46.月障の表現アリ
「……な。カーナ? 要」
そっと肩を揺すられて目が覚めた。ぼんやりする視界は黒。それから青。
ミハルの目の色だ。
とやんとしてる私に焦ったのか、ミハルが眉間にしわを寄せる。んーん、なんだろう。寝坊したんだろうか、私。……寝坊?! はぁっ?!
咄嗟に起きようとした体を、ぐっと押さえつけられる。なんじゃそりゃ。なに?
「要。怪我をしたのか?」
「けが? いや、してないよ?」
「だが、カナから血の匂いがする。下腹部から」
指摘に、呆けた。二拍たってざあって血の気が下がるのがわかる。あ、嘘。あり? あ、あ、馬鹿だ、私。
赤くなって青くなって焦りまくって、ミハルの腕を押しのけた。できるだけ急いでトイレに行く。確認。…………あー、ははははは。ミ、ミハル、鼻がいいなぁ。マジか。マジっすか。
ほんとに微かな経血をきっちりと洗い流してから(ちなみにトイレはウォッシュレットです。大事なことなので何回でも言います。私の深層心理バンザイ!)、応急手当てをして自室に戻る。超絶に心配そうなミハルに耳打ちして、自分が生理になっちゃったことを説明した。よくわからない、という顔をされたので追加で説明する。人間の、成人した女の人には月イチで障りが来る。その言葉は聞いたことがあるがよくわからない、って言われたので、死ぬかと思うほど恥ずかしいのをこらえて詳しく説明した。
これ以上は言いたくない。
で、現在私はちょっと待ってろと厳命され、部屋で待たされてるのですが。なんぞこの流れ。
んぅ? っていうか、私としては一刻も早く市場なり薬屋なりに行って手当品を買いたいのですがな? あと、痛み止めとな? 私、言うのもなんですが重たい方でしてよ?
首を右と左に傾げたあたりで、ばーんと乱暴に部屋の扉が開いた。……初めて見るよ、ミハルの肩で息してる姿。ちょーレア。レア中のレア。
びっくりしてる私の目の前に茶色い紙袋が付きだされる。………………主任よ。私のこのものすごい恐れを今すぐ取り除いてはくれませんでしょうか。チーフでもいい。否定しろください。
「あいつらに聞いて、市場で用意してみた。カナ、使い方はわかるか?」
……………………常務よ、専務よ、取締役社長よ。私のささやかなる願いをだれでもいい、聞き届けてくれなかったのでしょうか馬鹿。ばーか。
ばかバカばーっっか!!
もう、まったくもう、どこがどうつながって私の頭の回路はその結論に至ったのか。
紙袋をひったくるようにして、私はその場で仁王立ちになった。
「もぅっ、も、知らないっっっ!! 私、助けてもらってるばっかりじゃん!! ありがとうって言い飽きたっっ! ごめんなさいって、思うのも、もう、イヤだぁっっ」
全身で絶叫、だ。頭が、真っ白になってぱーんってなってる。あの卑屈さは生理前の不安定症候群でしたよ。だるさと腹痛もだ。
畜生、ンなこたぁどうでもいいんだよ。
「聞いたって! わた、私の体のことでしょうっ?! どーしてミハルが動くの! 恥ずかしいしありがたいし立つ瀬がないし、もおっ、もうっっ!!」
ああ、ミハルがぽっかーんとしてる。そりゃそうだ。私だってこんな勢いで感情が爆発するとか思ってなかった。っていうか止まらないのが怖い。どうして怒鳴ってるの、私。止めて。誰が止めて。
「私だって出来るっ! 身を守れないなら隠れる! 髪の寝癖くらい自分で治せるの! お茶も淹れられるしご飯も作れるし! みんなにありがとうしか返せないのが悔しいのに!!」
おろおろしつつミハルが手を振ってる。自室の扉は全開だった。だから突然の大声に驚いたみんなが廊下に集まってくる。それがわかってても、言葉は止められなかった。
「こんな考え方がイヤだっ! 私、私はいい子なの! 一つくれたら二つ返したい! 役に立ってなきゃ、いてもいなくても一緒の人でしょう?! 私はっ、大人なの! 貰うだけじゃなくて上げたいの! 自分のケツくらい自分で拭いてっ、他の人の面倒を見られなくても手はかからない評価でいたの! 子供なんかじゃないっっ!!」
「あ、…………ああ」
「いるだけでいいなんて、そんなの人形よりもひどい大事にされ方じゃんか! どれだけ人としてのレベルが違ってても、返せない理由になんかなるものかっ!! もっと見返りを口にして! 私に、なんでも要求して!! ハイスペックチート、弱点が弱点じゃなくておかしいよ!? 私はっ、好きには好きを、ありがとうにはありがとうを返したい! もぅ、ん、もぅっっ!! こ、こんなふうに怒るの、私は嫌いっ! 嫌!! 怒る人になるのも見るのもイヤっ。にこにこしてたいしっ、自分で立っていたい!! 大事にされたらっ、同じか、もっといっぱい、返したいのっっ!! 男の人の好きはっ、まだいらないっっ!!」
