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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
10 市場を盗む者たち

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推しを担保に その2

 荷車の車輪が、ぎしりと軋んだ。


「待って!」


 セラが声を上げる。


 水路沿いの荷場から動き出そうとしていた荷車が、わずかに速度を落とした。


 オタクミは灰色の馬の上で、思わず身を乗り出す。


「さっき、あの布の下に細長い物が見えたんだ!」


「落ち着け」


 アーグが隣から声をかけた。


「見えたのは細長い物だけだ。図面筒と決まったわけじゃない」


「分かってる! だから確かめたいんだよ!」


「なら、まず馬を止めろ」


「……それもそうだ!」


 三人は荷車の通行を妨げない場所へ馬を寄せた。


 セラが先に下り、オタクミの馬の手綱を押さえる。


「ゆっくりね」


「任せろ。もう馬から降りるくらい――」


 オタクミは鐙から足を外した。


 途端に身体が傾く。


「うおっ!」


 慌てて鞍にしがみついた。


「……できるとは言ってない!」


「今、言いかけていたではないか」


 腰元のゴルドスが笑う。


「最後まで言ってないからセーフ!」


 セラに支えられ、何とか地面へ足をつけた。


 アーグは荷場の者に声をかけ、近くの空いた場所へ三頭を移した。作業の邪魔にならないよう、馬の手綱を繋いでおく。


「勝手に走り出すなよ」


 オタクミが灰色の馬へ言う。


 馬は静かに鼻を鳴らした。


「お前に言われたくはあるまい」


「馬の気持ちを勝手に代弁するな!」


 言い返した拍子に咳が出た。


「……げほっ」


 喉の奥がまだ痛む。


 管理塔で吸った煙の影響は、完全には抜けていない。


 オタクミは水を一口飲み、呼吸を整えた。


「大丈夫?」


 セラが尋ねる。


「うん。走らなきゃ平気」


「なら、走るなよ」


 アーグが言った。


「今日はそればっかりだな!」


「言われなくなりたければ、無茶をするな」


「ぐうの音も出ない!」


     ◇


「すみません!」


 アーグが御者へ声をかけた。


「その荷、どちらへ運ぶんですか?」


 御者は手綱を握ったまま、怪訝そうに三人を見た。


「何だ、あんたら」


「この荷場で、運搬先が分からない荷が動いていると聞いた。少し確認したい」


「俺に聞かれても困る」


 男は荷台を親指で示した。


「引き取れと言われたから来たんだ。行き先は札に書いてある」


「誰から受け取ったんです?」


 セラが尋ねる。


「荷場の奴だよ。顔までは覚えてねえ」


「その札を見せてもらえますか?」


「荷主でもない奴に見せる義務はないだろ」


 もっともだった。


 オタクミは何か言いかけたが、アーグが手で制した。


「それなら、荷場の担当者に確認を――」


「おい! その荷はまだ動かすな!」


 水路側から怒鳴り声が響いた。


 作業着姿の男が駆け寄ってくる。


 御者は顔をしかめた。


「今度は何だ!」


「その荷は確認待ちだ!」


「もう引き取れって言われたぞ!」


「誰に!」


「そっちの人間だよ!」


「だから、誰だ!」


「名前なんか聞いてねえ!」


 二人は睨み合った。


「……何か、話が噛み合ってないな」


 オタクミが呟く。


 アーグは二人の間へ視線を向けた。


「確認させてください。御者さんには運べという指示が来た。一方、荷場側には動かすなという指示が来ている。同じ荷について、そういうことですね?」


「そうだ!」


「間違いねえ!」


 二人が同時に答えた。


「なら、その指示を出した人物へ確認するのが先です」


「それができれば苦労しねえよ!」


 作業員が吐き捨てる。


「こっちには確認が取れるまで止めろって言われてる。なのに、別の奴が勝手に運ばせようとするんだ!」


「勝手じゃねえ!」


 御者が言い返した。


「こっちはちゃんと札をもらってる!」


 御者は懐から折りたたんだ札を取り出した。


「ほら!」


 作業員がそれを覗き込む。


 次の瞬間、表情が変わった。


「……おい」


「何だよ」


「その札、使うなって言われてたやつだぞ」


「はあ!?」


「今朝から古い指示札は確認し直せって話になってたんだ!」


