第49話 アンバーボルト教授の日記
研究室にアンバーボルト教授はいなかった。
一応、差し入れしてくれたあの草がどこのものかは知ってる。だけど採りに行くのは現実的じゃない。遠いんだよね、セイアッド帝国って。
「う〜ん、どうしよっかなぁ」
「どうもこうもねぇだろ。肉探しに行くぞ、肉」
「ちょっと待って」
「あん?」
ユックが出て行こうとするのを一蹴りして止めて、研究室を解析する。
「あ、その棚に教授の日記があるよ。美味しい草のこと書いてあるかも。売ってる所とか書いてないかなぁ」
「は? いや、おい――」
異常に整頓された研究室にしては不自然な感じで紛れ込んでた日記を手に取ると、ユックに腕を掴まれた。
「なに?」
「なに? じゃねぇよ。他人の日記を勝手に読むとかありえねぇだろ」
「……なんで?」
知りたい情報があるかもしれないんだから見るべきじゃないかな。
「はあ……お前は本っ当に常識がねぇのな」
「むぅ、公共のトイレで疑似繁殖行為をするユックに言われたくないよ」
「なっ、ばっ、それは今関係ねぇだろ」
どうしてだろう。常識の話でしょ? 関係ないわけないじゃん。まったくもって意味がわからない。
でも身振り手振りを交えながら、ああだこうだと言い訳するユックに反論すると面倒臭そうだから、うんうんって言いながら日記を開いた。
「……うわぁ。読むんじゃなかった。ユックも見なよ」
「最低ってのはお前のための言葉だな」
酷く罵るくせにユックだってしっかり日記を受け取ってバッチリ読んでるじゃん。むしろ僕より読み込んでるよ。
「お前、草ごときのためにあのババアを強請るつもりなのか?」
「はぇ? そんなことしないよ? ていうかアンバーボルト教授はババアってほどじゃ……」
僕のことをものすごく訝しんできたくせに、ユックは手に持った日記をそのまま懐に収めた。その流れるような手付きはあまりにも自然で、手癖が悪いなぁと思うまでに数秒かかった。
「二千年以上生きてんだから立派なババアだろ」
「え〜、それは偏見じゃない?」
日記は役に立たなかったから、他に草と関係ありそうなものは……あ、床下収納見っけ。
椅子をどかして机の下に潜ろうとしゃがんだ僕の隣にユックがくる。お陰で狭い。でもちょっと楽しい。
「日記にも書いてあったろ。あいつは紛うことなきババアだ」
「でもさ、アンバーボルト教授って全種統一換算年齢だと四十歳とちょっとくらいだよ。正しくはおばさんじゃないの?」
床下収納はけっこうなレベルの高難度魔法陣で閉ざされてて、解析だといまいち中の様子が掴めない。ただ、魔法陣には時間遅延と常時冷却や保存の呪文も組み込まれてるから素材の保管庫なのかも。あの草もありそうな予感がする。
特段気にするようなトラップがあるわけじゃないし、これはバカ正直に無効化するより、ぶん殴って壊した方が早そうだね。
「長命種の四十過ぎなんて短命種からすりゃババアなんだよ。なのに若ぇ男狙いで婚活に参加するとか図太いババアだぜ、あのアンバーボルトって女はよ」
元々ユックが女の子にやたら厳しい。アンバーボルト教授にはそれを上回る厳しさだ。それはきっと皆でこの大学へ来た日に起きた事件のせい。
僕はメネスを探し回ってたから、実際の現場は見てないんだけど大騒ぎだったんだって。
「そういう感覚はよくわかんないや。でもユックだって――」
「誰がババアですって?」
言いながら拳に魔力を纏わせてたら、突然凍てつくような声が聞こえてきて体がビクッと跳ねた。
痛てて、頭ぶつけちゃったよ。
次の瞬間、机がしゅわっと薄い雲みたくなって、正面で仁王立ちしてるアンバーボルト教授の姿が露わになった。
「ここで何をしているのかしら?」
教授の額にはぶっとい血管が浮き出てて、頬がピクついてるや。これは相当お冠だね。
