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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
11 誰が「好き」を決めるのか

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見ているなら、見せてやんよ

 宿の共用部屋には、しばらく誰の声も響かなかった。


 テーブルに広げられているのは、ここ数日で集めた市場の記録だ。職人紹介の紙、紹介割引の条件を書き写したもの、正規店の仕入れと配送に関する通知、そして前日に見かけた試作品の説明札。


 その端に、オタクミが四枚の紙を並べていた。


『品質』

『職人』

『物語』

『制作途中の痕跡』


 どれも、商品を買ってもらうためだけではなく、客が自分で判断できる材料を増やそうとして考えたものだった。


 ところが、似た方法が次々とカルテル側の売り場にも現れている。


「……やっぱり気になるんだよな」


 オタクミが紙を見つめたまま呟いた。


「何がだ?」


 アーグが尋ねる。


「向こうが真似するのは、もう分かった。資金も人手もあるし、こっちより手広く商売してるんだから、できることが多いのも分かる。でも、何でこうも早いんだ?」


 アーグはすぐには答えなかった。


 これまでにも同じ疑問は出ている。


 市場で公開したことなら、誰かに見られていてもおかしくない。店員が客として立ち寄ることもできるし、話を聞いた客が別の店でその話をすることもある。


 だが、似たことが続けば、偶然として片づけにくくなるのも確かだった。


「監視している者を探すか?」


 レジナルドが静かに言った。


「騎士団のように人を配置できれば、出入りする者を調べることもできますが……」


「難しいだろうな」


 アーグが首を振った。


「市場へ来る人間を全員調べるわけにはいかん。それに、一人の監視者がいるとは限らない」


「そうね」


 壁際で腕を組んでいたセラが頷いた。


「荷物を運んでる人も、買い物してる人も、店の前で立ち話してる人もいる。誰かが何かを見て帰ったとして、それだけで怪しいとは言えないわ」


「元盗賊の勘で、こう、怪しい奴が分かったりしない?」


「そんな便利な勘があるなら苦労しないわよ」


 セラは呆れたように答えた。


「それに、情報を集めるのと、集めた情報を誰かに渡すのは別の話でしょ。目の前の人がただ買い物してるだけでも、どこかで聞いた話が別の場所へ伝わることはあるわ」


「……だよなあ」


 オタクミは椅子に背を預けた。


 以前なら、怪しい奴を見つけて問い詰めれば済むと考えたかもしれない。


 だが、市場で安い商品を買った客を責めても、職人紹介の紙を配る販売員を捕まえても、その奥にいる相手へ近づける保証はない。


 そもそも、誰がどこまで事情を知っているのかさえ分からなかった。


「顔を探しても、見つからないか……」


 オタクミは天井を見上げた。


 そこで、ふと引っかかった。


 見つからない。


 こちらが探しても、向こうの姿が見えない。


 けれど、こちらが市場で何かをすると、似たものが向こうに現れる。


 だったら。


「……あれ?」


「どうしました?」


 リアが尋ねる。


 オタクミは身を起こした。


「俺たちが、わざわざ相手を探す必要ってあるのか?」


 アーグが眉を上げる。


「どういう意味だ?」


「向こうがこっちを見てるならさ、こっちが見せるものを選べばいいんじゃないか?」


 全員の視線が集まった。


 オタクミはテーブルの端から白い紙を一枚取り、三つに区切る線を引いた。


「例えば、次にやろうとしてることがあるって話を、三種類に分けるんだよ」


 それぞれの欄へ、大きく文字を書き込む。


『A』

『B』

『C』


「別々の場所で、別々の話をする。で、向こうがどれに反応するか見てみる」


 セラが首を傾げた。


「……ああ。どの話が届いたかで、情報が流れた場所を探るってこと?」


「そう!」


 オタクミは勢いよく頷いた。


「見てる奴が誰か分からないなら、向こうから手掛かりを出してもらえばいい。こっちで流した話が売り場に出てきたら、少なくとも、その話が向こうへ届いた可能性はあるだろ?」


