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45.


とりあえず、確かに舐められたところは純粋に気持ち悪い。や、嫌悪じゃなくて。

誰もいない家をいいことに、のんびりとお風呂に浸からせてもらうことにした。24時間かけ流しのお風呂ですよ。ちこーっと温め、で、かけ流し付近はちょうどいい湯温。まるっきり天国のよう。

私の深層心理はいい仕事してる。ってことは透明無臭だからわかりにくいけど温泉なんだろうか、このお湯。


泳げるレベルで広い浴槽に、うんと手足を伸ばす。ミハル、細かいところまで親切な人だよねぇ。私より先に私の気持ちに気が付いてたんだ。確かに、今は一人が気楽だって思ってる。誰かの顔色を見ることなく好きにできる時間。


ぱしゃり。湯面を叩いてみる。もう一度。もう一度。


上がる水しぶきは私の頭を濡らし、顔を滴り落ちる。それに紛れるようにして涙を落とした。うるさく鳴る水面。その合間に聞こえる啜り泣き。ああもう悔しいなぁ。何も聞きたくないのに。

情緒が不安定すぎて自分で気持ち悪い。幸せだなぁって思ってる次に不安になって、できるって確信したあとで怖くなる。本物なのか偽物なのかわかんない。その単語が、ヒロインの立場に対しての物なのか自分の気持ちに対しての物なのか、の両方にかかる。ダメだ混乱しきってる。口に出そう。


「私が、鍵だった。二個目も閉じられた。だからきっと、次もできる」


うん、ここまではいい。扉に対してやってみたことの結論だ。飲み込める。


「本物の主人公は、もう、きっと来ない。来たとしても彼らとのフラグはもう立たないかも。私が、あのポジションを代行するしかない」


ここだ。これがまだ飲み込めない。もしかして、お話の中とかじゃなくてこれが現実? そんな馬鹿な。でも、馬鹿って言いきれるほど、私は事実を知ってるの? 魔法なんてありえないって否定できるほど、現代の世界情勢知ってる? 呼ばれて来ちゃったこっち側の分は?


怖い。怖いよヒロト。私に降りかかってる事実を積み上げたら、ゲームとか小説の中だとか、そんな妄想が消えちゃうよ。私が元いた場所に帰れないことは腹に刻んである。けど。


「好きになってもらえてることを無条件に受け入れることは、私にはできない……」


みっともない。この年になって男の人の顔色をうかがうことって本当は変なことだ。あの子たちが怒るとうるさいから、うるさくすると私が怒られるから、私はずっと家族の顔色を見てるような子だった。だから怖い。年頃の子が、どれだけ些細なことで怒るのか私は知ってる。他の人の感情だってそれにつられることも。誰かが怒ってたら自分だって怒ってた方が簡単だから。私の家族は、そういう理屈で動く人たちだから。

私が、どれだけ怒声や荒い語気を嫌うのかなんて、あの人たちに何度言っても通じてなかったから。

だから私は、なるたけ怒りやすい人に近づかないようにしてた。家族には最小限で接するようにしてた。ご飯中にケンカになるのが一番嫌い。美味しい味が、しなくなる。


水面をもっと叩かなきゃ。一人になってれば泣いていい。けど、泣き声を聞かせたら、あの子たちにうっとうしいって苛々される。泣いた跡も、隠しとかないと。


ミハルやユーリたちがその手の人じゃない確信が欲しい。や、ミハルはいい。ユーリもきっとそんなことしない。だけどケルンや兄さんたちは、何がきっかけで不愉快になるのか読めない。私の自覚してないところに腹を立てられることが、怖い。

私を理由にして、言いがかりみたいなことで誰かを怒る人たちを、見たくない。


苦しいなぁって思ってたら、号泣に近くなってたせいだった。この家、冷蔵庫あるんだろうか。ぽつりと疑問が湧く。アイシングしなきゃ目の腫れ、取れないだろうに。私にもチートが欲しい。


湯面を叩く手はいつの間にか止まってる。ようやく涙も止まってきた。お風呂から上がろうかと浴槽に手をかける。ここで逆上せてなんかみろ、今でもこれ以上なく過保護なのに先の見えない溺愛レベルに上がるに決まってるだろ。全員が。

