「自分のもの」ってなんだろう?
哲学的な話になるかもしれないけれど、私はよく「自分のもの」って何なんだろうって考える。
「自分のもの」って聞くと、「所有物」である洋服や家電などを思い浮かべるけれど、私が言っている「自分のもの」とは、遺伝子に関わらない「私(=ぽぴ)のもの」のことだ。
たとえば、「身長が高い」「子供の頃から特別に頭が良い」とかは遺伝の影響が強く、それらは自分が努力して得た「自分のもの」ではないと私は感じる。
身長は努力しなくてもある程度は伸びるし、子供の頃から特別に頭が良いとかも、勝手に脳神経が発達してくれているわけだから、そういった素質みたいなものは自分のものではないと感じる。
私の場合はとくに、「精神力(=根性みたいなやつ)」や「下半身の柔軟性」が人より秀でているけれど、これは幼い頃からなので、明らかに自分が努力して得たものではない。
下半身の柔軟性にいたっては、小さいころから今に至るまで、とくに柔軟をしていないのに、立ち上がった状態からの前屈で、床に手の平が付かなかったことは1度もない。
「精神力」も見えにくいものだから、人との基準をズレさせる要因になる。そんな自分にとっての普通が、人を傷つけてしまうのは構造的にも良くない。
だから、どちらも気味が悪い。
◇
「自分のもの」が分かると、それは「自分自身」、あるいは「自分を形作るもの」であるだろうから、自分の姿がぼやける日が来ても、また取り戻すことができる。
そうすれば何度だってやり直せる。
――とは言っても⋯⋯「自分のもの」というのがいまいち分からなくて、今は「自分のもの=経験の先にある結果」なのかなって思ってる。
私は以前、不安障害を患っていたが、それを自力で克服できたのは、間違いなく生まれ持った精神力のおかげだ。それは間違いない。
しかし、それを克服した「結果」は自分のものだ。
なぜなら、「精神力」は道具に過ぎず、それを自分の意志で使った結果、生まれたのが「克服」だ。
精神力は単体で存在するだけでは何もできず、私がそれを使って初めて意味ができる。その意味は結果を生み、その結果こそが「自分のもの」と言えるものだと私は思う。
【あとがき】
「その選択や結果も遺伝の結果じゃん」と言う人もいるだろうし、ラプラスの悪魔的な「世の中のことは全てが必然だよ」という人もいると思う。
この2つは結果論に過ぎないと私は感じる。
以前、そんなふうに遺伝で結果が分かったり、世の中の必然を判別できると言った人に、「私が明日なにをするのか教えてほしい」と聞いたら答えてくれなかった。
曖昧な答えでもいいから、間違っててもいいから、その人の意見や考え方を知りたかった。すごく残念な気持ちになった。
私はありきたりな言葉に向かって話しているのではなくて、その人に向けて話していたから侘びしい気持ちになった。




