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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
11 誰が「好き」を決めるのか

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選ぶ理由

 王都アストリアの市場は、夕暮れになっても賑わいが衰えなかった。


 店じまいを始めた商人たちが荷車を動かす一方で、最後の客を呼び込もうとする声が通りに響いている。その中でも、安売りのアクスタを並べた屋台には、まだ人が集まっていた。


 オタクミは少し離れた場所からその様子を眺め、手帳を開いた。


 ――市場を選んだ。


 ――選ぶ前に、何が届いている?


 先ほど書いた二行を読み返してから、もう一度屋台を見る。


 あの小舟を追っていれば、何か分かったかもしれない。荷場で食い違っていた指示も、逃げた男が持っていた筒のことも、今は手がかりを失ったままだ。


 それでも、ここへ来ると決めたのは自分だった。


「……なあ、アーグ」


「何だ?」


「あの安いアクスタを買っていった人たち、何を見て決めたんだろうな」


 アーグは屋台へ視線を向けた。


「まずは値段だろう。あれだけ大きく書かれていれば、嫌でも目に入る」


「そうなんだけどさ。値段だけなのかなって」


「ほかにも理由があると思うのか?」


「あるだろ。ミスティアが好きだから買う人もいるだろうし、誰かにあげたい人もいるかもしれない。安いのが嬉しいのと、キャラが好きなのは、別に両立するし」


 アーグは少し考え、手帳を取り出した。


「それはそうだな。何を優先して買ったかまでは、外から見ているだけでは分からん」


「さっきの女の子だって、妹に買ってあげられるって喜んでたじゃない」


 セラが隣から口を挟んだ。


「あの子にとっては、安いことにも意味があったのよ。値札だけ見て買ったからって、何も考えてないわけじゃないでしょ」


「……うん」


 オタクミは頷いた。


 昨日までの自分なら、正規品の方がきれいで、丁寧に作られていて、長く飾れると説明することばかり考えただろう。


 けれど、相手が何を求めているのかも分からないまま説明して、それで本当に伝わるのだろうか。


「だったら、聞けばいいんじゃない?」


 セラが言った。


「何を?」


「買う人によ。どうしてそれを選んだのか。話したくない人に無理に聞く必要はないけど、聞いてみないと分からないこともあるでしょ」


「……なるほど」


「何よ、その顔」


「いや、俺さ。今まで客に説明することばっかり考えてて、客の話を聞く方はあんまり考えてなかったかもしれない」


「知ってる。聞かれてもないことまで説明するものね」


「それは推しの魅力を正しく伝えるために必要な工程であって――」


「ほら、もう始まった」


 アーグが笑う。


 言い返そうとしたオタクミは、そこで口を閉じた。


 自分が伝えたいことと、相手が知りたいこと。


 その二つが、最初から同じとは限らない。


「……よし。明日、やってみよう」


「何をだ?」


「客が何を見て選んでるのか、ちゃんと聞く。それと、正規品について知りたい人が、気軽に聞ける場所を作るんだ」


 オタクミは正規店のある方角を見た。


「俺が全部説明すると長くなるから、できれば作ってる人にも協力してほしい」


「店主に相談する必要があるな」


「ああ。まずは――」


「まずは馬でしょ」


 セラが即座に遮った。


「荷場に三頭とも置いてきたじゃない。返却期限だってあるんだから」


「……あ」


「忘れてたのね」


「忘れてない! ちょうど思い出したところだ!」


「それを忘れてたって言うんだよ」


 アーグに指摘され、オタクミは言葉に詰まった。


 馬を借りるため、ミスティアの缶バッジまで担保に預けている。明日の市場に集中したいなら、返せるうちに返しておく方がいい。


「……先に馬だな」


「珍しく正しい順番を選んだな」


 腰元の鞘からゴルドスが声を上げた。


「お前さ、俺が何かちゃんとやるたびに驚くのやめない?」


「驚かせなければよかろう」


「そういう問題じゃねえんだよ!」


 勢いよく言い返したところで、煙を吸って傷めた喉がひりついた。


「げほっ、けほ……!」


「だから、大きな声を出すなと言っている」


 アーグに呆れられ、セラから水を差し出される。


 オタクミはそれを受け取りながら、もう一度市場を振り返った。


 安いアクスタは、相変わらず売れている。


 だが、今日中に答えを出さなければならないわけではない。


 まずは、明日ちゃんと向き合えるように準備をする。


 三人は荷場へ戻り、繋いでいた馬を確認してから貸馬屋へ引き返した。借りた三頭を揃えて返し、店側による状態の確認を受ける。必要な精算を済ませると、追加担保として預けていたミスティアの缶バッジも無事に返された。


