4.常識と過去と
「ただいま」
アリサが一足先に家の入り口を跨ぎ、勇気が一つ遅れて「お邪魔します」と入っていく。
「やっと帰ってきおったか」
勇気達より先に出かけていたアリサの祖父であるバナードが二人を出迎えた。
アリサはテーブルに置いてある新聞のような紙面を手に取り、棚の紙面置きの上にポンと置くと祖父に向けて話す。
「おじいちゃん、そういえば夕食の材料買ってきたの?」
「ありゃ、客人が居るんだったのう。すまんが一っ走り頼めるか」
アリサは溜息を吐いて、帰ってきたばかりの扉を開けて外へと行ってしまった。勇気も「手伝おうか」と訪ねてはみたが「一人の方が速いからいい」と提案を却下されてしまう。事実勇気よりアリサの足の方が速い上に土地勘もあるアリサ一人に任せた方が効率がいいので、勇気は納得して家に留まることにした。
「王国直属師団と会うてきたのか」
バナードが勇気へと語りかけた。ギクリと身体が強張る勇気。でも、冷静に考えれば別段隠すものでもないと思い、すぐに「そうです」と返答した。
バナードは椅子に座るように勇気に言う。勇気は黙って従い、老人の言葉を待った。
「アリサは物心つかぬ内に両親を亡くしておってのう。故に同年代の子と比べればとても気丈な子とも言える」
絶句する。そして、どうりでアリサが何処か大人びて冷静なのだと理解した。同時にアリサの両親ならバナードにしてみれば我が子でもある。何処かバナードは遠くを見て悲しそうに語り続けた。
「なに、両親はどちらもザイエンデでな。若いうちに命を落とすのは珍しくもない。しかし、どちらも優秀なザイエンデだけにワシにとっては何故命を落としたのは不思議に思うたよ」
辛く重い、ここの世界の常識を知ることになった。ザイエンデは凶暴な魔物と戦える力を有する。しかし、それは命懸けとなるのだ。
アリサは言った「ザイエンデはネームロスを守るのが当たり前」だと。この当然の役割は、とても損ではないかと思えた。確かにネームロスは魔物と戦える力はなく非力だ。でも、ネームロスにはザイエンデという盾が存在する。先に危険を冒すのはザイエンデ。本当に安全なのは、戦えないネームロスの方なのでは、と。
「変わりに親代わりとしてアリサを育てたのはワシ一人ではなく、ザイエンデである村長もそうなのじゃよ。ワシも昔は戦いに身を投じた者じゃが、アリサが生まれる前に身を引いてな。今は力を失いネームロスと同じ。だから村長のような強いザイエンデはアリサにとって憧れじゃった。いつだって最前線に立って村を守る勇敢で優秀な男じゃ。村のみんなにとって彼は父であり、子どもの頃からザイエンデであったアリサにとっては、それ以上に父とも言える存在じゃったろう。なにせザイエンデとしての在り方は村長がいつも親のように教えてくれたのだからな」
どうして今回の件にアリサが固執しているか勇気は分かってしまう。きっと彼女は村長が心配なのだ。村のために動く男。今回の件も彼は最前線に立つのだろう。子の為に戦場へと行く親を心配しない子が何処にいる。それもあの大隊。不安に狩られるのも仕方がない。
「でもいいんですか、今日あったばかりの子どもに話して」
「お前の眼は昔の戦友の眼に似ていてな。強く何かを成し遂げるような眼をしている。何故か話しておいた方がいいと思っただけよのう」
称賛の言葉を上げ、カカカと豪快に笑う老人。
勇気は褒められて悪い気はなかった。むしろ、どうして自分に対してそう感じているのかという疑問の方が強かった。ハッキリしたことはバナードの言葉通り“何か”を感じた為としか分からないのだろう。もやもやする部分もあるが今は褒められた事を素直に受け取るだけにした。
