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第308話 告白


 静寂というのは、時に耐えがたい痛みとなる。

 この瞬間、俺は世界中の誰よりもそれを実感しているに違いない。


 ダイニングの椅子に着席してから、数十秒。

 対面に座った二人は、いまだに話を切り出してこない。

 ここまでの間で、俺の心臓の鼓動は耳にまで届くようになっていた。


 大事な話。


 とんでもなく怖いそのワードは、恋人同士なら誰でも震えあがるものだろう。

 無論、それは表情によって異なる。

 嬉しそうな顔で言われれば、俺もここまで身構えたりはしない。

 けれど、目の前のレティナは不安とためらいが入り混じった表情をし、隣のシャルは息を詰めるほど真剣だった。


 「レティナさん、大丈夫です」

 「……うん」


 何かを後押しするようなシャルの言葉で、やっと静寂が破られる。

 脳裏をよぎったのは、これが別れ話になるのではないか、ということだった。

 しかし、それならば、 『大丈夫』 というシャルの言葉はどこか腑に落ちない。

 まぁ、いずれにしても、何か悩みを抱えているのは明らかだろう。


 「何かあった? レティナ」


 話を切り出せるように、そっと尋ねる。

 すると、レティナは俺の顔色を見ながら、口を開いた。


 「えっと、あのね……」


 少し間があることで、より一層不安が大きくなってしまう。

 何も起きないでくれ、と、つい数時間前に祈ったばかりなのに……








 「子供ができちゃったみたい」








 ……?




 脳の処理がうまく追いつかずに、頭が真っ白になる。


 「……っ。ごめんなさい」


 俺の反応を見て何か勘違いしたのか、レティナは悲しそうに俯いた。

 その瞬間、はっと我に返る。

 彼女がどうしてこんな表情をしているのかは分からない。

 それでも、言葉の意味だけはようやく理解できた。


 「レティナ!」

 「きゃっ」


 胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。

 気づけば俺はテーブルから身を乗り出し、レティナを抱きしめていた。


 「俺たちの子供だよね!?」

 「そ、そうだよ? それ以外だったら、怖いでしょ」

 「そっかぁ……そっかぁ、俺たちの子供かぁ」


 何度も口にして、ようやく現実味を帯びてきた。

 視界が少し滲み、胸がいっぱいでうまく息ができない。

 嬉しいという一言では言い表せない幸福に、思わず抱きしめる腕に力が入ってしまう。


 「レンくん、嬉しい……?」

 「嬉しいに決まってる。もう今死んでも悔いはないね」

 「まだ子供の顔を見てないのに?」

 「悔いしか残りませんので、精一杯生きようと思います」

 「ふふっ」


 嬉しそうにそっと笑うレティナに、より一層愛しさがこみ上げてくる。


 「レティナさん、だから、言ったでしょ? レオンは絶対に喜んでくれるって」

 「うん、本当に良かった」

 「えっ、喜ぶ以外に何かあるの?」

 「もしかしたら、迷惑かもしれないって、レティナさんが」

 「ふむ、それは心外だな。ま、まさか、まだ約束を破ったことを根に持ってる!?」

 「も、持ってないよ。ただ……ちょっと不安になっただけ」


 レティナの声色が少し変わる。

 きっとこの話を切り出すのは、勇気がいることだったのだろう。

 俺にもっと包容力があれば、こんな不安など持たなかったのかもしれない。


 そんなことを思うと、俺は自然と口を開いていた。


 「結婚しよう」

 「えっ……?」


 レティナの声が裏返る。

 俺も俺で、自分の口から出た言葉に一瞬動揺してしまった。

 完璧なシチュエーションとは言えない場面だ。

 特別なサプライズもなく、美味しい料理も並んでいない。

 ただ、不思議と後悔はなかった。


 俺はレティナをそっと離し、席を立ったまま、言葉を続けた。


 「ずっと考えていたんだ。レティナ、シャル、俺と結婚してください」


 真剣に二人を見つめる。

 この胸のドキドキは、先ほどの幸福から来るものだろうか。

 それとも、どのような返事が返ってくるのかという緊張から来るものだろうか。

 どちらにしても、心臓の鼓動は速まるばかりだ。


 すると、先に反応を示したのは、シャルの方だった。

 山吹色の瞳から、一筋の涙が頬を伝う。

 そして、今まで見てきた中で一番綺麗な笑顔を見せた。


 「はい」


 シャルの返事が身体の芯まで染み込んでいく。

 舞い上がりたくなるほどの嬉しさや、彼女への愛おしさが溢れて、引っ込みかけていた涙が再び視界を滲ませた。

 ただ、泣くわけにはいかない。

 まだレティナの返事を聞けていないから。


 「こんなに……こんなに幸せでいいのかな……?」


 目じりに涙をためて、レティナは胸元で手をぎゅっと握りしめた。

 彼女は時より幸せを拒んだり、怖がったりすることがある。

 それは何故か、明確な理由は今も分からないが……


 「一緒に幸せになろう、レティナ」


 全て忘れてしまうほど、俺が幸せにしてあげればいい。

 その決心は昔からあったが、今日より強く思ったことはないだろう。


 「うん……」


 噛みしめるようにレティナはこくりっと頷く。

 どうやらこの胸のドキドキは緊張から来るものだったらしい。

 二人の良い返事が聞けたことで、身体の力が抜けてしまい、尻もちをつくように椅子に座る。


 「レオンの気持ちちょっと分かるかも」

 「ん?」

 「今、死んでも悔いがないくらいに幸せだわ、ふふっ」


 ふむ、この子が俺の嫁になるのか。

 最高すぎるな。


 「じゃあ、その幸せがずっと続くように努力しなくちゃな」

 「よろしくお願いします」


 思わず、笑みがこぼれる。

 すると、釣られるようにレティナも小さく笑った。


 これから忙しくなることだろう。

 式場を押さえないといけないし、シャルのご両親には結婚の許しをいただかなければならない。

 それに拠点のみんなや両親にも報告をして、レティナのご両親にも挨拶を……


 「……」


 先ほどまで晴れやかだった頭の中に少しモヤがかかる。

 レティナのご両親に挨拶をしに行くということは、故郷であるアガッゾ村に帰るということだ。

 はたして、それをレティナが許してくれるのか。

 もちろん顔を合わせなずとも、報告だけならいくらでもやりようはある。

 だが、面と向かっての挨拶を避けるのは、あまりにも失礼だろう。


 「レン君? どうしたの?」


 俺の表情が気になったのか、レティナは首をかしげた。

 今、どうこう考えても仕方がない。

 一つ一つ進めて行く過程の中で、彼女を説得することにしよう。


 「何でもないよ。今日は特別な日だから、外で夕食を食べようか」


 外の世界はいつもよりもキラキラと輝いて見えた。

 俺の隣で笑っている二人とまだ顔も知らない小さな命。

 夢見心地なこの一瞬を、俺はこの先忘れることはないだろう。

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