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飢饉で食人をするきっかけを想像する



 私は考えていたり、真剣に物を見ていると、脳が血糖を消費しすぎてしまうのか、急激に目眩や冷や汗、震えや空腹感といった症状が出てくる。


大抵は、何かしら食べればその症状は治まるのだが、ある時、その先にある「領域」に入ってしまったことで、私の食べ物のカテゴリーの中に「人間」が入ってしまった。




 ある日、私は極度の空腹で目が覚めた。前日の夜もご飯をしっかり食べたはずなのに、目が覚めた私は、「ドライフルーツが食べたい」という思いに、頭の中を占領されていた。



それ以外考えられなかった。



 家を出てからスーパーに行くまでの間、唾液がずっと分泌され、何度飲み込んでも溢れてくる。頭の中に、概念としてのドライフルーツが置かれているため、唾液が止まらない。


そんな状況下で、私はすれ違う人々を「美味しそう」と見ている自分に気がついた。


無意識に人間の肌を見てしまうのだ。


筋肉質な腕や伸びた足。

年配の方を食べるなら香辛料が必要なのか。

グラム単位で考えると人を食べるのはお得なのか。


そんな考えが頭に浮かんでいた。



 スーパーについた私はドライフルーツを探した。総菜やパンではなく、「ドライフルーツ」がよかった。理由は分からない


 私が手に取ったのは、マンゴーのドライフルーツだ。歯触りと食感がよく、甘いマンゴーは自分の理想のドライフルーツだった。


食べたくて、食べたくて。


1つ買うだけなのに、

レジがもどかしくてイライラした。


完全に正気じゃなかった。


 家の扉を開き、玄関に立った私は灯りもつけずに、ドライフルーツにかじりついた。甘く、歯にまとわりつく果肉が頭に染みた。


一袋全部食べきった私は心が落ち着いたことに安堵し、――さっきのはなんだったのだろう――と少しだけ物思いにふけた。



考えてもわかるはずがないのに。




 その日から私の食べ物のカテゴリーには、「人間」が入っている。


そう言われると、とてもびっくりするかもしれないが、これは「人間を食べたい」というわけではない。


 人は、何か食べたい物があるとき、頭の中にある「食べ物リスト(=カテゴリー)」を参照して、食べる物を決める。


その食べ物リストには、「〇〇定食」や「刺し身」といった物が並んでいるけれど、CMや何処かで見た「体に悪そうな原色のガム」や「熊の手」、「昆虫」といった、自分は食べたくない物たちも並んでいる。


つまり、食べ物リストに並んでいたとしても、食べない or 食べたくない物 が存在していて、私の食べ物リストには、確かに「人間」は含まれているが、「食べたくない物」という認識がある。


だから、人を好んで食べたいとは思っていない。



 昔、日本で起きた大飢饉では、食人があったとされている。


私は自身のこの経験から、飢饉によって食人をした人たちも、何らかのきっかけによって、頭の中の食べ物リストに「人間」が入ってしまい、食べ物が無いことから、「人間を食べる」という選択をするしか無かったのではないかと思う。



つまり、飢餓状態での食人は、「気が狂っていた」、「意識がなかった」といった単純な話ではなく、何らかのエラーによって、食べ物リストに「人間」が混入してしまい、選択肢が無くなったために、人間を食べる選択をしたのではないかと思う。



――ちなみにだが、私はこのエッセイで、結果や意志、選択の話をしているわけではない。


「人間が人間を食べるきっかけの話」をしている。



私のこの経験は、おそらく珍しいものだ。


それをこうして言語化し、情報や視点の共有をする意思を持っているのも、珍しいものだ。


だから、矮小化せずに受け止めてほしい。


私が体験したことは事実なのだから。



いつか。

あなたにそんな体験が訪れたら。


「考えがあること」と「実行すること」には、

大きな違いがあることを思い出してほしい。


それを知らなければ、自分の綺麗なイメージが崩壊し、精神を病んでしまうだろうから。




【あとがき】


 いまでも、人間は食べ物と認識されている。ぼーとしていると、足を干し肉に加工したらどのくらいの可食部が残るのか、完成するまでにどのくらいの時間がかかるのか、といった考えがでてくる。


つまり、食べ物リストに混入してしまった異物は弾かれず、むしろ、より自然な形で日常に反映されてしまう。



 わたしはこれでも、スプラッター映画やグロテスクな話は苦手だ。意識的に見ない。痛そうだからだ。


それなのに、そんな映画に出てくる人間と同じような括りにいるのは、とても嫌な気持ちになる。



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