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第一章 甘酸っぱい夏

皆様、こんにちは。こちらが『東雲さんは普通になりたかった!』の第一章だ。読んでみてくれ、楽しんでもらえたら嬉しい。


夏は嫌な季節だと言う奴は多い。


この考えが普遍的には正しくないかもしれないが、でも、山梨県民にとっては十分に納得できるものだ。特に、甲府のように山に囲まれた地域に住んでいるならなおさらだ。夏の気温は35度にまで達し、大地はまるで沸騰した釜のように感じられる。


だが、その一方で、夏がもたらす楽しいこともたくさんあるのも事実だ。花火大会、七夕、お盆、海、セミの大合唱、そしてもちろん長い夏休み。


彼女がいる高校生なら、この季節は忘れられない青春の思い出を作るのにぴったりだ。夏の大三角の魅惑的な光に照らされ、恋愛の繭は成長し、やがてゆっくりと見事なロマンスの蝶へと羽化する。ああ、なんて素晴らしい!


……か、そう言う奴らもいるらしい。俺にはよく分からないけど。一度も彼女がいないし。隣にいるあの長身の友人とは違って。だが、残念ながら、夏の魔法はどうやら今回はあまり味方してくれていないようだ。


「何か見つけたか、小林?」


その友人——谷口稔——が、絞り出すような声で尋ねた。


あいつの大きな体はひどく弱々しく見えた。まるで六月の太陽があいつの骨や筋肉を全て溶かしてしまったかのようだ。哀れな奴だ。なぜだか、あいつはもっと涼しい場所——例えば中庭——ではなく、わざわざ校舎の屋上で会うことを選んだのだ。焦燥があいつの脳を焼き、論理の一片一片を溶かしてしまったのかもしれない。本当に面倒な奴だ。


だが、それでも友人として、俺はあいつの壊れかけている精神状態に歩み寄ろうと努めた。だから、あまり文句も言わずに、谷口の頼みを聞き入れ、昼食を終えた後すぐに屋上へと向かった。


校庭でバドミントンをしている女子たちを眺めながら、俺は答えた。「それ以上に何かあるよ。しかも、全部お前の目を傷つける毒だ。」


俺の言葉を聞いて、谷口はゆっくりと手すりに顔をうずめた。あいつのまぶたは激しく震え、涙をこらえているようだった。


しばらくして、谷口は顔を上げ、こう言った。「構わない。」


あいつの顔は不安に苛まれていた。しかし、そこには決意も刻まれていた。


「でも、言っとくけど、俺は一つも良い知らせを持ってきてない。だから、結果に満足できなくても、怒るなよ。」


「分かっている。」谷口はうなずき、俺の警告を受け入れた。あいつの声は、交尾を終えたばかりのホタルのようにかすかだった。


あいつの様子を見て、俺はちょっと不安になった。だが、プロとして、俺は依頼人の頼みを果たすことにした。


俺はズボンのポケットからスマホを取り出し、たくさんの写真と動画が入ったフォルダを開いた。そのスマホを谷口に手渡した。谷口の呼吸は、画面に映し出された証拠の数々を見るにつれて激しくなっていった。これがゲームの中だったら、あいつのHPバーが一秒ごとに急降下しているのが見えたことだろう。明らかに良い状況ではなかった。


「クソッ!」谷口がそう悪態をつきながら、手を空中に振りかざした。


あいつは一瞬で俺のスマホを床に叩きつけようとした。幸い、まだ自制心を保ち、その衝動を踏み止まった。


「大丈夫?」俺は確認するように尋ねた。


「ああ。ああ。大丈夫だ。ああ……何でもない……」


明らかに何でもなかっただろ。


「これ全部本物か、小林?」


谷口がじっと俺を見つめながら言った。はっきりとした説明を求める目だ——だが、その答えはもうとっくに明白だってのに。


俺が依頼人に嘘をついたことなんて一度でもあるか? ましてや、お前相手に。俺は素直に、少し腹を立てながら答えた。


「嘘だとは言ってない。ただ……。」


谷口は何度も首を振った。まるで、これまで頭に入ってきた事実をすべて、できる限り吐き出そうとするかのように。


残念ながら、記憶はそんなに簡単にリセットできない。


田中がそんなことできるかどうかは別として、証拠は全部その場で押さえた。駅からずっと尾行して、最後の場所まで行動は全部記録してある。まあ、出てくるところまでは待ってないけどな。中に入るところさえ撮れてれば、それで十分決定的だと思ったから。