勇気はバナードと今日訪ねた店や服屋、そして村付近で出会った魔物の話をする。最後の魔物については王国直属師団がいればどうにかなるとの事だ。数百年も前から信頼できる部隊だと聞く。勇気が師団について少し深く聞いてみようとしたところでアリサが帰ってきた。手ぶらなところを見ると、きっと≪ウィンドウ≫を出して、そこに頼まれた食材を収納しているのだと分かる。
「さて夕食の下準備をしようかのう。アリサは手伝わんでいいからユウキと話しでもしてなさい」
バナードとアリサが台所のある部屋へと行ってしまう。そして、30秒もしない内にアリサだけが勇気のいる居間へと戻り、さっきまでバナードが腰掛けていた椅子へと座った。
「おじいちゃんは本の五年前まで村の料理店をやっていて、腕は確かよ。腰さえ悪くなければもう少しやってた、っていつも言うわ」
「それは楽しみだ」
勇気はアリサが幾らか落ち込んでいるのではないかと思ったが杞憂だった。彼女の心は強い。自分以上の悲しい経験をしている為に。
バナードが夕食を作っている時間は、アリサと会話して過ごしていた。何か思い出した事はあるかと聞かれたり、紙面を手渡されてココにはどういう記事が載ってあるかと説明されたり、アリサが今まで倒した魔物の話を聞いたりと無駄のない時間が過ぎて行った。
40分ほどの時間が経った所でバナードが台車を引いて現れる。そしてテーブルに並べられる色鮮やかな料理。勇気は違う世界なのだから突飛な料理が来てもおかしくないと思ってはいたが、どうやら洋食かフランス料理に近いものが出てきて安心していた。これが何料理に属するのかと正確に判断するのは、一般的な日本人で和食や極一般的な洋食にしか通じないので分からずじまい。ただただ色鮮やかな芸術に近い料理に喉を鳴らした。
「メインは羊肉じゃが口に合うかのう。羊は癖が強いから人によっては苦手も多い」
最後に並べられた厚めのラム肉のステーキがより一層と食欲をそそってくる。ラム肉を撫でるように流れるソースと色を強調する野菜は高級料理店の写真でも見るかのようだった。
「料理はまず見た目から入るものじゃ。食欲を誘う視覚、そして、風味を栄えさせる嗅覚、最後に重要な味覚。一つの盛り付けが――」
「おじいちゃんの雄弁はいいからさっさと食事を始めましょう。冷めると美味しい料理も不味くなるじゃない」
「ふむ、では食べようか」
手を合わせ祈るような合図と共に食事へと入った。どうやら「いただきます」と声を掛ける文化はないようだ。勇気も日本独特のものでもあるから仕方もないと、その場で済ませた。
勇気の食事の感想としては、美味しかったと言うしかない。ご飯ではなくパンなのが少々残念ではあったが、それを差し引いてもこれ程美味しい料理は日本に居たなら生涯食べる事ができないだろうとも思った。料理作法もフォーク、ナイフ、スプーンを使う極一般的なものだったし、何も問題もなかったのも幸いだった。
勇気は食事後にバナードへ洗い物は任せて下さいと言ってはみたが、洗い物をするまでが料理人ときっぱり断られて、しぶしぶと少しでも恩を返す場を失う。それよりも時間も遅くなってきたので湯浴びをしてくるといいと言われた。
アリサの案内である個室に向かう。脱衣所と浴場に分かれた部屋だった。浴場の入口は不透明ガラスで覆われ中が見えない。プライベートはキッチリ守られていると感心した。
「それでお湯の出し方だけどいい?」
「ああ、ごめん。頼むよ」
しかし湯浴びの方法がどうやら現実の日本とは違うようである。まず浴槽がない。これは外国に行けば浴槽に湯を貯める文化が余り無いとのことで別段不思議に思わなかった。だが問題は蛇口である。捻る所もなければスイッチを押す所もない。変わった所といえば視線より少し低い所にひし形に成形された水晶のようなものが埋め込まれているぐらいだった。
勇気はアリサが扉を開けた浴室前の脱衣所で説明の続きを聞く。
「まずこれ、真ん中の水晶が始動の回路」
