ブラッドボーンの「左回りの変態」と「右回りの変態」、「上位者の瞳」を考える。
ガチ考察ではなく、読み物です。
私はゲームの『Bloodborne(以下、ブラボ)』が好きなのだが、ヘタレだからDLCまでは遊べていない。
そんな様子を知ったファンの人は、「DLCをクリアしてないなんて⋯⋯浅い好きだな〜」と思うかもしれない。
けれど、私はブラボの世界観を表す、「左回りの変態」といった言葉の深みが好きだから、少しだけ好きになった領域に違いがある。
何にしろ、ブラボが面白いゲームだと感じていることは、あなたと同じだ。
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「左回りの変態」の文字面は、変態さんが左回りをしているコミカルな場面をイメージするが、私はその意味として「退化」の比喩を感じている。
この「左回りの変態」とは、時計の針が進む方向と生物の変態を組み合わせた言葉だと私は感じていて、時計の針が左回り、かつ全体像が変態であることから、「変態という現在から時が戻っている」という言葉遊びだと感じている。
ブラボのEDには、「幼年期のはじまり」という物がある。このEDは、主人公が上位者になるEDだが、その様子は、左回りの変態的な外見上での退化であり、退化であるものの主人公の現存そのものが止まったわけではなく、いずれは、右回りの変態によって、主人公は完全な上位者へと進化する。
実際のゲーム内で「左回りの変態」を装備するとスタミナが上昇するわけだが、この「スタミナ」は、肉体的な体力だけではなく、「彼方への呼びかけ」といった神秘を使ったときでも消費されることから、身体を操作する「精神コスト」であると私は思った。
つまり、左回りの変態のその効果は、現在の肉体と相対した精神の向上を表しており、いずれは大きな変態を遂げる、いわば、準備期間、あるいは伸びしろを作り出すものであるとわたしは考えている。
見た目が軟体生物のように退化しても、中身まで退化しているとは限らないのだ。
次は「上位者の瞳」について考える。
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ブラボの世界では、上位者(=異人)から瞳を授けてもらうことを至上とする派閥がある一方で、実際に上位者の瞳を授けてもらった人間は、「白痴」と呼ばれる状態になってしまい「人」として壊れてしまった。
私はその様子から上位者の瞳とは、「物事の見方を永遠に変えてしまう新しい感覚のこと」だと感じた。
たとえば、私が「 わたしはある時から人間を食べ物として見ている。昔、異常な空腹感を経験し、飢餓状態によって脳がエラーを起こしてしまった 」と言う。
するとあなたは、「なるほど。そんな人間がいるのか」といった啓蒙(=この場合、上下関係はなく単純な知識としての体験や同調)を得たことになる。
そこからさらに、何らかの方法で「人間を食べ物と認識してしまう感覚」を完全に得たとき、あなたの脳には、上位者(=異人)の瞳が宿ったことになる。
こうなると、もう普通の人間には戻れない。
変わってしまった世界に混乱し、上位者の瞳が宿ったことで、白痴となってしまったロマのようになってしまう。
これは現実世界では、なかなかありえない話だが、もし何らかの方法で、平均を大きく外れた異人の感覚を得ることがあったとき、昨日までと同じよう生きていくことは難しいと思う。
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ブラボの世界には「啓蒙」と呼ばれるステータスがあるが、それが高まると、見えないものが見えるようになり、発狂の状態異常が溜まりやすくなる。
その様子は、異形であるアメンドーズなどが怖いから発狂するのではなく、土を踏み、硝煙を感じる「平坦な身体感覚」と、見えなかったものを解釈する際の「莫大な精神コスト」のズレから起きる「不和」が、発狂を溜めてしまうのだと私は思う。
――そういえば、このエッセイを読んでいて、私を「上位者のような言い回しで極めてナルシスト的である」と感じたなら、あなたは啓蒙が高まりすぎているのかもしれない。
私は悪夢に囚われた一介の狩人でしかない。この考察もきっと悪夢の一部でしかない。私は「私である」という感覚も、いまでは忘れてしまった。
あなたは、いずれ変態して上位者になるのだろう?
だったら、この悪夢にとどまってはいけない。
我々は、宙に浮かぶ変態を目指すべきだ。




