捕う。
「逃がしてくんね?」
仮面の男……『尾っぽ』と呼ばれたそれが、真紅の脚を身につけた残陽隊長に向かってそう言った。
たぶん……そう言った……。
なんとか張り詰めて保っていた僕の意識は、残陽隊長と室長が到着してから急速に薄れていっていた。
多分、安心したんだと思う。
強くて重たい睡魔みたいな感覚が、僕の弱った体と心を足がかりにして、意識をゆっくり深い場所へと沈めていく。
「君たちはすぐラボから出るといい。もしあの二人が本気でやり合また場合、私には君たちに対する確実な安全を保証することはできない」
最後に聞いたのは室長のそんな声だった。
不安の中、僕の意識は、孤独な暗闇に沈んだ。
『尾っぽ』。
最高ランクである“エスト”の称号を付けられた者の1人。
彼が初めて確認されたのは、ある小さな事件であった。
東京某日、ガテン系の職業についていたある壮年の男性が、バイオウドに襲撃された。
男性はひどく衰弱しており、意識不明。
某日から現在に至るまで目を覚ましていない。
バターは男性を襲撃したそのバイオウドの特徴から、個体識別名を『尾っぽ』、ランクをlowestとし、捜査、捜索を行なった。
だが、バターは『尾っぽ』の危険度をみくびっていた。
男性が襲撃されて以来、『尾っぽ』によるものと思われる事件が多発したのだ。
事件の発生地域も日本全土で確認され、先日確認されたにしてはおかしいものであった。
中には、沖縄で確認された同日、熊本で確認されたなどという事例もあった。
彼はその頻度、被害から、早急にランクの見直しが行われ、わずか一週間でランクをhighへと再定義するという処置がなされた。
そして、民間人への被害が多かった『尾っぽ』は、最優先討伐対象となり、警察などと連携して、捜査、捜索が進められた。
それから数日。
『尾っぽ』捜索、討伐にあたっていたハイヤー隊のうちの一隊が、バター本部へと連絡をよこした。
内容は、「我々は討伐対象である『尾っぽ』と遭遇。戦闘を行ったところ我々では対象できないと判断し撤退。万全を期して、現在付近にいるハイエスト隊を二部隊、ハイヤー隊を二部隊招集。我々を含む合計五隊での討伐に挑む」とのことだった。
ハイエスト隊を率いていた者の内一名は、現在est職員となっている者であった。
結果は敗北。
死者こそでなかったものの、重症多数、撤退を余儀なくされた。
estとなった彼は、当時こう語った。
「奴は、木の幹を歩き、ビルの外壁を歩いた。そして一本の尻尾を使い、あらゆるものを薙ぎ払った。そしてあらかた我々を叩きのめすと、奴は忽然と姿を消した。まるで我々を、嘲笑うかのように」
ハイエスト隊二部隊、ハイヤー隊三部隊もいたにもかかわらず、逃走を許した。
しかも、一切の死者すら出さず弄んだ。
それはもはや、highestと呼べるようなレベルではなかった。
バターはその結果を考慮し、『尾っぽ』のランクを“エスト”へと引き上げる、と、最終定義を下した。
そして現在も、『尾っぽ』のものであろう事件は増え続けている。
「いや〜! やめてくださいよ〜! 別に俺ちゃん戦いに来たんじゃないんだからさぁ〜?」
ビルの壁に立つ尾っぽの沢山の声が混じり合った声が、痛みに喘ぐバイオウドの声に混じる。
「それは無理な相談だな」
残陽の声が、さらにそこへ混じった。
「なぁ〜んもっなんなんなんなぁんもう! なぁんでなんスかいいじゃないっすかぁ! 僕なぁんもしてないっよぅ?! ……え? いや何? まぁ別にね? マジでただ見学しに来ただけだったんすよ? でもまぁ? ここでいっちゃちょい暴れして? 俺様の危険度ってやつを再確認させてやったっていいかなって! そうすりゃテメェらも迂闊に手は出せなくなんだろ! オメェら最近鬱陶し……」
言い終わらないうちに、残陽が尾っぽへ縦薙ぎの蹴りを繰り出した。
「お!?? びっくりしそう!!」
尾っぽはその蹴りを細く長いしなやかな尻尾で受ける。