アリサが入口から手を伸ばすと真ん中の水晶から垂直に伸ばした天井近くの壁からシャワー状に水が噴き出た。すぐにアリサは真ん中の水晶にもう一度触れて噴き出る水を止める。
「次に右が温度上昇、左が温度下降。触ってる時間だけ上がり下がりするから自分で調節ね。ウチの設定では始めは人肌程度だから、とりあえず右の水晶に触るといいわ」
トントンと軽く触れてアリサは説明を続けた。
アリサが触る水晶はほんのり赤い。水晶といえば透明の石英の通称の事では、と勇気は思ったが、この世界の水晶の意味と異なるのかもしれない。とりあえず、アリサが色つきのモノも水晶と言っているので、これは水晶だと認識しておいた。
「それで右下のコレは髪を洗う時に使って。これ触った後に出てくるお湯飲むと苦いから気をつけて」
「それ期待してる?」
「さあ、どうでしょう」
悪戯っぽい笑みを浮かべてアリサは身体を拭く布を渡し脱衣所から出て行った。
勇気は脱衣所で新しく仕立てた服を脱いで浴室へと入り、おそるおそる中央の水晶を触れてみる。そして、ぐっ、と身体に力を入れた。
「…………」
アリサの表情に何か引っかかっていたので、仕掛けがくるんでないかと思ったが、そんなことも無かったようだ。水晶で温度調節して大人しく身体を洗い始めた。
風呂から上がるとバナードにある部屋に案内される。部屋にはベッドが二つ、と家具が数点と必要最小限に留めた部屋だった。勇気は食事前に会話した内容で此処が誰の部屋だったのか分かる。天井には水晶が幾らか埋め込まれてあり、光を発していた。
「この部屋は暫く使っておらんでの。荒らさない程度に使っておくれ。光を消す時は枕側の壁を三回軽くノックすれば消える。付ける時も同様じゃ」
「はい、ありがとうございます」
部屋に透明な窓がある。見かけは通常のガラス。これも先ほどから言われている水晶を利用したガラスなのかと考える。そもそもこの世界で言われている≪水晶≫は現実世界とは異なる物質であるかも知れない。風呂場で魔法染みた能力を発していたのだ。その線が強いだろう。
窓から外を覗く。王国直属師団の師団員の三人が巡回しているのが見える。村付近に魔物が出たのだから、これぐらいの警戒は当然だ。
勇気は片方のベッドに腰掛けた。誰一人いなくなった一人だけの空間。森とは違ってゆっくり安全に考えが纏まる場所だ、と今日我が身を襲った出来事のおさらいを始めた。
まずは魔物という存在。森の中と村付近の計二度襲われた。会えば身体が強張るし余り対峙したくはない。そもそも自分では絶対に倒せないというこの世界の理があるので無理すべきではないと考える。
次にザイエンデとネームロス。置き換えれば勇者と村人だ。自分は村人。それが宿命ならば仕方がないので諦めた。
次にアリサとその祖父であるバナード。片方は命の恩人、そしてもう片方はこれからの命の恩人となる人だ。二人とも勇気にとても親切に接している。これほど善人は他にいないに違いない。右も左も分からない自分はきっと二人に頼りきになることだろう。生きて行くためには甘えるしかない。せめて恩をいずれ返せるならよしである。
そして王国直属師団。王国というくらいなのだから王国はあるに違いないと考えていた。かなりの権力に加えて戦力もあるだろう存在。覚えていて損はないと心に留める。
最後に元の世界に帰る方法。ココに日本はない。勇気はアリサと初めに会話した所でソレを決定づけていた。確かに異世界は魅力的ではある。恐怖はあるが、現実世界とは違って様々な新鮮味を感じられる。ゲーム染みた世界に身を投じてみたいと思ったこともある。来れた事は正直嬉しい。しかし、帰りたいという気持ちは揺るがなかった。
