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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
11 誰が「好き」を決めるのか

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かつて笑った側、笑われた側

 翌朝になっても、オタクミは例の絵を机の上から片づけなかった。


 顔の半分近くを占めるほど大きな眼をしたキャラクター。


 その裏側には、たった一行だけ書かれている。


『今度は、笑わないんだな』


 朝食が運ばれてきても、オタクミは時折そちらへ視線を向けていた。


「先に言っておくけど」


 セラが向かいの椅子へ座りながら言った。


「そのケイスケって人を探しに、一人で王都へ飛び出すのは禁止だからね」


「行かねえよ!」


 オタクミは少しむっとした。


 アーグがパンをちぎりながら、何でもないことのように口を挟む。


「その判断ができるなら、少なくとも今すぐ罠へ飛び込む心配はなさそうだ」


「お前らの中の俺、どれだけ罠に弱いんだよ!」


「これまでの実績から判断している」


「反論しづらい言い方するな!」


 軽口を返したものの、気持ちは晴れなかった。


 昨夜から何度考えても、同じ名前へ戻ってくる。


 ケイスケ。


 高校時代の友人。


 一緒に帰ったことも、昼休みにくだらない話をしたことも覚えている。


 漫画を薦め合ったこともあった。


 ケイスケは、自分の好きな作品について話す時だけ、普段より少し早口になった。


 話が長くなりすぎて、オタクミが途中で別の作品の話を始めることもあった。


 それでも、翌日にはまた何かを持ってきた。


 嫌いになったわけではない。


 喧嘩別れしたわけでもない。


 社会人になって生活が変わり、連絡する回数が少しずつ減って、そのまま疎遠になった。


 当時は、それを特別なことだとは思わなかった。


 友人というものは、そうやって離れていくこともある。


 そう考えていた。


 けれど、今になって思い返すと、もっと話しておけばよかったと思う。


「あいつ、元気にしてたかな」


 オタクミが独り言のように漏らすと、セラが少しだけ表情を柔らかくした。


「会いたい?」


「会えるならな」


 答えに迷いはなかった。


「謝りたいし。普通に、もう一回話したい」


 それからオタクミは、机の上の絵を指先で軽く押さえた。


「でも、これを送ったのがケイスケ本人とは限らない。俺の昔を知ってる誰かが、あいつとの記憶を使って揺さぶってる可能性だってある」


 アーグが頷く。


「その線を切るべきではない。感情と事実は分けろ」


「分かってる」


 オタクミはそう言ったが、自分に言い聞かせる意味もあった。


 もしケイスケなら。


 そう思いたい気持ちが、自分の中にすでにある。


 だからこそ、慎重にならなければいけなかった。


     *


 包みを届けた人物については、宿の者に話を聞いた。


 昨日の朝、見慣れない男が受付へ来て、オタクミ宛ての包みを預けていったという。


 男の顔や服装について聞いてみたものの、特別目立つ特徴はなかった。


 ただ、配達の途中でほかの宿にも立ち寄っていたらしい。


 その話を手掛かりに、アーグとセラが市場の周辺を調べると、荷物を運ぶ仕事をしている男へたどり着いた。


「確かに、昨日その宿へ包みを届けましたよ」


 男は、包みについて尋ねられると、すぐに頷いた。


「でも、中身は知りません。市場の近くで声をかけられて、銅貨を渡されたんです」


「頼んだ人物に心当たりは?」


 アーグが尋ねる。


「ありませんね。通りがかった男です。届け先の名前と宿を教えられただけですよ」


 男は困ったように肩をすくめた。


「何か問題でもありましたか?」


「いや。届け先を確認したかっただけだ」


 アーグは礼を言い、それ以上は追及しなかった。


 男は仕事へ戻っていく。


 その背中を見送りながら、オタクミは頭を掻いた。


「……徹底してるな」


「そうだな」


 アーグは、持参した包み紙を折り直した。


「紙は王都でよく使われる安価なものだ。インクにも、今のところ珍しい特徴は見当たらん」


「字の癖とかは?」


「一行だけでは判断しにくい。それに、書いた者が送り主本人とは限らない」


「そっか……」


 紙にも、インクにも、配達経路にも、決定的な手掛かりはない。


 ただ一つ分かったのは、包みを届けた男が、依頼した人物を知らなかったことだけだった。


「送り主は、顔を見せたくないんだな」


 オタクミが呟く。


「少なくとも、直接届けることは避けている」


