第7話「交差するステージ」
八月。
照りつける夏の日差しが街を包み込む頃。
神谷家では、いつもと変わらない、温かな朝が始まっていた。
「パパー! 今日、保育園でスイカ割りするんだよ!」
遥香が嬉しそうに話す。
「僕は絶対に割る!」
大翔もやる気満々だった。
「じゃあ、二人とも頑張ってこい」
「うん!」
子どもたちの元気な返事に、悠真も自然と笑顔になる。
キッチンでは、美紅と瑞稀が朝食を準備していた。
「今日の収録、朝から夜までだっけ?」
悠真が尋ねる。
「うん。ドラマの顔合わせと読み合わせがあるの」
「いよいよか」
「うん」
美紅は少し緊張した表情を浮かべた。
実は数日前。
美紅は大型連続ドラマの主演オファーを受けていた。
結婚、出産を経ての本格的な連続ドラマ主演。
芸能界復帰後、最大の仕事だった。
「不安?」
悠真が優しく聞く。
「少しだけ」
「美紅さんなら大丈夫だよ」
「ありがとう」
「だって、俺は誰よりも知ってるから」
「?」
「美紅さんがどれだけ努力家か」
美紅は少し照れたように笑った。
「朝から褒めすぎ」
「事実だし」
その様子を見ていた瑞稀が呆れたように笑う。
「はいはい、ごちそうさま」
「姉貴」
「でも本当に大丈夫。今の美紅なら、絶対にできる」
「うん」
美紅は静かに頷いた。
◇◇◇
その日の午後。
都内某所。
ドラマ制作発表会場。
主演・篠原美紅。
その名前が発表されると、会場は大きな拍手に包まれた。
「主演を務めさせていただきます、篠原美紅です。よろしくお願いいたします」
久しぶりの主演。
記者たちからも次々に質問が飛ぶ。
「出産後初の主演ですが、心境はいかがですか?」
「とても嬉しいです。同時に責任も感じています」
「育児との両立は?」
「家族が支えてくれています」
「ご主人も応援されていますか?」
美紅は迷うことなく答えた。
「はい。一番近くで支えてくれる大切な存在です」
会場は温かな空気に包まれた。
一方その頃――。
悠真もまた、大きな転機を迎えていた。
会社本社。
役員会議室。
社長・三條恒彦。
副社長・八代直人。
直属の部長・川嶋翔一。
専務・瀬戸健一。
常務・一ノ瀬遼太。
開発部長・原口拓海。
企画部長・秋山悠生。
会社幹部が勢揃いしていた。
「神谷くん」
三條社長が穏やかに口を開く。
「はい」
「新規プロジェクトが正式に始動する」
「はい」
「そこで、君を正式にプロジェクトリーダーへ任命したい」
悠真は一瞬言葉を失った。
「私ですか?」
「そうだ」
八代副社長が続ける。
「若手社員三十名を率いることになる」
「責任は大きい」
「だが、君ならできる」
川嶋部長も頷く。
「これまでの成果を見れば当然の人事だ」
悠真は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
社会人として、また一段階上へ。
大きな責任が肩にのしかかる。
しかし同時に、不安もあった。
◇◇◇
その夜。
神谷家。
「えっ! リーダー!?」
美紅が驚く。
「うん」
「すごいじゃない!」
瑞稀も拍手する。
「おめでとう」
「ありがとう」
しかし。
悠真の表情はどこか浮かない。
「どうしたの?」
美紅が尋ねる。
「いや……」
悠真は少し迷ってから言った。
「正直、自信がない」
「え?」
「部下三十人をまとめるなんて初めてだし」
「失敗したらどうしようって思ってる」
美紅は静かに話を聞いていた。
そして優しく微笑む。
「悠真くん」
「ん?」
「私も主演を受ける時、毎回怖いよ」
「美紅さんも?」
「もちろん」
「でもね」
美紅は悠真の手を握る。
「怖いってことは、それだけ真剣ってことだから」
「……」
「それに、あなたは一人じゃない」
「うん」
「会社には仲間がいる」
「家には私たちがいる」
「失敗しても、また立ち上がればいい」
悠真はしばらく黙っていた。
やがて小さく笑う。
「そうだな」
「うん」
「ありがとう」
「どういたしまして」
その時だった。
「パパー!」
「ママー!」
寝室から双子が走ってくる。
「どうした?」
「怖い夢見た」
「一緒に寝ていい?」
「もちろん」
結局その夜。
大翔、遥香、悠真、美紅の四人は、ひとつのベッドで眠ることになった。
その様子を見ていた瑞稀は苦笑する。
「リーダーも主演女優も、家では普通のパパとママだね」
◇◇◇
数週間後。
ドラマ撮影初日。
プロジェクト始動初日。
偶然にも、二人の新しい挑戦は同じ日に始まった。
「行ってきます」
朝。
玄関で向かい合う二人。
「行ってらっしゃい」
「美紅さんも頑張って」
「悠真くんも」
二人は軽くキスを交わした。
「パパとママ、頑張れー!」
「頑張れー!」
双子の応援を背に、それぞれの職場へ向かう。
芸能界というステージ。
会社というステージ。
場所は違っても、挑戦する気持ちは同じだった。
そしてその夜。
疲れ切って帰宅した二人を待っていたのは――。
「パパ、おかえり!」
「ママ、おかえり!」
満面の笑顔の子どもたちだった。
「ただいま」
「ただいま」
二人は自然と笑顔になる。
どんなに大きな仕事を任されても。
どんなに責任が重くても。
帰る場所がある。
支えてくれる家族がいる。
だから、また明日も頑張れる。
交差する二つのステージ。
その先にある未来へ向かって。
神谷家は今日も、ゆっくりと歩み続けていくのだった。
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