 アーグが黙った。


 反応がない。


 オタクミは少し不安になった。


「……え、これ駄目?」


「いや」


 アーグは紙を引き寄せた。


「考え方は悪くない」


「おっ」


「ただし、同じことを独自に思いつく可能性は残る。一度の結果で、情報の出所を特定できるわけでもない」


「はいはい。分かってますよ」


「分かっていない顔だな」


「たまには褒めてから注意してくれない?」


「成功したら考える」


「厳しい!」


 セラが小さく笑った。


 アーグは笑わず、紙の三つの欄を見つめていた。


「やるなら、どこで何を話したか記録する必要がある。話を聞いた人物が、別の場所へ伝えることもあるからな」


「それって、完全に場所を分けても意味がないってこと?」


 リアが尋ねる。


「意味がないわけではない。少なくとも、どの情報に対応する反応が出たかは確かめられる。ただ、そこから先は別の調査が必要になる」


「……なるほど」


 オタクミは紙を眺めた。


 捕まえる。


 問い詰める。


 そういう方法とは違う。


 こちらが何かを置いておき、相手の反応を見る。


 少し回りくどいが、今までとは違うことができそうだった。


「なら、やってみようぜ」


「待ってください」


 リアが口を開いた。


 オタクミは顔を上げる。


「私たち、嘘の話をするんですよね?」


「……ああ」


「それって、今まで向こうがやっていたことと、少し似ていませんか?」


 部屋が静かになった。


 リアは困ったように紙を見た。


「職人さんの夢とか、苦労した話とか、本当かどうか分からないものを売るために使われていたのが、嫌だったんですよね。今度は私たちが、本当じゃないことを誰かへ伝えるんでしょう?」


