47.三人称
「寝たか」
「ああ。落ちた」
子供のように安心しきった寝顔をさらすカナを抱き込めば、ミハルのほうには恨めしそうな視線がいくつも刺さる。優越感が甚だしい。実にいい気分だ。
ミハルはユーリが差し出してきた薄物に要を包み、自分の太ももに頭をのせる格好にしてやる。眠いのなら眠ればいい。そのせいで夜に眠れなくなるのならいつまでも付き合おう。伴侶に時間を取られる幸福を、いまいち彼女は理解していないようだ。
「……それにしても、さっきのカナはかわいらしかった」
しみじみと呟くと、バルトまで含めた全員分の肯定が帰ってきた。本を読んだり剣を手入れしたりは、やはり要を安心させるための芝居の一環だったようだ。彼女に気取らせないように様子をうかがっていたのだろう。今やライもトールもブックロゥも要から視線を外さない。ミハルはバルトに目をやる。つがいの龍は自身の子に向けるような、優しい表情をしていた。
「少々、情緒不安定が表に出すぎだと、そう思っていたがな。理由があったとは」
「そうだねバルト。僕たちにはよくわからない範囲のことだから想像してなかった。うかつだったかも」
「それについては確かに迂闊だな。お前らが同族で年かさなんだから、お前たちが先に気が付いてしかるべきだったんじゃないのか? 大体、無遠慮にカナと距離を詰めすぎなんだ。まぁ、どっちにしろ人外からの執着でそろそろ息ができなくなるかもとは思っていたから、なじられたときも私としてはそこまでショックではなかったがな。いや、それにしても予想外だった」
「ああ。あの程度で癇癪が収まった挙句にすぐに我に返った後の、あの身の置き所のなさそうな顔。いったい元の場所でどれだけの我慢を強いられていたんだろうな、あれは」
「ライ。カナは怒鳴ることにも慣れていないようでした。大声にも。カナのいた場所が特別だったのでしょうか。それとも全員があのような感じか」
「僕にはよくわかりませんが。ナーナの言っていることは母上には理解できたのでしょうか」
ユーリの言葉を聞き、ケルンも我が意を得たりと頷いた。そういえばそんなことを言ってたな、とミハルが寸の間、考え込む。溺愛と執着を受けることが当たり前の龍のつがいしか見たことがないユーリと、どうやら自身の恋愛沙汰にはとんと縁のなかったようなケルンを見て、どう説明すればわかりやすいか、と前置きして話しかけた。
「カナは、人間の成人女性だ。意味が分かるか?」
「はい」
「いいやユーリ。その顔だと理解していないようだ。そうだな。……お前が、ケルンから同じような干渉を与えられた場合を想像してみるといい。朝起きてから食事、身の回り全般にわたって実に細かくまとわりつかれるわけだ。一人になれる時間もない。あれをするかこれが好きか、できないのならばしてやろうと、ずっと誰か彼かに話しかけられ、独り言にも突っ込みが入り、欲しくもない美辞麗句を浴びせ続けられる」
一拍、二拍も置けばケルンとユーリの顔が強張っていく。それはそうだろう。彼らは風龍であり大地の大精霊だ。強大なる力に見合ったプライドを持ち、何よりも束縛を嫌がる種族である生き物にはてきめんの諭し方だったのだろう。
「……なるほど、カナが溺れる、か」
「理解しました。……ですが、ええ、ですが」
干渉したいのだという本能は、決して止められるものでもない。
アレがいいのだ。アレの視界を独占したい。
ユーリは、初めて知る独占欲の強さに目を揺らがせる。健やかにしなやかにカナを泳がせたい。しかしそれは、自分の手の中でなければ許せない。本人が、たとえ嫌がっていようとも。
「まぁ、幸いにしてカナは執着されることに鷹揚のようだ」
「……それも違うと思うぞ、ライ。あれは多分、その場を受け流しているだけだろう」
揺れる我が子を見守りながらも、忙しくミハルは聞き捨てならないライの台詞に訂正を入れる。そういう誤解をされているのなら是非にでも解いておきたかった。カナの、自分の伴侶のために。