自分には家族もいれば友人もいる。彼らはきっと心配しているだろう。今、現実世界で同じ時間が流れているのなら、行方不明となっているならきっと哀しんでいるに違いない。決して自惚れている訳でもない。自分だって友人が行方不明になったら悲しいと、比較して考えていた。でも方法が分からない。何故こんな場所に来てしまったのかも勇気には分からないのだ。打つ手が無かった。
靴をぬいでゴロリとベッドの上に寝転がる。
情報が必要だ。自分と似た境遇の人間が存在するなら有難いが、きっとこの村にはいない。王国とやらにでも行ってみれば幾らか得られるか思うが、とりあえずこの世界の知識を深めて、安全に動くことを覚えるべきだと考えた。日本と比べるとサバイバル世界である。慎重に動くのは必然であろう。
勇気はひとまずの動向を決めた後、不安になりながらも、それは溜息で全部流し、壁を軽く三度ノックして目を閉じた。
ガタッガタッ。
飛び跳ねるように身体を起こす勇気。不審な音で目がパチリと開いていた。音の出所は透明なガラス細工か水晶製か分からない窓。おそるおそる見てみるが何もいない。二足で立つ犬顔の魔物が窓からコチラを覗いていれば失禁してたかも、と冗談まがいの事を思う。
ガタッガタッ。
また窓が震える。同時に風切り音が聞こえた。これで状況が確認できた。音の正体はただの風で、恐れることはなかったと。
勇気は再びベッドで横になるが目が冴えて眠れそうにない。深呼吸して自分の体に語りかける。どうやら2,3時間は寝ていた、と返って来た。正確な時間は時計が存在しないようなので分からない。いつも時計代わりにしていた携帯電話は現実世界のベッドの上に放りっぱなしである。持ち運び出来たならば良かったなと悔しい気持ちになった。
靴を履いて、その場で屈伸運動を軽くやると幾らか身体が軽くなった。そして背筋を伸ばしてベッドに腰掛ける。
ガタッガタッ。
また窓が震える。風の音も微かに聞こえた。勇気は少し強めの風なんだろうな、と窓の近くまで行って外を見た。窓から覗ける景色は暗い闇夜に包まれている。近くに木の葉が舞っていた。
「…………」
窓の外に人影らしき何かが見えた。少し遠く暗い為にはっきりと見えない。不安が募る。犬顔の魔物も人ぐらいなのだ。師団が村にいるとはいえ、深夜まで村の警護をしているかは正直期待できない。
しかし、すぐに安心する。人影のようなものは、この家からどんどん離れていっていたのだ。
「…………」
勇気は気付く。そして、再び不安がこみ上げて来た。暗闇を見続けていたせいか目はどんどんと慣れてきて人影の動きが見えてしまった。軽く走る姿。今日、自分が何度か追った少女と同じに映った。
何故こんな時間にと考える。深夜帯のせいで外に人の気配はない。彼女はザイエンデだから何か考えがあって外に出て行ったのかもしれない。例えば村を守るために。
「っぅ……」
勇気は自分の頬を叩いて小さな悲鳴があげた。楽観的な考え過ぎると喝を入れていた。
村を守るために? 村にアリサより強力なザイエンデがいるのに? これは自分の出る幕はないと夕刻前の彼女は勇気に言った。
アリサが出て行った理由は何か、と考える。その理由はすぐに考えついてしまった。それもそうだろう。勇気は疑っていたのだから。バナードの発言を振れ返れば分かる。アリサが「村長を親のように思っている」という事。そしてアリサの王国直属師団を見て言った発言でアリサが今出て行った理由が決定づけられる。“王国直属師団が派遣された理由としては強力な魔物の討伐”と。魔物と戦うのは死と隣合わせ。それらからアリサが深夜に出かけた理由は簡単ではないか。
親と思っている村長が心配だから助けたい。
これだけだ。
勇気は部屋を出て、そろりと家の裏口を利用して抜け出した。
推理してみたが確証は持てない。とにかくアリサに会うことが重要である。もし自分の推理があっているのなら引きとめるのが賢明だろうと考えていた。