「…………また、えらくかわいらしい癇癪を起こすな、カナ」
どうしてだか、戸惑っていたミハルが困惑を消してニヤニヤし始める。ぽっかーんてしてた兄さんたちも、じわじわと真顔になってから同じような顔になった。なんなのよ。なんでそんな態度よ。私、怒鳴ってるのに。嫌な子なのに。
「なんで笑うの!? み、ミハルもみんなもっ、っあぁぁもうっ、ば、馬鹿なの?! 感謝できない子にそんな顔、したらダメ! もうっ、もう! 良くない子は怒らないとダメな子になるって知らないの?! ダメな子はいらないって……」
…………あ、れ? 私はこの言葉に覚えがある。ぎゅうって握りしめてた紙袋に目を落とした。どれだけ勢いが付いてても、偽善者らしくて嫌になるけど、私にはどうやら、そこまで仲良くない人に馬鹿だのあほだのを言うことはできないようで。
情けない思いで、でもそれとは別に違和感を感じて言葉を濁した。
わーってなっただけで怒鳴り散らしてた言葉は、すでにほぼ種切れだ。そもそも、日頃に怒鳴ったりしない人間にはあのテンションの維持が難しい。喉も痛い。
「……いらないって、言われて、ない」
「ああ。なんだ、もう終わりなのか? カナは本当に慎み深い。癇癪ですら穏やかだ」
「はぁっ?! こんなに怒鳴ってても?」
ごくり。感情の塊を飲み込む。球根のような『怒りの素』は、私にしてはかなりの大きさで、だから飲み込むときに喉が痛いけど。飲み込めないほどじゃない。
体の奥にしまってしまえばもう、あとしばらくは怒鳴れない。
「…………カナ。母や姉、義姉に義妹。我が家の女性たちをあなたに見せてあげたいです。今のほんの短い時間では、彼女たちの足元にも及びませんよ」
「内容も内容だな。なんだあれは。癇癪でもない。ただのおねだりだろう」
「んーでも、ごめんね。やっとカナが何を不安がってたのか、少しだけわかったかも。ミハルに説明してた時はイマイチ理解できなかったんだけど、そっか、カナはそういう躾を受けてきたんだね。僕が思ってたより、カナは大人なんだ」
「ナーナ。申し訳ないです、僕にはまだ、ナーナの言われることがわからないです。僕の気持ちは迷惑でしたでしょうか。好きの気持ちが、うっとうしいですか?」
「我にもよくわからなかったな、愛し子よ。我らはお前の世話をしたいのだ。お前に少しでも関わりたい。執着が重いのならそう伝えてくれ。善処……すら約束はできんが」
兄さんたちとバルトが納得する傍らでユーリとケルンが首をひねる。唐突にミハルが大口を開けて笑い出した。気持ちよく笑い声を響かせる。
私ぽっかーん。ミハル以外のハイスペックチートもぽっかーん。
あぁぁぁ。もう、これ、どこからどうこの会話を終わらせていいかわかんない。
紙袋を振って、ちょっとトイレ、と呟くと、ざあっと扉の辺りから人が引いた。私の気持ちも引く。こんな公開処刑、聞いたことがないですよ社長。今から何をしにトイレに行くか、みんな知ってるとか。すげぇ。拷問か。
とぼとぼとトイレに行った。袋の中身は予想どおりの生理用品。ポケットティッシュみたいな、もとは布らしきもので作った綿を重ねたものは私の知ってるソレによく似てた。あと、蝋でも塗ってあるのか防水加工に限りなく近い下着も買われてる。ちなみにズロース紐型です。
上長、そろそろ羞恥で死ねます。
しかもストックでしょうか。同じ物が何セットか袋に入ってました。
私、どこまで粗忽認定されてるんだろう。
幸いにしてアレは本格的に始まってるわけじゃない。けど、うっかり横漏れしたら本気で家出する。してやる。意味の分からない決心でこの世界の生理用品を身に付けた。鏡の前でくるりと一周。良し。ラインは出てない。
往生際悪く、せめて居間から戻ろうとそっちに行けば、タイミング悪く全員が居間にいた。……ああ、そう。そりゃそうですよね。思いやり深いハイスペックだもん、私の部屋になんかじゃなくてこっちの方にいるに決まってるさぁ。
やさぐれながらミハルのそばに行く。……うん? いつもの勢い、食虫花のように捕獲されませんよ? ぬいぐるみにしないの? ミハル。
「いいのか?」
「んぅ? いいってなに、が……」
聞き返す途中で理解した。一瞬で顔が赤くなる。ひーーーーー。ミ、ミハルのばかっっ。それより私が馬鹿だっ。どうして聞き返した!
