第6話「小さな願い、ひとつだけ」
七月。
夏の始まりを感じさせるような強い日差しが、神谷家の庭を明るく照らしていた。
朝七時。
神谷家のリビングには、いつものように賑やかな声が響いていた。
「パパー! 今日ね、プールの日なんだよ!」
遥香が嬉しそうに保育園の水着バッグを抱えている。
「そうか。晴れてよかったな」
「うん!」
「大翔は?」
「僕も楽しみ。でも、今日は顔を水につける練習をするんだ」
「頑張れ」
「うん!」
双子は朝から元気いっぱいだった。
キッチンでは、美紅と瑞稀が朝食の準備をしている。
「悠真くん、お味噌汁お願い」
「了解」
エプロン姿の悠真は手際よく味噌汁をよそいながら、美紅へ視線を向けた。
最近の美紅は、芸能活動もかなり軌道に乗り始めていた。
CM。
雑誌。
トーク番組。
ドラマへのゲスト出演。
仕事量は以前より確実に増えていた。
それでも、家族との時間を最優先にしている姿勢は変わらなかった。
「最近、忙しそうだけど大丈夫?」
悠真が尋ねる。
「うん。ちょっと忙しいけど、みんながいるから」
「無理だけはするなよ」
「分かってる」
二人は微笑み合った。
その時だった。
「ねぇ、パパ」
大翔が突然尋ねた。
「ん?」
「うちって、四人家族?」
「いや、瑞稀姉さんも入れたら五人家族かな」
「そっか」
大翔は少し考え込む。
「どうした?」
すると、大翔は少し恥ずかしそうに言った。
「僕、弟か妹が欲しい」
一瞬。
食卓が静まり返った。
「え?」
遥香も驚いて兄を見る。
「どうして?」
美紅が優しく尋ねる。
「だって、保育園のお友達、みんな弟とか妹がいるんだ」
「そうなの?」
「うん」
「はるちゃんも欲しい!」
遥香もすぐに乗っかった。
「赤ちゃんのお世話したい!」
美紅と悠真は思わず顔を見合わせた。
瑞稀は面白そうにコーヒーを飲んでいる。
「ほう」
「姉貴、面白がるな」
「いやぁ、ついに来たかって感じ」
双子は真剣だった。
「ダメ?」
「パパ」
「ママ」
期待に満ちた瞳。
悠真は困ったように笑った。
「すぐには答えられないかな」
「どうして?」
「大人には大人の事情があるんだ」
「?」
双子は首を傾げた。
「とにかく、今は大翔と遥香が元気に育ってくれることが一番大事」
「はーい」
子どもたちは納得したような、していないような顔だった。
◇◇◇
その日の夜。
双子が寝静まった後。
悠真と美紅は、久しぶりに二人だけでベランダに出ていた。
夜風が心地よい。
「びっくりしたな」
悠真が呟く。
「うん」
美紅も頷いた。
「弟か妹が欲しいなんて」
「大きくなったんだなって思った」
二人はしばらく夜空を見上げた。
「ねぇ、悠真くん」
「ん?」
「もし……」
美紅は少し言いづらそうに言葉を選ぶ。
「もし、もう一人授かれたらどう思う?」
悠真は静かに考えた。
「嬉しいと思う」
「……うん」
「でも」
悠真は続ける。
「焦る必要はないと思ってる」
美紅は静かに頷いた。
「私も」
「今でも十分幸せだから」
「うん」
「もちろん、将来的に家族が増えるのは素敵なことだと思う」
「うん」
「でも今は、大翔と遥香との時間を大切にしたい」
美紅は優しく笑った。
「私も同じ」
二人は自然と手を繋いだ。
「仕事もあるし」
「子育てもあるし」
「家族の時間も大切だし」
「うん」
「だから」
美紅は悠真の肩にもたれかかる。
「焦らずにいこう」
「そうだな」
「いつか、その時が来たら」
「その時は、またみんなで考えよう」
「うん」
二人は静かに微笑み合った。
◇◇◇
翌日。
保育園のお迎え。
「パパ!」
「おかえり」
「今日ね、先生に弟か妹欲しいって言った!」
「そうか」
「そしたら、神様にお願いしてみたら?って言われた!」
遥香は嬉しそうに話す。
「お願いしたのか?」
「した!」
「僕も」
大翔も頷いた。
「どんなお願いしたんだ?」
すると二人は顔を見合わせる。
「秘密!」
「秘密!」
悠真は笑った。
「そうか」
その時だった。
進藤奈々先生が近づいてくる。
「神谷さん」
「はい」
「今日、大翔くんと遥香ちゃんが将来の夢を書いていたんです」
「将来の夢?」
「はい」
先生は笑顔で紙を渡した。
そこには、
『やさしいおにいちゃんになる』
『やさしいおねえちゃんになる』
そう書かれていた。
悠真はしばらくその文字を見つめた。
「……そっか」
家に帰ると、美紅にも見せた。
「……ふふ」
美紅は優しく笑った。
「この子たちらしいね」
「そうだな」
「優しい子に育ってくれてる」
「うん」
その夜。
寝顔を見つめながら、美紅が呟いた。
「今のままでも十分幸せ」
「うん」
「でも、もしまた家族が増えたら」
「その時は」
悠真は優しく答える。
「みんなで迎えよう」
窓の外では、夏の星空が静かに輝いていた。
家族の未来。
それはまだ誰にも分からない。
けれど。
どんな未来が待っていても。
この家族なら、きっと大丈夫。
そう信じられる夜だった。
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