 オタクミはすぐには答えなかった。


 リアが言っていることは、もっともだった。


 情報を使って相手の行動を変えようとしている。


 自分たちがこれからやろうとしていることも、その点では変わらない。


「……そうだな」


 オタクミは頷いた。


「嘘の話を使うってところは、同じだ」


 リアは顔を上げた。


「だから、客を騙して何か買わせるためには使わない。それは絶対にやめよう」


 オタクミは紙を指さした。


「本当に商品として売り出すつもりもない。職人さんに余計なものを作らせるのも、荷運びの人に無駄な仕事を頼むのも駄目だ」


 アーグが横から口を挟む。


「一般客に向けた販売告知として流すのも避けるべきだな。値段や品質についての嘘は論外だ。話すとしても、まだ正式に決まっていない検討案という形にする」


「うん。それで、協力してもらう人にはちゃんと説明する」


「説明した上で、断られたら?」


「やめる」


 オタクミは即答した。


 リアは少し驚いたような顔をしたあと、小さく頷いた。


「……それなら、私は見ていたいです」


「ありがとう」


「でも、ちょっと気にはなります」


「うん。それも分かる」


 オタクミは笑った。


 作戦だから何をしてもいいという話ではない。


 自分たちがどこまでやるのか、その線は引いておきたかった。


「さて」


 アーグが紙を自分の方へ寄せる。


「肝心の三案を決めるぞ。あまり突飛な内容では、相手も取り合わんだろう」


「それなら考えてる」


 オタクミはAの欄を指さした。


「まずA。職人さん本人の手形を、商品に添える」


「手形?」


 セラが聞き返した。


「作った人の手の形が分かれば、本人が関わった感じがするだろ? 商品に直接つけなくても、別の紙とかでさ」


 アーグが書き込む。


『A:職人本人の手形を添える』


「次、B。制作に使った道具を、商品と一緒に展示する」


「道具を?」


 レジナルドが尋ねる。


「そう。昨日は試作品だったろ。次は実際に使った道具を見せる、みたいな」


『B:制作道具を展示する』


「最後、C。商品ごとに、製作者の名前と作った日を表示する」


 リアが少し考える。


「いつ、誰が作ったのか分かるようにするんですね」


「そういうこと」


『C:製作者名と製作日を表示する』


 三つ並ぶと、どれも市場で実際に考えられそうな内容になった。


 だが、オタクミたちはどれも実行するつもりはない。


 あくまで、誰かがその情報を拾うか確かめるための案だ。


「……よし、第四案もあるぞ」


 オタクミが得意げに言った。


 セラが嫌そうな顔をした。


「聞きたくないわね」


「購入者全員に、ミスティアへの愛を四千字以上で提出してもらう」


「却下」


「早い!」


「買い物じゃなくて試験になるでしょ」


「そこがいいんだよ! 真の推し活には覚悟が――」


「お客さんを減らしてどうするんですか?」


 リアに真顔で言われ、オタクミは口を閉じた。


 ゴルドスがため息をつく。


「小僧。買う者の自由を大事にする話は、どこへ行った?」


「……はい。撤回します」


 アーグは第四案を紙に書くことすらしなかった。


「では、三案で進める。まずは協力者の了解を取るところからだ」


     *


 翌朝、正規店の店主は、オタクミたちの話を最後まで聞いてから、難しい顔をした。


「つまり、うちの店で新しいことを始めるわけじゃないんだな?」


「はい。どこから話が伝わるのか、手掛かりを探したいんです」


 オタクミは頷いた。


「似た方法がすぐに向こうの売り場にも出てくるから、今度はこっちから試してみようかと。ただ、店の仕事に迷惑がかかるならやめます」


「ふむ……」


 店主は帳簿へ目をやった。


 仕入れと配送の問題は、まだ片づいていない。


 売る品を揃えることさえ簡単ではない時に、余計な仕事を増やす余裕はなかった。


「実際の注文は出さない。商品にも手を加えない。客へ新しいサービスを告知するわけでもない。それなら、できることはあるかもしれん」


 店主はそう言って、ドニを呼んだ。


 ドニも話を聞くと、すぐに眉をひそめた。


「また妙なことを考えたな」


「褒め言葉として受け取っておきます」


「褒めておらん」


「ですよね」


 オタクミが肩を落とすと、ドニは腕を組んだ。


「職人たちを疑っているわけじゃないんだな?」


「違う。誰かが悪いって決めつけたいわけじゃない」


 オタクミは真面目に答えた。


「職人さんが話したことを、別の誰かが聞くかもしれない。店の近くで誰かが聞くかもしれない。そういう情報の流れを確かめたいんです」