残陽が、尻尾を踏み台にして、飛び上がった。
「ん? あやべっ」
その衝撃で尾っぽの立つビルの外壁が、剥がれるように崩れた。
そしてそのままの勢いで、地面へと叩きつけられる。
砂埃が舞い、尾っぽを中心にしてアスファルトの地面に亀裂が入った。
尻尾で砂埃を振り払いながら、尾っぽは上半身だけを勢いよく起こした。
「痛って〜〜ー! テメェ! 他人を足蹴に……他バイオウドを足蹴に! 人として…………合ってるか……。人としてどうかと思うんだがっ!??」
飛び上がった残陽は、ビルの外壁スレスレを、高く、高く飛んでいく。
残陽は空中で姿勢を制御すると、身を翻し、足先から空へ落ちていく姿勢になった。
そしてそのまま、自身の腰両端に装備された装置を操作した。
T字のハンドルを両装置上部から引き出し、両手を使って両装置の中心を左右同時に押し叩いた。
『melon。バーストアップ』
梅雨の声が鳴り、オレンジ色の装置から優しい緑色の光が灯された。
オレンジ色の網目が、装置表面に残っている。
真紅の脚には、元から入っていた黄色い線とは違う緑色の線が新たに加わった。
残陽はビルの外壁に脚をかけブレーキをかけた。
ガリガリと外壁が削られ、その勢いが弱まっていく。
そして完璧に勢いが止まると、ガシャガシャと音を立てながらビルの外壁を真っ直ぐ駆け下り始めた。
地面から垂直に建つビルの外壁を、まるで地上を走っているかのように容易く。
「おっほ〜! すんごいねぇ! やっぱestともなると人間と言えどバケモンじみてんね!」
尾っぽは駆け下ってくる残陽を、額に手を当てて見上げた。
「ま、でも? これ以上はサービス無しよん?」
残陽が、その勢いのまま、尾っぽへ向かって強烈な飛び蹴りを繰り出す。
その攻撃を、尾っぽは軽くひらりと躱した。
そのまま尻尾を電柱に巻き付け、今度は尾っぽが空中に飛び上がる。
標的を見失った残陽の飛び蹴りは、尾っぽが作った小さなクレーターのできた地面へと炸裂した。
アスファルトが捲れ上がるほどの衝撃が、地面へと走る。
地面が波打ち、ビルが浮き上がった。
「estってみんなこんななの? 災害ぢゃん。梅雨が常穏ちやん移動させてなきゃ余波でボンだったぜ?」
残陽が尾っぽと戦闘している頃、梅雨は戦いの余波から周囲の者たちを守っていた。
情たちを一箇所に集め、負傷者に応急処置を施し、瓦礫や振動から守っていた。
避難はできない。
梅雨はじっと尾っぽと残陽の戦闘を観察している。
「…………………………。」
確かに残陽はestの名を冠した者だ。
階級だけ見れば、現状この施設内での最高戦略。
いや、世界から見ても最大級の戦力であると言えよう。
しかし、それでも“エスト”と呼ばれる者たちの実力は想像を絶する。
それは、かつて起こった事例__。
“エスト”『侵攻する個体』。
大陸を渡り歩き、たった一体で国を滅ぼしたバイオウド。
そのバイオウドは、怪人態という高位のバイオウドのみ扱えることが確認されている形態を会得していた。
さらに蹂躙態、侵攻態と呼ばれる独自の形態を会得しており、その力を持って、国から国へ、次々と侵攻を続けていた。
『侵攻する個体』、それが通った後には。
人類も、バイオウドも、一才の生命の気配が消え去っていた。
そして、それを討ったのが他でもない。
『尾っぽ』だ。
世界各国に甚大な被害を与え続けた『侵攻する個体』は、次の侵攻先を日本へと決めたようだ。
日本海を渡り、日本に接近している反応を、長年『侵攻する個体』の動向を警戒していたバターの職員がとらえた。
が、その反応は日本へ上陸すると同時に、忽然と姿を消した。
以下、最終音声。[翻訳済み]
「なんなん!?? にっぽんごじゃねぇとわかんねぇっつってんだろッ! おい日本語喋れぇ!! ……あれ? もしも〜し? 聞こえますか〜? 日本語を〜、話してくださ〜〜い」
あ”あ”あ”あ”あ”猿”猿”猿”猿”猿”ッ!! 気持ちの悪い猿”ッ!!!