 アーグは答えた。


「だが、正体を隠すことだけが目的なら、そもそもあんな言葉を書いて送る必要はない」


「……そこなんだよな」


 オタクミは包み紙を見つめた。


 昔のことを知っていると伝えたい。


 けれど、自分が誰なのかは教えない。


 その中途半端さが、どうにも気になった。


「気づくかどうか、試してるみたい」


 セラが言った。


「答えを教えるんじゃなくて、何を思い出すか見てるんじゃない?」


「……嫌な言い方するな」


「でも、そう感じるでしょ?」


 否定できなかった。


 市場で、自分たちが何を本物だと思うのか。


 どこまで偽物を許せるのか。


 そんなことを、ひとつずつ確かめられているような感覚があった。


 今回の絵も、その続きなのかもしれない。


 ただし。


 そう考えたからといって、送り主がカルテルの関係者だと決まったわけではない。


 オタクミは、その境界だけは忘れないようにした。


     *


 宿へ戻ると、リアが机に置かれた絵を眺めていた。


 オタクミたちが戻ってきたことに気づくと、リアは顔を上げた。


「オタクミさん。少し、気になったことがあるんです」


「何か分かった?」


「分かった、というほどじゃないんですけど……」


 リアは絵へ視線を落とした。


「この絵、誰かが覚えているものを、一生懸命描こうとしたみたいに見えるんです」


「覚えているもの?」


「はい」


 リアは大きな眼の輪郭を指さした。


「眼の形とか、瞳の光とか、細かく描いてありますよね。でも、顔のほかの部分は、少し曖昧に見えるんです」


 オタクミも絵を覗き込んだ。


 確かに、眼はやけに細かい。


 そのわりに、服や髪の一部は大まかだった。


「……言われてみれば」


「もちろん、こういう描き方が好きな人なのかもしれません。でも、誰かから聞いた特徴を頼りに描いているようにも見えて」


「じゃあ、描いた人と、これを送りたかった人は別かもしれないってこと?」


「そうかもしれません」


 リアは頷きかけて、少し首を傾げた。


「でも、逆かもしれません。描いた人が、本当にこういう絵を好きだった可能性もあります。絵だけじゃ、そこまでは分からないので」


 オタクミは黙って絵を見た。


 この世界に、ケイスケが好きだった作品がそのまま存在するとは限らない。


 それでも、どこかで誰かが思い出し、似たものを描くことはできるのかもしれない。


 完全に同じではない。


 けれど、似ているだけでは片づけられないものがある。


「……偽物だから、何も入ってないってわけじゃないのか」


 オタクミは呟いた。


 リアは少し考えてから答えた。


「私には、誰が何を思って描いたのかまでは分かりません」


「うん」


「でも、誰かがこの眼を大事なものとして覚えていたのかな、とは思いました」


 オタクミの胸が、わずかに重くなった。


 覚えていた。


 大きな眼を。


 自分が笑った、その特徴を。


 送り主は、あの時のことをどんな気持ちで思い出しているのだろう。


 オタクミには、まだ分からなかった。


     *


 昼過ぎ、レジナルドもその絵を手に取った。


「眼は私の専門外だが」


「専門あったのかよ」


「顎だ」


「知ってたよ!!」


 レジナルドは満足そうに頷き、絵を机へ戻した。


「しかし、オタクミ殿。この絵を見ると、昔の友人を思い出すのであろう?」


「ああ」


「その友人が、このような絵を好んでいたことも覚えている」


「うん」


「では、その者は、この絵の何を好んでいたのですかな?」


「……何をって」


 オタクミは答えようとして、言葉に詰まった。


 作品名はいくつか覚えている。


 ケイスケがよく読んでいた漫画。


 好きだったキャラクター。


 大きな眼。


 少し古い絵柄。


 そこまでは出てくる。


 けれど。


「……あいつ、あの作品のどこが一番好きだったんだっけ」


 自分で口にしてから、胸に刺さった。


 ケイスケは話していたはずだ。


 かなり熱心に。


 その時、自分だって全部聞き流していたわけではない。


 好きな場面を教えてもらって笑ったこともある。


 薦められた作品を読んで、感想を伝えたこともあった。


 楽しかった。


 それは確かだ。


 なのに今、ケイスケがあの大きな眼のキャラクターをどうして好きだったのかと聞かれると、答えられない。


 覚えているのは、眼が大きかったこと。


 それを見て、自分が笑ったこと。


「……何か、嫌だな」


 オタクミは小さく呟いた。


「何がですかな?」


「あいつ、すごく楽しそうに話してたんだよ。俺も一緒に話してた。それなのに、肝心なところが出てこない」


