Case9 子供の吐血
「ロワル、あなたが治癒院に来られなくなってからすでに3ヶ月が経ちましたね。ああ、責めているわけではありませんよ、それほどまでに西獄動乱では頑張ってくれました」
光の一切入らない部屋には、ロワルの入っていた孤児院の管理者であり、現在の上司の大司教がいた。
「お願いされた、あなたが対応したけれども助けられなかった方の名前と死因、こちらにまとめておきました」
渡されたのは黒い手帳。
それをロワルは丁重な手つきで受け取る。
「ありがとうございます、グラン大司教様」
光のないロワルの目が黒い手帳を見つめる。
まるで親の仇でも見るように、その目はひどく険しいものだった。
「ロワル、今すぐじゃなくていい。でもいつかあなたが助けた人に目を向けてください。それが崩れそうなあなたを支える柱になりますよ」
ロワルの視線は黒い手帳から動かない。
見ていないと分かりながら大司教は白い手帳を取り出す。
「これは私が勝手に作った、あなたが助けた人を書き記した手帳です。あなたがもし助けた人に目を向けられるようになったら取りに来てください。それまで私は書き続けます。待っていますよ」
ーーー
カーテンの隙間から差し込む光と小鳥の囀りでロワルは目を覚ます。
「……朝まで寝たのはいつ以来だったかな」
昨日のラグの話は衝撃だった。
ロワルにとって命を救うことは当たり前であり大前提であった。
そして救われた者も、それを当たり前だと享受し生きていくのだろうと。
人生を救う、そんな考えに至ったことは一度もなかった。
身支度を済ませながらロワルは夢を思い返す。
埋もれていた記憶、それも見えていないはずの白い手帳の夢。
それを天啓だと考えるほどにロワルの信心は深かった。
「今日は休みはいなかったな……?」
ーーー
「おはよう、おや、ロワル、その服装は?」
ロワルは白いローブを身にまとい、中央署を訪れた。
「すまない、急だが1日休暇を貰いたくてな。大丈夫だったか?」
その言葉にクロッサは思い当たる節があったよか、微笑みを浮かべる。
「昨日なにか思うところがあったかい? もちろん大丈夫だよ」
「まぁそうだな、ラグには助けられたよ。何かあれば連絡してくれ」
ロワルは頭を軽く下げ、足早に城へと向かっていった。
「……だってさ、ラグちゃん?」
ヤゴコロはニヤニヤとしながら、部屋の奥で縮こまっているラグを指で突いている。
顔は真っ赤になっており、頭から煙が出そうなほどだった。
「なにがあったのかなぁ、聞きたいなぁ……!」
言葉を返せないラグを楽しそうに、さらにツンツンと突いている。
その弄りには、1ヶ月も経たずにロワルを立ち直らせてしまった新人への嫉妬や称賛がふんだんに込められていた。
「ロワルが立ち直るきっかけになってよかったけど、少しだけ妬けてしまうね?」
クロッサもその光景をしばらく止めずに、眺めているのであった。
ーーー
「グラン大司教様に取り次ぎ願いたい、ロワルが来たと言えばお会い頂けるはずだ」
城、というには華やかさがない、さながら巨大な議事堂のような建物へロワルはやってきた。
建物の中に入り、受付へ話しかける。
「面会のご予約はされていましたでしょうか? ご予約されていないようでしたら取り次ぐことはできません」
ロワルの顔を知らない新人にしまったと思いながら、誰か旧知の人に取り次げないか周囲を見ながら頭を巡らせる。
するとちょうど1人の司教が通りかかった。
「お久しぶりです、西獄動乱とその後に大変ご迷惑をおかけしました」
「……おい、ロワルか? おいおい久しぶりじゃないか!」
通りかかったのは西獄動乱でロワルの治癒所のリーダーを務めていた司教であった。
ロワルよりも一回り以上体格の良い司教がロワルの背をバンバンと叩き、一瞬息が詰まる。
「……こちらで働かれていたのですね?」
咳き込みそうになるのを抑え、ロワルはなんとか声を出す。
「ああ、西獄動乱の功績が認められて本部へ呼ばれたんだよ。んで、今日はどうしたんだ?」
「グラン大司教様へ会いに来たのですが、面会の予約をしておらず……」
ああ、と司教は受付を見て納得する。
ロワルが教会から離れて10年経ち、顔を知らない人が多くなっていた。