フラグは回避しないと。


ざぁっとお湯を洗い場の床にまく。汚れ落とし、と、私が寝転がるためだ。ぶっちゃけ、意地を張ってましたが立ち上がった自覚したね。思ったより逆上せてましたよ。

でも大丈夫。ミハルたちが夕方に帰ってくる予定だから。

おやつの時間までに私が体調を回復すればいい。こうやってれば目の腫れも引くだろうし。


たくさんの理由を自分にかけて上げながら、私は冷たくて気持ちいい石面の上で少しだけ休憩する。平然とした顔で『いってらっしゃい』を言った私が泣き顔になってれば、きっとミハルは混乱してしまう。私だって惑乱中だ。家族の中にいるときは自分の感情をいつだって後回しにしてきたから、家にいるときの感情の落としどころをどこに持って行っていいかよくわかってない。


にこにこしてた私が、風呂場とかトイレで泣いてたら、それはいっそ情緒が不安定すぎて怖い光景だ。


私は、ころんと石床に転がる。困ったな、まいったな、と言いつつも頭が動かない。ぼんやりしてる。逆上せたから? 泣きすぎたから?

ちろちろって湯船に注がれる水の音が静かだ。

私はちこっとだけ、目を閉じた。




「お帰りなさい、ミハル」

「ただいま、カナ。…………髪が、濡れてるようだが。風呂に入っていたのか?」

「ん。バルトはえらくご機嫌さんだね?」

「お前にもしばらくすればわかるだろうよ。愛するものと過ごす時間は素晴らしい。なんだ? 置いて行かれて寂しかったのか?」

「……ん、そっか。……そうだね、きっと」


あの後、気が済むまでお風呂場の床に転がってて、気が付いたら体が冷たくなってたことは言わない方がいいだろうな。うん。

ぼんやりする頭をミハルに擦り付ける。お帰りなさいをいう前に、ミハルにはソファでぬいぐるみにされた。安定の素早さです。

冷たくなってた体を温めるためにまた浴槽につかって、もいっかい逆上せ気味になって。わりと本格的に自分が馬鹿みたいに思えてきた。あほか?

ミハルが私の髪に指を差し入れる。何度か梳かれて、それで乾いた。跳ねもなし。……はぁ。


「おや、ユーリたちも今か。カナに解禁された夕方までギリギリ待った、というあたりだな」

「はい、母上。ただいま帰りました。ナーナ?」

「お帰りユーリ。ライ、トール、ブックロゥ。ケルンは……」

「ここだ。今、帰った」

「お帰りなさい。お散歩、できた?」


行儀悪くも、体が重くて力が入らない。ぐったりとミハルにもたれたまま話しかけると、ケルンがたじろぐ気配があった。なに?


「いや、……ああ。散歩というか。ライたちは買い出しだったか?」

「色々と買い揃えてきた。カナ? どうした、疲れたか」

「ナーナ? 何か飲まれますか? こちらは?」

「ん、と、ない。ちょっと、いらない」


片言みたいな言葉をライとユーリに返す。疲れたっていっても兄さんたちほどじゃないよ。冷たいものも、なんでかな、いらないんだ。

そんなふうに差し出されるもの、私にないんだよ。返せないの。何もできない子だから。


「甘いものはいかがですか、カナ。お疲れなら部屋に戻られますか?」


だから、優しくしてもらえても、返せないんだってトール。私が返せるのって、何の意味もないありがとうの気持ちとか感謝の言葉だけじゃん。せめてご飯でも作れたら恩返しできるだろうか。でも、チートでハイスペックの彼らの方が、美味しいのを用意できるかも。買い物一つできない私より、もっとすごくて上のランクの物が。


「え、と、……うん。ちこっとだけ眠る。いい?」

「いいけど。僕でよければ一緒に寝てあげられるよ?」


優しいブックロゥの言葉に、引きつったような笑みしか返せない。うわ最悪。せめて心配かけないくらいしか頑張れるところないのに。ほらみろ、おっそろしいくらいに鋭い彼らは、私の変調にもう気づいてる。全員がどことなく不思議がってる。


「寝る。ご飯になったら来る。手伝いたいから、起こしてく……えっと、や、いいや。ちょっとしたらきちんと帰ってくるから。テーブルのセッティングとかお料理、それから一緒にしようね」


この感情に今は突っ込まれたくない。隠したいわけじゃないから大丈夫だよね。拒絶することにはならないよね。


私は一人で自室に帰る。ふかふかのお布団はお日様の匂い。どす黒い私とは正反対だ。

溶けて消えてなくなればいい。卑屈で後ろ向きの、みっともない私。

ベッドの上にあがって枕を抱き込む。だるい。とにかくだるいし、冷えたんだろうか。お腹も痛い。

消えろ消えろ消えて。


眠る前に回っていたのは、そんな思考。




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