見ているなら、見せてやんよ
宿の共用部屋には、しばらく誰の声も響かなかった。
テーブルに広げられているのは、ここ数日で集めた市場の記録だ。職人紹介の紙、紹介割引の条件を書き写したもの、正規店の仕入れと配送に関する通知、そして前日に見かけた試作品の説明札。
その端に、オタクミが四枚の紙を並べていた。
『品質』
『職人』
『物語』
『制作途中の痕跡』
どれも、商品を買ってもらうためだけではなく、客が自分で判断できる材料を増やそうとして考えたものだった。
ところが、似た方法が次々とカルテル側の売り場にも現れている。
「……やっぱり気になるんだよな」
オタクミが紙を見つめたまま呟いた。
「何がだ?」
アーグが尋ねる。
「向こうが真似するのは、もう分かった。資金も人手もあるし、こっちより手広く商売してるんだから、できることが多いのも分かる。でも、何でこうも早いんだ?」
アーグはすぐには答えなかった。
これまでにも同じ疑問は出ている。
市場で公開したことなら、誰かに見られていてもおかしくない。店員が客として立ち寄ることもできるし、話を聞いた客が別の店でその話をすることもある。
だが、似たことが続けば、偶然として片づけにくくなるのも確かだった。
「監視している者を探すか?」
レジナルドが静かに言った。
「騎士団のように人を配置できれば、出入りする者を調べることもできますが……」
「難しいだろうな」
アーグが首を振った。
「市場へ来る人間を全員調べるわけにはいかん。それに、一人の監視者がいるとは限らない」
「そうね」
壁際で腕を組んでいたセラが頷いた。
「荷物を運んでる人も、買い物してる人も、店の前で立ち話してる人もいる。誰かが何かを見て帰ったとして、それだけで怪しいとは言えないわ」
「元盗賊の勘で、こう、怪しい奴が分かったりしない?」
「そんな便利な勘があるなら苦労しないわよ」
セラは呆れたように答えた。
「それに、情報を集めるのと、集めた情報を誰かに渡すのは別の話でしょ。目の前の人がただ買い物してるだけでも、どこかで聞いた話が別の場所へ伝わることはあるわ」
「……だよなあ」
オタクミは椅子に背を預けた。
以前なら、怪しい奴を見つけて問い詰めれば済むと考えたかもしれない。
だが、市場で安い商品を買った客を責めても、職人紹介の紙を配る販売員を捕まえても、その奥にいる相手へ近づける保証はない。
そもそも、誰がどこまで事情を知っているのかさえ分からなかった。
「顔を探しても、見つからないか……」
オタクミは天井を見上げた。
そこで、ふと引っかかった。
見つからない。
こちらが探しても、向こうの姿が見えない。
けれど、こちらが市場で何かをすると、似たものが向こうに現れる。
だったら。
「……あれ?」
「どうしました?」
リアが尋ねる。
オタクミは身を起こした。
「俺たちが、わざわざ相手を探す必要ってあるのか?」
アーグが眉を上げる。
「どういう意味だ?」
「向こうがこっちを見てるならさ、こっちが見せるものを選べばいいんじゃないか?」
全員の視線が集まった。
オタクミはテーブルの端から白い紙を一枚取り、三つに区切る線を引いた。
「例えば、次にやろうとしてることがあるって話を、三種類に分けるんだよ」
それぞれの欄へ、大きく文字を書き込む。
『A』
『B』
『C』
「別々の場所で、別々の話をする。で、向こうがどれに反応するか見てみる」
セラが首を傾げた。
「……ああ。どの話が届いたかで、情報が流れた場所を探るってこと?」
「そう!」
オタクミは勢いよく頷いた。
「見てる奴が誰か分からないなら、向こうから手掛かりを出してもらえばいい。こっちで流した話が売り場に出てきたら、少なくとも、その話が向こうへ届いた可能性はあるだろ?」
アーグが黙った。