「なら次から俺に取り次ぎな! それなら予約なんていらんし、大司教様のとこにも行けるしな」
そう言うと司教は受付のところへ行き、少し言葉を交わしたのち戻ってきた。
「よし、話を通してきたから行こうか!」
握り拳を作り、立てた親指をくいっと建物の奥を指す。
司教の心遣いに感謝し、頭を軽く下げロワルは大司教のもとへ向かった。
ーーー
コンコンコンと軽快なノックの音を響かせ、司教が名乗りをあげる。
その後すぐに入室を促す声が聞こえた。
「おや、珍しい組み合わせですね。ロワル、お久しぶりです」
グラン大司教は、にこりと人の良さそうな柔らかい表情でロワルを迎え入れた。
その後すぐ司教が退室し、部屋には2人だけとなった。
「お久しぶりです、国立治癒班へのご推薦ありがとうございました」
ロワルは深く頭を下げ、感謝を伝える。
「いいんですよ、これもきっと神の思し召しです。……なにか良い出会いがあったようですね?」
「はい、天啓を得るほどには」
目を細め、うんうんと嬉しそうに頷く。
ロワルは3歳の時、教会の聖堂で当時司教だったグランに発見され、孤児院で育てられた。
そのときからグランはロワルを息子のように可愛がり世話を焼いていたのだった。
「それで、どのような天啓を得て私に会いにきてくれたのですか? 時間があればお茶と一緒にお話を聞かせてくれませんか?」
「ええ、もちろんです」
父のようなグランの言葉にロワルは表情を緩め、ソファーでしばらく話しをするのであった。
ーーー
「白い手帳、もちろんあります。そうですか、ラグさんには一度お会いしたいですね」
ゆっくりと立ち上がり、手招きをする。
それに従い隣の部屋に入ると、そこには何冊もの白い手帳が丁寧に置かれていた。
「もう趣味のようなものですね、あなたの活躍を聞き、書き綴るのは。黒い手帳、書いていますよね? 何冊になりました?」
ロワルの頭の中に黒い手帳に記された55人の名前が浮かび、地面から無数の黒い手がロワルの魂を引き摺り込むような錯覚を覚える。
明るい部屋に瞳は浮かんでいないが、その影から誰か、見覚えのある目がこちらを見ている気がする。
ポンとグランがロワルの肩を叩く。
詠唱もなく、ただ触れただけでロワルの目が現在の正しい世界を映した。
深呼吸を一度し、ロワルはなんとか声を出す。
「……一冊ですね」
それを聞きグランは声を殺して笑う。
「一冊ときましたか……。もう10年は経っているのですよ?」
ロワルは机に置かれている1冊の白い手帳を開く。
そこにはアナフィラキシーのドワーフについて書かれていた。
「彼も大層喜ばれていましたよ? わざわざ教会へ来てお礼を伝えにくるほどですからね」
パラパラとロワルは紙を捲る。
きっと明日にでもガルの名前が記されるだろう。
「さて、私から一つお願いがあります。白い手帳ですが、今後も私が書いてもよろしいでしょうか? 急にやめるのがどうも寂しくてですね……」
照れくさそうに笑うグランに昔の面影を見て、ロワルは懐かしさと嬉しさが胸中で混ざりあい、胸が熱くなる。
「もちろんです、こちらこそよろしくお願いします」
その後、しばらくの時間白い手帳を2人で読み、時間はあっという間に過ぎていった。
ーーー
「ロワル、今日はありがとうございました」
「いえ、今日まで伸びてしまい申し訳ありません。また近々伺います」
グランは、うむ、と頷き、ニコニコと微笑んでいる。
「ああ、すまない。ひとつ言い忘れていた。……わかっていると思うが、あなたの周りが騒がしい。怪我がすぐ治るといっても痛みが消えるわけでもなく、まして死なないわけでもないんだ。怪我をしないようにね」
ロワルはすぐ答えることはできず、一呼吸置いてから返事を返す。
「ありがとうございます、なるべく気をつけるように致します」
その言葉に困ったようにグランは笑い、ロワルを部屋から送り出した。
ーーー
「誰か、誰か来てくれ!」
ロワルが廊下を歩いていると、男性の声が響き渡った。
その声を聞くやいなやロワルは駆け出し、声の元へ到着する。
「国立治癒班のものです、どうしましたか」
駆け付けた先では騎士の制服に身を包んだ男性がしゃがみこんでいた。
そのそばには血と、おそらく朝に食べたであろう食べ物を吐き泣いている子供がいた。
