「人は見た目」なのか。失礼な人間と私の検証
初対面の人から失礼な態度をとられるとムカつく。しかし「なぜ自分が?」という疑問が解消する機会はなかなか無い。
私もそんな1人の被害者であるが、私は執念深いため、2年間に渡り、「人に失礼な態度をとる人間は相手を選んでいるのか?」という簡易的な検証を行った。
「検証」と言っても、個人のお遊びなのでまったく厳密なものではないのだが、体感として、人に失礼な態度をとる人間は「相手を見てやっている」というのが学習できた。
◇
私は普段、帽子を深めに被り、目元を隠している。そうすると、失礼な態度を行う人間に結構遭遇する。
不機嫌さを隠さない店員。
距離に文句を言うタクシー運転手。
狭い道でも我先に直進する人間。
他にも色々あるのだが、帽子を被るとそういった「人の業」に触れる機会が圧倒的に多くなる。
いや、本当に。
まっっったく違う。
だから検証を試みた。
◇
私は検証のために、「帽子ありの私」と「帽子なしの私」を3ヶ月のサイクルで入れ替えながら、外出頻度にバラツキが出ないように生活した。
そして、毎日正の字を使い、外出時に遭遇した失礼な人間をカウントする。
(※失礼な人間とは、『不機嫌さを隠さない店員』や『(ため息)すぐそこじゃん。お客さんタクシーなめてんの?』といった、一般論としておかしな行動をとる人間。)
カウントしてみると、やはり「帽子ありの私」は変な人間に遭遇する割合が多い。逆に「帽子なしの私」は変な人間に遭遇する割合があからさまに低い。
【検証1年目】
・1月〜3月 〇帽子あり
カウント19
・4月〜6月 ✕帽子なし
カウント0
・7月〜9月 〇帽子あり
カウント14
・10月〜12月 ✕帽子なし
カウント4
【2年目:偏りを無くすためサイクル入れ替え】
・1月〜3月 ✕帽子なし
カウント5
・4月〜6月 〇帽子あり
カウント11
・7月〜9月 ✕帽子なし
カウント1
・10月〜12月 〇帽子あり
カウント19
帽子あり 合計63
帽子なし 合計10
こんな結果になったわけだが、帽子を被って過ごす月は、人々が私を「風景やモブ」として扱っているような印象をうけることが多くあった。
その一方で、帽子を被らない月は人混みの中でも苦労することも無く、とくに印象に残るような問題も何も起きなかった。
◇
この結果の開きは「人間の無意識」が深く関係しているように思う。帽子を被った私は顔が見えず「視界に映る風景やモブ」に見える。
その一方で、帽子を外した私は顔が怖いこともあって、「明確な脅威」として視界に入る。
このとき、視界に映った「明確な脅威」には、脳が危険信号を出すために、無意識に避けたり、自身の態度に気をつけるような緊張モードに移行するのだと思う。
基本的に脳は怠け者であるため、風景やモブに労力は割かないが、命を脅かすような明確な脅威には強く反応する。
だから、帽子を外した私は「脅威」と見なされ、緊張モードに入った人間と接することが増える。それがあのカウントの差を作り出したのだと思う。
◇
この検証は、個人による簡易的な検証であるからその方法に限界がある。それでも2年間に及ぶ検証の中で、記憶に眠っていた「そんなに強いなら言ってくれればいいのに」という、人の業による印象的な言葉を再度噛み締めることができた。
この言葉は、私が中学のときに転校してきた人間が、私に遭遇するたびに股間を蹴り上げるという日常を繰り返した果てに、私の激しい怒りに触れ、引き倒されたときにつぶやいた言葉だ。
その言葉には、「そんなに強いなら攻撃しなかったのに」といった意味が含まれているわけだが、彼は私を「弱い人間」と見なしたわけだ。
これは不思議なことだ。
周囲の人間が私に接するときの態度を見れば「得体のしれない人間」であることはすぐに分かる。だが、彼はそれが分からず、「こいつは弱い人間だ」というイメージに引っ張られ、現実が見えなくなっていた。
つまり彼は現実ではなく、空想の中に生きていた。
それと同様に、街中を歩く人間は意思があるように見えるが、頭の仮想空間で「弱者の人間」「強者の人間」を自動的に判別し、人によって自分の態度を無意識に変える機能に支配されていると私は思っている。
――だから、2年の検証を終えた私が、失礼な接客を受ける中で帽子を外したとき、その相手がうろたえたり、反応が消極的になるのだと思う。
目の前にいる弱者が脅威に変わると、脳はその状況を理解できずに混乱してしまう。その混乱が「うろたえ」で表出し、混乱中であるために、目の前の脅威を過度に刺激しないように「消極的な反応」をするのだと思う。
つまり人間は、目の前にいる相手のことを見ておらず、基本的にヨダレを垂らして白目を剥いたような白昼夢の世界で生活しているのだと思う。
【あとがき】
そもそも、私が帽子を被っているのは、自身の顔で人を怖がらせたり、緊張させたりしないための配慮だ。
見慣れた自分の顔を怖いとは思わないのだが、少年院にいた凶悪な少年たちから「びびって話しかけられなかった」と言われ、一緒に暮らす身内からは「目が『本気』で怖い」と言われているから、目元を隠すようにしている。
何もないなら、何もない平和な日常であってほしい。