しかし村の地理も疎ければ、アリサほど俊敏でない勇気がアリサに追いつくのは至難の技である。家を出る際に目標を一度失っている。ある程度方向は分かっているとはいえ、キツイ事に変わりない。
勇気は木々が深い所には入りたくないと思い、住居の近くを転々と隠れながら移動する。こんな時間に余所者の自分が出払っていたら下手すると泥棒扱い。それだけは勘弁したかった。
暫く一人きりの深夜の密かな徘徊が続く。息も若干切れてきた所で、ある集団を見付けた。
王国直属師団だ。周囲に明かりが広がっていて、遠くからでも十分に何をしているか見える。師団近くで住居が途切れている所を見ると村の出入り口となる場所なんだろう。そこで十数人が武器やら小包やらを数台の馬車の荷台に突っ込んでいた。
勇気はあの様子では、睨んだ通り師団の目的は魔物討伐なのだろうと思っていた。しかし、異様に目立つ師団長のゼクスの姿が見当たらない。師団長なら率先して行くのではないかと考えていたのだが、もしかすると今、目の先で準備をしているのは先遣して調査しにいく部隊なのかもしれない。
勇気はしばらく王国直属師団を眺めつつも、アリサの姿を探した。自分の推理が正しければアリサは近くにいてもおかしくはないのだ。
眺め続けていたがアリサの姿は結局見当たらなかった。師団の騎士は準備を終えたようで、各自荷台引きの馬やら、単騎の馬に乗って出発してしまった。
「あ……」
声を微かに漏らす。見逃さなかった。師団が出発した瞬間に、最後尾の馬車の荷台に人影が飛び乗る所が鮮明に映った。それが誰かは分かる。自分が追っていた人なんだから、遠くでも見分けがついた。
「おいおいおい……」
問答無用の出来ごとに焦る。対抗策が無かった。走っても相手が馬の足では到底追いつける訳がない。
周囲に誰もいない事を確認して、師団員が村を出発する前よりも暗くなってしまった村の出入り口へと出る。周囲を確認すると簡素な馬置き場があった。数匹の馬と目が会ってビクリとするが、気持ちを落ち着かせる。
どうすると考え込む勇気。馬に鞍はついてないが、探せば何処かにあるだろう。しかし、自分に乗馬という技術は持っていない。馬なら師団に追いつける可能性はあるが振り落とされるようでは話にならない。
馬置き場の当たりをうろうろして、馬を眺めながら考えていると近くに立派な数棟の馬小屋があることに気付く。そちらも確認していくと、簡素な馬置き場にいる馬よりも大人しそうで美しく優秀そうに見えた。次、次、と順番に見て行くと五つ目の馬小屋で足を止める。
他の馬より一回り程大きい美しい白馬だった。やけに目立つ。勇気は、この馬をハッキリと覚えていた。全身ローブに包み、顔に仮面をつけていた不気味な人が乗っていた馬であると。
ギィ。
突然白馬の馬小屋の扉が揺れて心臓が高鳴った。
「うわぁっ!?」
勇気は余りの驚きに、昼に引き続き尻もちをついてしまった。心臓の鼓動が最高潮に動く。
振り向けば気付かず内に人が立っていたのだから仕方もない。しかも顔が相手の顔が見えないのでは恐怖する事にも余計に仕方がなかった。
仮面の人物が勇気を見下ろしていた。男か女か分からない。ただ高身長だったゼクス並の背丈の人物だったので、たぶん男ではないかと勇気は思う。
仮面の人物が馬小屋の扉を開き、白馬を歩かせる。白馬は勇気に注意して道へと、その美しい毛並みの身体を出した。
勇気の高鳴る心臓の鼓動は止まない。魔物と初めて出会った時の恐怖があった。仮面の人物は、そんな怯える小動物と化した勇気の襟を掴む。
勇気は身体がふわりと浮きあがった感覚になす術もなく、身体を強張らせるだけだった。
「手綱をしっかりと持てば振り落とされまい」
男の声だった。
仮面の人物から発せられる言葉に勇気は唖然とした。勇気の身体は白馬の鞍の上に乗っている。つまり仮面の人物、この男は勇気に馬を貸すと言っているのだ。
「行け」