「そんな話、聞いてねえぞ!」


「こっちは言われたんだよ!」


「だったら、何で札を渡す奴がいるんだ!」


 作業員は口を閉じた。


 答えられないらしい。


 御者も、今度は札を見つめた。


「……まさか、俺に渡した奴が間違ってたのか?」


「それは分からない」


 アーグが答えた。


「ただ、指示の確認が取れていないのは確かです」


 オタクミは二人の顔を見比べた。


 さっきまで互いに怒鳴っていたのに、今はどちらも困惑している。


「……二人とも、違うことを言われただけなのか」


「そういう可能性が高いわね」


 セラが答えた。


 アーグは御者へ向き直った。


「札に書かれた運搬先が正しくない可能性があります。確認できるまで、この荷を動かさない方がいい」


「……分かった」


 御者が手綱を緩める。


「だが、俺はこの荷を運ばないと仕事が終わらねえんだ」


「それは分かります」


 セラが頷いた。


「だから、誰が確認できるのか、一緒に探しましょう」


 作業員が水路側を指した。


「荷札を管理してる奴なら、向こうにいるはずだ」


 三人はそちらへ向かった。


     ◇


 荷場の奥では、木箱や袋が積み直されていた。


 荷札を手にした若い男が、記録を見ながら頭を抱えている。


「……またかよ」


 男は三人を見るなり、そう言った。


「何があったんですか?」


 セラが尋ねる。


「同じ荷に、違う指示が出てるんです」


 若い男は記録を指さした。


「荷を出せって指示と、止めろって指示です」


「どちらが新しい?」


 アーグが尋ねた。


「それが分からなくて……」


「札に日付は?」


「あります。でも、渡された順番と合わないんです」


 オタクミが首を傾げた。


「どういうこと?」


「あとから渡された札の方が、古い日付なんです」


「……え?」


 若い男は札を二枚並べた。


 一枚には、荷の移動を止める指示。


 もう一枚には、港方面へ出すという指示。


 どちらにも荷の番号らしいものが書かれている。


 だが、確認に使う印が異なっていた。


「こっちは普段使ってる印なんです。でも、もう一枚には見慣れない印があって」


「誰が渡した?」


「分かりません。別の担当者から回ってきたので」


「その担当者は?」


「もう持ち場を離れてます」


 若い男は困ったように笑った。


「誰に聞いても、自分の担当じゃないって言われるんです」


 オタクミは札を見た。


「……同じ荷なのに、出せと止めろが両方ある」


「そうなんです」


「しかも、どっちが正しいか分からない」


「そうなんです!」


 若い男は力強く頷いた。


「それで朝から何度も揉めてて!」


 アーグが腕を組む。


「送り先は?」


「北貨物港方面です。ただ、途中で水路側の積み替え場所を経由する指示もあります」


「船に載せるのか?」


「そこまでは聞いてません」


 若い男は正直に答えた。


「俺が知ってるのは、ここまでです」


 アーグはしばらく考え込んだ。


「……確認できる相手がいないのに、指示だけが増えている」


「ええ」


「しかも、指示同士が矛盾している」


「そうなんです」


 若い男は疲れた顔で頷いた。


「もう、どれを信用したらいいのか……」


 オタクミは男の表情を見た。


 怒っているというより、困っている。


 荷物を動かす仕事を任されているのに、何を信じていいか分からないのだ。


「……大変だな」


 思わず声が漏れた。


 若い男は苦笑した。


「ほんとですよ」


     ◇


 荷場から少し離れたところで、オタクミはアーグを見た。


「……これ、ただの連絡ミスなのかな」


「可能性はある」


 アーグが答えた。


「だが、気になる点もある」


「どこ?」


「確認できる人物が、誰にも分からないことだ」


 アーグは荷場を振り返った。


「荷を動かす者は運搬先だけを知っている。荷を止める者は停止の指示だけを知っている。札を管理する者は、その両方を渡されて困っている」


「……全員、情報が足りない」


「そうだ」


 アーグは少し声を落とした。


「俺がカルテルにいたころにも、似た方法があった」


 オタクミは顔を上げた。


「どういうやつ?」


「運ぶ者には道を教える。受け取る者には数だけを教える。中身を知る者は別にいる。情報を分ければ、一人が何かを話しても、全体は分からない」


