数字の行方 その1
翌朝。
王都はまだ朝靄に包まれていた。
市場の店も半分ほどしか開いていない。
それでも倉庫街だけは、すでに一日が始まっていた。
荷馬車が列を作り、人夫たちが慌ただしく木箱を運ぶ。
「昨日より早いな。」
オタクミが呟く。
アーグは腕を組み、荷馬車の流れを眺めていた。
「市場は客に合わせて動く。
倉庫は市場を動かすために動く。
だから朝の方が忙しい。」
「なるほど。」
オタクミは素直に感心する。
昨日一日で、アーグの話が頭に入るようになっていた。
市場は結果。
倉庫は原因。
原因を押さえれば、結果も読める。
「今日は帳簿を追う。」
アーグが静かに告げる。
「荷物じゃないのか?」
「荷物は毎日同じように動く。だが数字は違う。
昨日売れた分だけ数字が変わる。
つまり、一日の終わりには必ず誰かが集計する。」
オタクミは頷いた。
「売上報告みたいなものか。」
「そうだ。」
「だから帳簿は必ず集まる場所がある。」
セラが少し首を傾げる。
「でも、あの帳簿係を見失ったじゃない。」
「だから待つ。」
アーグは短く答えた。
「帳簿を持つ人間は一人じゃない。
毎日同じ仕事をする以上、必ず規則性がある。」
「規則性か……。」
オタクミは思わず笑う。
「本当に探偵みたいだな。」
「違う。」
アーグは珍しく笑みを浮かべた。
「商人だ。
売れる店は規則を見る。盗む奴も規則を見る。」
俺たちは、その中間だ。」
四人は倉庫街から少し離れた茶屋へ入った。
店の二階は窓際の席が空いている。
ここからなら、倉庫の正門がよく見えた。
「あんパンでも食うか。」
オタクミが袋を開ける。
セラが呆れたように笑う。
「緊張感があるのかないのか分からないわね。」
「腹が減ると頭が回らないんだよ。」
「それは否定しない。」
ゴルドスが小さく笑う。
「昔から変わらんな、オタクミ殿。」
「昔?」
「考え込む時ほど、何か口に入れていた。」
「覚えてないけど、そんな癖あったのか。」
「人は案外、自分のことを知らんものだ。」
そんな他愛ない会話を交わしながらも、四人の視線は倉庫街から離れない。
一時間ほど経った頃だった。
「あ。」
セラが小さく声を上げる。
昨日見た初老の帳簿係が倉庫から出てきた。
黒い帳簿を抱えている。
だが今日は一冊ではない。
三冊。
いや、五冊。
脇に抱えきれないほどの帳簿を持っている。
「集まってきた。」
オタクミが身を乗り出す。
「昨日の数字だ!」
アーグは席を立たない。
「まだ動くな。」
帳簿係は倉庫を出ると、別の倉庫へ入る。
十分ほどして、さらに帳簿が増えた。
また次の倉庫。
さらに次。
そのたびに冊数が増えていく。
「……全部集めてる。」
オタクミは思わず呟いた。
「倉庫ごとに記録があるんだ。」
「そういうことだ。」
アーグは炭筆で地図へ印を付ける。
「ここが第一段階。」
「じゃあ、この後どこへ?」
「そこが知りたい。」
昼近くになると、帳簿係はようやく歩き始めた。
向かった先は、倉庫街の外。
商人街でも市場でもない。
王都の中央区だった。
石畳が整備され、役所や銀行、大商会が立ち並ぶ区域。
「……意外だな。」
オタクミが小声で言う。
「もっと裏路地みたいな場所かと思ってた。」
「逆だ。」
アーグは静かに答えた。
「本当に大きな組織ほど、人目につく場所へ隠れる。
目立たない場所は、かえって怪しまれる。」
帳簿係は一軒の建物へ入っていく。
看板には大きく、
『王都共同会計事務所』
と書かれていた。
「会計事務所?」
セラが目を丸くする。
「そんな普通の場所なの?」
オタクミも驚きを隠せない。
「カルテルの本部じゃないのか?」
「違う。」
アーグは目を細めた。
「本部なら帳簿を表から運び込まない。」
「ここは……。」
少し考え、言葉を続ける。
「数字を整理する場所だ。
つまり、外部の人間でも出入りできる。
合法の顔だ。」
その言葉を聞いた瞬間、オタクミの表情が変わる。
「なるほど……。
だから捕まらないのか!」
「違法な組織じゃなくて、合法な会社の顔を持ってる。全部繋がってるのだ!」
アーグはゆっくり頷く。
「市場だけじゃない。物流だけでもない。
会計まで押さえている。
金の流れを握れば、人も店も逆らえない。」
四人は建物を見上げた。
石造りの重厚な外壁。
出入りする商人たちは、誰も疑う様子がない。
むしろ信用のある会計事務所として利用しているように見える。
オタクミは静かに拳を握った。
「敵はただの盗賊じゃなかった。
普通の商人でもない。
王都の仕組みそのものになってる……。」
その時だった。
事務所の二階の窓が、ゆっくりと開く。
誰かが外を見下ろしている。
逆光で顔までは見えない。
しかし、その人物は四人の姿を一瞥すると、何事もなかったかのように窓を閉めた。
アーグの表情が険しくなる。
「……見られた。さっきの老人か?」
「違う。」
「もっと上の人間だ。」
オタクミも二階を見つめる。
姿は見えない。
だが、不思議な圧力だけが胸に残る。
まだ名も知らない。
それでも確信できた。
この建物のどこかに、自分たちより何手も先を読む相手がいる――。