「ユックがババアババアって言うからだよ。謝りなよ」
「は、はあ!? お前だってババアで納得しただろうが。つか、ババアてめぇいつの間に――おぶっ!?」
謝らないどころか直でババア呼びしたのも、四つん這いのままだったのも良くなかったね。
ユックは床板から猛烈な勢いで生えてきた丸太に顎を砕かれた。血を撒き散らしながらのた打ち回ってて、ものすごく痛そう。
僕にも丸太はぶつかってきたよ。けど、僕って頑丈だからさ。つるぴか無傷だよ。ごめんね、僕だけ。ちゃんと後でユックに顎を砕きを頼むから許してね。
「よいしょ……っと」
とりあえず立ち上がる。追撃を警戒しながらね。悪いけどユックは放置するよ。あ、顎砕きに加えて放置も頼まなきゃだね。ま、それはいいとして……
「え〜っと、気が済んだ?」
「……」
教授はいつもの冷徹さからは考えられないほどの煮え滾る殺意を放ってる。
「ユックがババアって言ったことは謝るよ。ごめんなさい。それでね、僕、こないだ教授が一般ラウンジに差し入れしてくれた美味しい草が欲しいんだ。まだある?」
「……0歳児でももっと上手におねだりできますよ、イコルア」
え、そうなの? ……ああ、そうか。僕って甘え下手なんだ。じゃなきゃ三万年も我慢しないか。そっか、そっか、なんか納得。それから反省だ。これからはもっと皆に甘えよう。じゃあ早速!
「ばぶばぶ。草、欲しいばぶ〜――ぶっ!?」
言われたとおり0歳児っぽくやり直したのに、強烈な風魔法を纏わせたビンタで張り倒された。
そこら辺の学生だったらこれ、首から上が脳細胞の破片も残らないくらい木っ端微塵になってたよ絶対。
「ところでイコルア。ロイとオルは使い魔なのかしら?」
「なんのこと?」
起き上がりながら聞き返すと「今のは私の授業をサボった分です」だって。
わ〜お。体罰即解雇のこのご時世に、超強気な教育を実践してるんだねアンバーボルト教授。ていうか、ジェダが迎えに来なかったら、今日の授業に僕は必要ないのかと思ってたんだけど……。
「次は研究室に侵入した分、その次は――」
「え、待って。勝手に入っちゃダメだったの?」
「当然でしょう。ここは私の研究室です。原則、私以外の立ち入りは厳禁。あなた方は私なのですか?」
ふぁ、突然の哲学……? なわけないよね。
「じゃあなんで庭園のトイレから自由に入れるの? おかしくない?」
「……では次に、私をババアと罵った分です」
あ、封鎖し忘れたんだ。絶対そうだよ。あの日、丸出しベトベトのユックが転移してきたってのに、封鎖し忘れてたんだ。
「それはユックだけだよ。僕はちゃんと、正しくはおばさんじゃないの? って歳相応の呼び方を――へぶっ!」
また張り倒された。全然見えなかったよ。教授の固有スキル、やっぱりチートが過ぎる。
「覚えておきなさい。オバサンとババアは同義なのです……何をゴソゴソしているのですか?」
「いや、ちょっと……」
ゴソゴソって、殴られた頬をさすっただけなのに酷いや。あと隣で転がってるユックの様子を見たりもしたけど……ていうか教授の言うオバサンと、僕の言うおばさんとじゃニュアンスが違うんじゃないかな。でもまあ頷いておこう。
「わかった。覚えたよ。それじゃあ草くれる? ユックたちにも食べさせてあげたいんだ」
「はあ……あの草は今手持ちがありません。休日にでも町の薬草店へ行ってみなさい」
「ありがとう。じゃあ行こうか」
自己修復装置のお陰でとっくの昔に元気になってたユックの足を掴んでおいてよかった。ユックってば一人でこっそり逃げるために、連結スキルの管理マニュアルをNo.9と入れ替えてたんだよ。
「待ちなさい! 午後からの授業もサボる気ですか!」
ユックと一緒にすっ飛んで逃げた僕に教授はどデカいウィンドアローをぶち放ってきた。