「……それって、わざと?」


「わざとやる連中はいる」


 アーグは頷いた。


「だが、今の荷場が同じ仕組みだとは限らない。単なる混乱かもしれん」


「でも、こんなに食い違ってたら、仕事にならないだろ」


「そこが問題だ」


 アーグは険しい顔になった。


「情報を分ける方法は、扱いを間違えれば、仲間同士の信用まで失わせる」


 セラが荷場へ目を向けた。


「さっきの人たちも、互いに疑ってたわね」


「ああ」


 オタクミは考え込んだ。


 同じ仕事をしているはずの人間が、相手の指示を信じられない。


 何かを隠しているのではないか。


 責任を押しつけようとしているのではないか。


 そう考え始めれば、いくらでも疑いは広がる。


「……嫌な仕組みだな」


「利益が一致している間だけ仲間だ、という考え方の連中もいる」


 アーグが言った。


「だが、利益を分ける前に情報まで分けられたら、誰が何をしているのか分からなくなる」


 オタクミは眉をひそめた。


「……推しじゃなくて商品としてしか見てない奴らって、最後は仲間まで商品みたいに扱うのかな」


 ゴルドスが静かに笑った。


「人を値札だけで見る者なら、そういうこともあろう」


「嫌だな、それ」


「だが、今の荷場にいる者が、みなそうとは限らぬぞ」


「……うん」


 オタクミは頷いた。


 困っている作業員たちは、少なくとも今は目の前の仕事を何とかしようとしていた。


 誰かが意図的に混乱させているとしても、その責任を全員に押しつけるわけにはいかない。


「……ちゃんと確かめないとな」


「ああ」


 アーグが答えた。


     ◇


 水路沿いの積み替え場所へ向かうと、そこでも口論が起きていた。


「だから、受け取れないって言ってるだろ!」


「こっちには出せって指示が来てるんだ!」


「確認印が違うんだよ!」


「そんなこと、俺に言われても!」


 三人は足を止めた。


「……こっちもか」


 オタクミが呟く。


 セラが男たちへ近づいた。


「すみません。何かお困りですか?」


 一人の男が振り返る。


「見りゃ分かるだろ。荷の受け取りができねえんだよ」


「何が違うんです?」


「受け取りの確認が取れないんだ。なのに、運んできた奴は置いていくって言って聞かねえ」


 もう一人が言い返す。


「俺はここへ運べって言われたんだよ!」


 セラは二人の顔を見比べた。


「その荷は、さっき荷場で止められていた荷車と関係がありますか?」


「……ああ、同じ番号だ」


 男が答えた。


「だが、こっちにはまだ受け取るなって指示が来てる」


 アーグの表情が変わった。


「同じ番号?」


「ああ」


「それなら、さっきの荷と同じ扱いになっている可能性があるな」


 オタクミは目を丸くした。


「……同じ荷が、二つの場所で動いてる?」


「そういうわけじゃない」


 アーグが答えた。


「少なくとも、同じ荷番号について、複数の指示が出ているということだ」


 オタクミは頭を掻いた。


「……ややこしい!」


「だから困ってるんだよ!」


 作業員が言った。


 そのとき。


 水路側から、船頭らしい男が声を上げた。


「おい! まだ積めないのか!」


 小さな荷船が岸に寄せられていた。


 船頭は櫂を持ったまま、苛立ったように荷場を見ている。


「確認が取れないんだ!」


 作業員が答える。


「だったら、別の荷を積め!」


「そっちも確認待ちだ!」


「……何だと?」


 船頭の顔が険しくなった。


「こっちは出発の時間があるんだぞ!」


 アーグが水路へ目を向けた。


「……船か」


 オタクミも船を見た。


 EP107で見た小舟と同じかどうかは分からない。


 夕暮れの光では、船の細かな特徴も見えにくい。


 ただ、今ここにいる船頭が、荷の積み込みを待っていることは分かった。


 セラが呟く。


「水路側まで混乱してるのね」


「ああ」


 アーグが答えた。


「運搬先が分かっていても、荷を受け取る側が信用できなければ止まる」


 オタクミは船頭を見た。


 船頭は岸を見回し、何度も作業員に声をかけている。


「……何か、焦ってるみたいだな」


「出発が遅れているからかもしれん」


 アーグが答えた。


「ほかの理由があるかどうかは分からない」


 そのとき、船頭が怒鳴った。


「もういい! 確認が取れないなら、こっちは出るぞ!」


 作業員が慌てて手を上げる。