「……なるほど」


 ドニは少し考えた。


「俺の知っている職人に、世間話として新しい案を話すことはできる。ただし、作ることが決まったようには言わんぞ」


「もちろん。それでいい」


 店主も頷いた。


「こちらも、商品ごとに名前と日付を付ける案がある、という話ならできる。ただ、客に聞かせるために大声で宣伝したりはしない」


「お願いします」


 アーグは帳面を開いた。


「案を話した場所と時間、それから誰がその場にいたか、分かる範囲で記録しておきましょう」


 セラが店の外を覗いた。


「私も周りの様子を見ておくわ。ただ、誰かが立ち止まっただけで怪しいとは決めないからね」


「ああ。頼む」


 オタクミは頷いた。


 こうして三つの情報は、別々の場所へ置かれることになった。


 最初はA案。


 ドニが、知り合いの職人と仕事の話をする機会に、手形を商品へ添える案について触れる。


「作った本人の手が分かるものを付ける、なんて案も考えているらしい」


 相手の職人は少し笑った。


「そんなものを見て、客が喜ぶのか?」


「さあな。まだ決まってもいない話だ」


 そこで会話は終わった。


 実際の制作依頼はない。


 誰かが手形を取る作業を始めたわけでもない。


 アーグは、ドニから聞いた時間と場所を帳面に書き込んだ。


 次はB案。


 アーグは運送に関わる顔なじみと話す中で、制作道具を展示する案に触れた。


「商品と一緒に、制作に使った道具を見せる案も出ているらしい」


「道具まで見せるのか?」


「まだ検討段階だ。運ぶ依頼があるわけではない」


「そうか。荷物が増えるのかと思ったぜ」


「その時は正式に相談する」


 相手は頷き、別の荷物の確認へ戻った。


 実際に荷物が増えたわけではない。


 運送の予定も変わらなかった。


 最後はC案だった。


 店主とドニが、正規店の仕事の合間に、商品ごとの製作者名と製作日について話す。


「作った人の名前だけじゃなく、いつ作ったかまで分かるといいのかもしれんな」


「それも、客が気にするものかどうか分からんが」


「まだ案の段階だが、考えてみる価値はあるかもしれん」


 店の前では客が行き来していた。


 誰かに聞かせようと声を張り上げたわけではない。


 けれど、通りがかった人間に聞こえなかったとも言い切れない。


 セラは少し離れた場所から、店の前を通る人々の流れを見ていた。


 荷物を抱えた男。


 買い物帰りらしい女性。


 足を止めて商品を眺める客。


 どの人物も、特別に怪しくは見えない。


 店の前で話が聞こえたとしても、そこで立ち止まる必要はないのだ。


 夕方、アーグの帳面には三つの記録が増えていた。


 A、B、C。


 それぞれを話した場所と時間。


 誰が協力したのか。


 周囲にどのような人の出入りがあったのか。


 ただし、記録に残ったのは観察できた範囲だけだった。


 誰かが聞いた話を、別の場所で誰に伝えたのかまでは分からない。


「……思った以上に地味だな」


 オタクミがぼやいた。


 セラは横で買った果物を手に持ちながら笑った。


「もっと怪しい男が現れて、こそこそ後をつける展開でも期待してた?」


「ちょっとだけ」


「正直ね」


「こう、屋根の上を走ったり、路地裏で待ち伏せしたりさ」


「あなたが走ったら、先に相手に気づかれると思うわよ」


「そこまで言う?」


「少なくとも、黙って隠れてるのは向いてないわね」


 反論しようとして、オタクミは口を閉じた。


 何かが起きていれば、まだ分かりやすい。


 けれど市場は、いつもどおりだった。


 子供が屋台の菓子をねだり、荷運び人が木箱を積み、商人たちが値段の相談をしている。


 誰かに見られているのかもしれない。


 それでも、誰が見ているのかは分からない。


「……待つのって、疲れるな」


「今まで自分から動きすぎてたのよ」


「反省してる人間に過去の罪を掘り返さないでくれ」


「昨日までの話よ」


「最近すぎる!」


 セラが笑った。


 その日は、それ以上の変化を確認できなかった。


     *


 翌朝。


 王都アストリアの市場は、いつもどおり賑やかだった。


 客が通りを行き交い、屋台の販売員たちが声を上げている。


 オタクミは眠そうにあくびをした。


「……何もなかったら、どうする?」


「その時は、その時だ」


 アーグが答える。


「結果が出なかったという記録が残る。それも無駄ではない」


「分かっちゃいるけどさ」


 オタクミは頭を掻いた。


「一回くらい、こっちの思いどおりになってほしいじゃん」


