Case8 ラグのPTSD
狭い家の中、家具や壁をなぎ倒しながら振るわれる大斧をラグは左手に持つ青い短剣で受け流し、ときに避ける。
その動きに迷いはなく的確な動きで虎人の攻撃をいなしている。
さらに体勢が崩れたときを狙い、ラグの細身の剣が閃き虎人の皮を裂く。
「ちまちまと攻撃しやがって……!」
虎人は苛立ちとともに両刃の大斧の面で横薙ぎに殴りつける。
広い面はそのままラグを殴り飛ばすかと思われたが、ラグの短剣にぶつかった瞬間、大斧は短剣を滑るようにラグの頭上を大きく空振りをした。
大振りした虎人の隙を見逃さず、ラグの細身の剣は虎人の左腕を貫いた。
「いてて、おーやだやだ、ユニーク武器かよ、なんて武器だ、それ」
左腕から赤い血液が流れ出し、ポタポタと床に赤いシミを作る。
それでも虎人に隙がないことから、虎人もかなりの強さだとわかる。
ラグがいなければ、治癒班が何名か死んでいてもおかしくなかった。
「銘は流と楔、酔狂な吸血鬼から授かった我が家に受け継がれる一対の剣だ」
攻撃を流し、心臓に楔を打つ、不死の吸血鬼すら殺せる剣。
マンゴーシュとレイピアの双剣は、他でもない吸血鬼から祖先が授かったものだ。
「んだよ、あの狂った吸血鬼の武器かよ。あの兎いねぇから油断してたな……」
はぁとため息をつき、貫かれた方の手で頭を掻きむしり、ラグを見る。
その目は隙があればすぐに斬りかかるという鋭い目をしていた。
「……引くわ。どうせ近々大きいことが起こりそうだし……な!」
手に持っていた大斧をロワルへ向かい投げつける。
唸りをあげロワルに迫る大斧はラグのマンゴーシュにからみとられ、ズンと大きな音を立てて床に転がった。
虎人は体格に似合わぬ俊敏さで姿を消しており、意識を失った男だけが取り残されていた。
「ラグ、助かった、ありがとう」
ラグの横に駆け付け肩をポンと叩く。
衣服は汗を吸ったのか冷たく湿っており、今の戦闘がどれほどの緊張だったか思い知らされる。
「いえ! あ、ロワルさん、近づいたらだめです、今すごい汗が!」
顔を赤くし素早く後ずさる。
その動きでふわりと薬草のような清涼感のある匂いがロワルまで届いた。
ロワルは無意識にその薬草の名前を口に出してしまいそうになるが、ハッとし口を閉じた。
「……とりあえず、事後処理が必要だな。応援を呼ぶから、ラグは治癒院まで彼女を連れて行ってくれ」
「は、はいっ!」
運ばれていったガルの妻とともに上級治癒院へ
向かった。
残されたのはロワルと意識を失い倒れている2人だけだ。
「さて、もう意識が戻っているのは知っているよ」
倒れている男の息が一瞬止まる。
それに構わずロワルはスタスタと男に近づく。
「油断したところをひと刺しして逃げるつもりだったな?」
2人の距離があと一歩のところで、男は跳ね起き、ロワルの首へナイフを突き立てようとする。
しかしそのナイフは、ロワルの左の手のひらを貫き止まった。
男の目は驚愕に見開かれるが、ロワルは構わず右手で男の顔を掴む。
「大丈夫、死にはしないさ。治癒師はそのあたりの調整も上手いんだ……。『奪え・身体に秘めし・生の力』生命力奪取」
男から命の根源である生命力が吸い取られる。
徐々に手足から力が抜け、瞼が落ちていく。
ゆっくりと死が近づく恐怖に男は涙を流しながら意識を失った。
ロワルは男を転がし、左手からナイフを抜き投げ捨てる。
左手から流れ出す血を見つめ、ため息をつく。
「盾くらいになら……なれるか」
軽く振った左手からはすでに傷が消えていた。
ーーー
その後はバタバタと忙しく時間が過ぎていった。
運ばれたガルは適切な治療の甲斐あり完全に回復し、ラグは2人から多大な感謝を受けた。
