果実を喰む
「はいっ! あ〜〜んっ!」
椅子に座り直した私に向かって、まだ涙の後を残したまんまの目をした輪悟が、机に勢いよく身を乗り出した。
手には彼女に運ばれてきたケーキが一口分……より少し多いくらいの量が乗ったフォークが持たれ、それが私に向けられている。
まるで、先ほどのお返しとでも言わんばかりに。
「……なんですか?」
期待をはらんだキラキラとした視線と笑顔が、私に注がれてた。
「はぁ……ふふっ……」
思わず、小さなため息と微笑みが溢れる。
可愛らしいことと顔をするものだ。
もしかすれば、本当にお姫様なのかもしれない。
私は必要な分だけ口を開けて、そのケーキを口の中へと招き入れた。
私の口から、何も乗っていないからりとしたフォークだけが引き抜かれる。
輪悟の前に運ばれてきたケーキは、水色の、見るからな涼しそうな外見をしていた。
タルト生地のような分厚い一番下の層の上に、白色のクリームの層があり、その中には細やかな柑橘類の果肉が見て取れる。
そしてその上に、海を表現したような水色のジュレの幕のようなものが被せられており、表面には波を表現したような白色のクリームでの彩付けがなされている。
『常夏爽やかケーキ』……。
夏というコンセプトに沿った、見事な外見のケーキだ。
私は、丁寧に積み重ねられたケーキ、その一欠片を、口の中でほどく。
「…………。」
どうやら、水色のジュレは柑橘系のようだ。
甘酸っぱく、鼻に抜ける香りも名前の通り爽やかだ。
中間層の生クリームとクリームチーズも、すぅっと溶けるような甘さをしていて、かなり口当たりがよく、なめらかだ。
全く重たくない。
果肉も、いいアクセントになっている。
果肉があるおかげで、食感が一辺倒ではなくなっており、夏という様々な催しが開催される季節にぴったりの、ランダムな食感を生み出している。
タルト生地のような底生地も、ホロリと崩れては他の素材にはない硬めの食感と、焼き菓子のようなバターの甘味を提供している。
ゴクリ、とケーキの欠片を飲み込む。
後に残るのは、爽やかな甘みと酸味。
そしてわずかな清々しさだ。
「……ありがとうございます輪悟。とても美味しいですよ」
彼女の表情がパァっと明るくなった。
嬉しそうな顔だった。
「立ち直れましたか?」
「うん! ありがとう、いくちゃん!」
ほっと肩の荷が降りる。
向こうもそうだといいのだが。
「食べましょうか。仲直りの記念に、ここは私が奢ります」
「だ、ダメダメっ! 私が奢るのっ! 私が迷惑かけたんだからっ!!!」
「……ふふっ……わかりました。なら、お言葉に甘えさせていただきます」
「よっしゃ! 気にせずにどんどん食べてね! 私バイトしてるし! 何なら今日も夕方からバイトだし!」
輪悟は胸を大きく張ると、その中心をフォークを握り締めたままの右手でドンと叩いた。
「あぁそうだ。そのフォーク、私が口をつけてしまいましたね。新しいのと交換しましょう。私はそのフォークを使いますね」
私が、テーブルの端っこに置いてあるボックスに手を伸ばす。
「いっ! いいよっ! 気にしないでっ!? そ、それよりいくちゃんのフォーク替えよ!? 私のせいで汚れちゃったし……!!」
「私は……これで構いません。特に汚いとも思えませんし」
「え……で、でも……。いいの……?」
「? 嫌でなければ、これを使い続けようと思っているのですが……構いませんか?」
「え……でも……。……ホントにいいの……? その……汚いよ……?」
「? 汚くありませんよ?」
私は、モンブランケーキの乗ったお皿に引っ掛けていたまんまだったフォークを手に取った。
そしてそのフォークで、すでに一口分抉られたモンブランケーキを抉り、それを口へ運ぶ。
「ほら」
私がフォークを使ったのを見て、彼女は……よくわからない表情をした。
眉を下げ、眼を細めて、小さく口角を上げていた。
表情に出せない、何か大きな感情が滲み出したような、困ったような微笑みを。
輪悟は困ったような微笑みのまま、私から視線を外した。
手には、私が口をつけたフォークが握りしめられている。
彼女が水色のケーキにフォークを突き立てた。
一口分が掬われる。
フォークは輪悟の口元へと運ばれ、上に乗ったケーキが、彼女の口の中後消えた。
輪悟が、フォークを見つめた。
私と彼女が、口をつけたフォークを。
「私、忘れないから……」
いつもよりもずっと儚い、輪悟の声がした。
「今日のこと……ずっと」
フォークから目を離さず。
困ったような、微笑みを保ったまま。
ただ、愛おしそうに見つめていた。




