第2話「五十人の夢、その重さと社長の責任」
午前七時三十分。
都内・表参道。
まだ多くの社員が出社していない時間帯。
私はいつものように、事務所の一番乗りで出社していた。
「おはよう、私」
誰もいない事務所の電気をつける。
社長になってから二年。
この習慣だけは変わっていない。
いや、正確には――変えられなかった。
社長という立場になって分かったことがある。
それは、最後に責任を負うのは、必ず社長だということ。
タレントが仕事で失敗した時。
体調を崩した時。
仕事が取れなかった時。
SNSで炎上した時。
精神的に追い込まれた時。
そのすべての責任は、最終的に私に返ってくる。
だからこそ、私は誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰るようになっていた。
社長室に入る。
机の上には、昨夜置いて帰った資料が山積みになっていた。
「今日も多いな……」
スケジュール表を確認する。
午前十時 新人面談(18名)
午後一時 CMオーディション最終選考
午後三時 所属女優個別面談(8名)
午後五時 ドラマ制作会社との打ち合わせ
午後七時 所属タレント保護者面談
午後九時 マネージャー会議
「……うん、今日も帰れないな」
思わず苦笑した。
その時だった。
「社長、おはようございます」
秘書兼副マネージャーの高瀬奈々子さんが出社してきた。
「おはよう」
「もう来てたんですか?」
「いつも通り」
「社長、最近寝てます?」
「寝てるよ」
「何時間ですか?」
「四時間くらい」
奈々子さんは深いため息をついた。
「社長」
「ん?」
「倒れたら意味ないですよ」
「分かってる」
「本当に分かってます?」
「……半分くらい」
「駄目です」
即答だった。
◇◇◇
午前十時。
新人面談。
今年だけでも応募者は千人を超えている。
その中から選ばれた十八人が、緊張した表情で会議室へ集まっていた。
「皆さん、本日はありがとうございます」
私が話し始める。
「この業界は華やかに見えますが、決して楽な世界ではありません」
誰もが真剣な表情で聞いている。
「それでも挑戦したいと思う人だけ、前へ進んでください」
静寂。
その中で、一人の少女が手を挙げた。
「はい」
「社長」
話しかけてきたのは十七歳の少女だった。
名前は――
神代羽依
「どうして篠原美紅さんは、この事務所を選んだんですか?」
会議室が静まり返る。
私は少し考えた。
「家族だからかな」
「家族……?」
「そう」
私は笑った。
「美紅は私の家族だから」
「そして、私は所属する全員を家族だと思ってる」
十八人全員が驚いた顔をしていた。
「もちろん甘やかすわけじゃない」
「厳しいことも言う」
「怒ることもある」
「でも、絶対に見捨てない」
それが、私が社長として決めていることだった。
◇◇◇
午後。
CMオーディション最終選考。
参加するのは五人。
・皇燈璃(18)
・天羽澪那(19)
・月城詩音(20)
・雨宮星蘭(21)
・桜庭乃愛(23)
全員がこの二年間、必死に努力してきた子たちだった。
しかし、選ばれるのは一人だけ。
審査終了後。
結果が発表される。
合格者は――
皇燈璃。
十八歳だった。
「ありがとうございます!」
燈璃は涙を流しながら頭を下げる。
一方で。
選ばれなかった四人は悔しそうに俯いていた。
終了後。
私は四人を個別に呼んだ。
「悔しい?」
四人は頷く。
「でもね」
私は静かに続ける。
「落ちる経験も大切」
「社長……」
「今日の悔しさは絶対に無駄にならない」
「次がある」
「だから前を向いて」
四人は涙を流しながら頷いた。
社長になって一番辛いのは、こういう瞬間だった。
努力を知っているから。
頑張りを見ているから。
全員を合格にしてあげたくなる。
でも、それはできない。
だからこそ、次へ繋げる責任がある。
◇◇◇
午後六時。
ドラマ打ち合わせ終了。
ようやく一息ついた頃だった。
コンコン。
社長室のドアがノックされる。
「どうぞ」
入ってきたのは、美紅だった。
「お疲れ様」
「お疲れ」
「顔、疲れてる」
「そう?」
「うん」
美紅は社長室のソファへ座る。
「コーヒー淹れる?」
「お願い」
数分後。
二人でコーヒーを飲みながら、静かな時間を過ごす。
「今日、燈璃ちゃん受かったんだって?」
「うん」
「よかったね」
「うん」
「でも、落ちた子たちもいてね」
私は苦笑した。
「社長って難しい」
「うん」
「みんなを幸せにしたいのに、できないことも多い」
美紅はしばらく黙っていた。
そして静かに言った。
「でもね」
「ん?」
「瑞稀さんが社長だから、みんな頑張れるんだと思う」
「……」
「私もそうだった」
「美紅」
「デビューした頃、瑞稀さんがいなかったら、私は辞めてたかもしれない」
私は何も言えなかった。
「だから」
美紅は優しく笑う。
「これからも、みんなを支えてあげて」
「うん」
「でも、瑞稀さん自身も大事にしてね」
「分かってる」
「本当に?」
「……努力します」
「それ、分かってない人の返事」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇◇◇
午後十時。
すべての仕事を終えた私は、最後に事務所内を見回った。
レッスンルーム。
ダンススタジオ。
会議室。
撮影ブース。
ここには五十人分の夢がある。
いや。
スタッフを含めれば、それ以上だ。
「社長」
振り返ると、奈々子さんが立っていた。
「そろそろ帰りましょう」
「そうだね」
事務所の電気を消す。
社長になって二年。
今でも毎日迷う。
毎日悩む。
毎日不安になる。
それでも。
この子たちの夢を守りたい。
その気持ちだけは、独立したあの日から一度も変わっていなかった。
そして明日もまた。
私は社長として、この場所へ戻ってくるのだ。
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