ロワルは駆けつけた衛兵へ男を引き渡し、状況の聴取を受けた。
中央署に帰ってこられたのは就業時間間近だった。
「ふう、戻ったぞ」
長時間の聴取を受けたロワルは、いつにも増して疲れて見えた。
「お疲れ様です! あれ、ロワルさん、左手……袖に血が付いてますよ?」
ロワルが左手の袖を見ると、内側に血の痕がついていた。
「ああ、あの虎人の血がついたから上着を脱いだんだが、内側にもついていたか……」
ついた、と表現するにはべっとりと染まっている袖を見て疑問を覚えたが。
しかしロワルがすぐに隠してしまったため、それ以上聞くことはできなかった。
「ちょっとバタバタしたが、今日の夜は予定通りでいいか?」
ロワルの言葉にその疑問も吹き飛び、顔が赤く染まる。
「はい、あの、場所とか聞いてなかったので服が……」
ロワルにしては珍しく、失敗した、という表情を見せラグに謝罪する。
昨日はラグへの引っ掛かりに強く意識がいってしまい、そのほかのことに意識が回っていなかった。
「すまない、失念していた……。白狼の巣という店はわかるか?」
「わかりますけども……まさかそこじゃないですよね……?」
老狼ヴァンの開いたこの白狼の巣という店は人気店で、貴族ですら予約を取ることが難しい。
クロッサの口添えでも1日で予約は取れないだろう。
「ああ、まあ、店主と知り合いでな。個室を用意してもらったから今日はそこで食べよう」
気軽な口調で話すロワルだが、ラグの緊張は高まっていくばかりであった。
「白狼の巣……いいな……私も……」
影から成り行きを見守っていたヤゴコロが有名店の魅力にふらふらと引き寄せられそうになる。
「ほら、ならヤゴコロは私とご飯でも行きましょうか?」
横からクロッサがかけた言葉にヤゴコロはパッと目を輝かせ勢いよく頷くのであった。
ーーー
終業後、2人は一度帰り、身だしなみを整えてから白狼の巣の前で集まることとした。
「お、お待たせしました……」
ラグは黒を基調としたドレスに身を包み現れた。
シンプルで華美な飾りやレースの少ないデザインのドレスは、凛とした雰囲気のラグによく似合っている。
騎士団の訓練により締まった身体のラインはドレスによって強調され、行き交う人の目を奪う。
対するロワルはカジュアルな格好ながら、シワひとつないシャツを着ている。
「待ってないぞ。……よく似合っているな、そのドレス」
褒め慣れていないのか、少し照れくさそうにラグへ伝える。
その言葉にラグは恥ずかしそうに俯き頬を染める。
「まあ、中に入ろうか……」
周囲の目もあり気まずそうにロワルたちは中へと入っていった。
ーーー
「ロワルさん、お久しぶりですね」
個室に通されたあと、物腰柔らかな老人が部屋を訪ねてきた。
その頭髪はロワル同様真っ白に染まっていた。
「ヴァンさん、今日は無理言ってすみません、ありがとうございます」
ロワルが頭を下げるのを見て、慌ててラグも同様に下げる。
それを見てヴァンは笑い出す。
「命の恩人に席を用意できないなんて無粋なことは言いませんよ、こちらこそ、心置きなく料理をご堪能ください」
ヴァンは頭を下げ部屋を後にする。
その様子を見てラグはロワルへ話しかける。
「ロワルさん、お知り合いだったんですね……?」
「ああ、腕の怪我に雑な治療されて痺れが出ていたのを治したんだ。」
律儀にいつまでも覚えていてくれるんだ、とロワルは嬉しそうに笑いながら話す。
席についてすぐに、サラダから始まりスープと順に料理が運ばれてきた。
初めはマナーを気にしていたラグも、特に気にした様子のないロワルを見て気にせず食べることにした。