反応がない。
オタクミは少し不安になった。
「……え、これ駄目?」
「いや」
アーグは紙を引き寄せた。
「考え方は悪くない」
「おっ」
「ただし、同じことを独自に思いつく可能性は残る。一度の結果で、情報の出所を特定できるわけでもない」
「はいはい。分かってますよ」
「分かっていない顔だな」
「たまには褒めてから注意してくれない?」
「成功したら考える」
「厳しい!」
セラが小さく笑った。
アーグは笑わず、紙の三つの欄を見つめていた。
「やるなら、どこで何を話したか記録する必要がある。話を聞いた人物が、別の場所へ伝えることもあるからな」
「それって、完全に場所を分けても意味がないってこと?」
リアが尋ねる。
「意味がないわけではない。少なくとも、どの情報に対応する反応が出たかは確かめられる。ただ、そこから先は別の調査が必要になる」
「……なるほど」
オタクミは紙を眺めた。
捕まえる。
問い詰める。
そういう方法とは違う。
こちらが何かを置いておき、相手の反応を見る。
少し回りくどいが、今までとは違うことができそうだった。
「なら、やってみようぜ」
「待ってください」
リアが口を開いた。
オタクミは顔を上げる。
「私たち、嘘の話をするんですよね?」
「……ああ」
「それって、今まで向こうがやっていたことと、少し似ていませんか?」
部屋が静かになった。
リアは困ったように紙を見た。
「職人さんの夢とか、苦労した話とか、本当かどうか分からないものを売るために使われていたのが、嫌だったんですよね。今度は私たちが、本当じゃないことを誰かへ伝えるんでしょう?」
オタクミはすぐには答えなかった。
リアが言っていることは、もっともだった。
情報を使って相手の行動を変えようとしている。
自分たちがこれからやろうとしていることも、その点では変わらない。
「……そうだな」
オタクミは頷いた。
「嘘の話を使うってところは、同じだ」
リアは顔を上げた。
「だから、客を騙して何か買わせるためには使わない。それは絶対にやめよう」
オタクミは紙を指さした。
「本当に商品として売り出すつもりもない。職人さんに余計なものを作らせるのも、荷運びの人に無駄な仕事を頼むのも駄目だ」
アーグが横から口を挟む。
「一般客に向けた販売告知として流すのも避けるべきだな。値段や品質についての嘘は論外だ。話すとしても、まだ正式に決まっていない検討案という形にする」
「うん。それで、協力してもらう人にはちゃんと説明する」
「説明した上で、断られたら?」
「やめる」
オタクミは即答した。
リアは少し驚いたような顔をしたあと、小さく頷いた。
「……それなら、私は見ていたいです」
「ありがとう」
「でも、ちょっと気にはなります」
「うん。それも分かる」
オタクミは笑った。
作戦だから何をしてもいいという話ではない。
自分たちがどこまでやるのか、その線は引いておきたかった。
「さて」
アーグが紙を自分の方へ寄せる。
「肝心の三案を決めるぞ。あまり突飛な内容では、相手も取り合わんだろう」
「それなら考えてる」
オタクミはAの欄を指さした。
「まずA。職人さん本人の手形を、商品に添える」
「手形?」
セラが聞き返した。
「作った人の手の形が分かれば、本人が関わった感じがするだろ? 商品に直接つけなくても、別の紙とかでさ」
アーグが書き込む。
『A:職人本人の手形を添える』
「次、B。制作に使った道具を、商品と一緒に展示する」
「道具を?」
レジナルドが尋ねる。
「そう。昨日は試作品だったろ。次は実際に使った道具を見せる、みたいな」
『B:制作道具を展示する』
「最後、C。商品ごとに、製作者の名前と作った日を表示する」
リアが少し考える。
「いつ、誰が作ったのか分かるようにするんですね」
「そういうこと」
