。


「……何で知ってるんだ?」


 そのあと、照れたように笑った。


 別の客には、故郷の季節の料理について話している。


 どれも、思い出買い取り所で聞き取られていた話と重なっていた。


「私のこと、知ってるんだ」


 そんな声が、客の中から聞こえた。


 オタクミは、人だかりの向こうを見つめた。


「……なるほどな」


 感心していた気持ちが、少しずつ別のものへ変わっていく。


「何が分かったの?」


 セラが尋ねる。


「これ、単にキャラへ会いに来るイベントじゃない」


「どういうこと?」


「客がキャラを知るより先に、向こうが客のことを知ってるんだよ」


 オタクミは演者の手元を見た。


 小さな紙。


 客を案内する係員。


 そして、客が驚くような言葉。


 昨日までの商品の仕組みを考えれば、想像はつく。


 思い出買い取り所で集めた話。


 どんな品物を大切にしていたのか。


 何を失ったのか。


 何を懐かしんでいるのか。


 そうした情報を演者へ渡せば、キャラクター本人が相手を覚えているように振る舞える。


「……そこまでやるか、カルテル」


 さっきと同じ言葉だった。


 けれど、今度は感心だけではなかった。


     *


「私は嫌ね」


 セラが腕を組んだ。


「初対面の人に、自分しか知らないようなことを言われたら、怖いわ」


「俺も、普通ならそう思う」


 オタクミは頷いた。


「でも、その相手が自分の好きなキャラだったら?」


「……それは」


 セラは演者を見た。


 髪飾りのことを言われた女性は、今も嬉しそうに話している。


 目の前にいる人が、ずっと好きだったキャラクターに見える。


 その相手が、自分を覚えてくれている。


「嬉しい人もいるでしょうね」


 セラは、少し複雑そうに言った。


「実際、みんな嬉しそうだし」


「そうなんだよな」


 オタクミは小さく息を吐いた。


 昨日も、似たようなことを考えた。


 商品がどう作られたかに疑問があっても、それを好きになった人の気持ちまで偽物とは言えない。


 今度は、その商品が人の姿をして、目の前に立っている。


 しかも、こちらのことを知っている。


 それは、きっと嬉しい。


 だが、何を根拠に知っているのか。


 そこは、別の話だった。


「……自分を見てくれた、って思うんでしょうね」


 シエルが静かに言った。


 オタクミが振り向く。


「見てくれた?」


「はい。こんなにたくさん人がいるのに、自分のことを覚えていてくれた。自分へ話しかけてくれた。そう感じたら、嬉しいと思います」


 シエルは、客の女性を見つめた。


「歌っている時も、客席にいる人と目が合うだけで、喜んでもらえることがありますから」


「……ああ、なるほど」


「でも」


 シエルは少し困ったように続けた。


「最初から紙に書いてあっただけなら、その人のことを本当に知っているわけではないんですよね」


 オタクミは答えるまで少し考えた。


「……最初の言葉は、そうだろうな」


「最初の?」


「うん。髪飾りのことを知ってたのは、資料があったからかもしれない。でも、今ここで客の顔を見て話してるのは、本物の人間だろ」


 オタクミは演者を見た。


「その人が何を感じてるかまでは、台本だけじゃ決まらない気がする」


 それを聞いて、リアが顔を上げた。


 リアは、演者の衣装ではなく、その動きを見ていた。


 年配の客が話しかけると、演者は少し腰を屈めて目線を合わせる。


 客が言葉に詰まると、すぐには次の台詞を言わない。


 泣きそうになった女性へ手を伸ばしかけて、いったん止める。


 相手がこちらを見てから、そっと近づく。


 小さな動きだった。


 冊子の絵にも、紹介文にも書かれていない。


「……増えてます」


 リアが呟いた。


「何が?」


 オタクミが尋ねる。


「この人が演じることで、元の絵にはなかったものが増えてます」


 その隣で、レジナルドが腕を組んだ。


「ふむ。同じ型でも、使う人間が違えば癖は出るものだ」


「型、ですか?」


「剣でも道具でもそうだ。設計図が同じだからといって、誰が使っても同じ動きになるわけではない」


 レジナルドは演者を眺めた。


「作った者の思惑どおりに、すべてが収まるとは限らん」


 リアは黙って頷いた。


 その時だった。


 一人の男が、列の前へ出た。


     *


 四十代ほどの男だった。


 痩せた頬。


 目の下には濃い隈。


 肩を少し丸めて立っている。