「だぁから何言ってっかわかんねぇよ! 死んでくれぇ!!」
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね見ているだけで吐き気がするッ!!この世界から……消えろ”お”お”ぉ”ぉ”お”お”お”ッ!!!!!
「わかんねぇ何言ってんだお前はあぁぁ!! テメぶち殺すぞおぉぉっ!!!!! んじゃ、殺しますね〜」
戦地となった場所には、もはや原型すらとどめていない『侵攻する個体』の死体が残されていた。
言葉がわからない。
たったそれだけの理由で、一国を滅ぼした存在に挑み、殺害した。
危険度は未知数。
現在確認されている“エスト”の中で、最も気まぐれで、行動理念が不明なバイオウド。
それが『尾っぽ』だ。
いかにestであったとしても、単独での交戦などあり得ない存在。
本来ならば他のestに加え、ハイエスト、ハイヤー、ハイの職員を可能な限り導入し討伐にあたるほどの存在だ。
だからこそ、梅雨は動けない。
残陽に加勢すれば背後の五人は間違いなく巻き込まれ死ぬだろう。
かと言って避難させるにしても私がそばにつかなければ余波に巻き込まれる。
避難させている間、残陽が尾っぽと戦闘を続けていられる保証も無い。
そして加勢しなければ、尾っぽを討伐できる可能性は限りなく低いだろう。
……最悪の場合ではあるが、彼らを見殺しにする事も視野に入れなければな……。
「それじゃあいっちょ! かまさしていただきますかぁ!! 少々強めの……!」
梅雨がそうな事を考えていた時、空中にいる尾っぽの声が響く。
尾っぽが、再びポケットに手を突っ込んだ。
と同時に、尾っぽの腰から生える尻尾が消える。
「一発」
瞬間、巨大なビルが斜めに両断された。
巨大なビルであったものが、残陽に向かって降ってくる。
残陽は、強く地面を踏み込み真っ直ぐ上昇すると、真紅の脚で巨大なビルにドロップキックを繰り出した。
そのまま貫くと、ビルの反対側から飛び出た。
ビルの残骸が地面に激突し、轟音が鳴り響く。
とてつもない風が巻き起こり、尾っぽが落ちてきた時とは比にならない量の色のついた風が周囲に吹き荒れた。
「うっ!!!」
梅雨の背後に立っていた天存 未来が、眼前まで迫った爆風に備えて目を瞑り、腕を顔を守るようにして前に出した。
「…………?」
だが、爆風は天存を襲う事なく、天存たちを避けるように少し手前でかき分けられた。
梅雨が『溜め撃ち(チャーシュー)』を使い、その爆風から背後の天存たちを守ったのだ。
「梅雨室長……! すみません……私たちがいるせいで……」
天存が、梅雨への謝罪を述べる。
「いい、この場合において君たちに取れる選択肢は私たちを頼ること以外他に無い。予測できなかった我々のミスと捉えてもらっていい、気にするな」
梅雨は振り向かず、天存の謝罪に返答した。
盾型武器の『溜め撃ち(チャーシュー)』を構えたまま、微動だにしない。
視線の先には、飛び上がった尾っぽと残陽。
尾っぽは、まだポケットに手を突っ込んだままだ。
「やるぅ! 冷静な判断だねぇ〜! あの落下! 超巨大高層ビル! の圧目の前にしても冷静な判断かよぉ〜! ……そんな化け物とは戦っていられません……帰らせていただきますぅ……」
そう言い放った尾っぽの体が、空中でぴょこ! ぴょこ! と跳ねた。
一瞬の静寂の後、さっきよりもずっと大きな衝撃が地面に立つ者たちを襲った。
轟音が鳴り響き、あたりが暗くなる。
尾っぽを除く、その場にいたものたち全員が、自らを覆っていく巨大な影を見上げた。
