43.
ぬっくぬく。ふかふか。私は理想のバランスボールみたいな何かに掴まってごろごろ転がった。トランディーノ、あの植物の時とは違う。ねばねばしてない。顔がひりつく感じもしない。
すごく毛足の長い、もこもこした絨毯の上を思う存分に楽しむ。……や、違うでしょ。私、ここに何しに来たんだっけ。
扉の施錠のことを思いだす。体を使ってしがみついてたボールが解けて白いトラになった。仔トラだ。かわいい。かわいいなぁ。なんじゃこの愛らしさ。反則でしょ。
驚いてる水色の目を覗き込んで、私はしまりなくだらしない笑いをこぼす。ぐへぐへ下品な声を出しながら思いっきりモフった。ピンクの舌、ちょーかわいい。濡れてる鼻。白と、それから銀色の縞々。青銀のケルンはこれからするときちんと成体なんだな。この仔トラの問答無用な『愛せよ!』オーラは出てないもん。
『……かわいい? すき?』
仔トラのいたるところにちゅーして、モフって、撫でまわしてるとどこからか声が聞こえた。手を止めて仔トラを見る。……うん? なんか、えっらいかわいい声が聞こえてきたような。
『こんなボクでも、すき、なの?』
おおおぉぉぉ。しょ、植物とはやっぱり根本的に違うんだなぁ。仔トラ、獣だけど実にはっきりと思考がある。言葉だよ。言語だ。
「すき。かわいい。私にとってキミは、すっごーーーーーーく、かわいい」
『色、変でも?』
「変かな。私にしてみればそれはそれでいいし。むしろ見分けやすくて助かる」
会話しつつも、変態でスマン、私は仔トラをかわいがる手を止められなかった。耳の後ろと喉の下。肩甲骨の間とかね。私が触って気持ちいいところばかりじゃなくて、仔トラが触られて気持ちいいかもって思うあたりも全力で掻いたり撫でたりする。
あ、でも眉間も好きなんだよねぇ。手触りが。
鼻面から伸びる、短い毛。
『見分けやすい……』
「うん。キミがみんなと違うんなら、どれだけの頭数がいても私はキミを見つけることができるでしょう?」
『おまえが? 簡単に見つけられることに、いいこと、ナイ』
おっと。おねぇさんとか呼んでくれる妄想をついうっかり持ってたみたいだ。だよね、その手の概念は野生動物にはないよね。
「目立っちゃうことって、自然の中じゃデメリット……えっと、困ったことの方が多いよねぇ。それが、嫌だった?」
『嫌。イヤ。目立つ。白。ごはん、ない』
「…………そっか。そりゃキミ、保護色のない体毛だもんね。ごはん、簡単には食べられなかったか。お腹が空くの、本当に辛いね。キツイ。私なら絶望して泣く」
『……ないても、ごはん、口に入らない、から』
ぽつりと返された切ない返事に、急に共感が暴走した。お腹が空いてるのに食べられない気持ち、リアルでよくわかる。この仔と私の状況は天地ほど違う。私のはただの贅沢、わがままだけどこの仔はそうじゃない。それを差し置いても、泣きたいほどの空腹を抱えて食べられないみじめさは、私にもわかるから。
みっともなくも、ぼたぼたと涙を垂れ流しつつ自分の着てる服のポケットを探る。ええい現役女子大生だろう私! ポケットにいつも飴ちゃんかチョコかカロリーメイトくらい……畜生、ない。
ないよ。
「ご、ごめんね……。私も何も持ってない。食べさせてあげたいのに。なんか、なんかないかな。腕……は上げられないけど、怪我したら後で保護者達がすっごい怒ってキミに仕返ししそうだから指の一本も上げられないけど」
『……お前の指一本くらいじゃ、腹の足しにもならない。それより、これが欲しい』
仔トラは、急に男の人のような喋り方をして私の頬を舐めた。びっくりして目をぱちぱちさせた拍子に落ちた涙を追って、手の甲を舐められる。
それで、この子が欲しいって言ってるのが涙のことなんだってわかった。理解した瞬間にまた涙が止まらなくなる。言うに事欠いて、こんなちっぽけな滴が欲しいのかよ。どんだけお腹減ってんだ。仔トラ。
馬鹿みたいにただ泣いてる私の涙を、仔トラは丁寧に舐めとっていく。私がこの子に抱きついたら舐めさせられなくなるからって我慢するためにぎゅって握りこんだ、こぶしの上に後足で立って小さな舌で、は、…………鼻水まで舐めとってくれた。
な、涙が出たら鼻水まで出るよ! 仕方ないじゃん!!