「治癒班の……! 子供が急に血を吐いたんだ! なんとかしてくれ……」
子供の前には真っ赤な血液と吐物が散らばっており、そしてすぐにまた嘔吐した。
空になった胃袋からは、ただただ黄色い液体が吐き出された。
「きみ、痛いところはあるかい?」
優しく、落ち着かせるような声色と表情でロワルは子供に話しかける。
5歳くらいの女の子は、泣きながら首を横に振る。
手で擦ったのか、その顔には血がべっとりと着いていた。
「1番怖いのは食道の破裂か、しかしそれにしては貧血になってないしそもそもそれを引き起こす要素が見当たらない。腹痛もないのか……?」
よく顔を見ると、右の額に赤く腫れた痕があるのを発見した。
「騎士さん、この子ついさっき転んだりしましたか?」
「ええ、そのとおりです……。顔を痛がっていました」
騎士の言葉を聞き、ロワルは一つの可能性が思い当たり魔法を詠唱する。
「『内部を・見通す・眼』透視。……ああ、原因はこれだったか」
ロワルは布と水を用意させ、顔を拭き綺麗にして口をゆすがせ下を向かせる。
すると、ダラダラと鼻から血が流れ落ちてきた。
「治癒班さん、鼻から血は出てますが、これって……」
「ええ、転んだ時に鼻の骨にヒビが入ってしまい、鼻血が出ていたようです。転んでから鼻をすすったり、上を向いたりしていませんでしたか?」
思い当たったのか、騎士は苦々しい顔をしていた。
女の子は、お鼻いたーいと言いながらも律儀に下を向いている。
「鼻血で動揺してしまうとは情けない、この子は妻の忘れ形見でね……」
「いえ、いいんです。声をあげていただいたおかげですぐに私が駆けつけることができたのです。ただ、頭を打って吐いているため、念のため治癒院で詳しく」
ロワルの言葉は女の子を包む光でかき消された。
その光はロワルがいつも行う治癒魔法と比べると非常に弱々しいものだった。
「こんにちは、ラングリード様。貴方様のご子女はわたくし、オルティ・フロールが治療させていただきました」
禿頭の太った男が、恭しく一礼する。
この男こそ、ロワル達が追い落とそうとしているフロール家の当主だった。
護衛の2人を従え近づくオルティは、なおも言葉を続ける。
「治癒班はやはりダメですね、この程度の鼻血も治すことができず、治癒院へ受け渡そうとしている。いえ、もしかしたら受け渡す代わりに教会から金銭を受け取っているのかもしれませんね? お嬢さん、お鼻はもう痛くないかな?」
「うん、お鼻痛くなくなったよ、ありがとうございます!」
女の子はオルティへ、元気にお礼を言う。
頭にはまだ傷が残っていたが、触らなければ痛みがないため、女の子は気にしていないようだった。
「子供がこんなに痛がっているのに、治療をしないなんてひどい男だ、医療を冒涜している! 私のようにすぐに治してあげれば辛い時間もなかったでしょうに!」
手を広げ、仰々《ぎょうぎょう》しく話しをする。
『フロール家当主、ここで会ってしまったか……。いや、そんなことより』
「オルティ様、今の光は低級治癒魔法でしょうか? 身体の詳細を見ていないのに傷だけ治すのはよろしくないかと……」
宿敵との出会い、貴族が様をつけて呼ぶラングリードの正体、その全てを無視し、1番初めにロワルが発した言葉は治癒魔法への苦言であった。
その言葉に憤慨し、オルティはロワルを睨みつける。
すぐさま護衛の2人はロワルを床に叩きつけ、激しい音と共にロワルは身動きが取れなくなった。
「貴様、私の中級治癒魔法に対して、こともあろうに低級だと? 鼻血すら治せない神官は黙っていなさい! 不愉快だ、消えろ!」
護衛に指示を出すと、2人はロワルを拘束し入口へと引きずる。
「ラングリード様、せめて治癒院へ再受診を! 中級以上の治癒院へ症状を伝え、ロワルからだと……!」
なおも言葉を続けようとするロワルの首を護衛の太い腕が締め、話すことが出来なくなる。
「浅ましい、それほど教会に恩を売りたいか」
ロワルという名前にラングリードは反応し、声をかけようとする。
しかし、目前にいる貴族の当主をむげにすることができず、ロワルが護衛に引きずられていくのを見送るしかできなかった。
ロワルが発見されたのは、それから3日が経ってからだった。




