44.
気付いとらんやったけど777、スリーセブンやで!
七夕やで!
「……なぁ、今度はなんだったのよ。私、頑張ったくない? 怪我もなく血の一滴も流さずに、どっこも痛くしてないよ? どーして、ありがとうも助かったもトラにバイバイも言わせてもらえないままに風呂に突っ込まれたのよ。おかしくない?」
ぶーぶーと文句を言ってる間にブックロゥがお茶をくれる。ほかほかでさらさらの私に配慮してくれたらしい。緑の透明な液体は冷たくて気持ちいい。
「まったく、欠片もおかしくないね」
「トラから一瞬でも早く離したかったからな」
「カナのうれしそうな顔は私に幸せを運んできますが。業腹です」
ブックロゥ、ライ、トールの順番だ。無言のままで私をお風呂に入れて、ごしごし洗ってくれたミハルは当然のように私を抱き込んでソファに座ってる。ミハルもなんかいる? ってつもりで指差したマグを、頷いて私の手ごと掴んだ。あ? なんじゃそりゃ。そっち飲むの? 飲みかけだよ?
「カナの飲む物は美味いが、カナが私にくれる感情は美味いものだけではないな。嫉妬は醜く、苦い」
「ナーナのおかげでこの手の感情がありますから。そう思えばこの焦げるような胸の内も……いえ、やはり我慢できません。ナーナ、無防備すぎです。というか、僕以外の何かに触るのが嫌です」
「我がつがいに妬みを教えてもらえたのは幸運だが、カナよ。少々、あの肉食獣に同情しすぎたようだぞ。お前の保護者達は全員、またもやお怒りだ。我としては正直、楽しくてならん」
「二個目の扉でここまで差し障りなく施錠するとは、今代の鍵は非常に優秀なようだが。我としては恐ろしく面白くないな。ああ、まったくもって面白くない」
ミハル、ユーリ、バルト、そしてケルン。特にケルンは、私が初めて見るレベルの立腹具合だ。んーん。ちょい待ってほしい。なんでこんな怒られるのか、私、イマイチわかってない。
「…………なるほど、ここまであの獣の香りが残っていてもまだわからぬ、と。ミハル、その手をどけてくれまいか」
言うが早いか、ケルンは私の太ももに足をかけて伸びあがる。べろり。たっぷりとした舌で一気に頬を舐めあげられた。……うん?
きょとんとしてると、「済まなかった、まだ匂っていたか」と今度はミハルが反対側を舐める。あり? なんなの?
「特例でお願いします、母上」
「仕方ないな」
ぽっかーんとしてるあいだに、ユーリがミハルに断ってから私の手の甲を舐める。ちろりとユーリが兄さんたちに流し目をすると、それが合図だったみたいだ。ライたちも次々に手の甲、手のひらを舐める。誰一人として重複してない。すごい。人間、服を脱がなくても舐めるとこ、いっぱいあるんだね! っつか、っつか、っつか。
「なななななななにをっっ」
「しょうがない。カナがあのケモノの匂いを付けたことが、業腹だからな」
混乱して、ようやく自分の手を取り戻すことに思い至った時にはもう遅かった。ミハルったら私の首筋まで舐めてくる。うひゃあぅ! こ、このっ、この破廉恥さんっっ!!
爪の先、鎖骨あたりまでは確実に赤くなってる。せっかくお風呂に入ったのに汗がだらだらじゃないかっ。恥ずかしいって気持ちは振り切れると硬直に進むね。はくはくと、抗議の気持ちだけを伝えたくて伝えられない口が動くだけ。っひぃぃぃぃ。
全員が私を取り囲んでるから身動きもしたくない。バルトが一歩離れたところから届けてくるにやにや笑いがいたたまれなさを助長する。わかった。私が悪かった。わかんないけど、わかった。
「ちょ、ちょい離れて……」
「……やれ。今代の鍵は、いささか純情に過ぎる」
ケルンが、まだ腹立たしげに私の頬を舐める。語気にはっとすれば、真冬の海の色が紺色に代わってた。ケルン、……怒って、るの? これ。
「しょうのない。おい、お前たちは買い物に行け。我とミハルはカナに説明してから離れる。いったん、哀れで情緒の足りん小娘を落ち着かせろ。お前たちの感情に引きこむな」
バルトが、かなりきっぱりと言い切る。それで私も我に返った。みんなもちょっと、目が覚めたような顔をしてる。ケルンが目を閉じたまま私の腿から下がる。それを皮切りに、兄さんたちも一歩下がった。ユーリは私の手を握ってるけど。
「怒ってない。誰も、怒ってるわけじゃないんだ。カナ」
「ブックロゥ、お前、カナの好きなものを作れるか? おどかした詫びに、何か美味そうなものを探してこよう。甘いもの以外で」
「ほんの少し意地悪ですね、ライ。カナ? カナは何が好きですか? ああ、まだ好き嫌いでわかるほどこちらの食べ物には馴染まない?」
「……ナーナ。昼をあっさりと済ませて、夜に今回の施錠のお祝いをしましょう。緑髪がナーナのために腕を振るうそうです。ナーナ? 僕はあなたのために、何を用意すればいいですか?」
「我は少し、昼寝でもするか。カナ、では夕刻にまた会おう」
はたり、と尻尾で床を叩いたケルンがその言葉をきっかけに宙へ消える。転移魔法だ。
ユーリに握られてる手を揺らすと、ユーリもそっと離れてくれる。考えてから、私でも飲めるようなものすごく軽いアルコールをおねだりしてみた。わがまま、言われた方がうれしいってどんな感情なんだろうな。ユーリは満面の笑みで了承すると、兄さんたちの方に寄る。財布を確認して、一気に宙へと消えた。
がらんとしてしまった居間に、ミハルの体温が温かい。ミハルも行っちゃうの? 置いてく?