仮面の男が一言発すると白馬は駆けた。勇気が何故貸してくれるのかと仮面の男へ聞けぬ間に白馬の強靭な四本足が動く。
村を出ると、白馬のスピードは信じられぬほどに加速した。
勇気は仮面の男がいった通りに手綱をしっかりと掴み、やや前傾姿勢に構える。
振り落とされる気配は全くなかった。自分に乗馬の才能があったのか、白馬に騎手を振り落とさない技術でもあるのか。きっと後者なんだろうな、と勇気は思いながら白馬の駆ける足に身を委ねる。
地面を見れば新しい馬の蹄や、車輪の後が残っている。白馬が自分の目指す方へときちんと駆けてくれている。とても頼もしい存在だ。アリサが密かに乗って行った師団の出発から十分ほど遅れてしまったが、追いつけるだろうと思った。
幸いなことに道中は魔物の姿が見当たらない。もし魔物に見つかってしまっても、あの犬顔の魔物程度の足なら簡単に振り切ってしまうだろう。これならアリサを見付けて連れ帰ってくるのは問題ないと安心する。
馬に身を委ねて暫く立つと木々が一層と濃くなってきていた。村から結構離れているので手入れされないのも仕方も無い。
そして、変化に気付く。白馬の速度がみるみる落ちる。全力で駆けたから疲れたのかと白馬の様子を勇気は確認するが、息切れもしていないのでそうでもないようだ。どうしたのか、と悩んでいると白馬は脇道に逸れて行った。
「オイ……大丈夫か……?」
白馬からは返事は当然返ってこない。こんな世界だから喋ってもおかしくないと思っていたが、馬は現実の世界と同じ馬のようだ。
勇気は変わらずに白馬に任せる。降りるなんてとんでもない。降りた状態で魔物に出会う間抜けだけはしたくなかった。
白馬は慎重に歩む。故意に音を立てずに歩こうとしているのではないかと思えるぐらい慎重だった。勇気は密かに動きたいので、ありがたいのだが、優秀過ぎる馬も中々不気味なものだと苦笑いしていた。
白馬がピタリと止まる。何かあったのかと勇気は周りを見渡すと、遠くに明かりを照らしている王国直属師団を見付けた。馬の数、馬車の数からして、追おうとしていた者だろうと頷く。
あとの目的はアリサだけなのだが。
「……アリサ」
「うひゃぁ!?」
さっきどっかで聞いたような悲鳴が上がる。思わず笑いが漏れた。
「って、ユウキか」
側の草むらで隠れるようにアリサが居た。どうやら近づいていたのに、大きな白馬の存在に気付いてなかったようだ。アリサがそれほど師団に注視していたのか、白馬が隠密技術でも持っているのかと勇気は考えるが、これも後者なのかな、とまた苦笑いを浮かべる。
「え、な、なんでアナタが居るのよ!?」
「それはこっちの台詞。勝手に夜中に歩いて、バナードさんが心配するだろ。それも王国直属師団について行ったのならコッチだって尚更心配する」
しゅん、となるアリサ。この様子では自分がやろうとしている事が如何に危険な事だと理解している。勇気はアリサの思いも分かるが、ここは鬼にして連れて帰らねばならないと決心した。命の掛かった天秤は重いのだ。
「ひゃっ」
アリサから、かわいらしい小さな悲鳴が漏れる。それは白馬がアリサの襟を咥えて、アリサを天へと放り投げたせいだ。
ストン、と勇気は後ろから振動を感じた。勇気が振り向けばアリサがソコに居る。またしても苦笑いの勇気。まるで白馬が自分の考えを読んでくれて行動してくれているのではと感じていた。
「え――?」
今度は勇気の口から疑問符が漏れる。突然白馬がトップスピードで跳ねたのだ。不意の出来事にアリサは落とされまいと勇気にしがみつき、勇気は手綱に入る力が篭る。
――ズドン。
地に響く音が響いた。そのかわいらしげもない音は、さっきまで自分たちがいた場所から。
「――――なによ……コレ……」
二人と一匹の視線の先には、人ならざる巨大な怪物が勇気達に虫けらでも見るような目で佇んでいた。