 男の前にいたのは、無口な少女のキャラクターを演じる若い女性だった。


 誰にも心を開かない。


 けれど、ある一人の相手にだけ弱音を見せる。


 昨日、オタクミたちが見た冊子にあった設定だ。


 演者は、係員から渡された紙へ目を落とした。


 それから、男を見る。


「最近、眠れてないんでしょう?」


 男は驚いたように笑った。


「……何で分かったんだ」


 オタクミは、紙を見た。


 そこに何が書かれているかまでは読めない。


 ただ、今の言葉は、演者が男を見る前から用意されていたように聞こえた。


 男は少し笑ったあと、すぐに表情を戻した。


 立っているだけでも疲れるのか、体重を何度か左右の足へ移している。


 演者は男へ向き直り、何かを言いかけた。


 脇では係員が、次に案内する商品を手に取っている。


 演者も、そちらへ一瞬目をやった。


 そこで、止まった。


 もう一度、男を見る。


 男はさっきより俯いていた。


 演者は手元の紙へ視線を落としたあと、それを下げた。


「……今日は」


 言葉が途切れる。


 横にいた係員が、少しだけ顔を上げた。


 演者は、今度は紙を見なかった。


「何も買わなくていいから、少し休んでいって」


 男が動きを止めた。


「……え?」


「顔色、本当に悪いです。あそこ、座れますから」


 演者は近くの椅子を指した。


「今は、無理して立ってなくていいと思います」


 男はしばらく黙っていた。


 何かを言おうとして、うまく言葉にならない様子だった。


 係員は手に持っていた商品を下ろし、演者を見た。


 演者も係員を見たが、言葉を変えなかった。


 やがて男は、力の抜けたような笑い方をした。


「……ありがとう」


 短い言葉だった。


 演者は小さく頷き、男が椅子へ向かうのを見送った。


 男は商品を買わなかった。


 演者も、買うようには勧めなかった。


 係員が次の客を案内し、列はまた動き始めた。


 ほんの短い出来事だった。


 だが、オタクミはその場から目を離せなかった。


「……今の」


 アーグが振り向く。


「どうした?」


「予定どおりじゃないだろ」


「なぜそう思う?」


「係員、商品を出そうとしてた。あそこから買い物へつなげるつもりだったんじゃないか」


 オタクミは、椅子に座った男を見る。


「でも、あの人、売らなかった」


 演者はもう次の客へ話しかけていた。


 さっきの男とのやり取りを、わざわざ周囲へ説明することもない。


 ただ、目の前の人の様子を見て、言葉を変えた。


 オタクミには、そう見えた。


「……あの人、今初めて見たんだと思います」


 リアが言った。


「最初から見てただろ?」


 オタクミが尋ねる。


 リアは首を横に振った。


「知ってたんじゃなくて。今、見たんです」


「……どういう意味だ?」


「最初は、紙に書かれたことを知ってたんだと思います。でも、あの人が本当に疲れてる顔をしてることは、今ここで見ないと分からなかったんじゃないかなって」


 リアは言葉を探しながら続けた。


「だから、何を言うか変わったんだと思います」


 オタクミは、もう一度演者を見た。


 事前に用意された情報。


 目の前にいる人間。


 どちらも、同じ客についてのものだった。


 けれど、同じではなかった。


 レジナルドが何か言おうとした時、アーグが先に口を開いた。


「ただし、一つ忘れるな」


「何だ?」


「一人の演者が善意で動いたからといって、仕組み全体が安全になったわけではない」


 オタクミはアーグを見る。


「むしろ、こういう行動まで商売に利用される可能性がある」


「……善意まで?」


「ああ。売り込まなかったことで客から信用を得られるなら、それ自体が次の売り方になるかもしれん」


 アーグは演者の方角を見た。


「今の演者が、そこまで考えていたとは限らん。だが、カルテルが後から利用しない保証もない」


「……そうか」


 オタクミは苦い顔をした。


 目の前の人間を心配した。


 その行動は、演者自身のものだったかもしれない。


 けれど、その結果を商売に使おうとする者もいる。


 それでは、善意は意味がないのか。


 そう考えかけて、オタクミは椅子の方を見た。


 男はまだ座っていた。


 少し俯いている。


 だが、立っていた時より肩の力が抜けているように見えた。


「……いや」


 オタクミは小さく呟いた。


「意味がなくなったわけじゃないよな」


 アーグは答えなかった。