『C:製作者名と製作日を表示する』
三つ並ぶと、どれも市場で実際に考えられそうな内容になった。
だが、オタクミたちはどれも実行するつもりはない。
あくまで、誰かがその情報を拾うか確かめるための案だ。
「……よし、第四案もあるぞ」
オタクミが得意げに言った。
セラが嫌そうな顔をした。
「聞きたくないわね」
「購入者全員に、ミスティアへの愛を四千字以上で提出してもらう」
「却下」
「早い!」
「買い物じゃなくて試験になるでしょ」
「そこがいいんだよ! 真の推し活には覚悟が――」
「お客さんを減らしてどうするんですか?」
リアに真顔で言われ、オタクミは口を閉じた。
ゴルドスがため息をつく。
「小僧。買う者の自由を大事にする話は、どこへ行った?」
「……はい。撤回します」
アーグは第四案を紙に書くことすらしなかった。
「では、三案で進める。まずは協力者の了解を取るところからだ」
*
翌朝、正規店の店主は、オタクミたちの話を最後まで聞いてから、難しい顔をした。
「つまり、うちの店で新しいことを始めるわけじゃないんだな?」
「はい。どこから話が伝わるのか、手掛かりを探したいんです」
オタクミは頷いた。
「似た方法がすぐに向こうの売り場にも出てくるから、今度はこっちから試してみようかと。ただ、店の仕事に迷惑がかかるならやめます」
「ふむ……」
店主は帳簿へ目をやった。
仕入れと配送の問題は、まだ片づいていない。
売る品を揃えることさえ簡単ではない時に、余計な仕事を増やす余裕はなかった。
「実際の注文は出さない。商品にも手を加えない。客へ新しいサービスを告知するわけでもない。それなら、できることはあるかもしれん」
店主はそう言って、ドニを呼んだ。
ドニも話を聞くと、すぐに眉をひそめた。
「また妙なことを考えたな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めておらん」
「ですよね」
オタクミが肩を落とすと、ドニは腕を組んだ。
「職人たちを疑っているわけじゃないんだな?」
「違う。誰かが悪いって決めつけたいわけじゃない」
オタクミは真面目に答えた。
「職人さんが話したことを、別の誰かが聞くかもしれない。店の近くで誰かが聞くかもしれない。そういう情報の流れを確かめたいんです」
「……なるほど」
ドニは少し考えた。
「俺の知っている職人に、世間話として新しい案を話すことはできる。ただし、作ることが決まったようには言わんぞ」
「もちろん。それでいい」
店主も頷いた。
「こちらも、商品ごとに名前と日付を付ける案がある、という話ならできる。ただ、客に聞かせるために大声で宣伝したりはしない」
「お願いします」
アーグは帳面を開いた。
「案を話した場所と時間、それから誰がその場にいたか、分かる範囲で記録しておきましょう」
セラが店の外を覗いた。
「私も周りの様子を見ておくわ。ただ、誰かが立ち止まっただけで怪しいとは決めないからね」
「ああ。頼む」
オタクミは頷いた。
こうして三つの情報は、別々の場所へ置かれることになった。
最初はA案。
ドニが、知り合いの職人と仕事の話をする機会に、手形を商品へ添える案について触れる。
「作った本人の手が分かるものを付ける、なんて案も考えているらしい」
相手の職人は少し笑った。
「そんなものを見て、客が喜ぶのか?」
「さあな。まだ決まってもいない話だ」
そこで会話は終わった。
実際の制作依頼はない。
誰かが手形を取る作業を始めたわけでもない。
アーグは、ドニから聞いた時間と場所を帳面に書き込んだ。
次はB案。
アーグは運送に関わる顔なじみと話す中で、制作道具を展示する案に触れた。
「商品と一緒に、制作に使った道具を見せる案も出ているらしい」