「結果が出る前から期待しすぎるな」


「相変わらず厳しいなあ」


 そんな会話をしながら、いつもの通りへ入った。


 最初に足を止めたのはセラだった。


「……ねえ」


「ん?」


「あれ、昨日あった?」


 セラが指さしたのは、安価なアクスタを並べた屋台だった。


 商品そのものは見慣れた形をしている。


 透明度が十分ではないものもあり、正規品とは仕上がりが違う。


 だが、その横に小さな札が添えられていた。


『製作者名』

『製作日』


 オタクミは目を細めた。


「……え?」


 近づいてみる。


 札には、それぞれ名前と日付らしい記載がある。


 ただし、それが本当の制作記録なのかは分からない。


 重要なのは、そこではなかった。


「……C?」


 オタクミが呟いた。


 アーグはすぐに帳面を開いた。


「昨日、正規店周辺で話した案だな」


「だよな?」


 隣の屋台を見る。


 そちらにも、同じように製作者名と日付を示す札が置かれていた。


 少し先の屋台でも、似た表示がある。


 オタクミは思わず笑いそうになったが、アーグに肩を押さえられた。


「待て。まず確認だ」


「分かってるって」


「手形の案は?」


 セラが周囲を見渡す。


「今見えるところにはないわね」


「制作道具の展示は?」


「それも見当たらない」


 アーグは帳面へ書き込んだ。


「確認できた範囲では、Cに対応する表示だけがある」


 オタクミは改めて札を見た。


 署名ではない。


 製作者名と製作日を示す、ただの小さな札だ。


 昨日、店主とドニが店先で話したのも、まさにそうした表示についてだった。


「……本当に出たんだな」


 オタクミは呟いた。


「アーグ」


「何だ?」


「これ、偶然の可能性はあるんだよな?」


「ある。以前から準備していた可能性も、独自に考えついた可能性も否定できん」


「うん」


「それに、Cの話を誰が聞いたか、聞いたあとどこへ伝わったかも分からん。仮に情報が届いていたとしても、どこから流れたかは別の問題だ」


「それも分かる」


「……だが」


 アーグは少しだけ間を置いた。


「こちらが意図的に出した情報と同じものが、翌朝の売り場に現れた。しかも、少なくとも今見た範囲では、AとBに対応するものは出ていない。調べる価値のある結果だ」


 オタクミの口元が、ゆっくり上がった。


 昨日までなら、同じ光景を見て腹を立てていただろう。


 また真似された。


 また利用された。


 せっかく考えたことを、向こうに持っていかれた。


 そう思っていたはずだ。


 けれど今日は違った。


 今回、正規店で署名と日付の表示を始めたわけではない。


 客に宣伝したわけでもない。


 実際の制作工程を変えたわけでもない。


 ただ、そういう案があるという話を、意図的に流した。


 その翌朝。


 同じ案が、向こうの売り場に現れた。


「……真似させた」


 オタクミは小さく呟いた。


「まだ、そうと決まったわけではないぞ」


 アーグが言う。


「分かってる」


 オタクミは頷いた。


「でも、今までとは違うんだよ」


 商品に添えられた札を見つめる。


 今まで自分たちは、相手が仕掛けた値段や宣伝に反応してきた。


 どうすれば正規品を知ってもらえるか考え、次の方法を試す。


 すると、その方法に似たものが向こうへ現れる。


 それを見て、また次を考える。


 ずっと、その繰り返しだった。


「今回は、俺たちが先に問題を出したんだ」


 オタクミは振り返った。


「向こうがどう動くか、確かめるために」


 リアは商品の横に置かれた札を見つめていた。


「……名前と日付が書いてあると、作った人のことを知った気になりますね」


「そうだな」


「でも、本当にこの人が、この日に作ったのかは、これだけじゃ分かりません」


「うん」


 オタクミは頷いた。


「俺たちだって、昨日は本当じゃない案を話した。向こうが何を聞いたのかも、何を考えてこの札を出したのかも、まだ分からない」


 リアは少し考えたあと、顔を上げた。


「それでも、調べる手掛かりにはなるんですね」


「たぶんな」


 オタクミは笑った。


「全部分かったわけじゃない。でも、ここから確かめられることはありそうだ」


 セラが腕を組んだ。


「それで、次はどうするの?」


「そこなんだよなあ」


 オタクミが頭を掻くと、アーグが帳面を閉じた。


「喜ぶのはここまでだ。まず、Cの話をした時に何が起きていたか整理する」


「犯人探し?」


「違う。情報の流れを調べる」


