「ここにいるよ」と聖域
私は分からないことは24時間考えてしまう。感覚としては、何をしていても頭の中でずっと「Loading」という画面が出ているような感じだ。
そんな性質がある私は最近、とあるキャラクターが「ここにいるよ」と言ったことが変に気になって、その自分の反応の理由を考えることに多くの時間を割いていた。
そして分かったことがある。
私は「聖域」を求めている。
◇
私は気高い異性が好みだ。そして理想の交際関係は、お互いが「あいつは生きている」という確信をもったまま、互いに関わらない関係だ。
連絡やデートもない。
私が入院しても、見舞いはいらない。
ただ「あいつは生きている」と信じる心だけが、お互いを支える関係。いわば、お互いが相手を「決して崩れない聖域」にしてしまう関係性が理想だ。
私が「ここにいるよ」というセリフに反応したのは、そこに「崩れない聖域」を感じたからだ。
私がどんなことになろうとも、聖域だけは決して変わらない。私がやがて立ち還る場所。
その場所こそが私の「聖域」なのだ。
◇
私が聖域を求める理由も考えてみたが、私は人だったものが脆く崩れ、その歪な中身が出てくる瞬間を多く見てきた。
追い詰められた人間が自分を正当化する方法を見つけた「顔」。
自身のストレスを弱者にぶつける正当な理由を掲げた「顔」。
善人のフリが上手くできている、と思っている歪な表情が張り付いた「顔」
どれもよくある話でありきたりなものだが、
私はそんな人間をもう見たくない。
飽きた。変化がない。
違う人間なのに同じようなパターン、同じような言い訳、同じような「顔」。
まるでこの世界にその人が居ないみたいだ。
そんな考えがあるからこそ、私は「決して崩れない聖域」を求めているのだと思う。
――とは言え、通常であれば、聖域化した相手は『物』に成り下がる。
その『物』という観念を突き抜け、私の感覚にノイズを走らせる人間は、ほとんどいないだろう。
つまり、聖域は限りなく存在しない。
夢は、夢のままだからこそ無害で、
そのままで良いのだろうな。
【あとがき】
私が思うに、大抵の人間は「決して崩れない聖域」を持っている。それはお金だったり、家族だったり、プライドだったり、推しキャラや好きな界隈など、ジャンルは違えども、そのどれもが、人の明日の生命活動を半分だけ保証してくれるものだ。
より噛み砕いた言い方をすれば、「聖域さえあれば辛いことも頑張れる」といった感じだろうか。
――ときに、街中で鞄にキャラクターのグッズを付けている人間を見かけたことはあるだろうか?
あれは私からすれば、まさに聖域を持ち歩いているのであり、それがあるからこそ、頑張れることもあるのだろうなと思って見ている。
私にはそういった物が無い。
ほとんどの物事は学習材料であって、私の心を掴むものはなく、「お!これいいな〜」と思ったとしても、数時間後には学習の材料になっている。
こんな性質、持ちたくなかった。