 レジナルドは黙って聞いていた。


「俺の好きなものも、ケイスケには分からなかったと思う。逆に、あいつの好きなものが俺には刺さらないこともあった」


「それは、当然あり得ることですな」


「でもさ」


 オタクミは絵へ目を向けた。


「だからって、笑っていいわけじゃなかったよな」


 高校時代の教室が、また頭の中に浮かんだ。


 ケイスケが漫画を広げていた。


 好きなキャラクターのことを話していた。


 自分は、眼の大きさに驚いて笑った。


 きっと、軽い冗談のつもりだった。


 それで場が和むと思ったのかもしれない。


 けれど、好きなものを見せた相手から、最初に返ってきた言葉がそれだったら。


「……嫌だったかもしれないな」


 オタクミは呟いた。


 ケイスケが実際にどう感じたのかは分からない。


 何でもない冗談として受け取っていた可能性もある。


 だが、自分が好きな作品を誰かに見せた時のことなら想像できた。


 相手に同じものを好きになってほしいとまでは思わなくても、せめて何が好きなのか聞いてほしい。


 そんな気持ちは、自分にもあった。


「……今さらだけど、悪いこと言ったな」


 オタクミは苦笑した。


 レジナルドは責めなかった。


「形を覚えていることと、その形を好んだ理由を理解していることは、同じではないのでしょうな」


「痛いところ突くな」


「責めているわけではありませんぞ」


「分かってる。だから余計に痛いんだよ」


 レジナルドは、しばらく絵を見ていた。


 それから静かに言った。


「好きなものを、好きだと言って見せるのは、案外勇気のいることですからな」


 オタクミは顔を上げた。


 レジナルドは、いつもの調子で髭を撫でた。


「もっとも、私の顎への情熱は、いささか伝わりやすすぎるかもしれませんが」


「自覚あったのかよ!」


「無論ですぞ!」


 オタクミは思わず笑った。


 少しだけ、胸の重さが和らいだ。


 あの頃の友情が嘘だったわけではない。


 ケイスケと過ごした時間は、楽しかった。


 ただ、その中に、自分が見落としていたものもあった。


 もう一度会えたら。


 謝るだけではなく、聞いてみたい。


 あの作品の何が、そんなに好きだったのか。


 今でも好きなのか。


 ほかには、どんなものを好きになったのか。


「あいつの好きなもの、もっと知りたかったな」


 オタクミは呟いた。


 その願いが、今からでも届くのかどうかは分からなかった。


     *


 市場にも、少しずつ変化が出ていた。


 前回、古紙の情報経路を利用して需要予測を流したあと、カルテル側の一部の屋台では、商品の補充が以前より遅くなる場面が見られた。


 アーグは市場の記録を広げた。


「……いくつか、気になる動きがある」


「もう同じ手は通じないってことか?」


「少なくとも、前と同じ条件では難しいだろうな」


 アーグは、荷車が到着した時刻と、屋台側が補充を求めた時刻を示した。


「こちらで確認できた屋台では、以前より判断に時間がかかっているように見える」


「カルテルが、こっちを警戒してる?」


「その可能性はある」


 アーグは頷いた。


「情報を集める経路自体は動いている。だが、拾った情報をすぐに信じず、ほかの報告を確かめているのかもしれん」


「なるほど」


「ただし、倉庫の都合や、単に荷運びが遅れた可能性もある。これだけでカルテル全体の方針が変わったとは言えない」


 オタクミは帳面を覗き込んだ。


 古紙の回収は続いている。


 市場の情報が集まる流れも止まっていない。


 それでも、いくつかの屋台では、商品を動かす判断が慎重になっているように見えた。


「……考えさせることはできた、かもしれないってことか」


「そうだ」


 アーグは頷いた。


「ただ、警戒されたのなら、次はこちらの手も読まれる可能性がある」


「簡単にはいかないな」


「簡単なら、とっくに終わっている」


「それもそうか」


 オタクミは苦笑した。


 一度、相手を動かした。


 けれど、それだけで勝てるほど単純な相手ではない。


 市場の流れも、人の気持ちも。


 少し見えたからといって、全部分かったつもりになってはいけないのだろう。


     *


 絵が届いた翌朝から、二日が過ぎた。


 市場の一角に、見慣れない看板が立っていた。


『あなたの思い出、高く買い取ります』


 オタクミは足を止めた。


「……何だこれ」


 看板の下には、買い取りのための机が置かれていた。


 その前には、客が列を作っている。


 持ち込まれているものは、壊れた玩具、古い装飾品、使い込まれた食器、傷のある木箱。


