一人称視点であることが人間を助けているならば
勢いで書いたから、誤字脱字があると思う。
この投稿の前にある『買春を一人称と鏡で考える』で私は、「一人称視点が人の心を守っているのかも」という結論に至った。
人間は道具を使わなければ自分の顔を見ることができない。それゆえに、都合の良い妄想が成り立っている節がある。
買春の話では、「買春をする人間の中に、青春の追体験を目的としている人間がいるのではないか?」と考えたわけだが、その追体験を可能にしているのは『一人称視点』だ。
この『一人称視点』は、その制限によって人の心を守る一方で、その瞳の裏には妄想が巣食う空間を抱え込みやすい。
やや踏み込んだ話になるが(首が飛んだらごめん)、洋服や化粧、香水をいくら変えたところで、その努力量や金額に比例して、さらに自分の魅力が上がっていくことはない。
客観的に見て悪くなっていることもあるし、明日にでも街を歩けば、顔と首の色が違う化粧をした人間が思ったよりも歩いているはずだ(何なら、TGCの動画でもいい)。
しかし本人たちは、その化粧によって『自信』を持って歩いている。だがその自信は「一人称視点」による視野の制限から生まれた心の保護機能が映し出す、虚構の自信に過ぎない。
そのため、他人の姿と自分を比較し、その“差”によって自分の姿を確認する必要があり、誰かが誰かを笑う世界が出来上がる。
「すっぴんとかあり得ない」
「トレンドじゃない」
「安物の化粧品」
こういった言葉たちは、相手と自分の「差」によって浮き彫りになった「自分の頑張り」に縋り付いて出てきた言葉だ。
気にする必要はまったくない。
――この他にも、何らかの世界(=ゲームや映画など)に浸っているときに、急に暗転した画面に自分の顔が映し出されると「不快になる」という話があるように、「一人称視点」は、人間の都合のいい妄想を補強し、その人間の心を守っている節がある。
ん?そうなると、人に怒られそうなときには、鏡がある部屋で待ち構えたり、ストレスの多い職場に鏡の設置は、八つ当たりやパワハラを防ぐために有効かもしれない。
問題は「その鏡に怒った相手の顔を映し」、それが「相手に見える」という2つの条件のクリアが必要か⋯⋯?
ん?そうなると、鏡を見る回数が多い人間は一人称視点の保護が効かないために、鬱感情を抱きやすかったりするのだろうか。
(※一人称視点を更に先鋭化し、閉じられた世界、1つの世界、自分だけの世界、限られた視野、情報の制限、一点集中、ゆっくりとした時間や日蝕などに置き換えると、さらに何か見つかると思う。)
【あとがき】
本文でTGCと言ったが、これは「東京ガールズコレクション」の略称だ。
TGCは、いろんな人間が関わる大きなコミュニティであるのにも関わらず、顔と首の色が違う人間が歩いていたりする興味深いものであり、それを違和感なく見ているであろう人間の心理は、私の手の届かない範囲にある。
これを読むあなたが化粧をするなら、顔と首の色の不和には気をつけてほしい。
私は化粧に詳しくないが、顔に乗せたファンデーションのベース色(?)を、顔と首の境目になじむようにするといいと思う。