 小さな缶バッジを掌に乗せ、オタクミは深々と息をついた。


「……おかえり、ミスティア」


「馬を返した時より嬉しそうね」


「そりゃそうだろ。馬は借りたものだけど、推しは俺の大切なものだからな」


「言い方はともかく、気持ちは分かるわ」


 セラが少し笑った。


 その後、三人は正規店へ立ち寄り、店主に翌日の相談を持ちかけた。


 店主は最初こそ、値引きも呼び込みもしないという話に首を傾げたが、作り手に直接話を聞ける場所を作りたいと伝えると、考え込んだ。


「職人に話してみることはできる。だが、来てくれるかは本人次第だぞ」


「それで十分です。無理にお願いしたら、こっちのやりたいことと違いますから」


 オタクミはそう答えた。


 明日、誰かが足を止める保証はない。


 それでも、試してみる価値はあると思えた。


     *


 翌朝。


 王都アストリアの市場には、昨日と変わらない喧騒が戻っていた。


 荷車の車輪が石畳を叩き、パン屋から焼きたての香りが漂い、通りの向こうでは魚屋が威勢のいい声を張り上げている。


 そして当然のように、安売りのアクスタも並んでいた。


「さあさあ! 本日も特価だよ! 三つ買えば一つおまけ!」


「……元気だなあ、朝っぱらから」


 通りの端でその声を聞きながら、オタクミは紙袋からあんパンを取り出した。


「で、なんでまたパン食べてるのよ」


 セラが横から呆れた視線を向ける。


「張り込みといえばあんパンだろ」


「知らないわよ」


「俺の世界では探偵や刑事が物陰に潜む時、あんパンと牛乳が基本装備として――」


「嘘を教えるな」


 アーグが即座に遮った。


「なんでお前が俺の世界の刑事ドラマ事情を知ってんだよ」


「知らん。だが、今のお前が話を盛っていることだけは分かる」


 オタクミは黙ってあんパンをかじった。


 少し離れたところで、リアがくすくす笑っている。その隣にはシエルとレジナルドもいた。


 昨夜、今日の計画を伝えたところ、都合がつくなら手伝いたいと言ってくれたのだ。


「それで、今日は何をするんですか?」


 リアが尋ねる。


「昨日の疑問を確かめる。買う人が何を見て選んでるのか、それを知りたいんだ」


「市場調査ですかな?」


 レジナルドが腕を組んだ。


「それもあるけど、今日はこっちからできることも試してみようと思ってさ」


 オタクミは正規店を指さした。


 店の前には、小さな机が出されている。


 その上には二種類のアクスタが並んでいた。一つは正規品。もう一つは、昨日市場で購入した安価な品だ。


 派手な飾りもなければ、値引きを告げる看板もない。


 ただ、机の前に一枚の札が置かれていた。


『買わなくていいので、聞いてください』


 シエルが札を読み、首を傾げた。


「買わなくても、いいんですか?」


「うん。話だけでも聞いてほしいんだ。気になった人が、自分の意思で」


「……それなら、聞きやすいかもしれませんね」


 リアが微笑んだ。


 だが、アーグは机を眺めながら現実的な疑問を口にする。


「それで、誰が説明するんだ?」


「俺が全部話したら長くなるだろ?」


「自覚はあるんだな」


「あるよ! だから、実際に作ってる人にも来てもらえないかって頼んだんだ」


 ちょうどその時、店の奥から店主が現れた。


 その後ろには、落ち着かなさそうな様子の職人が一人ついている。


 使い込まれた手を擦り合わせながら、机と通りを交互に見ていた。


「こちらがドニだ。正規品の制作に関わっている職人でな。今日は話を聞いてくれるそうだ」


「……店主に頼まれたから来たが」


 ドニは並べられたアクスタを見て、眉を寄せた。


「儂は商人じゃないぞ。品物を作るのは仕事だが、客を集めるのは専門外だ」