それは、大量のビルの上部分だった。
「んじゃ、俺ぇ帰るんで。適当に凌いどいて」
尾っぽはそう言うと、ぴょこぴょこと跳ねながら少しづつ後退していく。
跳ねるたび、大小様々なビルが次々と斜めに両断された。
残陽か、装置を操作する。
両装着外周部全体からから、トゲトゲしたものが引き出された。
その形は、まるで太陽のようになっている。
そしてまた、両方の装置の中心を左右同時に押し叩いた。
『sun。リミット解除。ネクストコード』
「hands up」
梅雨の声が鳴り、間髪入れずに残陽がそれに応える。
瞬間、機械音と同時にオレンジ色の光が強まった。
そして、残陽の素肌にオレンジ色の炎のような模様が、まるで舐めるかのようにして装置を中心に這い広がっていく。
あまり変わらない残陽の表情が、少し歪んだ。
炎の紋様に舐め飾られた残陽は、倒れ崩れ落ちてくるビル達を足場にして尾っぽへと接近して行く。
「ダハハ! マジかよすげぇな! この瓦礫の中フルトップハイスピードで追ってこれんのかよ! すんげぇなちょっと怖いんですけど来ないでくれませんか?」
尾っぽは、足場などないのにまだ空中でぴょこ! ぴょこ! とはね続けていた。
尾っぽは尻尾を使ってビルを斜め上から斜め下にかけて切断する際の摩擦と抵抗を使い、一瞬の跳躍力を得た。
そしてそれを連続で繰り返す事で、尾っぽは空中をでぴょこぴょこと飛び跳ね、滞空することができていたのだ。
尾っぽはポケットに手を突っ込んだまま、ニヤッとした声のまま滞空しながらビルを切断し続けている。
「帰らせて〜! お家帰らせて〜! ぷゆ〜!」
そう懇願する尾っぽへ、大きめの瓦礫を踏み込んだ残陽が狙いを定めた。
……射程距離内だ。
「! マジか……」
尾っぽの身体に、残陽の燃えるような右脚での蹴りが炸裂した。
尾っぽはほんの一瞬真面目な声を出したが、すぐにおちゃらけた雰囲気に戻る。
「いやー! びっくりしました実際! でも近接はちょっと……リスクでは、ないですかぁ〜?」
「!」
瞬間、残陽の体がグイッと引っ張られる。
残陽の腹部に、ギチギチに尾っぽの尻尾が巻き付けられていた。
それは、残陽の蹴りと同時に巻きつけられたものであった。
「おひょ〜〜〜ーー!!」
「くっ…………!」
ビルの外壁へ、両名が叩きつけられる。
先に立ち上がったのは、もちろん残陽だ。
尾っぽはまだ、横になり、自分たちが飛んできた事で荒れたオフィス。
そこに散らばったボールペンでペン回しをしていた。
「ムッズ……。残陽ちゃんさ〜強なってね? いやまぁ直接闘りあったこたぁねぇけどよ、ちょくちょく見かけてたんすわ。なんかさぁ〜、前もうちょい人間人間してなかった? これですぐ立ち上がれんなら内臓とかも大丈夫そ? だし〜」
「…………………………。」
「……ま、いんだけどね! 答えてくれなくたって! いいしっ! 別にっ! 別に拗ねてないもん! なんせ私は強い子ですから?」
言葉を返さないまま、残陽はペン回しをやめゴロゴロし出した尾っぽへと攻撃を再開した。
真紅の両脚による乱撃が、尾っぽに繰り出される。
「じゃ、俺今回はマジで見学に来ただけだしマジで帰るわ。邪魔したな」
「!!!!!」
そう言うと、尾っぽは姿を消した。
標的を失った残陽の脚が空を切る。
……どこだ……。
周囲を見渡し探す残陽に、どこからともなくたくさんの人間の声が混じった声が聞こえてくる。
「あ、そうそう。ホントマジの見学だからここの事ぁ誰にも言わねぇから! 安心してくれ! んじゃ! またなっ!」
それから一切、尾っぽの気配は途絶えた。
