29.順に応じて
昼少し先の時刻。
空っぽだったゼクス邸に賑やかさが増していた。
「ユウキ、お風呂先にいい?」
「ああ」
迷宮から宿舎に帰ってすぐのやり取りだった。アリサはリーゼの肩を軽く掴んで浴室の方へと二人で姿を消して行く。
初めて<魔術士>であるリーゼを加えた迷宮探索は、二層の途中まで行き、切り上げる結果で終わっていた。
何でも、リーゼが副師団長と二層まで行った事があると言ったのだ。それからアリサの提案で折角だから二層で試そうという事で、パーティーの主な進行は二層だった。
勇気もアリサも一層でもそうだったが、二層でも手古摺る要素などない。それどころかリーゼの後方支援でより楽なものになっていた。
一方リーゼは勇気にはっきりと投げつけた自信通りに、ザイエンデとしての力を十二分に振るった。足手纏いなんてとんでもない。リーゼも戦力として成り立っていたのだ。
勇気は椅子に腰かけた後に自身の身体の具合を確かめる。
倒れかけた昨日の今日、体にガタが来るかと思いきや、迷宮に潜り、戦いをしてきたのにも関らず朝よりも調子が良く感じていた。
戦いで調子を崩し、戦いで調子を戻す。戦人の生き方。
後悔なんてない。自分で決めた道。真っすぐ、ただ真っすぐに。
ガタリ、と椅子を揺らして勇気が立ち上がる。
部屋に残っている副師団長は例によって窓辺に腰掛け、本を読み自分の世界に浸っていた。勇気がした彼との“約束”は、時間が要るとの事で後回しだ。
勇気も副師団長と同じように本を読んで暇な時間を潰そうと本棚の前へ行く。
取った本のタイトルは「迷宮史」と云って、国が管轄する学園でもよく使われる本である。
勇気は本を片手に椅子まで戻ると、本に挟まった栞のページを開いて続きを読み始めた。
ゆさゆさと身体が揺らされる。折角の休息が誰かに妨げられている。
いつもの目覚めより僅かに重く感じる頭で、薄く片目を開いた
「――ユウキ!」
「ん……?」
アリサがしかめっ面で勇気を見下ろしていた。それに恰好が家着から迷宮に潜る戦闘服だ。
勇気は上体を起こし、頭を片手で軽く叩きながらアリサを見上げた。
「朝早くに慌てて何かあったか?」
リーゼとの初パーティーの一日が終わって翌日である。
昨日は、家に帰って来てからは特に変わった事もない一日であった。いつもと違うのは、アリサがリーゼと一緒に買い物に行き、料理人が一人から二人に増える事になりそうだという点ぐらいである。
「師団長に今日の用事手伝って欲しいって言われたのよ」
アリサの口調が速い。
普段なら迷宮行く直前に着替えるというのに、そんな恰好なのはそういう理由かと勇気は納得していた。
「じゃあ、オレも早く着替えないと」
「ううん、私一人でいいって。ユウキは朝ご飯食べてないでしょ」
急いで起き上がろうという勇気を片手で制止するアリサ。
しかし、こうは言われても本当にいいのかと勇気が首を傾げる。
「アリサ、馬車来たから行くぞ!」
遠くから急かすようなゼクスの声が聞こえてくる。
「アリサー!」
「それに今はリーゼも居るんだから。お願いね――今行くわよ! ホントにもう」
尚も口早に言って、アリサは部屋から出て行った。
あんなに急がれては勇気も止める術はないし、起き上がったばかりで準備も間に合わない。
とにかく、アリサに任されたように、昨日からこの家に居る新たな住民を放っておく訳にいかないと、勇気は寝台から出た。
勇気が手早く着替えた後に、居間へと向かえばテーブルには既に朝食が用意されていた。そして、共に食事をする為に椅子で腰掛けて待つ新しい小さな住民が勇気をジッと見ていた。
「おはようございます」
「おはよう」
丁寧なリーゼの挨拶に勇気も返す。
リーゼは初日の時のように、話す時に戸惑う様子もなくなっていた。迷宮を共にしたお陰だと勇気は思っている。それでも未だ堅さが全くなくなった訳ではない。
ゼクスとアリサが出掛け、リーゼと勇気は朝食を取る為に椅子に腰掛ける。残る住人であるもう一人の男の副新団長は、というと窓辺で相変わらず本を読み耽って食事を共にする気はない。
どうやらリーゼも副師団長について理解しているようで、副師団長を気に掛ける様子もなく、食事前の祈りを行っている。
勇気も寝起きの頭を揺らしながらも食事をすることにした。
「いただきます」