「道具まで見せるのか?」
「まだ検討段階だ。運ぶ依頼があるわけではない」
「そうか。荷物が増えるのかと思ったぜ」
「その時は正式に相談する」
相手は頷き、別の荷物の確認へ戻った。
実際に荷物が増えたわけではない。
運送の予定も変わらなかった。
最後はC案だった。
店主とドニが、正規店の仕事の合間に、商品ごとの製作者名と製作日について話す。
「作った人の名前だけじゃなく、いつ作ったかまで分かるといいのかもしれんな」
「それも、客が気にするものかどうか分からんが」
「まだ案の段階だが、考えてみる価値はあるかもしれん」
店の前では客が行き来していた。
誰かに聞かせようと声を張り上げたわけではない。
けれど、通りがかった人間に聞こえなかったとも言い切れない。
セラは少し離れた場所から、店の前を通る人々の流れを見ていた。
荷物を抱えた男。
買い物帰りらしい女性。
足を止めて商品を眺める客。
どの人物も、特別に怪しくは見えない。
店の前で話が聞こえたとしても、そこで立ち止まる必要はないのだ。
夕方、アーグの帳面には三つの記録が増えていた。
A、B、C。
それぞれを話した場所と時間。
誰が協力したのか。
周囲にどのような人の出入りがあったのか。
ただし、記録に残ったのは観察できた範囲だけだった。
誰かが聞いた話を、別の場所で誰に伝えたのかまでは分からない。
「……思った以上に地味だな」
オタクミがぼやいた。
セラは横で買った果物を手に持ちながら笑った。
「もっと怪しい男が現れて、こそこそ後をつける展開でも期待してた?」
「ちょっとだけ」
「正直ね」
「こう、屋根の上を走ったり、路地裏で待ち伏せしたりさ」
「あなたが走ったら、先に相手に気づかれると思うわよ」
「そこまで言う?」
「少なくとも、黙って隠れてるのは向いてないわね」
反論しようとして、オタクミは口を閉じた。
何かが起きていれば、まだ分かりやすい。
けれど市場は、いつもどおりだった。
子供が屋台の菓子をねだり、荷運び人が木箱を積み、商人たちが値段の相談をしている。
誰かに見られているのかもしれない。
それでも、誰が見ているのかは分からない。
「……待つのって、疲れるな」
「今まで自分から動きすぎてたのよ」
「反省してる人間に過去の罪を掘り返さないでくれ」
「昨日までの話よ」
「最近すぎる!」
セラが笑った。
その日は、それ以上の変化を確認できなかった。
*
翌朝。
王都アストリアの市場は、いつもどおり賑やかだった。
客が通りを行き交い、屋台の販売員たちが声を上げている。
オタクミは眠そうにあくびをした。
「……何もなかったら、どうする?」
「その時は、その時だ」
アーグが答える。
「結果が出なかったという記録が残る。それも無駄ではない」
「分かっちゃいるけどさ」
オタクミは頭を掻いた。
「一回くらい、こっちの思いどおりになってほしいじゃん」
「結果が出る前から期待しすぎるな」
「相変わらず厳しいなあ」
そんな会話をしながら、いつもの通りへ入った。
最初に足を止めたのはセラだった。
「……ねえ」
「ん?」
「あれ、昨日あった?」
セラが指さしたのは、安価なアクスタを並べた屋台だった。
商品そのものは見慣れた形をしている。
透明度が十分ではないものもあり、正規品とは仕上がりが違う。
だが、その横に小さな札が添えられていた。
『製作者名』
『製作日』
オタクミは目を細めた。
「……え?」
近づいてみる。
札には、それぞれ名前と日付らしい記載がある。
ただし、それが本当の制作記録なのかは分からない。
重要なのは、そこではなかった。
「……C?」
オタクミが呟いた。
アーグはすぐに帳面を開いた。
「昨日、正規店周辺で話した案だな」
「だよな?」
隣の屋台を見る。
そちらにも、同じように製作者名と日付を示す札が置かれていた。
