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ギフテッドを調べる上で困った事と当事者性



本文の「紅葉した情報」というワードは比喩です。





 私はこの通りの人間だが、自分を「ギフテッド」と思い込んだことがある。昔から誰にも分からない現象に悩まされ、その邪魔なものを押し込める箱としてその称号を利用していた。



 ギフテッドを調べる上で困ったことは、ギフテッド全体の傾向<マクロ視点>のものが多く、ミクロ視点を探してみると、マクロ視点を当てはめた「半マクロ的な物」が多く、ミクロ視点である独自の体験談が出てこなかったことだ。


私が必要としていた情報は「当事者の生の声」だ。それを見つめ、紅葉した情報は必要ではなかった。



 私がとくに欲しかったのは、「なんで能力のコントロールができないのか?」「なんで壁を見ると絵が浮かぶのか?」「なんで運動能力が飛躍するときがあるのか?」「なんで人をコントロールできるのか?」といった話だった。


そんな話を見つけて「あるある〜」といった共感によって、自分の能力の扱い方やその意義を理解したかった。


――孤独、というよりは、奥歯に挟まった物のように、四六時中付きまとう不快な感覚を早く解決したかった。



 みんながギフテッドや高知能者を観察して、オリジナルの図鑑を作ることに勤しむことは別に構わないのだが、「勉強ができた」「授業がつまらない」といった半マクロ的視点や「小さい頃に〇〇ができてたらしい」といった親から伝達された話は、飽和した砂遊びのようでつまらない。


もっと、「何言ってんだコイツ?」と思わせるような独自体験を、当事者が言語化した情報を読みたい。



「物事の理解が早い」

「話が飛ぶと言われる」

「記憶力がいい」


そんな話は飽きた。


本当におかしな人間であるなら、当事者として独自の体験談を持っているのではないのか?


――なぜ見つからない?

なぜマクロに自ら擦り寄った話ばかりになる?




 私は人間を食べ物として見ている。これは誇張では無く、あるきっかけがあって脳がおかしくなってしまったからこそ、こういった特徴をもっている。


だから、「人間を食べ物として見る」という、その人生の感覚を言葉にできる。


なぜなら、当事者であるからだ。



 他のエッセイでも言ったが、人間を食べ物として見ていたとしても、好んで食べたいわけではない。あなたが「虫」を食べ物だと知っていても、好んで食べない感覚と同じだ。


それが食べ物であると認識している事と、実際に自分の口に運ぶ行動には大きな隔たりがある。


だから私は、人間を食べない。


 そしてこの「人間を食べ物として見ている」と告白をする上で一番嫌なことは、「中二病」とレッテルを貼られることである。それはつまらない。


なぜなら、この告白を「創作に役立てて欲しい」と思っているからだ。


 人を食べ物として見ている人間は、映画や小説、あるいは刑務所の中に存在しているが、こんなにも安全な状態で、かつ自分の状況をここまで説明できる人間に近づく機会は一生に1度も無いはずだ。


そんな貴重な機会を「中二病」と勘違いしてしまうのはあまりにも勿体無い。


本屋にいけば「キャラクター設定図鑑」のような創作を助ける物はあるが、そこに人を食べ物として見る人間の「生の声」は載っていない。


だからこそ、当事者の生の声は重要なのだ。その声にこそ、その人たちの「確実な息づかい」が込められている。




 私が調べた限り、ギフテッドの情報にはそういった<ミクロ視点>による“独自の経験談”が無く、当事者性に欠けたものが多い。


私はその人たちが「ギフテッドではない」と言っているわけではない。


なぜ当事者がそんなにお行儀良く「ギフテッド」というパッケージに収まっているのか、理解ができない。



 本人たちは、孤独を抱えている匂いを出しつつも、当事者性を含んだ生の声で話すことを避け、ギフテッドのイメージに沿ったお行儀のいい話ばかりを繰り返している。その状態では、孤独を埋めてくれる「同族からの真の共感」を得ることは難しい。


なぜ?


特別でありながら、普通でありたいから?


あ、そうか。孤独だから、孤独をより強めそうな体験談は避け、社会が用意した「ギフテッド」というパッケージを使って自分の心を保護しているのか。




【あとがき】


人を食べ物として見る当事者として、そうなった経緯を知りたい人は『飢餓で食人をするきっかけを想像する』を読んでほしい。


↓ここからは「人を食べ物として見る人間」の日々の思考を出血大サービス。



私は人間を食べ物として見ている。

けれど食べたいわけではない。


それはもう説明した。


――が、無意識に人の肉を考えてしまう日常がある。正常であるはずの日常がいつの間にか異常に侵食されてしまう。



 不意に「人間のレバーも臭いのかな?」と思ったとき、「レバーの下処理として牛乳を使うから、人間のレバーの臭みも牛乳でとれるかな?――いや、豚や牛と食性が違うから牛乳では無理なのか⋯⋯?」といった事を考えてしまう。


他にも、「一般的にオス鶏の生殖器は食べないけど、人間の場合は血でそれなりに膨張するから、ヨーロッパにある血で作るソーセージとかいけるのかな?」とか考えたりする。


もしそんな料理を作れたら、とてもブラックで、ユーモアのある料理ができると考えてしまう。


それを食べて美味しければ、また食べたくなると思う。


――You(ユー) more(モア)。(あなたをもう一度)


そんな説明ができればより面白い料理になるよね。



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