 どれも、新品として高く売れるような品には見えなかった。


「古物商か?」


 オタクミが尋ねると、アーグが店の印を確かめた。


「……プライス・カルテルの系列だな」


「またあいつらかよ」


 オタクミは顔をしかめた。


 査定役の男が、客から古い飾りを受け取っていた。


「これは、どなたから?」


「夫からです」


「いつ頃いただいたものでしょう?」


「結婚して、最初の年に」


「長く大切にされていたんですね」


 査定役は頷き、手元の帳面へ何かを書き込んだ。


「どうして、今お売りになることに?」


 客の女性は少し迷ったあと、静かに答えた。


「夫が亡くなって、暮らしが苦しくなりまして。子供たちに、もう少しいいものを食べさせたくて」


 査定役は、その言葉も記録した。


 そして、最初に示していた金額より少し高い買い取り額を提示した。


 女性は驚いた顔をしたが、しばらく考えてから頷いた。


 飾りを手放し、代金を受け取る。


 その後、近くの食料品店へ入り、肉とパンを買っていった。


「……最悪だな」


 オタクミは小さく呟いた。


 大切な思い出まで金で集めるのか。


 最初は、そう思った。


 だが、女性が食料を抱えて歩いていく姿を見て、その言葉を飲み込んだ。


 あの人には、売る理由があった。


 誰かに無理やり奪われたようには見えなかった。


 もちろん、そうするしかない事情があったのかもしれない。


 だとしても、自分が横から「思い出の品を売るなんて間違っている」と決めつけていいわけではない。


「……売ること自体が悪いわけじゃないんだよな」


 オタクミが言うと、アーグは頷いた。


「ああ」


 少し離れたところでは、老人が古い椅子を持ち込んでいた。


 座面は擦り切れ、脚には何度も直した跡がある。


「これは長く使われていたようですね」


「そりゃあ、ずいぶん昔から家にあったからな」


 老人は懐かしそうに笑った。


「誰が座っても、少し右へ傾くんだ。直したつもりでも、すぐ戻ってな」


 査定役は、その話を熱心に聞いていた。


 老人は椅子について長々と話し、最後には買い取りを承諾した。


 手ぶらになった老人は、どこかすっきりした顔で帰っていった。


「……あの人も、自分で決めたんだな」


 オタクミが呟く。


 セラが頷いた。


「物を手放したい人だっているものね」


「うん」


 オタクミは、もう一度査定台を見た。


 売ることが悪いとは限らない。


 売らないことが正しいとも限らない。


 思い出を大切にする方法は、人によって違う。


 けれど。


「……あれ、何をそんなに書いてるんだ?」


 オタクミが眉をひそめた。


 査定役は、品物の状態だけを記録しているわけではなかった。


 誰からもらったのか。


 いつから持っているのか。


 どうして大切にしていたのか。


 なぜ手放すのか。


 客が話した内容まで、細かく書き留めている。


 別の査定台でも、似た質問が繰り返されていた。


「品物の価値を調べてるだけにしては、聞くことが多くないか?」


 オタクミが尋ねる。


 アーグは帳面へ視線を向けた。


「……その可能性はある」


「何の?」


「品そのものより、持ち主について調べている可能性だ」


 オタクミは黙った。


 アーグは声を落とした。


「何を大切にしていたのか。なぜ手放せなかったのか。どんな相手から受け取ったのか。そういう情報を集めているのかもしれん」


「……客の思い出を?」


「ああ。ただし、何に使うつもりかまでは分からない。査定のために聞いている部分もあるだろう」


 オタクミは、査定台の上に積まれた帳面を見た。


 客の手から、品物は離れていく。


 代わりに代金が渡される。


 そこまでは、普通の売買かもしれない。


 けれど、その取引とは別に。


 その人が何を大切にしていたのかという話だけが、カルテルの手元へ残っていく。


 リアが、小さく尋ねた。


「思い出って、売ったらなくなるんでしょうか」


 セラは少し考えた。


「物は手元からなくなるわね。でも、覚えていることまで消えるとは限らないんじゃない?」


「……そうですよね」


 リアは頷いた。


「でも、その人が話したことは、向こうにも残りますよね」


 オタクミは再び帳面を見た。


 女性が夫から贈られた飾りを売ったこと。


 老人が古い椅子を手放したこと。


 それぞれの事情は、その人自身のものだ。


 だが、その話を書き留めた紙もまた、どこかへ運ばれていくのだろう。


 先日見つけた古紙の情報網とは、少し違う。


 今度は捨てられた情報を拾うのではなく、客に直接話してもらっている。


「……これ、何かに使うつもりなんだろうな」


