守人 師。
遅くなりました。
やってしまった…………。
私は椅子に腰かけ、熱めのシャワーを頭から浴びながらそう思った。
本当に、ただ守ってくれたお礼を言いたかっただけなのだ。
そのついでに、背中くらい流してあげよう。
それに、心配な気持ちも多少あったのだ。
彼は、私を庇い生死の境を彷徨った。
それからまだ数日、もしかしたらお風呂で倒れてしまうかもしれないという心配が。
もちろん、裸を晒すことに抵抗はあったし、彼からすれば迷惑なことなのかもしれないなとも思った。
でも、あの時見たあの顔が。
意識を失う最中、私を守るために私の体に覆い被さった彼の顔が思い出されて…………。
それで…………。
私はそれを、行動に移した。
シャワーを浴びて、彼の隣に座る。
そこまでは良かった。
でも、真っ赤になりながら、私の裸を見ないよう必死に視線を外そうとしてくれる彼の姿が、あまりにも可愛らしくて……。
少し……からかいたくなった。
それで…………。
その結果が…………これ…………。
私は椅子に座ったまま、力無く項垂れる。
なんてことをしてしまったんだ……。
もう取り返しはつかない……。
もしかしたら、トラウマを植え付けてしまったかもしれない……。
考えれば考えるほど、自分が犯した失態はあまりにも大きなもので…………。
「はぁ…………」
思わずため息が漏れた。
「失礼しました。逢瀬の邪魔をしてしまいましたでしょうか」
ふと、声をかけられた。
重たい頭を持ち上げて、声のした方を見る。
目に入ったのは、髪も眉毛もまつ毛も肌も、全てが現実味のない神秘的な白色で構成された長身の女性。
灘 常穏が、椅子を片手にこちらへ向かって歩いてきているところだった。
見惚れるとはこう言う気分なのだろう。
こんな気分でなければ、明るく声をかけて褒めちぎっていたに違いない。
彼女は相変わらずの無表情のまま、私が使っているシャワーの、その隣のシャワーの前に下ろした。
先ほどまで違うシャワーを使っていたのに、わざわざ私の隣に移動してきてくれたようだ。
常穏は椅子に腰掛けると、蛇口を捻った。
まだ温まりきっていない水が、勢いよく飛び出る。
常穏は顔色ひとつ変えず、まだ冷たいままのシャワーから出る水を体にかけ始めた。
白い肌が浴室に備え付けられた優しい光を反射し、柔らかそうなさらりとした肌が艶を帯びていく。
少しずつ生まれ出ていく湯気が、その罪な裸体を隠すかのように立ち昇っていく。
「いえ……………………」
彼女は、私が何をしていたか把握していたのだろうか……。
少なくとも、私が情に馬乗りになっているところは見られたはずだ。
それに彼女は、逢瀬と言った。
いわゆるそう言う行いをしていたと悟られていても、何ら不思議じゃない。
問題はそれが、“本当は同意では無かった”と言うことだ。
「あの…………」
髪を洗う常穏に、私は立つ瀬ないままの声で話しかけた。
「なんでしょうか」
常穏は私が声をかけると同時に、シャワーを止め、私の方を向き、姿勢を正して返事をした。
「あの……………………」
何をどう聞けばいいんだろう。
私たちは何をしてたか?
そんなの私が聞きたいくらいだ。
私は一体何をしていたんだ……?
記憶が曖昧でよく覚えていない……。
ただ流されて流されて……いつの間にかあぁなっていた……。
冷静に戻ったのは、常穏の姿が目に入ってからだった。
こんなんで一体何を聞けばいい?
「はぁ…………」
話しかけた側だと言うのに、私は顔を覆うようにして顔に手を当てて、大きくため息を吐いた。
熱い息が、顔中に広がる。
急にだまってしまった私を、常穏は寒いであろうに私の方を向いたまま、私が話し始めるのを待ってくれていた。
「あの…………私が何をしていたか…………わかりましたか…………?」
多分これが、私の出せるこの場での最適解だろう。
いや、こういう場での最適解など、あるのかどうかわからないが。
「いえ、わかりませんでした。あの時はまさか情がいるとは思わず、平静を保つのに必死でしたから」
と、常穏は表情一つ変えずに答えた。
全くそうは見えない…………いや、本当にそうだったのかもしれない。
彼女の言葉がフォローであるか、本心であるか。
私にはわからないことだ。
「そう…………ですか…………。わかりました……ありがとうございます……」
私にはそれ以上言葉が出せなかった。
彼女の真意がどちらであったとしても、それを追求することは失礼かにしかならないだろうから。
「いえ、お気になさらず……」
常穏は私の言葉に対して、静かにそう答えた。
会話が途切れ、聞こえるのは私が項垂れてながら頭から浴び続けているシャワーの音だけになった。
常穏はまだ私の方を向いたまま、じっと私の横顔を見つめている。
「よろしいでしょうか」
沈黙の中、口を開いたのは常穏だった。
「もしかすれば、私はお邪魔ではないでしょうか、もしそうであれば、すぐにここから離れた場所へ移動いたしますが……」
「! いえ、大丈夫です……! すみません……お気を使わせてしまって……」
「そうですか。分かりました。では引き続き、隣を失礼致します」
私に気を使って椅子から立ちあがったとする常穏を、私は引き止める。