俺のやや皮肉な説明に、谷口は拳を握りしめた。顔はやかんの底みたいに真っ赤になっていた。


俺はただ無表情で答え、それ以上挑発しないように気をつけた。


「でも、なんで……? 澪……。」


谷口は底なしの困惑を込めてその問いを放ち、そして怒りを空に向かってぶちまけた。満足するまで叫んだ後、あいつは再びうつむいた。額が鉄柵にぶつかって、乾いた音が響く。


谷口は自分の体を強く抱きしめ、そのまま沈黙の中に沈み込んでいった。あまりにも大げさな反応だ、と俺は思ったが、それを皮肉るのも違う気がした。何しろ、あいつは今、自分の恋人の浮気を確信したばかりなのだから。


昨日の夕方、谷口の彼女である田中澪が、男とデートしているところを目撃された。その男はもちろん谷口じゃない。そして、二人の怪しい行動を目撃したのは、他でもない俺だった。実は一週間前から、彼女を張り込んでいたんだ。


その午後俺は田中とその浮気相手を尾行した。二人の行動はすべて記録していた。カフェで食事をし、デパートで服を買い、公園でイチャつきながら過ごし、その他にもさまざまなロマンチックな時間を楽しんでいた。谷口を激怒させるには十分すぎる光景だった。だが何より辛かったのは、その不倫カップルがラブホテルに入っていく瞬間を目撃してしまったことだ。そこは、谷口がこれまで一度も足を踏み入れようとすら思ったことのない場所だ。


「俺、何か悪いことしたのか?」谷口はかすれた声でそう呟いた。まるで自分自身に問いかけているようだった。


谷口は不安げに呟き、そんな問いを次々と空に投げかけた。だが、その声は校庭でバドミントンをしている女子たちの叫び声より大きくはなかった。その中の一人が強烈なスマッシュを仲間の頭に叩き込み、謝るどころか楽しそうに笑っていた。まったく、残酷な生き物だ。


人間の頭がもしおにぎりの中身みたいに簡単に読めるなら、世界はもっと曖昧じゃない場所になっていただろう。そもそも女の子の気持ちを理解するのは、不可能なものだ。たいていは、理屈より気分のほうが勝つんだ。


あいつらの頭の中で、いったいどんなOSが動いているのかなんて、誰にもわからない。言うことも、決断も、いつだって何の前触れもなく変わる。少なくとも、俺が今まで関わってきた女たちのほとんどは、そんな感じだった。


「はっきり言うと、あの様子を見る限り、田中はあの男にベッタリだった。二人はもう付き合って長いみたいだ。それ以上の関係かもしれない——ホテルに入っていったし。まあ、中には彼氏でもない男と平気でホテルに行く子もいるんだけど。実際、それを仕事にする女子もたくさんいるし。でも、そこまで考えるのはやめておこう。それじゃ田中が余計に悪く見えるだけだからな——」


「澪はそんな女じゃない!」


谷口が鋭く叫ぶと、勢いよく立ち上がった。真っ赤に充血した目で、俺を射抜くように睨みつけてくる。その頭の上には、大きな感嘆符でも浮かんでいるんじゃないかと思えるほどだ。けれど、怒りに任せて俺へ食ってかかることはなく、谷口は力が抜けたように、もう一度うつむいてしまった。


「悪かった。俺が悪い。怒らせるつもりはなかった」 俺は申し訳なさそうな声でそう告げた。


「いや、お前は悪くない。俺も悪かった、小林。」谷口は息を吐き出すようにそう言った。まるで空気が抜けかけた風船みたいだった。「澪はいい子なんだ……。ずっとそうだった。あいつはちゃんと一線を引くんだ。俺にだって、まだキスさえさせてくれない。もう四年も付き合ってるっていうのに……。そんな澪が、ほかの男とホテルに行くなんてあり得ない。」


正直、感心すればいいのか、それとも同情すればいいのかわからない。でも……ご愁傷さま。


「もう全部終わりなのか……? あんなに幸せだった日々も、もう終わりなのか……?」谷口がぽつりとつぶやいた。


谷口は遠くの空を見上げた。無情に流れる雲の向こうに、わずかな希望でも見つけようとしているかのようだった。


「卒業したら、一緒に東京へ行こうって約束してたんだ。」


「東京?」


「ああ。澪が東大に行きたいって言ってたんだ。向こうで医学部に進みたいって。」


(へえ、東大か。ずいぶん大きな夢だな。田中ならきっと叶えられるだろう。でも、谷口は……ちょっと厳しい気がする。)