「大丈夫です。呼び込みをお願いするつもりはないですから」


「では、何をすればいい?」


「聞かれたことに答えてほしいんです。どうやって作っているのか、どこが難しいのか。知っている範囲でいいので」


 ドニはますます不思議そうな顔になった。


「そんな話をして、売れるのか?」


「分かりません」


 オタクミが即答すると、店主までこちらを見た。


「分からないのか」


「はい。ただ、違いを知らないまま値段だけ比べてる人もいると思うんです。だったら、まず知ってもらう。買うかどうかは、その人に決めてもらえばいい」


 ドニはしばらく黙っていた。


 それから正規品を手に取り、光に透かして眺める。


「……聞かれたら答える。それだけでいいんだな?」


「お願いします」


 オタクミが頭を下げると、ドニも小さく頷いた。


     *


 最初の十分、誰も足を止めなかった。


 客は札をちらりと見て通り過ぎ、向かいの屋台では安いアクスタが次々と売れていく。


 もう少し待てば誰か来るだろうと思っていたが、時間が経っても様子は変わらない。


「……帰っていいか?」


 ドニが尋ねた。


「もう少しだけ!」


「儂は工房の仕事を置いてきたんだが」


「そうですよね! 分かります! でも、せめてあとちょっと!」


「さっきも同じことを言っていたぞ」


 セラが腕を組む。


「ねえ、何をしてるかくらい、こっちから知らせたら?」


「いや、無理に引き止めるのは違うだろ」


「無理に引き止めるのと、知らせるのは別でしょ。札だけじゃ、何を聞けるのか分からない人もいるわよ」


「……確かに」


「ほんっとに、極端なんだから」


 セラは小さく息をつき、通りへ向かって声をかけた。


「商品を作っている職人さんから、作り方の話を聞けますよ。見るだけでも構いませんからね」


 その声に、通りかかった女性が振り向いた。


「買わなくても?」


「ええ。気になることを確かめてから決めてください」


 女性は机へ近づき、正規品を眺めた。


 しかし、値札を見たところで困ったように笑う。


「きれいだけど、ちょっと手が出ないわね。今日はほかにも買う物があるから」


「そうなんですね。見てくださってありがとうございます」


 セラが答えると、女性は軽く会釈して去っていった。


 オタクミはその背中を見送りながら、ぽつりと言った。


「……そもそも、今日は買う予定がないってこともあるのか」


「当たり前でしょ。市場に来る人が、みんなアクスタを探してるわけじゃないんだから」


「俺、そこから考え直した方がいいかもしれない」


「考え直すのはいいけど、今は目の前を見て」


 セラに促されて顔を上げると、別の男が机の前で立ち止まっていた。


 肩から使い込まれた道具袋を下げた男で、二つのアクスタを見比べている。


「これ、何が違うんだ?」


 ドニがオタクミを見る。


 オタクミは口を開きかけ、それから慌てて閉じた。


 自分が答えてしまっては、わざわざドニに来てもらった意味がない。


 ドニは少し困ったように頭を掻き、正規品を手に取った。


「まず、板の仕上がりだな」


「板?」


「こいつはスライム由来の素材を使っている。透明な板に仕上げるには、型の具合も大事だし、気泡や不純物にも気をつけなきゃならん」


 ドニは品物を光にかざし、男から見やすい角度へゆっくり傾けた。


「厚みだって、ただ薄くすればいいわけじゃない。薄すぎれば歪みや割れの原因になるし、台座にきちんと収まらなければ、飾った時に安定しない」


「へえ……」


「もちろん、儂一人で全部を作っているわけじゃない。絵を仕上げる者もいるし、別の作業を受け持つ者もいる。ただ、こういう品は、それぞれの仕事が噛み合わなければ、思った通りには仕上がらんのだ」