「……かわいい子、愛しい子。お前が一人になりたくなければ、私もここにいるが。まだ息は詰まらないか? 溺れてないか?」
「溺れる? なんに? ミハル。息は、うん、……ちょっと苦しかったけど」
恥ずかしくて、だよ? と念を押すとミハルが苦笑した。それからユーリと同じような満面の笑みに代わる。さっき自分が舐めてたところにキスをされた。
「舐められて気持ち悪かったろう。もしもよければ、また風呂に入っておいで」
「ん、……うん。でもいいの? みんな、なんていうか、マーキングしたんじゃないの? アレ」
ぐるぐると考えた結果をミハルにぶつけると、バルトが愉快そうにふき出した。そのまま腹を抱えて笑う。……イケメンがすると腹立たしさが倍増する仕草って、確実にありますよ班長。知らないこと、また知ることができましたよ区長さん。
「マーキングならもっと派手だ。カナが思うよりも、我らの印は強い」
「あのケモノにその手の意図がなかったことが幸いだったな。あれば今頃、せっかく助かった命とて失っていただろうよ。ユーリとケルンのせいで」
「なに、その場合は守護者たちも手を貸したがるだろう。……カナ? お前の体からはもう、獣の匂いがしなくなったから。好きにすればいい。香水をつけようと洗い流そうと関係ない。そういうたぐいの匂いではないからな」
マーキングの言葉を否定されてない。ってことはやっぱり、私があのトラをモフり倒したのがみんなの癇に触ったんだろうか。なんで?
っつか、その類の匂いじゃない匂いってどんなんなんだよ。獣の体臭とか香水とか、わかる範囲のもので話をしてよ。そういうの、人間の臭気で追えなくないか?
少なくとも私には、さっぱりとわからん。
「ケルンは、地の精霊殿は先ほどの獣と同じような形をしているな、カナ。だから、かの精霊は激怒していたのだよ。お前に、あれと同じようにしてもらいたいのにしてもらえない妬ましさだな。決してお前が下手を打ったわけじゃない」
「けれどカナ。私やユーリにしてみれば、お前が自分から他の存在に手を伸ばしたこと自体が腹立たしい。おまけにお前ときたら、あのケモノに触っている間、にこにこと、それはもう嬉しそうに撫でまわして。私たちの苛々も、もちろんお前のせいではないが、愛しさがぐるりと回ったこの気持ちが募ることも理解してほしい」
「大体、肉食獣を前にして守りを解かせたし。そも、……誰もお前を慮って言及しなかったがな、カナ。お前、ずいぶんと泣いただろう」
バルトの言葉に、私はすごく驚いた。うぇ? 気が付かれてたの?!
「気が付かないでか。泣き顔を見せたくないお前の気位の高さも私たちは気に入っている。あの場にいた全員がわざわざ言わずに済ませていたことを、今、告げるバルトは意地悪だ」
「お前の泣き顔を、獣は見た。顔に多少の擦り傷があったことからして、舐められたな? まぁな、匂いの強い個所からしても我たちはすぐにわかったが。あれらはな、それにも焼いたのだよカナ。お前のせいではない。だが、不用意に泣き顔を見せるなど、無防備だと責めるユーリの気持ちもわかってやってはくれまいか。鈍い女に惚れる辛さは我とてもよく思い知っている。不憫でならん」
最後は笑いながら言ってくるバルトの言葉には、かけらだって私を馬鹿にする雰囲気はない。優しく、私にもわかるような言い回しで諄々と諭してくる。おかげでようやく、トールたちの気持ちに追いつけた。うん、納得はできないし、恋愛ベースの嫉妬とか経験したことがないからわかったよ、とか言えないけど。
「やきもち、なら、わかる。ごめんなさい」
精一杯、ミハルの腕の中から頭を下げた。つむじにキスが落ちる。それがどいたらバルトの手の感触。この短時間でどれが誰の手なのかわかるようになったとか、以外とものすごくない? 撫で方で相手を推測できるとか、すげぇ濃い交わり方だよ。真面目に。
1人にして大丈夫か? ミハルの言葉に、私もそうしてほしいとお願いする。
ん、と…………でも、ゆ、……夕方前には戻ってきてほしいとか我慢できなくて付け加えてしまった。甘えた盛りの子供か私は! ってセルフ突っ込みしつつも重ねておねだりすると、ミハルの雰囲気が溶けんばかりになった。バルトが目を細めて私の頭を撫でてくる。なんだこの空気。グッジョブ? なんで?
そっとミハルの手が離れる。私が振り返っていってらっしゃいの挨拶に笑顔のミハルがキスをしてきて。
ふんわりと、二人して宙に消えた。