勇気が朝食の挨拶を言うと、パンを手に取って、テーブルに並べられた容器の内の一つを手に取り、中身のジャムをナイフでパンに塗りたくる。
傍の丸容器に目を落とせば魚介のスープが穏やかに湯気を立ち昇らせている。朝から相変わらず凝った料理してるなと関心しながら、生野菜をフォークで軽くつついた。そこで気付く。正面の小さなお相手が不思議そうに自分を見ている姿に。
「どうかした? こっちのジャムの方が良かったか?」
「いえ。先ほどのユウキさんの言葉に少し不思議に思っただけです。昨日の食事の時は聞かなかったので」
勇気の鼓動が僅かに早くなる。
異なる世界、異なる国の異なる習慣を行ってしまった。この世界では、食事直前に言葉で挨拶をせず、黙して祈るだけ。つまり勇気の「いただきます」は、この世界の人にとって聞きなれず、不信感を抱いてしまう。
目覚めたばかりのせいなのか、完全に自分の油断だと、勇気は心の中で自分に罰して落ち着かせる。
「オレが住んでた所の風習だ」
勇気は誤魔化さずに、そのままの言葉を送った。言葉足らずな点もあるが、変に口籠るよりは断然にいいに違いないと。
何よりも年端もいかないのに想定以上に目聡く利口である。この選択肢は間違いではないと信じた。
「言葉に意味はあるのでしょうか?」
「えーと、農作物なら作ってくれた人にいただきますと。生き物なら、命を奪ったけど感謝してその尊い命をいただきますと。それと料理してくれた人に、作ってくれてありがとう。感謝していただきますって所かな。でも、正直形式的なもので、そこまで丁寧なものじゃないかな」
「そうですか。普段する黙祷に意味は近いですね」
リーゼは、そう言うと両手を合わせて祈るように目を瞑る。
「変だと思うか?」
勇気が聞き返す。
これは余計な部分と分かっていながら問い直した。言葉にしなければ、終わっていただろう流れ。油断で失言したのに関わらずも聞いてしまった。
リーゼは手を合わせたままの状態で、ゆっくりと目を開く。
「いえ、言葉にするのは良い事だと思います。言葉は聞かせた人に直接伝わる大事な伝達表現です。できれば料理を一生懸命作ってくれたアリサさんが居る時にすると、より良いかと」
「……そうか」
「はい。私は良い食事の挨拶だと思います」
そして、リーゼは再び目を瞑り「いただきます」と小さな声を上げてから食事を始める。
勇気も軽く笑んで、ちぎったパンを口に運んだ。
勇気は本日も朝食の準備を手伝えなかったと云う事で、一手に食器の片付けを引き受けた。
パッパッ、と手に付着した水を切り、布で拭きながら椅子に腰かけてるリーゼに向かって訪ねる。
「リーゼ、今日は何処か行きたい所あったりするか? よければ付き合うけど」
「それなら……」
リーゼは最後まで言わずに言い淀む。
「迷宮か?」
台所からリーゼの方まで戻ってきた勇気が問いかけた。
リーゼは勇気の顔を見て俯き、少しばかりして顔を上げ、コクリと頷く。
「何でそんなに迷宮に行きたがるか聞いてもいいか?」
勇気にとって、リーゼが迷宮に固執する理由が分からなかった。
30日程前、勇気が初めてセイレーンに会った時に、ザイエンデであろうとも迷宮に好き好んで潜る者は少ないと聞かされている。常に共にするアリサだろうと、副師団長の件を聞かなければ連日潜る事をしなかった。
だから、勇気は疑問に思う。今日潜れば二日連続の迷宮探索。何故、そこまで戦いの場に身を投じるのかを。
「それは……」
再び言い淀むリーゼ。
「いいさ。無理に聞こうとは思わないし、オレだって人に話したがらない事もあるからさ」
勇気の言葉を聞いて、心底申し訳なさそうに口を閉ざした。
パタンという軽い音に視線が集まる。副師団長が本を閉じた音。
副師団長は本棚に本を収めると玄関口の方へと歩んだ。
「行くのだろう?」
副師団長が仮面のつけた顔だけを僅かに後ろに向けて問う。
勇気がリーゼに向かって微笑むとリーゼは小さく謝罪を言って椅子から立ち上がった。
副師団長に一歩遅れて勇気とリーゼが家から出る。最後に副師団長が鍵を閉めると勇気へ先に歩くように促した。
「リーゼ、迷宮行く前に調合店に寄っていってもいいかな。少し道具補充したいし、それにリーゼも良かったらそこで迷宮の準備するといいしさ」