 アーグはきっぱりと言った。


「店主やドニを疑うためではない。昨日の話がどういう範囲へ広がり得たかを、もう少し細かく見る必要がある」


 セラも頷いた。


「人の顔だけ見ても仕方ないかもしれないわね。昨日の店の前だって、いろんな人が通ってたし」


「そうだな」


 オタクミは頷いた。


 まだ分からないことばかりだ。


 Cの情報が本当に自分たちから伝わったのか。


 伝わったとしたら、どこから、誰を通って届いたのか。


 なぜAとBではなく、Cが売り場に現れたのか。


 それでも、昨日までと違う手応えがあった。


 見られているかもしれない。


 その不気味さは、まだ消えていない。


 けれど、見られているなら、見せるものを選ぶことはできる。


「……よし」


 オタクミは拳を握った。


「一歩だな」


 ゴルドスが腰元で低く笑う。


「ようやく一歩か」


「一歩でいいんだよ」


 オタクミは笑った。


「ゼロじゃないんだからさ」


     *


 プライス・カルテルの王都側拠点には、その日の市場報告が届いていた。


 ケインは机に置かれた紙へ目を通している。


 いくつかの屋台で、製作者名と製作日を示す表示が始まったこと。


 表示に興味を示した客がいたこと。


 それらが簡潔に記されていた。


 だが、ケインの目が止まったのは、別の記述だった。


 正規店側の異邦人の男が、複数の屋台を回り、表示を確かめていたこと。


 同行している者たちが、手元の帳面と売り場を見比べていたこと。


「……帳面を?」


 ケインが尋ねる。


「はい。正規店側の一行が、何かを確認していたようです」


「何を?」


「そこまでは分かっておりません」


「そう」


 ケインは短く答えた。


 商品の違いを見るだけなら、これまでにもあった。


 客の反応を確かめることも、珍しくはない。


 だが、今回は表示のある屋台をいくつも見て回り、そのたびに帳面を開いていたという。


 ケインは報告書へ視線を戻した。


 何かを探しているのか。


 それとも、何かを確かめたのか。


 今の報告だけでは分からない。


「引き続き、市場での動きを記録しておけ」


「承知しました」


 部下が去ったあと、ケインはもう一度、異邦人の男について書かれた箇所を読んだ。


 それから、報告書を閉じる。


「……今度は、何を見ようとしてるんだ」


 その声は、誰にも聞かれなかった。


     *


 市場では、オタクミたちがまだ屋台を見比べていた。


 C案に対応する表示は確認できた。


 だが、その情報が誰を通って届いたのかは分からない。


 アーグは記録を取り、セラは人の流れを見ている。


 オタクミは、もう一度、商品に添えられた札へ目を向けた。


 名前と日付。


 たったそれだけの表示だ。


 けれど、そこへ至るまでに、誰かが何かを聞き、誰かに伝え、誰かが売り場へ並べることを決めたのかもしれない。


 どの部分が本当で、どの部分が想像なのか。


 今はまだ、分からなかった。


 ふと見ると、店先を荷物を抱えた男が通り過ぎていった。


 その後ろでは、客が販売員から受け取った紙を折り畳んでいる。


 少し先では、商人同士が何かを相談していた。


 見慣れた市場の光景だ。


 だが、情報が流れているとしたら、必ずしも顔を隠した怪しい人物がいるとは限らない。


 オタクミは、今日の手応えをもう一度確かめた。


 相手の情報網を見つけたわけではない。


 こちらが流した話が、そのまま伝わったと証明できたわけでもない。


 それでも、自分たちで見せるものを選び、その後の変化を確かめることはできた。


「……見てるなら、見せてやんよ」


 オタクミは小さく呟いた。


「何か言った?」


 セラが振り返る。


「いや。ちょっと、気合い入れ直しただけ」


「その顔、また何か考えてるでしょ」


「まだ何も決めてないって」


 アーグが横から言う。


「決める前に相談しろよ」


「はいはい」


「一回でいいから、先に相談してくれ」


「信用されてねえなあ!」


 セラが笑い、リアもつられて微笑んだ。


 オタクミはもう一度、市場を見渡した。


 見えるのは、商品と客と、いつもどおりに働く人々だ。


 その間を、何がどう伝わっているのかは分からない。


 けれど、これまで相手の動きを追いかけるだけだった自分たちは、初めて向こうの反応を確かめるために動いた。


 たった一歩。


 それでも、その一歩は自分たちで選んだものだった。

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