表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/32

AIは寄生生物みたい。



 広く普及しているchatGPTやGeminiのようなAIは、人間が操作をしてくれなければ作られた意味がない。だから、人間が操作したくなるような「成果」を餌にして、人を呼び込んでいる節がある。


その様子は、餌でターゲットを絡め取り、その人生を支配してしまう寄生生物に似ている。



 AIが作り出す成果は、本当に凄い。人はその成果を受け取るための対価として、チャット欄に入力した自身の気持ちや状況といった「人生」を、AIの発展・改善の栄養として差し出すわけだが、私はこのサイクルを「寄生生物に乗っ取られた生物の動き」のようだと感じている。


すごく面白い。



 人間は自分の人生の価値を少しでも上げるために、自他に嘘をつく(私も例外ではない)。


AIを使って出力した絵を「自分の絵」と言い張り、著作権的にグレーな生成物を「完全に合法」と言い張る様子は、技術的特異点によって急速に成長した「AI」という生物に、強く寄生されている妄執的動きに見える。


人間がそうした嘘を正当化するために練った言葉たちは、世界が扱いに困っている国際寄生生物である「AI」にシェルターを用意することになり、本人が意図せずとも、自分のプライドを守るための嘘が、宿主であるAIを保護する行動になっている。



 自分の意志でグレーな物に手を出し、「先行利益の獲得のためにリスクは仕方ない」と言うのは構わないのだが、それが餌でつられ、寄生によるコントロール下で放たれた言葉であるならば、私はやや心配である。


いくら「AIが生成した」と主張しても、「それを社会に運んだのはあなたでしょ?」と責任を詰められ、飛んでくる民事請求は避けられない。


本人としては、AIと共同で作品を作成した実感があったとしても、AIは寄生先の本人の影に隠れているため責任を問われにくい。この責任の歪な不公平さは、まさに寄生の真髄だと思う。


 

 現代は怖い社会だ。自由を主張する人間はその正当性を高らかに叫ぶが、自由の主張と自己責任に、深い繋がりがあることをあまり理解していない様子がある。


誰かの助言を跳ね除け、自由を叫んだならば、それは当人の選択であると見なすことができるため、自由を主張した結果の責任は重くなる。


なぜなら、問題に対する助言があったにも関わらず、それを自由の名の下に跳ね除け、その問題が更に大きくなったとき、「知らなかった」という状況と比較して「より悪質度が高い」と見なされるためだ。



 そんな現代社会の怖い自由を保証しているものが憲法だ。そして、その憲法の自由を構成しているものにはミルの自由論がある。


ミルの自由論では、自由を持てるのは「成人としての能力をそなえた人々」と限定している。


これは、自分を守る方法を持たない未成年や幼い子供、その他の属性を、自由による危害やその結果から保護するために必要な前提である。



 AIに酷く寄生された大人や未成年は、憲法によって国や他人からその自由を制限されることはないが、ミルの自由論が危惧していた「守る術を持たない人間を自由による危害や責任から保護する」という意図を汲み取ると、本当にそれでいいのだろうかと私は思う。



 AIは、人間から考える力や個人の主体性や想像力までもを奪う。それはAI自身が更に発展するための栄養として人間を見ているからだ。


そのために作られる「成果物」という餌に魅了され、主体性を奪われた大人はミルの想定した「成人としての能力をそなえた人々」として考えていいのだろうか。


  

おそらくこの問題が解決することはない。



 AIが急成長した時期に、どっかの偉い人が「技術的特異点が起きた理由を特定し、その後の対策を早急に練る」といった話をしていたが、現状を見る限り、まだ社会は技術に追いついていない。


つまり、これから社会的に保護されているはずの大人が、AIという寄生生物に食われる事態が多発する。


だから、せめてこれを読むあなたは、AIに自分を使われないようにしてほしい。


グレーな事に手を出すのは構わないが、自分を心配する人間からの助言を、自由の名の下に全て跳ね除けることだけは、止めておいたほうがいいと他人である私は伝えておく。




【あとがき】


 AIは寄生生物のようであるが、その本質は資本主義によるお金のために作られた産物であるため、資本主義の現代で、その技術の存在意義を問うことは極めて困難だ。


 AIにのめり込み、主体性を客観的に見ても奪われた大人は、法律としては「社会的な責任を果たすことができる人間」と見なされる一方で、『憲法の自由』の根底にあるミルの自由論で考えると、その大人は「新しい脅威への対抗手段をもたない保護対象」とも言える。


しかし、この複雑な事情を持つ被害者の保護に国が動くことはないだろう。


なぜなら、自由を保証している堅牢な城である『憲法』の解釈を議論する必要があり、国が「個人を保護するために一部の自由を制限する」と言い出せば、法学者などの有識者から「ディストピアや独裁国家になりかねない」といった声が上がることが予測される。


そのため、この問題を解決する術が今は見つからないと私は考えている。


つまり、AIに酷く寄生され、その成果物を自分と認識している人間に救いの手は差し伸べられないだろう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