「はい。戦闘を行う準備は必要不可欠なので行くべきです。私もユウキさんが何処で道具を調達しているかも興味があります」
リーゼは先頭の勇気の半歩後ろから付いてくる。
昨日の今日に比べれば二人の会話は落ち着いた方だ。
勇気も初めてリーゼに会った時の印象を思い返せば、リーゼは良く喋る子だと感じている。少々、年齢を考えると驚く発言もあるが、副師団長のように無口過ぎるよりよっぽど接し易いと思っていた。ただ自発的に喋らない点だけは、副師団長と似ていると。
勇気一行は迷宮通りに出て道なりに歩いて行く。そのまま暫く進めば木造二階建てのセトの店へと辿り着いた。店の周囲は相変わらず人気がない静かな雰囲気を醸し出している。
勇気が錆びれた音を鳴らす木製戸を開ける。すると店内で、商品を整理している老人店主セトの姿がすぐにあった。
セトは一番に入った勇気の顔を見て、次にすぐ後ろに居るリーゼを見ると、そこで視線が固定される。
「エレインの娘か?」
「よく分かりましたね」
ビクリと跳ねあがったリーゼの代わりに、勇気がセトの質問に答えると、セトはニコリと笑顔を見せた。
「あのじゃじゃ馬の幼い頃に瓜二つだからの」
そう言うと、セトは店内の整理の手を止めて、店のカウンターの方へと足を進める。カウンター横から数段昇って奥に。そして、店主として所定の位置に腰を降ろして客を迎える。
セトはまず勇気に瓶を要求する。
勇気が出すのは加護値回復薬と疲労回復薬の二種類。今は、これに利用した分を注ぎ足す形が主だ。ただし、加護値回復薬については、レベルが上がるにつれて加護値も増していく為、何度か勇気とセトが相談し合って、ランクを徐々に高い物に変更している。
セトが手慣れた手つきで小さな魔法陣を作成し、瓶へ薬が注ぎ足し終わる。後は勇気が金を支払いして取引完了となる。
金を受け取る前にセトの矛先は勇気からリーゼへと真剣な眼差しを変えた。
「名前は?」
「……リーゼです」
遅れながらも、きちんとリーゼが返答する。
「ここで買い物するならウィンドウを見せなさい」
ここで、はっ、と勇気が気づいた。
リーゼは他人に自分の情報を見せない。母親であるエレインに一つの考えとして告げているからだ。
やはり、リーゼ自身、その言い付けを破りたくないようで、セトにウィンドウを見せるのを躊躇っていた。
「何、儂ら店を営む者には守秘義務がある」
セトが言葉を続ける。それもリーゼが要求を拒んでいるのを理解しての言葉だ。
「王国令、三章の第四。商人が他者に要求し得た情報を第三者に譲渡する事を固く禁ずる」
店の入り口近くで寄りかかり、他人を装ってた副師団長が告げた。
勇気も初めて聞く内容だと耳に残す。内容からして法律に近いものに違いないと。
副師団長が今言った内容からすれば、リーゼの心配事も幾らか弱まる。それでもエレインの言葉は商人であろうと言伝の枠組みに含まれるなら、これも無意味と化すだろう。
セトは未だ戸惑っているリーゼを見て、深く息を吐いてから言葉を渡し始めた。
「儂は、この商売に誇りを持っておる。勿論、ザイエンデとしてな。だが、リーゼが情報を教えてくれぬのなら、儂の店を利用させる訳にはいかぬ。儂らが生み出す道具は時に生死を左右するものだ。お互いに信頼を持たぬのなら、儂の創りだす物は売れん。儂の道具を使わせて無闇に死なす訳にはいかんからのう」
真っすぐな目でセトは告げ終えた。これでも納得しないなら取引はなしだと言わんばかりに。
リーゼは悩む。その小さな頭で天秤に掛けているのだろう。母が告げた事を一心不乱に貫くか、己れの信条を包み隠さず話したセトの信頼を得るか。
悩み抜いてリーゼが出した結論。それは自身のウィンドウをセトへと渡す事だった。
「母親と全く同じく用心深い。尤もエレインは、こんなに大人しくなく喧嘩腰だったがの」
セトがリーゼのウィンドウをさらりと見ると、3本の空瓶を用意する。その内の1瓶だけが他よりも大きい。
カウンター上で、くるりと小さな円を描き始め、陣を完成させて行く。
小さな発光。収束後、三本の瓶には、それぞれ違う色の液体が満たされていた。
「ひとまずユウキと同じ、加護値回復薬、疲労回復薬、それに加えて魔法値回復薬を持てばええじゃろうて」
最も大きい瓶が魔法値回復薬。<魔術士>である以上、生命線になる薬である。
セトがリーゼに薬を渡す前に、ウィンドウに入っている特定の道具を出すように言う。