……ふぅ、ってため息がこぼれる。もうない? みたいに仔トラが私の目を覗き込んで、名残惜しげに目尻を舐めた。鼻先が熱くて痛い。あと、こんなに小さくてもトラの舌はトラでした。ひりひりするよぅ。ざらざら、痛かったよ。
子供らしくぷっくりと出ているお腹が隠れる。仔トラが体勢を戻したんだ。ぺろりと舌で自分の顔を舐めて毛づくろいを始める。……か、かわいいなおい! 意味不明の吸引力だな!!
たくさん泣いたから私も疲れた。毛づくろいしてる仔トラのそばに寝転がる。仔トラもやがて満足したのか私の首と肩の間に丸まった。目を閉じてしばし。ゆっくりした寝息に代わる。
それを聞きながら、私も目を閉じて。
つ、ついうっかり眠っちゃったのは仕方がないことですよね大隊長!!
うん、猫の昼寝に付き合えば誰だって一緒に寝ちゃうと思うんだ、私!
「……起きたか」
ミハルの声でぼんやりと目をあける。あり? なんで私、寝てたの? っつか、起きた? は?
もそもそと起き上がる。間髪入れずにミハルが私の両脇に手を入れてすくいあげた。安定のお膝抱っこ……まではいいんですけど。なんですかミハルさん。なんなんなんなの。
ちょ、なんでちゅーされてんの! 髪の毛梳いて、柔らかく顔中を撫でまわされて。い、いやいやいやいやいやナニゴトよ!!
「まだ、獣臭い。カナ? 施錠は終わったか?」
「施錠? ……あっ、やべぇ、しまった!」
慌ててミハルの膝から降りて、私はぐるりを見渡す。…………おぉぉ? なんでみんなしてそんな苦虫噛み潰してんの? 私、今回は怪我がないよ? 痛くないよ?
疑問は湧くけど後回しだ。最後に見つけた仔トラ……や、今は大トラだ。語感が悪いな。大人のトラの方ににじりよる。まだ寝てた。ふふ、こうしてじっくり見ると仔トラのおもかげ満載じゃんよぅ。かわいいなぁ。
私は、その思いのままにトラの鼻面にキスを落とす。トランディーノ、前回の扉の時にも見た光がトラの体表面で点滅した。最初よりは薄くなってるけど、まだしかめられてる眉間のしわを伸ばすようにしてキスを繰り返す。
何度か繰り返すと、点滅は点灯しっぱなしへと変化した。同時に、ふんわりした何かが収束していって錠の形に。
金属の金色ではなく、光る白色の鍵を手に入れました。
ふくふくした笑いが止まらない。だって目を移せばそこには濃い茶色の縞を持つトラがいる。錠が、このトラの突然変異を吸い取ってくれたのかもしれない。それか、扉が重なってたから白色になっちゃってたのか。
細かいことはわからないながらも私は髪を一本抜く。手の中でそれは、やっぱり白色の鍵になった。南京錠には見事なトラの絵が彫られてる。鍵の頭には誇らしげな顔。繊細な透かし彫りの森。
閉じられてる南京錠に鍵を差し込む。開いて、前回と同じようにキス。ふんわりとした光が満ちて、まぶしくないそれが鍵に吸い込まれて。
かちり、と南京錠をロックする。手の中から消えていく白色。あーあ、仔トラ、かわいかったなぁ。っあ、そうだ、このトラに食べ物あげたい。きっとまだ、お腹が空いてるから。
「あのね、このトラが食べられるようなもの、誰か持ってる?」
くるりと振り向いて、まだ眠っているトラに手をかけたまま私の保護者さんたちに聞いてみた。もはや誰も笑ってない。……や、違う。バルトは笑ってる。楽しそうに。
んーんぅ? なぁんかねぇ、フラグが立ってるってことはわかってるけど。なんで立つのよ。どの方位?
不思議そうな私に気が付いたようだ。ユーリが手を上げる。どさどさどさ。トラの方に目をやれば、血のしたたるような生肉が小山になってトラの鼻先に積まれてた。お、……おっとユーリさん、出血大サービスですね! 血の匂いにつられてトラ、鼻がぴくぴくしてますよ?!
ユーリ、のユの字も言えなかった。前回同様、私は一言もしゃべる暇なく抱えられて。
もちろん、もちろん問答無用で服を剥かれて風呂に入れられましたよ。
畜生、過保護な人たちだなぁ!




