あの日の「ラプラスのキャベツ」を思い返す。
二昔前、一玉のキャベツを手に取った私の頭に、ある映像が叩き込まれた。
その映像とは、「手にしているキャベツを私が買わなかったとき、そのキャベツは他の家庭の食卓に並び、その後の献立や会話、次の日の言動、排便にまで影響を与える」という内容だった。
この時から私は世界に居心地の悪さを感じるようになった。なぜなら、私の些細な言動すら、他の誰かに影響する手触りが脳の中にあり、触れることのできない誰かの、「人生の責任」を持たされている感覚が常にあるからだ。
未だにあの日の現象に納得できていない。
結局、キャベツは買わなかった。気味が悪くなったからだ。けれど⋯⋯いま思うと――あのキャベツを買えば良かった――とすごく後悔している。
なぜなら、この感覚の始まりになったあのキャベツを平らげていれば、私をいまも縛り付けている「影響の責任」は、キャベツと供に私の過去になっていたのではないかと思うからだ。
月並みな言葉だが、怖い場面に遭遇したときに、その場から逃げるか、それとも闘う選択をするか。
その選択によって人生は大きく変わる。
私は「ラプラスのキャベツ」から逃げたことで、影響の責任に捕らわれてしまった。もし闘う選択をしていたら、ラプラスの悪魔の囁きを「気のせい」と一蹴し、いまも平穏に暮らせていたのではないだろうか。
自分が世界の一部であり、誰かに影響を与えている事実は確かにある。だからこそ、「言動の責任は重たい」と感じる感覚は、人である私には不必要なものだと思う。
これが何らかによる贈り物だとしても、迷惑であることには違いない。
本当に勘弁してほしい。