少し先の屋台でも、似た表示がある。
オタクミは思わず笑いそうになったが、アーグに肩を押さえられた。
「待て。まず確認だ」
「分かってるって」
「手形の案は?」
セラが周囲を見渡す。
「今見えるところにはないわね」
「制作道具の展示は?」
「それも見当たらない」
アーグは帳面へ書き込んだ。
「確認できた範囲では、Cに対応する表示だけがある」
オタクミは改めて札を見た。
署名ではない。
製作者名と製作日を示す、ただの小さな札だ。
昨日、店主とドニが店先で話したのも、まさにそうした表示についてだった。
「……本当に出たんだな」
オタクミは呟いた。
「アーグ」
「何だ?」
「これ、偶然の可能性はあるんだよな?」
「ある。以前から準備していた可能性も、独自に考えついた可能性も否定できん」
「うん」
「それに、Cの話を誰が聞いたか、聞いたあとどこへ伝わったかも分からん。仮に情報が届いていたとしても、どこから流れたかは別の問題だ」
「それも分かる」
「……だが」
アーグは少しだけ間を置いた。
「こちらが意図的に出した情報と同じものが、翌朝の売り場に現れた。しかも、少なくとも今見た範囲では、AとBに対応するものは出ていない。調べる価値のある結果だ」
オタクミの口元が、ゆっくり上がった。
昨日までなら、同じ光景を見て腹を立てていただろう。
また真似された。
また利用された。
せっかく考えたことを、向こうに持っていかれた。
そう思っていたはずだ。
けれど今日は違った。
今回、正規店で署名と日付の表示を始めたわけではない。
客に宣伝したわけでもない。
実際の制作工程を変えたわけでもない。
ただ、そういう案があるという話を、意図的に流した。
その翌朝。
同じ案が、向こうの売り場に現れた。
「……真似させた」
オタクミは小さく呟いた。
「まだ、そうと決まったわけではないぞ」
アーグが言う。
「分かってる」
オタクミは頷いた。
「でも、今までとは違うんだよ」
商品に添えられた札を見つめる。
今まで自分たちは、相手が仕掛けた値段や宣伝に反応してきた。
どうすれば正規品を知ってもらえるか考え、次の方法を試す。
すると、その方法に似たものが向こうへ現れる。
それを見て、また次を考える。
ずっと、その繰り返しだった。
「今回は、俺たちが先に問題を出したんだ」
オタクミは振り返った。
「向こうがどう動くか、確かめるために」
リアは商品の横に置かれた札を見つめていた。
「……名前と日付が書いてあると、作った人のことを知った気になりますね」
「そうだな」
「でも、本当にこの人が、この日に作ったのかは、これだけじゃ分かりません」
「うん」
オタクミは頷いた。
「俺たちだって、昨日は本当じゃない案を話した。向こうが何を聞いたのかも、何を考えてこの札を出したのかも、まだ分からない」
リアは少し考えたあと、顔を上げた。
「それでも、調べる手掛かりにはなるんですね」
「たぶんな」
オタクミは笑った。
「全部分かったわけじゃない。でも、ここから確かめられることはありそうだ」
セラが腕を組んだ。
「それで、次はどうするの?」
「そこなんだよなあ」
オタクミが頭を掻くと、アーグが帳面を閉じた。
「喜ぶのはここまでだ。まず、Cの話をした時に何が起きていたか整理する」
「犯人探し?」
「違う。情報の流れを調べる」
アーグはきっぱりと言った。
「店主やドニを疑うためではない。昨日の話がどういう範囲へ広がり得たかを、もう少し細かく見る必要がある」
セラも頷いた。
「人の顔だけ見ても仕方ないかもしれないわね。昨日の店の前だって、いろんな人が通ってたし」
「そうだな」
オタクミは頷いた。
まだ分からないことばかりだ。
Cの情報が本当に自分たちから伝わったのか。