 オタクミが呟いた。


「おそらくな」


 アーグは答えた。


「だが、今はまだ始まったばかりだ。何を買って、何を残しているのか。しばらく見なければ判断できん」


「分かった」


 オタクミは頷いた。


 また新しい商売が始まった。


 しかも、今度は商品だけを見ていても、何をしているのか分からない。


 誰かが好きだったもの。


 大切にしていたもの。


 手放せなかった理由。


 その一つ一つが、値段と一緒に集められている。


 それが何に変わるのか。


 まだ、分からなかった。


     *


 夜。


 オタクミは宿の机で、もう一度あの絵を見ていた。


 今日見た買い取りの看板が、頭から離れなかった。


『あなたの思い出、高く買い取ります』


 もし、ケイスケが大切にしていた漫画を、誰かが高く買い取ると言ったら。


 あいつは売るだろうか。


 それとも、どれだけ積まれても手放さないだろうか。


 考えかけて、オタクミは首を振った。


「……分かるわけないか」


 昔のケイスケなら、こうする。


 そんなふうに答えを決めることはできない。


 自分が覚えているのは、あの頃のケイスケだ。


 今どうしているのかも、何を好きなのかも知らない。


 そもそも、この絵がケイスケ本人から届いたのかどうかも分からない。


「……俺より、向こうの方があの頃のこと覚えてるのかもな」


 オタクミは絵を見つめた。


 自分は、眼が大きかったことを覚えている。


 それを笑ったことも覚えている。


 けれど、ケイスケがなぜそのキャラクターを好きだったのかは、思い出せない。


 一方、送り主は、あの時の自分の軽口を知っているらしい。


 その差が、少し怖かった。


 同時に、寂しかった。


「もし、本当にケイスケなら」


 オタクミは小さく呟いた。


「一回、ちゃんと話したい」


「昔の友達だからか?」


 振り向くと、アーグが入口に立っていた。


「……それもある」


 オタクミは答えた。


「でも、それだけじゃない。謝りたいし、何があったのか聞きたい」


 アーグは部屋へ入ってきた。


「相手がお前の知っている人間だったとしても、今やっていることまで昔の友情で説明するなよ」


 オタクミは反論しなかった。


「……分かってる」


 昔の友達だった。


 だから、今も同じはずだ。


 そう思いたくなる気持ちはある。


 でも、離れていた時間は消えない。


 その間に何があったのか、自分は何も知らない。


 今の相手を知るには、今の相手の話を聞くしかない。


「……もし会えたらさ」


 オタクミは絵を机へ戻した。


「まず、俺の話ばっかりしないようにするよ」


 アーグは少しだけ笑った。


「それなら、前よりは話ができるかもしれんな」


「前から話はしてたって!」


「聞いていたかどうかは、別だろう」


「……そこ突く?」


 オタクミは苦笑した。


 絵は、机の上に残した。


 明日になっても、まだ片づけられそうになかった。


     *


 同じ夜。


 ケインの机には、その日、思い出買い取りで集められた記録が積まれていた。


 母からもらった髪飾り。


 亡くなった夫から贈られた飾り。


 長く家に置かれていた椅子。


 子供の頃から大切にしていた本。


 それぞれの横には、所有者がなぜ大切にしていたのかが書かれている。


「品物の状態だけでは、分からないことも多いようです」


 部下が言った。


「話を聞けば、同じような品でも値段の付け方を変えられます。今後の商品にも利用できるかもしれません」


 ケインは返事をしなかった。


 記録を一枚ずつ眺める。


 誰からもらったか。


 どんな時に使っていたか。


 何を思い出すのか。


 品物だけなら、似たものをいくらでも探せるかもしれない。


 けれど、そこに書かれた話は、それぞれ違っていた。


「……続けろ」


 ケインが言うと、部下は一礼して部屋を出た。


 一人になったケインは、机の端から白い紙を一枚取った。


 しばらく眺めてから、ペンを走らせる。


『大きな眼のキャラクター』


 その横に、価格を書き込むための空欄を作った。


 ペン先が紙へ近づく。


 止まる。


 ケインは、しばらくそのままでいた。


 やがて、もう一度ペンを動かそうとした。


 けれど、数字は書かれなかった。


 空欄のまま、時間だけが過ぎていく。


 ケインは小さく舌打ちし、紙を伏せた。


 そして、誰もいない机の向こうへ向けて呟いた。


「……だったら、お前ならいくらを付ける」


 返事はなかった。

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