 男は正規品を受け取り、台座との繋がりを確かめた。


「言われなきゃ気づかなかったな」


「気づかれにくいところだから、手を抜いていいわけじゃない」


 ドニは当たり前のことのように言った。


 その声音には、先ほどまで帰りたがっていた時とは違う落ち着きがあった。


 男は安価な品も手に取り、二つを交互に見比べる。


「でも、こっちはずいぶん安いぞ」


「そうだな」


 ドニは否定しなかった。


「儂はそちらを作ったわけじゃないから、どんな工程を通っているかまでは知らん。見た目から分かることはあるが、それだけで全部決めつけることもできん」


「なるほどなあ」


 男はもう一度正規品を光にかざした。


 しばらく眺めてから、そっと机へ戻す。


「悪いな。違いは分かったけど、今日は買わんよ」


「そうか」


 ドニはそれだけ答えた。


 男が立ち去ると、リアが少し残念そうな顔をした。


「買ってもらえませんでしたね」


「ああ。でも、聞いてくれた」


 オタクミは机の上に残った二つの品を見た。


 男は値段を比べ、作り方の話を聞き、実際に手に取ったうえで買わないと決めた。


 もし自分が横から何度も勧めていたら、あの男はここまで話を聞いてくれただろうか。


「……これでいいんだと思う」


 アーグが尋ねる。


「売れなくてもか?」


「うん。少なくとも、知らないまま帰ったわけじゃないから」


 アーグは少し考えてから手帳を開いた。


「なら、買った数だけでは足りんな。何を聞いて、どう決めたかも記録しておこう」


「頼む。ただ、分からないことは分からないままでいいからな」


「それは最初からそうしている」


「……ですよね」


 オタクミが苦笑すると、アーグも口元を緩めた。


     *


 その後も、客の反応はさまざまだった。


 作り方だけを聞いて去る者がいた。正規品の透明さを気に入ったものの、値段を見て考え直す者もいる。


 セラが話を聞いた女性は、安い品を選ぶ理由を隠さなかった。


「うちにも小さい子がいるからね。きっと何度も落とすだろうし、まずは安い方で十分かなって思うのよ」


「そういう使い方なら、値段は大事ですよね」


「そうなの。きれいなのはこっちだって分かるんだけどねえ」


 女性は少し申し訳なさそうに笑い、向かいの屋台へ歩いていった。


 セラはその背中を見送ってから、オタクミへ顔を向けた。


「今の人に、壊れにくいからこっちを買った方がいいって言う?」


「……言いたくはなる」


「なるんだ」


「でも、あの人は安く買えることを大事にしてるんだよな。どれだけ使うかも分からないんだし」


「そういうこと。事情を聞く前に、こっちの答えを渡しちゃ駄目なのよ」


 オタクミは頷いた。


 品質の良さは価値になる。


 だが、それが誰にとっても一番大切な価値とは限らない。


 しばらくして、母親と少年が店の前で立ち止まった。


 少年は机の上のミスティアを見つけるなり、ぱっと顔を輝かせた。


「この子、かわいい!」


「そうね。でも、ちょっと高いわねえ」


 母親は値札を見て眉を寄せた。


 少年は正規品へ手を伸ばしかけたが、触っていいのか分からず、そのまま手を引っ込める。


 それに気づいたリアが、目線を合わせるように少しかがんだ。


「持ってみる? 落とさないように、両手でね」


「いいの?」


「もちろん」


 少年は慎重にアクスタを受け取った。


 明るい場所へ持っていくと、透明な板の中にミスティアの姿が浮かび上がる。


「すごい! 向こうが見える!」


「そういうふうに仕上げるのにも、いろいろ手間がかかるんだ」


 ドニが言った。


 少年が振り向く。


「おじいちゃんが作ったの?」


「儂も作る仕事をしている。ほかにも関わっている者がいるがな」


「じゃあ、この立つところも?」


「そういうところも、ちゃんと考えなきゃならん。絵がどれだけよくても、すぐ倒れてしまっては飾れんからな」


 ドニは台座を指で示しながら説明した。


 少年は真剣な顔で聞いていたが、話が終わると満面の笑みになった。


「すごいね、おじいちゃん!」


 ドニの手が止まった。


「……すごい、か」


「うん! 僕、これ好き!」


 少年はアクスタを両手で持ったまま、嬉しそうに笑った。


 ドニは何か答えようとして口を開いたが、うまく言葉が見つからなかったらしい。結局、照れくさそうに頬を掻いた。


 その様子を見て、オタクミは胸の奥が温かくなるのを感じた。


 推しを褒められるのは嬉しい。


 だが、今目の前にいる職人は、自分が関わった仕事そのものを褒められている。


 それは、オタクミが代わりに説明していたら生まれなかった時間かもしれない。


