盤面の外側 その2
荷船が橋の下へ消えてからも、オタクミはしばらく川面を見つめていた。
流れは穏やかだった。
その穏やかさが、かえって不気味に思える。
「……俺たちは市場ばかり見てた。」
誰に言うでもなく漏らす。
「市場で商品を見て、倉庫で流れを見て、それで全部分かった気になってた。」
アーグは頷きながら、地図を畳まなかった。
「気付けただけでも十分だ。
商売は、目の前の店だけでは完結しない。
仕入れ、保管、運搬、販売、回収。それぞれを繋ぐ線を見なければ、本当の姿は見えてこない。」
オタクミは苦笑する。
「現代日本にいた頃も、そんな話は聞いたことがあったんだけどな。
ネット通販だって、注文ボタン一つで届くわけじゃない。裏じゃ物流センターや配送会社が動いてる。
でも……。」
言葉を切り、倉庫街の方を振り返る。
「あいつらは、その仕組み全部を武器にしてる。」
「そこが違うのか!」
「理解が早いな。」
アーグは珍しく素直に感心したようだった。
「物流は本来、人に物を届けるためのものだ。
カルテルは、それを人を支配するために使っている。」
ゴルドスが静かに続ける。
「剣も同じだ。
国を守るためにも使えるし、人を脅すためにも使える。
道具に善悪はない。使う者の意思が決める。」
オタクミはその言葉を胸の中で反芻した。
資料庫でリアたちが見ている「創作」。
今、自分が見ている「流通」。
どちらも、本来は誰かへ届けるためにある。
なのに、片方では作品が埋もれ、片方では市場が歪められている。
その構図が、不思議なほど重なって見えた。
「創るだけじゃ足りない。」
オタクミはゆっくりと言う。
「届ける仕組みも守らないと、本物は消えていく。」
アーグは小さく笑った。
「その答えに辿り着くまで、もう少しかかると思っていた。」
「俺もだよ。」
オタクミは頭を掻いた。
「でもさ。
偽物が悪いんじゃなくて、偽物しか選べない市場が悪いってことだろ?」
「正確には少し違う。」
アーグは人差し指を立てる。
「偽物そのものも問題だ。
だが、それ以上に厄介なのは『本物が届かない状態』を作ることだ。
極端な話、本物しか扱っていなくても、市場を独占すれば同じことができる。」
「……なるほど。
問題は商品じゃない。選択肢を奪うことか。」
「そういうことだ。」
その時、セラが川岸へしゃがみ込んだ。
「これ。」
足元に、小さな木片が落ちている。
拾い上げると、何かの箱が欠けた破片だった。
オタクミが受け取り、裏返す。
「焼き印がある。」
白い花。
倉庫街で見た紋章と同じだ。
「船から落ちたのかしら。」
セラが首を傾げる。
アーグは木片をじっと見つめると、指先で縁をなぞった。
「……違う。」
「え?」
「新しく割れた跡じゃない。」
木目を見せながら説明する。
「乾いている。少なくとも数日前には割れている。」
「じゃあ、なんで川に?」
「流したんだ。」
オタクミは目を丸くした。
「わざと?証拠を残さないためか。」
「その可能性はある。」
アーグは木片を陽にかざした。
「だが、それだけじゃない。この木箱は高級品だ。
木材も加工も安物じゃない。普通なら修理して使い回す。
なのに捨てた。」
オタクミの表情が引き締まる。
「つまり。」
「中身を隠したかった。」
アーグは静かに頷く。
「焼き印ごと処分する必要があった。
誰かに見られると困る荷物だった可能性が高い。」
セラが思わず息を呑んだ。
「じゃあ……偽物以外にも?」
「運んでいる。」
アーグは断言しなかった。
だが、その沈黙が答えを物語っていた。
ゴルドスが低く唸る。
「武器か。あるいは別の何かか。」
「今は決めつけるな。」
アーグは木片を布で包み、懐へしまう。
「推測だけで動けば、相手の思う壺だ。
証拠を積み重ねる。それが先だ。」
オタクミはその言葉に頷いた。
昨日までの自分なら、「怪しい」で飛び込んでいた。
だが今は違う。
相手が仕組みなら、こちらも仕組みで追い詰めるしかない。
「次はどうする?」
そう尋ねると、アーグは少し考え込んだ。
「二つある。
一つは、この川を上流まで追うこと。
もう一つは、帳簿だ。」
「帳簿?」
「あの責任者が抱えていた黒い帳簿だ。
数字が市場を支配しているなら、あれが心臓部に近い。」
オタクミは思わず笑う。
「盗むのか?」
「盗めれば早い。」
アーグも笑みを浮かべた。
「だが、それは最後の手段だ。
まずは、どこで記録を付け、誰に渡しているかを調べる。
帳簿は必ず動く。
数字は、人の手を離れて勝手には増えないからな。」
その時だった。
ゴルドスが、不意に低い声で言った。
「……来るぞ。」
四人が一斉に周囲へ目を向ける。
橋の向こうから、一人の青年が歩いてくる。
旅装束に身を包み、大きな荷物を背負っている。
一見すれば、ごく普通の旅人だ。
青年は四人の横を通り過ぎると、一度だけ足を止めた。
そして、独り言のように呟く。
「今年は川の水位が高い。」
誰にも向けていない言葉。
しかし、その声が耳に残る。
すぐに青年は歩き去り、人混みへ紛れて見えなくなった。
「知り合いか?」
オタクミが尋ねる。
アーグは険しい表情で首を横に振った。
「いや……。
だが、あの言葉は気になる。」
「水位?」
「この季節に、わざわざ口にする内容じゃない。」
ゴルドスも静かに続ける。
「独り言にしては、不自然だった。」
アーグは青年が消えた方角を見つめたまま、小さく呟く。
「もしかすると、合図かもしれん。」
「合図?」
「誰に?」
その問いに、アーグはすぐには答えなかった。
やがて視線を川へ戻し、低く言う。
「それを調べるところから始めよう。
俺たちは、ようやく入口に立っただけだ。」
夕日が川面を赤く染めていく。
静かに流れる水の下では、誰にも見えない流れが、王都全体を巡っている。
その流れの先で待つ人物の名を、彼らはまだ知らない。
だが、その姿は少しずつ、確実に近付いていた。