「待ってくれ! 荷を積まないまま出られたら困る!」


「俺だって困ってるんだよ!」


 船頭は櫂を持ち直した。


 小舟が、ゆっくりと岸から離れ始める。


「……あっ!」


 オタクミが声を上げた。


「行っちゃうぞ!」


 アーグは船を見つめた。


「荷の受け渡し先を確かめる必要があるな」


「追うのか?」


「少なくとも、どこへ向かう船なのかは知りたい」


 アーグは作業員へ尋ねた。


「あの船の行き先は?」


「北貨物港方面だよ。いつもなら途中で荷を受け取っていくんだ」


「今日は?」


「確認が取れないから、まだ何も積んでない」


 アーグは頷いた。


「分かりました」


 オタクミは小舟を見た。


 今の船には、少なくともこの荷場から荷は積まれていない。


 図面筒があるかどうかも分からない。


 だが、水路側の荷の動きを知る手掛かりにはなるかもしれなかった。


     ◇


 水路沿いの荷場から少し進むと、港へ向かう道沿いに屋台が並んでいた。


 しかし、その様子は妙だった。


「……あれ?」


 オタクミが足を止める。


 まだ人通りがあるのに、いくつかの屋台が閉まっている。


 隣では普通に商売している店もある。


「夕方だから店じまい?」


 セラが呟く。


「それなら不自然ではないな」


 アーグが答えた。


 だが、オタクミは閉まった屋台を見つめた。


 扉には、新しそうな錠前が付いている。


 その隣の屋台にも、似た形の錠前があった。


「……同じ鍵?」


「同じ形の錠前だな」


 アーグが訂正する。


「鍵まで同じとは限らない」


「……確かに」


 オタクミは頷いた。


 セラが、営業している屋台へ近づいた。


「すみません。今日は閉まっているお店が多いんですか?」


 店主らしい女性が顔を上げた。


「そうね。いつもより静かだわ」


「何かあったんですか?」


「荷が届かないって言ってた店もあるし、今日は売れる品がないって話も聞いたよ」


「そのお店の方は?」


 セラが尋ねる。


 女性は隣の閉まった屋台を指した。


「さっきまで、そこの店主がいたんだけどね」


 ちょうどそのとき、屋台の裏手から男が一人出てきた。


 疲れた顔をしている。


「……今日はもう閉めるしかないな」


 男は呟いた。


 セラが声をかける。


「荷が届かなかったんですか?」


「そうだよ」


 男は肩を落とした。


「朝から待ってたのに、まだ来ない。客には夕方には品を出せるって言っちまったのにな」


 オタクミは思わず尋ねた。


「何を売る予定だったんです?」


「普段扱ってる小物だよ。飾り物とか、日用品とか」


「……お客さん、待ってたんだ」


「ああ」


 男は苦笑した。


「何度も見に来てくれた人もいた。悪いことしたよ」


 オタクミは胸が少し痛くなった。


 商品が届かない。


 店を開けられない。


 そして、待っていた客も買えない。


 荷場の混乱は、ここまで影響しているのかもしれなかった。


「……荷の行き違いが原因なんですか?」


 アーグが尋ねる。


「分からん」


 男は首を振った。


「仕入れ先からは、もう送ったって言われてる。でも、こっちには届いてないんだ」


「送り先を確かめましたか?」


「何度もな」


 男はため息をついた。


「確認中だって言われるばかりだ」


 オタクミは手帳を開いた。


 ――店へ荷が届かない。


 ――仕入れ先は発送済みと説明。


 ――店主は確認待ち。


 書き終え、顔を上げる。


「……大変ですね」


「まあ、商売してりゃ、こういう日もある」


 男は苦笑した。


「でも、これが続くと困るな」


 オタクミは閉まった屋台を見つめた。


 売る物がなくなれば、店は開けられない。


 客も、買いたい物を買えない。


 誰かがわざとやっているとしたら。


 その影響は、荷場だけでは済まない。


     ◇


 そのとき、通りの向こうから荷車が一台やってきた。


 荷台には木箱が積まれている。


 箱の一つが少し開いていて、中に透明な板のような物が見えた。


「……あれ」


 オタクミが呟く。


 アーグが顔を向けた。


「どうした?」


「今、箱の中に……」


 オタクミは目を凝らした。


 透明な板の一部が、白く濁っているように見える。


 以前見た、粗悪な偽物のアクスタに似た質感だった。


 だが、距離がある。