伝わったとしたら、どこから、誰を通って届いたのか。
なぜAとBではなく、Cが売り場に現れたのか。
それでも、昨日までと違う手応えがあった。
見られているかもしれない。
その不気味さは、まだ消えていない。
けれど、見られているなら、見せるものを選ぶことはできる。
「……よし」
オタクミは拳を握った。
「一歩だな」
ゴルドスが腰元で低く笑う。
「ようやく一歩か」
「一歩でいいんだよ」
オタクミは笑った。
「ゼロじゃないんだからさ」
*
プライス・カルテルの王都側拠点には、その日の市場報告が届いていた。
ケインは机に置かれた紙へ目を通している。
いくつかの屋台で、製作者名と製作日を示す表示が始まったこと。
表示に興味を示した客がいたこと。
それらが簡潔に記されていた。
だが、ケインの目が止まったのは、別の記述だった。
正規店側の異邦人の男が、複数の屋台を回り、表示を確かめていたこと。
同行している者たちが、手元の帳面と売り場を見比べていたこと。
「……帳面を?」
ケインが尋ねる。
「はい。正規店側の一行が、何かを確認していたようです」
「何を?」
「そこまでは分かっておりません」
「そう」
ケインは短く答えた。
商品の違いを見るだけなら、これまでにもあった。
客の反応を確かめることも、珍しくはない。
だが、今回は表示のある屋台をいくつも見て回り、そのたびに帳面を開いていたという。
ケインは報告書へ視線を戻した。
何かを探しているのか。
それとも、何かを確かめたのか。
今の報告だけでは分からない。
「引き続き、市場での動きを記録しておけ」
「承知しました」
部下が去ったあと、ケインはもう一度、異邦人の男について書かれた箇所を読んだ。
それから、報告書を閉じる。
「……今度は、何を見ようとしてるんだ」
その声は、誰にも聞かれなかった。
*
市場では、オタクミたちがまだ屋台を見比べていた。
C案に対応する表示は確認できた。
だが、その情報が誰を通って届いたのかは分からない。
アーグは記録を取り、セラは人の流れを見ている。
オタクミは、もう一度、商品に添えられた札へ目を向けた。
名前と日付。
たったそれだけの表示だ。
けれど、そこへ至るまでに、誰かが何かを聞き、誰かに伝え、誰かが売り場へ並べることを決めたのかもしれない。
どの部分が本当で、どの部分が想像なのか。
今はまだ、分からなかった。
ふと見ると、店先を荷物を抱えた男が通り過ぎていった。
その後ろでは、客が販売員から受け取った紙を折り畳んでいる。
少し先では、商人同士が何かを相談していた。
見慣れた市場の光景だ。
だが、情報が流れているとしたら、必ずしも顔を隠した怪しい人物がいるとは限らない。
オタクミは、今日の手応えをもう一度確かめた。
相手の情報網を見つけたわけではない。
こちらが流した話が、そのまま伝わったと証明できたわけでもない。
それでも、自分たちで見せるものを選び、その後の変化を確かめることはできた。
「……見てるなら、見せてやんよ」
オタクミは小さく呟いた。
「何か言った?」
セラが振り返る。
「いや。ちょっと、気合い入れ直しただけ」
「その顔、また何か考えてるでしょ」
「まだ何も決めてないって」
アーグが横から言う。
「決める前に相談しろよ」
「はいはい」
「一回でいいから、先に相談してくれ」
「信用されてねえなあ!」
セラが笑い、リアもつられて微笑んだ。
オタクミはもう一度、市場を見渡した。
見えるのは、商品と客と、いつもどおりに働く人々だ。
その間を、何がどう伝わっているのかは分からない。
けれど、これまで相手の動きを追いかけるだけだった自分たちは、初めて向こうの反応を確かめるために動いた。
たった一歩。
それでも、その一歩は自分たちで選んだものだった。