彼女はわざわざ、私のことを心配して隣に来てくれたのだ。
それを今度は、一人になりたいから、と突き放すのは、あまりにも身勝手な行為だ。
常穏は再度椅子に座り直すと、また蛇口を捻って水を出す。
先ほど起きた事象が繰り返され、再び湯気が常穏の身体を覆った。
シャンプーを手に取り、頭を洗い始める。
その光景を前に、私はなんだかぼぉっとしてしまう。
見惚れるのとは違う何かの感覚が、私をそうさせた。
……頭がぐらっとする…………。
それに……視界が……。
常穏の周りの湯気…………なんだか湯気にしては濃ゆくみえるような…………。
気分が悪い、吐き気がする。
視界が、ぐらりと重力に従って下に下がった。
ベチャッ! と言う何か水っぽいものが地面に落ちた音が鳴った。
続いて、カランカランカランという椅子が弾き飛ばされる音。
気づけば私の体は、地面に横たわっていた。
力が入らない。
頭がグラグラして気持ちが悪い、強烈な吐き気がする。
頭を洗っていた常穏が、泡立てたシャンプーの泡を残したまま、私の頭を持ち上げた。
声が聞こえる気がするが、くぐもっていてよく聞き取れない。
多分、私の名前を呼んでいるのだろう。
ふと、私の両脇を前から後ろへとするりと手が通過した。
ぐいっと上半身を起こされる。
すると、常穏に抱き締められているような形になった。
右手を頭の後ろに回されて、その右手が常穏の右首筋に口元をぐっと押し付けた。
私の顔にシャンプーがかからないように、私の頭がある方の首筋とは違う方に自分の頭を傾けてながら。
左手は、私の左脇を通過したあと、私の体を抱き抱えるよくにして、私の背中を支えていた。
常穏の長くしなやかな腕は、私の左脇から背中、右脇を通過し、右胸をギュッと揉み込むほどだった。
そして抱きしめるような姿勢のまま、常穏は私の体をゆっくりと持ち上げた。
にゃるんと身体が密着し絡み合う感覚がした。
私の身体と、常穏の身体が、絡み合うようにして密着した。
濡れた胸が濡れた胸に反発するようにして、私たちの間で、柔らかな押し押されを繰り返された。
今日は…………なんだか…………。
こんな感覚が…………多いな…………。
私の意識は、サウナのような熱を帯びた自身の身体と頭の中に、無理矢理押し付けられ、強く塗り込まれるようにして、混じれていった。
熱くてぐちゃぐちゃになって、何もわからなくなりそうだった。
────────────。
授業が終わり、私は立ち上がらずに帰宅の準備を始める。
「いくさちゃん! 放課後カフェ行こ!」
お姫様のような声をした女生徒が、私の倍はあるその豊満な胸を私の横顔にぐいっと押し付けてきた。
どうやら、近場にできた新しいカフェ。
そこへ一緒に行こう、と私を誘っているようだ。
帰宅の準備を終えた私は、押し付けられた胸から逃れながら椅子から立ち上がる。
クラスのマドンナ様である憩 輪悟様は、今日もお元気そうで何よりだ。
女子校だと言うのに、マドンナとはこれいかに。
「いいですよ憩さん。付き合いましょう」
特別急ぐ用事もないので、私は憩さんの提案を軽く承諾した。
彼女と私は、小学校からの幼馴染だ。
私たちの仲は、引っ込み思案でクラスの隅っこにいた彼女に、クラスのまとめ役を担っていた私が声をかけたのが始まりだった。
彼女は学年の中でも一際違った存在感を放っており、善悪の判断すら曖昧であるはずの子供達ですら理解できるほどの繊細さを有していた。
誰も彼も、彼女をまるで薄いガラスでできたかのような扱いをし、深く踏み込むことをしなかった。
それは、おそらく純粋な善意であったのだろう。
しかしだからこそ、彼女はどんどんと孤立していった。
周囲の者たちが軽口を言い合えるような仲の良い友人を作る中、彼女だけは休み時間になっても放課後になっても一人きりであった。
また、彼女自身も人間関係の構築に慣れていないらしく、その状況を受け入れていた。
その際、声をかけたのが私だった。
話をしてみれば、彼女は同年代の誰よりも大人びていて、また馴染みやすい人柄であることがわかった。
温和で気も使え、また明るい性格であることが。
話すにつれて彼女は様々なことを相談してきた。
みんな自分と話す時、逃げるように急いで会話を終わらせる。
自分はもしかしたらみんなから嫌われているのではないか、とか。
みんながそう思っているのなら、自分から話しかけるのは良くないことではないのか、とか。
自分なんかとこんなに長く話しているのは嫌ではないか、とか。
ついには、自分なんかに時間を使わせてしまって申し訳ないなどと、相談に対する謝罪まで言い出した。
おそらく、学校での経験が、生来の明るさを曇らせてしまったのだろう。
私の隣に座ったまま俯いてしまった彼女が、とても小さく見えた。
そして、私にとても重なって見えた。
好かれても嫌われてもいない、そんな境遇が。
なぁに、まとめ役というのは、かねてよりそういうものだ。
だからだろう、私が行動に移せた理由は。
私は彼女にぴとりとくっつくと、少しの驚きを含んだ目で私を見る彼女に声をかけた。
「初めまして、私、守人 師と言います」
「え、あ……守人さ……」
「師でいいです。同い年の同級生なんですから」