 夕暮れの薄い光では、はっきり確認できない。


「……似てる」


「何に?」


「前に見た偽物のアクスタ」


 セラも荷車へ目を向けた。


「でも、まだ分からないわね」


「うん」


 オタクミは頷いた。


「ちょっと見えただけだから」


 荷車は市場側へ向かって進んでいく。


 その後ろを、別の荷車が続いていた。


 オタクミはその動きを見つめた。


「……おかしくないか?」


「何が?」


 セラが尋ねる。


「荷が届かなくて店を閉めてる人がいるのに、別の荷はどんどん運ばれてる」


 アーグも荷車の列へ目を向けた。


「確かに、確認すべき点だな」


「もし、誰かがわざと荷の流れを変えてたら?」


 オタクミは閉まった屋台を指した。


「売りたい人は売れない。買いたい人も買えない」


「ああ」


「でも、別の誰かが商品を持ってきたら?」


「客は買える店へ流れるだろうな」


 アーグは答えた。


 オタクミは少し考え込んだ。


「……商品だけじゃないんだな」


「何が?」


「どこで買えるかってことも、大事なんだ」


 アーグが頷いた。


「そうだ」


「市場そのものを押さえようとしてる、なんてこともあるのかな」


「可能性としてはある」


 アーグは答えた。


「だが、今の情報だけでは分からん。単なる荷の遅れかもしれないし、別の事情かもしれない」


「……うん」


 オタクミは手帳を閉じた。


 そのとき。


 市場へ向かっていた荷車の一台が、急に速度を落とした。


「おい! そっちはまだ入れるな!」


 屋台の並ぶ通りから声が響いた。


 荷車の御者が顔を上げる。


「何だよ! こっちは運べって言われたんだぞ!」


「確認が取れてないんだ!」


「またかよ!」


 オタクミは思わず声を上げた。


「……こっちも!?」


 アーグは険しい顔で荷車を見つめた。


「同じ問題が、別の場所でも起きている」


 セラが呟く。


「誰の指示を信用していいか、分からなくなってるのね」


 オタクミは荷場の方を振り返った。


 水路側でも。


 市場側でも。


 荷の移動をめぐって、人々が揉めている。


 同じ仕事をしているはずの者同士が、互いを疑い始めていた。


「……これ、もし誰かがわざとやってるなら」


 オタクミは低く呟いた。


「仲間同士を信用できなくして、その隙に別の荷を動かしてるってことか?」


 アーグはしばらく黙っていた。


「……そういうやり方もあり得る」


 やがて答える。


「だが、それを確かめるには、指示を出している者を見つける必要がある」


 オタクミは頷いた。


「……分かった」


 ただ怪しいと思うだけでは足りない。


 実際に何が起きているのかを確かめなければならない。


     ◇


 日が傾き、街道の影が長くなっていた。


 三人は荷場へ戻り、預けていた馬の様子を確かめた。


 オタクミの灰色の馬は、相変わらず落ち着いている。


「……お前、俺より落ち着いてるな」


 オタクミが鼻先を撫でた。


「当然であろう」


 ゴルドスが答える。


「比較対象がお前だからな」


「その言い方!」


 笑いかけたところで、軽く咳き込んだ。


「……げほっ」


 セラが心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫?」


「うん。ちょっと喉が痛いだけ」


「無理しないでね」


「分かってる」


 オタクミは水を飲み、少し休んだ。


 その間に、アーグは手帳の内容を確認していた。


「……現時点で分かっていることを整理するぞ」


「うん」


「まず、逃走者についてだ。黒っぽい外套で、細長い筒を抱えた人物の目撃談がある」


「でも、直接見た人にはまだ会えてない」


 セラが答えた。


「そうだ。荷場で見えた細長い物も、図面筒かどうかは分からん」


「うん」


「次に、水路側の荷については、運搬指示が食い違っている。誰が全体の指示を出しているのか、現場では確認できていない」


「それで、互いに疑い始めてる」


 オタクミが言った。


「ああ」


 アーグは頷いた。


「最後に、市場側だ。閉めている屋台があり、荷が届かないという話もある。その一方で、別の荷が運び込まれようとしている」


 セラが顔を上げた。


「でも、それが全部つながっているとは限らない」


「その通りだ」


 アーグは手帳を閉じた。


「だから、次に何を確かめるかが重要になる」