「ねえ、お母さん。これ、ほしい」


 少年が言うと、母親は困ったように笑った。


「でもね、あっちのお店なら、もっと安く買えるのよ」


「うん……」


 少年は向かいの屋台を見た。


 そこにもミスティアが並んでいる。少し白く濁っているが、同じキャラクターだと分かる。


 母親は値札を見比べ、財布に手をやった。


 オタクミは、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


 こっちの方がいい。


 作り手の話も聞けた。


 長く飾るなら、きっと後悔しない。


 そう言うのは簡単だった。


 だが、自分にとっての正しさが、この親子にとっての答えとは限らない。


 母親が少年に尋ねた。


「本当にこっちがいいの?」


「うん。おじいちゃんのお話、面白かったから」


 少年はアクスタを大切そうに持ち直した。


「これ、僕の机に飾りたい」


 母親はしばらく考え、それから店主に向き直った。


「……一つ、ください」


「え?」


 店主は思わず聞き返した。


「これを一つ。お願いします」


「あ、ああ。ありがとうございます!」


 硬貨が渡され、正規品が一つ売れた。


 少年は受け取ったアクスタを両手で抱え、ドニへ元気よく声をかける。


「おじいちゃん、ありがとう!」


 ドニは今度こそ、少し笑った。


「ああ。大事にしてくれ」


「うん!」


 親子が去っていくのを見送りながら、リアが嬉しそうに手を合わせた。


「売れましたね!」


「売れたな」


 オタクミも頷いた。


 店主は受け取った硬貨を確かめ、ほっとしたように息をついている。シエルが小さく拍手すると、レジナルドも満足げに頷いた。


「お見事ですな」


「なんだ、騒がないのか?」


 ゴルドスが腰元から声をかけた。


「お前なら、もっと大騒ぎすると思っていたが」


「そりゃ嬉しいよ。めちゃくちゃ嬉しいけどさ」


 オタクミは少年の消えた通りを見た。


「さっき買わずに帰った人だって、ちゃんと聞いてくれたんだよな」


「それがどうした?」


「今の一個だけを成功にすると、さっきの人が失敗になっちゃうだろ。それは違う気がするんだ」


 ゴルドスはしばらく黙っていた。


 そして、いつもより少し穏やかな声で言った。


「……少しは考えるようになったな」


「褒めるなら普通に褒めろよ!」


「褒めているつもりだが?」


「絶対嘘だ!」


 笑い声が上がった。


 その中でドニだけが、しばらく自分の手を見つめていた。


     *


 昼を過ぎる頃には、机の前で足を止める客が少しずつ増えていた。


 最初は札の意味も分からず通り過ぎていた人たちが、誰かが説明を聞いている様子を見て、興味を持ち始めたのだ。


「ここ、作り方を聞けるんだって?」


「安い方と何が違うのか、見てもいい?」


「この絵は誰が描いたの?」


 質問は、オタクミの予想以上にばらばらだった。


 板の透明さを気にする客もいれば、台座の形ばかり見ている客もいる。ミスティアの名前を知らないまま、絵がかわいいという理由で足を止めた人もいた。


 リアは絵について尋ねられると、自分が知っている範囲で丁寧に答えた。


 ドニは制作の話を担当し、店主は価格や販売について説明する。セラは客が何を知りたいのかを確かめ、アーグはやり取りを記録していた。


 オタクミも質問には答えたが、話が長くなりそうになるたび、セラに視線で制止された。


「……俺、そんなに説明長い?」


「聞きたいところに答える前に、別の話を三つくらい始めるのよ」


「三つで済んでる?」


「自覚あるなら直しなさい」


 オタクミは苦笑した。


 しかし、実際に客の話を聞く時間が増えるほど、気づくことも増えていった。


 ある客は、手元に置ける小さな飾りが欲しかっただけだった。


 別の客は、友人への贈り物だからこそ見た目を重視していた。


 また別の客は、安い品に不満があるわけではなく、正規品との違いを単純に知りたかったのだという。


 その誰もが、オタクミと同じ理由でミスティアを見ているわけではない。


 けれど、それぞれに選ぶ理由がある。


 夕方が近づく頃、アーグが手帳を閉じた。


「ひとまず、今日ここで質問や商品の比較など、やり取りを記録できたのは三十二人だ」


「三十二人か。思ったより多いな」


「店主の販売記録では、そのうち七人が正規品を買っている。ただし、残りの人がその後どこで何を買ったかまでは分からん」


 アーグは手帳の別の箇所を指さした。


「買わなかったと答えた人にも、理由はいろいろあった。値段、必要性、置き場所、ほかの買い物との兼ね合い。中には、話を聞いたうえで安い品を選ぶと教えてくれた人もいる」