「カナは、これまでのことから推測するに非常に抑圧された環境で育ったんじゃないか? だから、言われたことをいったん丸飲みするくせが付いているんだと私は思っている。ようするに、『はい』以外は認めない育てられ方だな。カナとしては、それは無理だとか受け入れられない言葉でも、とりあえず掛けられた言葉を元にして対応をしているというか」
ふむ、どう言えばいいのか。とミハルはカナの前髪を梳く。顔色は白い。貧血を起こしかけているようだ。
「最初からのカナの言動を思うに、その場その場でしのげるように即座に反応を変えてるんだ。自分の疑問よりも相手からの要求を先に済ませる、というか」
「ですが火龍よ。それではすぐに個人としての一貫性が破たんしてしまうでしょう。カナにはきちんと個性がある。常に相手の言いなりとなっているならばそれは発生しないはずでは」
「だから、ヒロトとやらにはその手の対応をしていないのだろうよ。思い出せ。カナが苦手としている対象は?」
「……年下、もしくは年長者の男性」
「そうだユーリ。カナは、私には反論できている。さっきの癇癪も、私が相手だった。混乱しきって怯える女性がかわいいなんぞ、私のアイデンティティが揺らぐかと思った。だが愛らしかったな」
堂々と『自分は愛されている、信頼されている』アピールをしてくる龍に、男たちの口端が引きつる。なんだろう、この敗北感は。会話がずれていくことが気にならないくらいに、もやっとする感情。
「つまるところ、私たちとしてはこれから、カナがどんなに自分の意志で選んでいるように見えても油断をしないこと、だな。陰で泣かれるのはつらい。泣かせたいわけじゃない」
「「「…………」」」
「あとは、あまり干渉しすぎないこと、か。こちらは難しいな。さきほどの戒めと相反する部分も多い。できるのか、の自信は心もとないな」
「「…………」」
「ところでケルン。いくらなんでもカナは昨日から寝すぎだと思うんだが。施錠による負担などはあるのか?」
「…………ある、だろう、としか言えぬ。個人差が大きいゆえな。だが、カナに関しては施錠自体と、それから施錠すること、そのものへの精神的負担も大きかろう。体が、休養を先行させているのやもしれん」
「ふむ。カナが笑っていてさえいれば、私としてはそれでいい。あまりにも眠るばかりであれば寂しい。施錠の回数を日数で制限しようか」
寂しい。寂しいとはなぁ、とミハルは笑う。悠久の時間を生きる龍は退屈と常に背中合わせに生きる。暇をつぶすことにかけて彼らにかなう生物もおるまいと歌われるほどに。
だが今、ミハルは寂しいと思う。
「くるくるとよく変わる表情。考えが全部、表に出てくる素直さ。出会ったばかりに等しい男どもの居場所で寝入ってしまう無防備さ。愛らしくてたまらん」
「我としてはプライドも気に入った。情には情を、親切には親切を返したいと要求するものは初めて見たな。愛情を、いらんと跳ねつけてくる小娘も」
バルトの楽しそうな顔に、ユーリを筆頭とした男たちは眉を下げる。そう、その点もあった。過干渉不可といい、裏打ちのない愛情は認めないといい。
「何一つ、思いのままにならぬとは。ナーナが特別でしょうか父上。それとも」
「恋情とはそのようなものであると、書物に書かれておりますよ風龍」
椅子に座っていたトールが、話が終わりだと判断したのかもう一度どこからともなく本を取り出した。向かいに座るブックロゥと、これが召喚本か、いや違う、と会話を始めてしまう。すぐに熱っぽくなっていく議論に苦笑したライが剣の手入れを始める。ケルンは中庭に出ていった。ユーリが、そっとカナの手に唇を落として同様の道をたどり、宙に消える。散策に行ったのだろう。
ミハルはソファに横になったままのカナを見つめる。飽きない。この幸せを手に入れられた自分に賞賛の言葉しか出ない。
「さぁ、いい酒でも買ってきて飲むか」
誘いに軽くうなずきながらも、目線を片時も伴侶から離さない自分のつがいにどことなく恨めしそうな顔をして、バルトがするりと宙に消える。
あとには、熱心で静かな空間が残った。