 オタクミも、それ以上は言わなかった。


     *


 その夜。


 カルテルの商館では、昼間の出来事が報告書になっていた。


「規定外の対応が一件あります」


 部下が紙を差し出した。


 ケインは受け取り、目を通した。


 演者が、接客中に商品の購入を促さなかった。


 客を椅子へ案内し、休ませた。


 その場での販売は成立していない。


「交代させますか?」


 部下が尋ねた。


「購入案内へ進む予定だった場面で、演者が独自の判断をしたようです。同様のことが続くようなら――」


「残せ」


 ケインは、報告書から目を上げずに言った。


 部下が少し驚く。


「……よろしいのですか?」


「ああ」


「ですが、規定から外れています」


「客はまた来るかもしれない」


 ケインは紙を机へ置いた。


「売らない対応が信用につながるなら、長い目では利益になる。すぐに交代させる理由にはならん」


 部下は考えるように黙った。


 たしかに、理屈は通る。


 客が安心できる場所だと思えば、次に足を運ぶ可能性はある。


 そうした見方も、商売としては間違っていない。


「……承知しました。では、当面は継続させます」


「反応も見ておけ」


「はい」


 部下が去る。


 扉が閉まると、ケインはもう一度報告書へ目を落とした。


 客へ商品を勧めなかった。


 代わりに休息を促した。


 売上はゼロ。


 だが、客は礼を言った。


 それだけのことだ。


 けれど、ケインは紙を伏せなかった。


 オタクミなら、これをどう見る。


 そんな考えが浮かんだ。


 自分でも、少し苛立った。


 報告書の端を指で押さえる。


 売らない対応が、次の売上につながることはある。


 規定から外れた行動をすぐ排除せず、結果を確かめることにも意味はある。


 商売としては、それで説明がつく。


 なのに、報告書の一文から目が離れなかった。


 演者は、目の前の客を見て対応を変えた。


 あらかじめ決めていた流れではなかった。


 ケインは椅子へ背を預けた。


 ふと、昔の教室が浮かんだ。


     *


『……そこなの?』


 思わず、声が出た。


 高校時代。


 ケイスケがオタクミへ薦めた漫画の話をしていた時だ。


 その作品には、ケイスケが特に好きなキャラクターがいた。


 熱い場面もある。


 印象的な台詞もある。


 きっとオタクミも気に入る。


 そう思って薦めた。


 ところが、オタクミが真っ先に話し始めたのは、別の人物だった。


『いや、こいつ格好よくね?』


『そこ行く?』


『何でだよ。いいだろ、この脇役』


『いや、悪くないけどさ』


 ケイスケは笑った。


『絶対、別のやつ好きになると思ってたわ』


『知らん。俺はこいつが好き』


『いや、だから、そこなの?』


 二人で笑った。


 オタクミがどのキャラクターを好きになるか。


 その予想は外れた。


 けれど、嫌な記憶ではなかった。


 むしろ、あの時の会話は楽しかった。


 なぜ、あんなに笑ったのだろう。


 ケインは眉を寄せた。


「……だから何だ」


 誰に聞かせるでもなく呟いた。


 予想が外れた。


 ただ、それだけだ。


 相手の好みを完全に読めなかったからといって、商売の価値が否定されるわけではない。


 そう考え、報告書を伏せた。


 だが、昔の笑い声だけは、すぐには消えなかった。


     *


 同じ頃。


 宿へ戻ったオタクミも、似たようなことを思い出していた。


 机の上には、例の大きな眼のキャラクターの絵が置かれている。


 その絵を見ながら、ふと、昔の漫画の話が浮かんだ。


『お前、絶対こっち好きだと思ったのに』


『知らん。俺はこいつが好き』


『そこ行く?』


 あのやり取り。


 何がそんなに面白かったのか、今になって思い返すと少し不思議だった。


 ただ、楽しかったことだけは覚えている。


「……推すって、答え当てることじゃなかったんだな」


 オタクミは小さく笑った。


 薦めた相手が、自分の予想とは違うところを好きになる。


 そこから、また話が始まる。


 予想が外れたから失敗、というわけではない。


 むしろ、外れたから面白いこともある。


「……あいつ、何を好きになってんのかな、今は」


 呟いて、オタクミは絵を見た。


 目の大きなキャラクターが、こちらを見ている。


 この絵を描いたのが誰であれ。


 何を好きになって、何を描きたかったのか。


 それを、自分はまだ知らない。