「まぁいい。体に不快なところはないか? 女性とはデリケートだと市場で大変に力説された。改善点を私に教えてはくれまいか」
死ねる。消えてなくなりたいです編集長。ついさっき怒鳴りまくってきた小娘にこの態度。理不尽に八つ当たりされてて切れるならともかく、ミハルったら逆に私を気遣ってきましたよ。どうすりゃいいのよこの大人っぷり。畜生、これこそが大人じゃないか。
……うん、わかってる。バルトを除いて、なるたけそこらで体を小さくしてる他の人たちも、私に気を使ってるんだよね。彼ら自身が気まずいんじゃない。怒鳴った私が、怒ってしまったことを気にしないように視界に入らないようにしてくれてるんだ。自分たちが先にいた場所から、私が来たことで出ていってしまえば気にするかもしれないから。あーもー。
ああ、もう。
「……きっともうすぐ、すっごーくお腹が痛くなる。その前に薬が欲しい。鎮痛剤。それと、精神的にもダメージがある方なの。情緒がぐらっぐらに揺れる。みんなにはできるだけ逃げてほしいかな」
「鎮痛鎮静剤、ですか。すぐに用意しましょう」
「だが、お前のそばから離れることはしたくない……。カナ? 不快か?」
「ありがとうトール。……ん、不愉快じゃないよライ。ただ、八つ当たりしちゃったら申し訳ないって話」
「八つ当たりされたら言い返すよ。それでいい? カナ」
「…………あぁ。うん。……うん。ブックロゥ。そうしてくれると、私、すごくうれしい」
ほっとして、ぐったりミハルの体にもたれかかる。あんまりにも私が情けなく、ふにゃって笑ったからだろう。みんなが息を飲んだ。
「一週間。もしかしたらもう少し。その間は体力もない。お手伝いができないの、イヤだなぁ」
「そんなに長くかかるのなら、いっそ寝るか? 自室にこもりたい?」
「摺り足で歩くほど体調がよくないのに手伝わすことなど、誰もできまいよ。あきらめろ」
「優しいね、ケルン、バルト。……んーでも、できれば、嫌じゃなければ、私も家の中をふらふらしたいかな。なるたけみんなの邪魔に……や、違うか」
「ええ。邪魔だとも目障りだとも思いませんよ。……もしかして、この期間中は思考能力も落ちますか、ナーナ? あなたの考えにしてはずいぶんと、その、後ろ向きだ」
「そうだな。判断力と理性が落ちるのか。……こうしてみると人間の繁栄システムは女性に不当なまでに負担がかかるな」
優しく言い切ったミハルが私の頭を撫でる。そう? そうかな。確かにちょっと、面倒だけど。
トールが錠剤にしては大きすぎるどんぐり飴を私にくれる。……流れからすると鎮痛剤だろうか。飲めねぇレベルだな、おい。
少し大きい、と告げると、くすくす笑いのユーリが錠剤を小さくしてくれる。……どうやって見た目を変えてるんだろう。重さが変わってないから密度を上げてるんだろうか。方法は? 理論は?
はいどうぞ、とブックロゥがお水をくれる。カナのだよ、って説明されたオレンジ色のマグ。木地の色なんだって。細かい縞々がきれいに入ってて素朴。好きな感じ。
ありがとうのお礼を返して錠剤を飲み下す。もう一口を飲んでそのあとはちょっと持て余してるとマグを取られた。ミハルが残りのお水を飲みあげる。
傍にいたケルンの頭を撫でると、びくりとされた。ん? ……あ、匂いか。ミハルでさえ分かったんだ、アレの匂いがひどいのかな。
手を引くと、追いかけるようにしてケルンの狼頭が私の手の中に潜り込んできた。逆撫でられっていうのか、擦り付けられる。気持ちいい。かわいい。気持ちいい。
心が動くままに、ミハルの膝から降りてケルンの前に崩れた。両手でケルンを抱きしめて、いっぱい頬ずりさせてもらう。森の匂い。さらさら。もふもふ。
鼻面にキスを落としてたらふんわりと持ち上げられて、またミハルの膝の上に置かれた。仕方がないなぁって、ミハルのしかめられた眉間にキスを落とす。頬にも。
するするとミハルの頬に置いた手を取られるのでそっちを見る。ユーリだ。もうほんと、人外はみんな正直でかわいらしい。さびしいって、眼で言ってくる。
私は、ユーリにも同じようにキスを落とした。綺麗な黒瞳を閉じさせて、瞼にも。い、いやいやいやいや人間の兄さんたちにはしませんから。並ばれても、しません。
不満そうに頭を掻くライがどっかりとソファに座り込んで剣を磨き始める。それを見たトールとブックロゥが本をどこからともなく取り出して読み始めた。ミハルがバルトと取り留めのない会話を始める。
…………はい。それを聞きながらまたも寝落ちしたのはアレのせいです。せいですったら。けっして、寝汚い子じゃなくてな?!
しょうがないじゃんねぇ。アレの初期、異常に眠たいもん。