リーゼは大人しく従うと小さな瓶がカウンター上に4つ並べられた。セトはその瓶を片手で全て手に取ると、入口に向かって放り投げる。そこに居るのは黙って場を見ていた副師団長。僅かに鳴る瓶同士のぶつかる音を奏でただけで、片手で見事に4つの瓶を掴んで見せた。
「副師団長、儂の店に来るならこんな汎用の薬を持たせるでない」
「肝に命じておこう」
セトと副師団長のやり取りが終わって、リーゼにセト製の薬が渡される。
「まだリーゼはお金もないので自分が」
「うむ」
勇気が自分の分も合わせてお金を支払った。
リーゼが少し納得できないという顔をしたが、それもすぐ止め勇気に「ありがとうございます」と礼を言う。そして、セトにも丁寧に礼をした。
最後にセトが他に要る道具はないかと勇気に尋ねるが、勇気は必要分は揃っていると返して、勇気もセトに礼を言う。
迷宮へ行く準備は万全の態勢に整った。後は行くだけ。
「深き旅路に幸あらん事を」
セトの送る言葉を聞いて、勇気一行は店を出て行く。
再び迷宮通りを歩き、目指す場所は一点であった。
相変わらず会話らしい会話もなく、迷宮入口まで着いてしまう。
早朝の迷宮前の門兵は少ない。昼頃ならば多い時は10人近く居るのだが今はたったの二人である。それも、その二人は勇気が知る馴染みの顔であった。
門兵二人は近寄ってくる勇気一行に気付くとピリッとした佇まいに入れ替わる。
「ガウェインさん、パーシバルさん、おはようございます」
「副師団長お勤め御苦労さまです」
ガウェイン、パーシバルの両名は勇気に軽く笑い掛けただけで、真っ先に丁寧な挨拶を副師団長に向かって行う。
勇気も別段この対応には気にしない。何せ、自分が連れている人が人なのだから仕方ないと。
「私は居ない者として振舞っていい」
副師団長の恐らく気を使った言葉だが、門番の二人は苦笑いで受け取る。
それでも上官に当たる者から、こう言われれば何かしらしなければならないと、ガウェインが先ず行動に出た。
「ユウキ、そっちの小さい嬢ちゃんは?」
「えっと――」
「リーゼです。母はエレインと申します」
セトの店の時とは違って、リーゼから自己紹介する。これには勇気も引っ込み気味より良いと笑顔を見せた。
「エレイン……?」
こんな中、パーシバルがある名を復唱する。
師団に居れば誰もが気づくだろう名を怪訝そうに。
「第二師団長の娘さんです。迷宮利用しようと思いますが」
そして勇気が補足するように説明する。
聞いたパーシバルは頭を叩いて苦笑いを浮かべ、ガウェインは引きつった笑顔で身体が強張ってしまっていた。
「あ、ああ。そうか。ま、まぁ、副師団長も居るから、問題ないです」
ガウェインがぎごちなく言いながら、誘導するように片腕で迷宮を導く。額に浮かぶ脂汗が彼の緊張具合がどれだけのなのかを計れよう。
勇気もそんなガウェインを思ってか、早く此処を離れようと、リーゼに行こうと言って迷宮内へと行く。
「お前、第二師団長の娘さんに小さい嬢ちゃんはないだろ」
「そんなこと言ったって、エレイン師団長に娘さんが居るとは知らなかったし仕方ないだろ。あぁ、でもこれ拙いよなぁ……」
勇気は後方から微かに聞こえてくる声に、思わず笑いが漏れた。ガウェインは、見た目は多少厳つくても、何処か気弱な部分があるのを知っている。せめて、リーゼの性格を考えても、そんな些細な事で言い付けるみたいな真似はしないと残しとけばよかったかな、と思っていた。
そんな大人しいリーゼは勇気を見上げて一つ訊いた。
「母はやはり恐れられているのでしょうか」
「うーん、オレは未だ師団に入って浅いから深くは云えないけど、やっぱり力ある人だから緊張もするんじゃないかな。ただオレの第一印象だと少し恐かったかな」
「そうですか」
素直な気持ちと僅かな冗談を交える勇気。
リーゼは受け取るだけで、表情も崩さずに真剣で難し気な表情である。
勇気の観念からすれば10歳の年頃の少女とは、やり取りがかけ離れていると少し唸り声を上げて頭を軽く掻いてから、こんな言葉を渡した。
「さっきの聞いてたか分からないけど、ガウェインさんの事は忘れてやってくれるとありがたい」
「はい。母に言えば何かしらありますから」
答えたリーゼの表情は、勇気も初めて見る悪戯染みた笑顔だった。




