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人間関係の「アウトライン」はどうやって学ぶのか考える。



「アウトライン」とは、その線を越えたとき、致命的な問題が起きる“絶対に越えてはいけないもの”。





 私は以前、「犬が社会性を学ぶためには、親元から生後3ヶ月は離さないほうがいい」という話を見たことがある。


この『犬の社会性』とは、他の犬とトラブルになったときの謝り方、遊びに誘うやり方、噛む力の制御といった「他の命との付き合い方」である。


犬はそうやって社会性を獲得するようだが、人は「他の命との付き合い方(対人関係)」をどうやって学ぶのだろうか。



私はそれが気になる。

だから、考える。



 私の母親はパーソナリティ障害者であるが、他の命と付き合う上での「アウトライン」を微塵も理解していない。


なぜなら、仕事ばかりの両親がその後ろめたさを隠すように、幼い娘(=私の母)を甘やかして怒らず、それに加え、母は脳が早熟なタイプであったようで、10代の頃は、よく回る口から吐いた虚勢で乗り切ってきたために、誰からも向き合ってもらえず、「他の命との付き合い方」を学ぶ機会を逃したからだ。



 母の母親(=私の祖母)は、「なんで娘はあんな風になったのだろう⋯⋯」と呟いていた。


その一方で、自身が育てた愛犬が、誰彼構わず吠える様子を見て、「社会性が身についてないでしょう?私が過保護に育ててしまったから、社会性が身についてないのよ。娘みたいでしょ?」と言っていた。



 これはつまり、母も祖母の愛犬も、誰からも真剣に向き合ってもらえず、「他の命との付き合い方」を学ぶ機会がなかった。それゆえに、アウトラインを知らない、あるいは理解できない状態にあると私は考えている。




 道端で、男子小学生がすれ違いざまに同級生を叩く。すると叩かれた方は追いかけて、ヒモが外れかかった空っぽの水筒を振り回し、叩いてきた同級生にその水筒を使って反撃を加える。


水筒はランドセルと肩紐の境目に当たり、ランドセルの弾性によって「ボヨン」と弾かれた水筒は、そのまま叩いてきた同級生の後頭部に当たった。


反撃された同級生は「いって〜(+o+)」と言っている。



 よくある(?)光景だが、私はこれを「他の命との付き合い方」を学んでいる最中であると考える。


始めに叩いた小学生は、その手痛い反撃によって「叩いたから、叩かれた」という因果関係を体感学習する。


そして学んだ「〇〇を叩くと反撃される」といった小さな知識は、学びを繰り返し、脳が成長することによって、「人を叩くと反撃される」といったより広く、汎用性のある高次知識へと進化する。



その先に「アウトライン」が待っている。



 アウトラインの学習には、汎用性のある「他の命との付き合い方」を高次知識として学習できるくらいには、脳が発達、あるいは機能している必要がある。


なぜなら、アウトラインを越えた事で現れる「自分に向けられた次元の異なる怒り」を読み取り、それをいなして生き残る必要があるからだ。



 低次知識のような汎用性に欠けたものでは、精密な敵意の読み取りやいなしができず、致命的な問題をより強く誘発してしまう。


そうなると、命や精神の削り合いに発展するため、学習どころではなくなる。



 アウトラインを超えた場合、低次知識の主な武器である「形式謝罪」は通用せず、武器が通用しない以上、相手が自身の感情をコントロールしてくれることを祈るしかない。


もし相手の怒りの強度や怒りのポイントを抑えない状態で形式謝罪をしたならば、それは煮えたぎる油に冷水をかけるような致命的な問題を引き起こす。


なぜなら、それは謝罪どころか、状況を把握することを嫌がった“怠慢”と捉えられるからだ。



 低次知識段階でも、アウトラインの学習はあり得るのかもしれない。ただ、大抵は「俺は悪くない」といったより悪い方向への増長で事は治まる。



つまり、アウトラインの学習には明確なステップがあり、その者の学習態度や人に向き合われた回数(=やり返された、怒られたなど)によって、その学習が加速するといった感じだろうか。





【あとがき】


 「娘がなぜあんな風になったのか分からない」と言う祖母は、過保護に育てた犬と娘の姿を重ねている。


つまり、祖母は娘がパーソナリティ障害になった理由をなんとなく理解している節がある。


ちなみに、祖母も謝罪が下手だ。


 祖母は起きた問題を分析せず、かつ謝罪もせず、「家族だから」「親だから」というファンタジー語録で相手を説得しようとするため、ラインを超えたとしても相手の我慢に頼る低次な謝罪方法しかできない。


 素直に、「自分の至らない能力のせいで申し訳ない。問題を解決させてください」と、自分の把握している内容と相手の内容のすり合わせを行って、共に問題の解決を図り、改めて謝った上で、私の母のような経過観察が必要な問題ならその観察を自分が担い、相手の安心を作り出すだけなのに、なぜ祖母はこれができないのだろう。

 

 確かに工程は多いが、この謝罪の流れを状況に合わせて簡易的なものや、より高度なものにカスタマイズして使うだけなのに。


祖母は長く生きている。

そして武家の子孫でもあるのに。


本当に残念だ。



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