残陽が自身の真紅の脚に話しかける。
「梅雨、尾っぽが消えた。今どこにいるかわかるか」
「消えたな、完全に。ラボは広大だがあらゆる方法で全体を監視している。だが、現在あるのは我々だけだ」
どうやら真紅の脚は連絡手段にもなっているようで、そこから梅雨の声が発せられていた。
「そうか……」
「会話を聞いていた。侵入経路はわかっているが、おそらくもう逃げられただろう。今、ちょうど期間中のラボ職員を侵入経路へ向かわせた。すぐに片付くだろう」
「そうか……山田はどうした」
「榊か。榊なら、ラボ入り口付近の強固なビルに置いてある。絶対に出てくるなと念押ししてな」
「…………。」
「なぁに、お前が不安がるだろうと思ってな。一応念には念を入れて『ヌードル』に護衛を任せている。安心しろ」
「……そうか…………」
「それとest隊の子達だが……」
「あぁ、分かっている。謝らなければならないな……」
「エストの侵入という予想外の緊急事態、さらにそれに便乗したバイオウド一体の侵入。すぐに動ける者は私たち二人しかいなかったのだ。そこまで気負うほどのことでもないと思うが」
「エストが侵入した事と、あの子達を守れなかったことはあの子達にとってなんの関係もない。私はestで隊長だ。あの子達を守る責任があった。それを私は放棄したんだ」
「…………そうか、私も出来る限りの力を尽くそう。しかし、泉埜 情という青年は少しダメージを受け過ぎだ。このままでは心身に傷が残る。…………少し無茶するが、いいか?」
「あぁ、任せる。見ていたが、おそらくその子なら大丈夫だろう。……切るぞ」
「あぁ、ログ終了……。切っていいぞ…………。? そういえば、あのバイオウドはどこへ行った……? この子達を襲った、あのバイオウドは……………………」
夕焼け気味の空の下。
人通りのほとんどない田舎道を、少し背の高い童顔の青年が歩いていた。
青年はかちゃかちゃいそいそとベルトを締めると、少し暗めの青色の制服に袖を通した。
「おい透子! 何またサボってんだ! テメェ新人だからって甘えてんじゃねぇぞ!」
ベテランっぽい頑固そうなおじさんが、てくてくと歩いて来た青年を自転車から降りながら怒鳴った。
「いいじゃないっすかぁ〜! 俺たちの仕事なんざ無けりゃ無いほどいいんすから!」
青年がそう応えた。
「馬鹿野郎! 仕事を舐めんなって話をしてんだ! で? 何してた……。 まさかまたガキンチョと遊んでたんじゃねぇだろうな?」
「何すか自分だって相手してやってるくせに〜! 俺だけっすか!? 怒られんの!」
「馬鹿野郎! 俺は! 休憩時間だからいいんだよ!!!」
「俺たちいっつも休憩時間みたいなもんじゃないっすか」
「馬鹿野郎! 俺たちはいついかなる時も準備万端でなければならないんだ! お前親父さんから何教わったんだ!」
「うちに就職したらなんもしなくても金が入ってくる!」
「あんの親バカのクソ親父! 息子になんちゅう事を……!」
「ダハハ!」
青年が笑い、頑固そうなおじさんがぐぬぬと唸った。
…………少しの静寂。
二人は自転車を間にして隣を歩く。
「…………アイツは、どうだった…………」
「親父っすか?」
「…………あぁ…………」
「別にいつも通りでしたよ? すーやすや眠っとりました」
「そうか…………」
また少しの沈黙。
「透子」
「ナンスカ?」
「俺ぁお前のこと、豆粒くらいちぃせぇ時から知ってんだ……」
「いやそんな小さくなかったっすよ」
「俺からすりゃあお前も、俺の息子みてぇなもんだ……」
「…………。」