「お前、いつから医学に興味なんて持ってたんだ?」


「この顔が人を救えるように見えるか?」


いや、むしろ別の意味で病院送りにしそうな顔だけど。


「努力すれば、不可能なことはないよ。」


「じゃあ、努力すれば酸素ボンベなしで月でも呼吸できるってことなのか?」


「悪い、俺が間違ってた。そのバカみたいな励ましはゴミ箱にでも捨ててくれ。」


谷口は小さく笑うと、まだ楽しそうにバドミントンをしている女子たちへ視線を落とした。鋭かった目つきも、今は悲しみに曇っている。


「死ぬ気で努力すれば、医者になれるのかもしれん。でもさ、自分の身の丈くらいはわきまえないとな、と思う。実際、俺の頭なんて大したことないんだ。東大どころか、地元の大学にだって受かるかどうか怪しい。だったら、叶う見込みの薄い夢を追いかけるより、自分にできることをやったほうがいいだろ。」


ずいぶん現実的な言葉だった。でも、それが妙に男らしく聞こえた。なんでかはわからないけど、自分の息子でもないのに、少し誇らしい気持ちになった。


「俺は東京へ行く。でも、大学に行くためじゃない。浅草で伯父が家具屋をやってるんだ。そこで働きながら、澪と一緒に暮らすつもりだ。あいつが卒業するまでそばにいて、その間に俺たちの将来のための金も貯める。」


またしても、谷口は思い切ったことを口にした。その覚悟はあまりにもまっすぐで、思わず自分が情けなく思えてしまう。


「俺なんて今日の晩飯すら決まってないのに、お前はもう家庭を築くつもりかよ。全国の高校生を敵に回す気か?」


谷口は照れくさそうに笑って答えた。


「まだ予定だけどな。だから、そんな大したことないよ。」


「それでも十分すごいよ。」


「そうかもな。でも、そう思ってるのは俺だけかもしれん。澪は……もう別の未来を考えてるみたいだからな。俺には話せない何かを。」


谷口はまた沈んだ表情に戻った。遠くをぼんやりと見つめたまま、何も言わない。俺もそれに合わせるように口を閉ざした。


校庭では、バドミントンで遊んでいた女子たちがまた歓声を上げている。また一人、スマッシュが頭に直撃したらしい。素人同然のバドミントン集団は腹を抱えて笑い転げていた。まるで俺の友人の悩みなんて、自分たちには何の関係もないと言わんばかりに。なんて薄情なやつらだ。


「俺に何の間違いがあったのかはわからん。どんな理由だったとしても……きっと聞いて気持ちのいいものじゃないだろう。」


ようやく谷口がぽつりとつぶやいた。


俺は校庭から視線を外し、谷口へ向ける。あいつはもう一度まっすぐ立ち、正面を見据えていた。


「あとで澪とちゃんと話をする。もしあいつがもう俺を好きじゃなくて、あの男を選ぶっていうなら……その時は、この関係を終わらせる。」


またしても、谷口は男としての格の違いを見せつけてくる。そんなに何度も“オーラ”を振りまく必要があるのか。もし自分が女だったら、今頃もう惚れているかもしれない。田中澪は、明らかに金を捨てて得体の知れない石を選ぼうとしている。実にもったいない話だ。


「まあ、どんな結末になるにせよ、うまくいくといいな。くだらないことで三途の川を渡るようなことにはなるなよ。」


俺の言葉に、谷口は小さく笑った。


「安心しろ。昔みたいに荒っぽくはないから。」


「ああ、それは信じてるよ。」


谷口は、かつての自分から抜け出し、落ち着いた人間になろうと必死にもがいてきた。ここまで光の中へ這い上がってきたのだ。身の程も知らない女に裏切られた程度で、またヤンキーみたいな自分に戻ることになったら、それはあまりにも惜しい。そんなところで終わるような器じゃない。


「いろいろと世話になったな、小林。ここまで付き合わせて悪かった。」と言って、谷口は俺のスマホを返してきた。


そのスマホを受け取り、そのままズボンのポケットに突っ込んで、軽く答えた。「些細なことさ。気にするな。」


谷口が笑った。今度はもっとほっとした顔だ。


「お前は本当にいい奴んだ。今度、店に来いよ。うなぎ、食べ放題おごるから。」


「うなぎはあんまり好きじゃないけど。でも、タダなら断る理由ないしね。」


こうして谷口の一件は幕を閉じた。また一つの依頼が片付いた。わずかに甘酸っぱい余韻だけが残る。


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