「そっか」


「これだけで市場全体の傾向を決めるのは無理だ。だが、少なくとも全員が同じ理由で選んでいるわけではない」


 セラも頷いた。


「安い方を選ぶ理由を聞いたら、納得できることも多かったわ。こっちが勝手に決めつけてた部分もあるんじゃない?」


「あると思う」


 オタクミは正直に答えた。


 昨日、安いアクスタが飛ぶように売れている光景を見た時は、正規品の価値が伝わっていないことばかり考えていた。


 確かに、それも問題の一つだろう。


 だが、伝わっていないことと、伝わったうえで別のものを選ぶことは違う。


「知ったうえで安い方を買う人もいる。そもそも今日は買わない人だっている。俺が本物を好きだからって、みんなに同じ選び方をしてほしがるのは違うんだな」


「やっと分かった?」


「……たぶん」


「そこは言い切りなさいよ」


「いや、今日一日で全部分かった気になるのも違うだろ?」


 セラは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。


「それは、そうかもね」


 片づけを始めていたドニが、机の上の正規品を丁寧に持ち上げた。


「儂は、こうやって客と長く話すことは、あまりなかった」


「どうでした?」


 オタクミが尋ねる。


「疲れた」


「ですよね!」


「だが、妙なものだな。作る時には当たり前だと思っていることを聞かれて、改めて考えた。あの子みたいに、そんなところまで面白がる客がいるとも思わなかった」


 ドニは台座のあたりを眺めた。


「作って、店へ渡して、それで仕事は終わりだと思っていたところもあったからな」


 オタクミは何も言わず、その言葉を聞いた。


 品物は、作った瞬間に誰かのものになるわけではない。


 店に並べても、誰かが見てくれるとは限らない。


 見てもらえても、買われるとは限らない。


 けれど、だからといって何も届かなかったと決めつけることもできないのかもしれない。


「ドニさん」


「何だ?」


「今日、来てくれてありがとうございました」


「……礼を言われるほどのことはしとらん」


「いや、ありますよ。俺じゃ説明できないこと、たくさんありましたから」


 ドニは返事をせず、少し照れたように顔を背けた。


 その様子を見て、店主も静かに笑った。


 向かいの屋台では、相変わらず安価なアクスタが売られている。


 こちらの机の前で足を止める人が増えたからといって、市場全体が変わったわけではない。正規品の売上だけで比べれば、まだ大きな差がある。


 それでも今日、この場所では、昨日までになかった会話がいくつも生まれた。


 オタクミには、それが小さくない変化に思えた。


     *


 その夜、宿の机にはアーグの手帳から書き写した記録が並んでいた。


 オタクミは何度もそれを眺め、時折、思い出したように頷いている。


 向かいに座ったリアが、とうとう笑い出した。


「オタクミさん、ずっと嬉しそうですね」


「嬉しそうじゃない。これはデータを愛でてる顔だ」


「それを嬉しいって言うんじゃないですか?」


「違うんだなあ。数字には数字の尊さというものがあってだな」


「ふふっ。じゃあ、どの数字が一番尊いんですか?」


 オタクミは少し考え、購入数の横に書き添えられた記録を指さした。


「……こっちかな」


「買わなかった人たち、ですか?」


「うん。買ってくれた七人はもちろん嬉しい。でも、話を聞いて帰った人たちも気になるんだ」


 リアは机の上へ視線を落とした。


「どうしてですか?」


「だって、話は聞いてくれたんだよ。違いを知って、自分で考えて、それでも買わなかった。俺、今までは買ってもらうことばっかり考えてたからさ」


 オタクミは手帳を閉じた。


「届くって、買ってもらうことだけじゃないのかもしれないなって」


 リアはすぐには答えなかった。


 机の上の記録を眺めながら、何かを思い出すように指先を重ねる。


「……私、今日のドニさんを見ていて、前に資料庫で見たものを思い出したんです」


「資料庫?」


「はい。完成していなかった絵や、途中で止まってしまった詩、人形のことです」


 オタクミは頷いた。


 リアは少しずつ言葉を選びながら、その時のことを話した。


 誰かが作ろうとしたもの。


 途中で止まってしまったもの。