「だからよ、俺が」
おじさんが立ち止まる。
少し歩いて、青年も立ち止まった。
青年が、おじさんの方を振り向く。
「俺があいつの分まで、お前のこと守ってやるからな」
「…………ふっ、いいっすよ別に。俺、先輩みたいなおじさんよりは強いんでっ!」
青年が歩き始める。
おじさんも青年に追いつき、また横並びで歩き始める。
「だいたい、そんなビールっ腹でいったいだ〜れを守れるっていうんすか! バイオウドからしたら瞬殺っすよ瞬殺! 二秒っすよ二秒!」
「馬鹿野郎! 俺ぁ二十年この仕事してんだ! そう簡単に……」
ふと、影が二人を包んだ。
どちゅりと音がして、二人の目の前に赤黒い何かが落ちてくる。
二人は咄嗟に拳銃を抜いた。
「これは……」
それは、人間くらい大きさをした識別不能の肉塊であった。
生きている。まだ、モゾモゾと動いている。
「け、警察に電話を!」
青年がおじさんに向かって叫ぶ。
「馬鹿野郎! 俺たちが警察だ!」
おじさんはそう返すと、仲間へ連絡をとり始めた。
「やっぱり警察に電話じゃん」
青年がぼそりと呟いた。
「バターも呼んでくれ! それじゃあ頼むぞ! …………透子! 今からここ封鎖すっから向こう側行け!」
「うぃ〜っす」
おじさんは連絡を終えると、自転車に跨りながら青年に指示を出した。
「あぁそうだ透子!」
「何スカぁ?」
「一応帽子被っとけ! お前態度悪ぃから!」
「先輩ほどじゃないっすよ」
「いいから被っとけ!」
「ウィッス」
青年は艶やかな黒髪ショートの上に、深々と帽子を被る。
「これでいいっしょ?」
「よし! じゃあ行け!」
「いいなぁ! 俺も自転車がいい!」
「ごちゃごちゃ言うな早く行け!」
おじさんが、青年と反対方向に自転車で走り去っていく。
青年はそれを見送ると、落ちてきた赤黒い肉塊に目をやった。
モゾモゾと蠢き、生きているのが不思議なくらいだ。
青年はその肉塊を、見下ろしながらつま先でチョンチョンと突いた。
肉塊は情けない大声を張り上げて泣き叫んだ。
見た目の割に、案外元気なようだ。
肉塊はどうやらまだ視界も多少残っているらしく、青年から逃げよう逃げようと、息も絶え絶えになりながら必死に体を動かしている。
「多分アンタは……」
青年が肉塊に語りかける。
「多分アンタはこの後、雑にバターに運ばれて……苦しみ抜いて死んだ後武器に、ダイオウムにされる」
肉塊は、首を激しくブンブンと振ると、青年に縋るような視線を向けた。
「アンタが悪いんだぜ」
青年が肉塊に背を向けて走り去る。
青年の背後から、救いを求める悲痛な声が上がった。
肉塊は涙を流して叫んだが、青年は振り向かなかった。
涙が傷口に沁みて痛くて、さらに涙が出た。
そしてそれがまた苦痛につながって、もっと涙が出た。
風が、皮膚の剥がれた部分にあたって痛い。
何もかもが痛くて苦しくて、生きているのが嫌になった。
でも、死ぬのはもっと怖かった。
嫌! 嫌! 嫌! イヤ! いや!
死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! しにたくない! しにたくない!
助けて、お願い! 助けて!
肉塊は、心の中で絶叫した。
青年の後ろ姿が、見えなくなっていく。
行かないで! やだ! 生きてたいの!!!!!
いや!!!!!!!! いやだ!!!!!!!!
いやだあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
肉塊が最後に見た青年の後ろ姿には、尻尾は生えていなかった。