 オタクミは水路の方を見た。


 逃走者が持っていた図面筒。


 その行方は、まだ分からない。


 水路へ移された可能性もある。


 あるいは、まったく別の道へ運ばれたのかもしれない。


 一方、市場では、品が届かない店があり、別の荷が運び込まれている。


 もし、それが偽物だったら。


 もし、買える店と買えない店が意図的に作られているのだとしたら。


「……これ、二つとも放っておけないな」


 オタクミが呟いた。


「そうだな」


 アーグが答える。


「逃走者を追う手掛かりはまだ残っている。だが、市場の方も確かめる必要がある」


 セラが二人を見た。


「どちらも、今すぐ答えが出る話じゃないわね」


「うん」


 オタクミは痛バッグへ視線を落とした。


 いつもあるはずの缶バッジが一つ、欠けている。


 馬を借りるために預けた、大切なミスティアのグッズ。


 明日の夕方までに馬を返せば、約束どおり戻ってくる。


 だが、そのためにも無茶はできない。


「……推しまで預けて来たんだからさ」


 オタクミは小さく笑った。


「何も分からないまま帰るのは嫌だな」


 ゴルドスが答える。


「焦って決めつけるより、確かなことを一つずつ増やす方がよい」


「……そうだな」


 オタクミは頷いた。


 そのとき。


 水路側から怒鳴り声が響いた。


「おい! その船、待ってくれ!」


 三人が振り返る。


 荷場の向こうで、小舟が岸を離れようとしていた。


 船頭は何度も振り返っている。


「確認が取れないなら、こっちは行くぞ!」


 作業員が必死に手を振った。


「待ってくれ! 荷の確認がまだ終わってないんだ!」


「こっちだって時間があるんだよ!」


 小舟はゆっくりと岸を離れた。


 オタクミは水路へ目を向けた。


「……あの船、行っちゃうぞ」


「行き先は北貨物港方面だと聞いた」


 アーグが答えた。


「荷の受け渡し先を調べるなら、追う価値はある」


 その直後。


 市場側からも声が響いた。


「おい! その荷を中へ入れるな!」


 荷車の御者が怒鳴り返す。


「こっちは運べって言われてるんだ!」


 オタクミが振り返る。


 市場へ向かう荷車が、閉まった屋台の並ぶ通りへ進もうとしていた。


 荷台には木箱が積まれている。


 その一つから、白く濁った板状の物が覗いていた。


「……あっちも!」


 セラが声を上げた。


 水路では、小舟が離れていく。


 市場では、別の荷が動き始めている。


 どちらも、今すぐ確かめたい。


 だが、オタクミは走れない。


 馬も、急に全力で走らせられる状態ではない。


 アーグが険しい顔で二つの方向を見比べた。


「……どちらも、今動いている」


 セラが呟く。


「両方を同時には追えないわね」


 オタクミは黙った。


 水路の先には、図面筒につながる手掛かりがあるかもしれない。


 市場の方では、商品を売れずに困っている人々がいる。


 もし、あの荷が偽物なら。


 もし、荷の流れを変えることで、買える場所そのものが変えられているのだとしたら。


 それを見過ごしていいのか。


 オタクミは痛バッグへ目を落とした。


 缶バッジが一つ欠けた場所。


 そこにあったミスティアの姿を思い浮かべる。


 推しを守りたい。


 そのために、大切な物を預けてまでここへ来た。


 だが、推しを好きな人たちが、買いたい物を買えなくなるのだとしたら。


「……どうする?」


 セラが尋ねた。


 オタクミは水路を見た。


 小舟は少しずつ遠ざかっている。


 次に、市場へ向かう荷車を見る。


 こちらも、止まらず進もうとしていた。


 追跡を続けるか。


 市場の異変を確かめるか。


 両方が重要だと分かっている。


 だからこそ、簡単には選べなかった。


「……待ってくれ」


 オタクミは手帳を握り直した。


 アーグもセラも、何も言わずに待っている。


 水路の向こうで、櫂が水を叩く音がした。


 市場側では、荷車の車輪が石畳を軋ませている。


 二つの音が、夕暮れの空気に重なった。


 オタクミは顔を上げた。


「……俺たちが今、本当に止めなきゃいけないのは――」


 言葉の先は、まだ出なかった。


 その間にも、小舟は水路を下り、荷車は市場へ進もうとしていた。

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