 しばらくして、扉が軽く叩かれた。


「オタクミさん、起きてますか?」


 リアの声だった。


「ああ。どうした?」


「少し、見てもらいたいものがあって」


「お、何か描いた?」


 扉を開けると、リアがスケッチブックを抱えていた。


 その後ろには、シエルもいる。


「昨日の絵なんですけど……」


「昨日?」


 リアがページを開いた。


 そこには、二つの人影が描かれていた。


     *


 その少し前。


 リアは、前日に描いたスケッチを開いていた。


 二人の人影。


 顔も名前もない。


 同じ方向を向いて、ただ隣に立っている。


 昨日は、それだけでよかった。


 誰かの隣にいること。


 その関係を、まず描いてみたかった。


 だが、今日の市場で見たものが、頭から離れなかった。


 演者が、手元の紙を見た。


 目の前の男を見た。


 もう一度、紙を見てから、男を見た。


 そして、言葉を変えた。


 あの時、何が変わったのだろう。


 リアは鉛筆を持った。


 二つの人影を見つめる。


 昨日のままでも、隣にはいる。


 けれど、二人とも同じ方向を向いているだけだった。


 そこに相手がいると、気づいているのだろうか。


「……こっち、かな」


 リアは、一人の顔の向きをほんの少し変えた。


 隣の人影へ。


 それから、もう一人もわずかにそちらへ向ける。


 完全に向き合ってはいない。


 ただ、互いがそこにいることを、少しだけ確かめたような形になった。


「……あ」


 リアは鉛筆を止めた。


 同じ二人なのに、さっきとは違って見えた。


 そこへ、シエルがやってきた。


「昨日と違いますね」


「……はい」


「どこが変わったんですか?」


 リアは、二人の顔の向きを指した。


「ここです」


「少し、向きが変わってますね」


「昨日は、隣に置いただけだったから」


「今日は?」


 リアは少し考えた。


「……見てもらった、のかな」


「この人に?」


「はい。たぶん」


 自分でも、まだ上手く説明できない。


 ただ、二人は昨日と同じ場所に立っているのに、昨日より少し違う関係に見えた。


「オタクミさんにも、見てもらおうかな」


 リアが言うと、シエルは頷いた。


     *


「……二人いるな」


 スケッチを見たオタクミは、まずそう言った。


 リアは少し笑った。


「はい」


「……で、昨日とどこが違うんだ?」


「ここです」


 リアが、二人の顔の向きを指した。


 オタクミは顔を近づける。


「……ああ」


 最初は分からなかった。


 けれど、よく見ると、二人ともわずかに横を向いている。


 互いの方へ。


「……見てる?」


「たぶん」


 リアは頷いた。


「昨日は、ただ隣にいたんです。でも今日は、この人がここにいるって、もう一人が気づいたみたいに見えるんです」


 オタクミは絵を見つめた。


 二人は何もしていない。


 手もつないでいない。


 名前もない。


 表情さえ描かれていない。


 それなのに、昨日とは違って見える。


 ほんの少し向きを変えただけで。


「……知ってるのと、見るのは違うのか」


 オタクミが呟いた。


 昼間の演者を思い出す。


 資料には、客のことが書かれていた。


 何を好み、何に疲れ、どんな言葉を求めているのか。


 けれど、目の前にいた男の顔を見て、演者は用意された言葉とは違うものを選んだ。


 知らなかったことが、目の前にあった。


 だからこそ、言葉が変わったのかもしれない。


「……なるほどな」


 オタクミは小さく頷いた。


 リアは首を傾げる。


「何か分かったんですか?」


「いや。まだ、ちゃんとは分からない」


 オタクミは笑った。


「でも、こっちの方が、ちょっと話が始まりそうな感じがする」


 リアは、もう一度絵を見た。


「……そうですね」


 シエルも、二人の肩越しにスケッチを覗き込んでいる。


 名前もない二つの人影。


 昨日より、ほんの少しだけ互いへ向いている。


 どちらが先に相手を見たのか。


 相手が向いてくれたことに、気づいているのか。


 それも、まだ分からない。


 リアはページを閉じなかった。


 そこには、昨日と同じ二人がいた。


 ただ隣に立っていただけの二人が、今は少しだけ、互いの存在を確かめようとしているように見えた。

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