出された料理はどれも目新しく、言葉で表現できないほどの味わいでラグは目を輝かせ食べている。
2人は中央署のメンバーの話しや仕事の話しなど、他愛のない会話をしながらデザートまで食べ進めた。
「美味しかったな」
「はい、こんな美味しい料理初めて食べました!」
満足そうに笑うラグを見てロワルも表情が緩む。
和やかな雰囲気の中、ロワルは話しを切り出す。
「ラグ、お前は西獄動乱のときに腕を怪我した狼人だな?」
ロワルの言葉にラグは微笑む。
その表情はまるで優しい花が咲いたような、可憐な笑い方だった。
「やっと気づいてくれましたね? あのときは本当にありがとうございました」
「いや、今の今まで気づかなくて申し訳ない、その、10年前は髪も短くてな……」
男だと思っていたとは口に出せずしどろもどろに答えるロワルにまたラグは小さく笑う。
「私にとって二刀流は人生の全てでした。それを奪われて、何も考えられなくなったところをロワルさんが救ってくれたんです。命も私の人生も」
当時の恐怖、絶望、それが救われたことを思い出し、ラグの目に涙が浮かぶ。
「でも、後遺症が残ってしまいました。どうしても剣が抜けないんです。人を相手にするなら大丈夫なんですけどね」
ついにラグの目から涙が流れ落ちる。
その涙の感情はラグにもわからなかったが、気にせず話を続ける。
「西獄のあと少し引きこもって、そのあと復職して、でも魔物と戦えなくてどうしようかと思っていたとき、ロワルさんが頭に浮かんだんです」
涙で濡れた目が真っ直ぐロワルを見つめる。
ロワルも真っ直ぐラグの目を見つめ返す。
「あまり褒められたものじゃないだろ、魔力が切れて狼狽えた挙句、同僚に運び出されて」
しかしその言葉にラグは首を振り否定する。
「頭が割れる痛み、激しい吐き気、毛細血管の破裂、そこまでして人を救おうとする姿、かっこよかったです。その姿を見て、私は剣の代わりに治療で人を救おうと考えたんです」
ラグは、剣は自分の人生だといった。
しかしそれから治癒の道を志した。
これにどれほど覚悟が必要だったのか、ロワルには見当がつかなかった。
少なくともロワルにはそんなことは出来ないだろう。
「それで先輩に推薦してもらえて国立治癒班に入れて、そこにロワルさんがいるって聞いて、中央署の研修に志願したんです。そしたらロワルさん、すごい辛そうで……せめて、知ってもらいたかったんです、ロワルさんに救われた人もいるんだって!」
ラグはにっこりと笑う。
今度は満面の笑みで。
ロワルもいつのまにか涙を流していた。
救われた人がいたことは知っていたはずだった。
それでもようやくそれをロワルは実感できた気がした。
「私ばっかり喋っちゃってますね……! とりあえずこれだけ言いたかったんです!」
喋りすぎたと言わんばかりに水を一口のみ、涙を指で拭おうとする。
そのラグを見てロワルはハンカチを差し出した。
「ありがとう、ラグ。そうか、そうだよな、救われた人に目を向けないと、失礼だよな」
ラグはハンカチを受け取り、少し恥ずかしそうに涙を拭く。
「ロワルさん、亡くなった方を背負ってもいいです。でも私にも一緒に背負わせてください、だってロワルさんは私の人生を救ってくれたのですから」
「ああ……ありがとう……」
ロワルは手で顔を隠しており表情は見えない。
しかし、その手と声は震えていた。
そのとき個室のドアが叩かれ、終わりの時間を告げられた。
家まで送ろうとロワルは提案するが、ラグは丁寧に断り、1人帰路に着く。
ラグはしばらく歩き、最後の言葉がとても重い、遠回しなプロポーズだと気づき頭を抱えしゃがみ込んだ。