 完成せず、誰かの手に渡ることもなかったもの。


「あれを見た時、少し寂しかったんです。どんな気持ちで作っていたんだろうとか、完成していたら誰が喜んだんだろうとか、そんなことばかり考えてしまって」


「……うん」


「でも、今日のお客さんたちを見ていたら、作ったものを誰かが見てくれることにも、意味があるのかもしれないって思ったんです」


 オタクミはドニの顔を思い出した。


 少年から「すごい」と言われ、返事に困っていた職人。


 あの時、正規品は一つ売れた。


 だが、ドニが嬉しそうにしていた理由は、硬貨が渡されたことだけではなかったはずだ。


「そうだな。俺、ドニさんの顔を見て、ちょっとびっくりした」


「私もです」


「作った人が、自分の仕事を誰かに見てもらえる。それも、届くってことの一つなのかもしれない」


 リアは小さく頷いた。


 それから、少し考えて言葉を続けた。


「でも、資料庫のものは、今日のアクスタとは違いますよね。見てもらえなかったものもありますし、途中で作れなくなった理由だって、私には分かりません」


「うん。簡単に同じだとは言えないと思う」


 オタクミは答えた。


 誰かに届けば、すべてが報われるわけではない。


 知ってもらえば、必ず買ってもらえるわけでもない。


 それでも、作る人と受け取る人の間には、物を並べて値段をつけるだけでは見えてこないものがある。


 自分は今まで、その途中をあまり見ていなかったのかもしれない。


「……俺さ」


「はい」


「昨日、船を追わずに市場へ来ただろ」


 リアは黙って頷いた。


「まだ、あれでよかったのか分からないんだ。追ってたら何が分かったのか、つい考えるし」


 夕暮れの荷場が脳裏によみがえる。


 動き出した小舟。


 食い違った指示。


 自分が追わなかった先に何があったのか、今も分からない。


「でも、こっちを選んだから見えたものもあるんだなって、今日は思えた」


「……はい」


「それに、俺が本物を選んでほしいと思ってるからって、みんながそうする必要はないんだよな。何を大事にするかは、その人のものなんだから」


 リアは少し驚いたように目を見開いた。


 それから、柔らかく笑う。


「オタクミさん、変わりましたね」


「え、何それ。前の俺、そんなにひどかった?」


「ひどいとは言ってません」


「今、ちょっと間があったぞ!」


「ふふっ」


 リアの笑い声につられ、オタクミも笑った。


 机に並んだ数字は、決して大きな勝利を示してはいない。


 正規品を買ってくれたのは七人。


 話を聞いても買わなかった人がいて、安い方を選んだ人もいる。市場には今も偽物が並び、カルテルが何を考えているのかも分からない。


 それでも今日、ドニは自分の仕事について話し、客はそれを聞いた。


 少年は気に入った品を自分で選んだ。


 そしてオタクミは、買わなかった客を見送っても、以前ほど悔しくならなかった。


「明日も、あの札を出せるかな」


「店主さんとドニさんにも聞いてみないといけませんね」


「そうだな。今日だって、ずいぶん無理してもらったし」


 オタクミは手帳を開いた。


 今日聞いた客の言葉が、数字の脇に書き留められている。


 安い方が助かる。


 きれいだから欲しい。


 好きな子を飾りたい。


 今日は買わない。


 どれも、誰かが自分の事情と気持ちで選んだ答えだった。


 オタクミは新しいページに、ゆっくりと書きつけた。


 ――知ることと、買うことは別。


 少し考え、その下にもう一行を加える。


 ――それでも、知ってから選べる場所は作れる。


 書き終えると、オタクミはしばらく二行を眺めていた。


 市場の流れを大きく変えられたわけではない。安さに惹かれて偽物を買う人を責めるつもりも、なくなったわけではない問題を見なかったことにするつもりもなかった。


 ただ、自分が伝えたいことを一方的に話す以外にも、できることがあると分かった。


「よし。明日も、ちゃんと聞いてみよう」


 オタクミが顔を上げると、リアは微笑んで頷いた。


「はい」


 昨日、自分で市場を選んだ。


 今日はその市場で、ほかの誰かが自分の理由で選ぶところを見た。


 その違いを忘れないように、オタクミは手帳を閉じた。

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