25.先へ
家と外とを繋ぐ扉が開く。帰宅者か来客者を告げる入口だ。
家主であり早めに帰宅して寛いでいた赤髪の男が、その入り口へと視線を泳がせた。
「ただいま」
現在、この家に住まう少女の帰宅した挨拶の声が家主の下まで届いた。
家主であるゼクスは片手に持つ酒の入ったグラスを置いて、その帰りを歓迎する。
「おう。ん? 大丈夫か、ユウキ?」
ゼクスが異変に気付く。
アリサと共に帰ってきた勇気の表情が青ざめていた。この少年は、本当に今、歩いて帰って来れたのかと疑問に思う程に表情が悪い。
「大丈夫といえば嘘になりますね」
勇気がゼクスに返事を返すと、その身体がぶれた。それを、そっと支える隣のアリサ。彼女を見れば実に心配そうに勇気の顔を覗きこんでいた。
「ひとまず横になった方がいいわ。腕貸して」
アリサの肩を借りて勇気は寝室へと連れて行かれた。ゼクスは、それを見守るだけで一言も発しない。
間もなくしてアリサが、寝室から出て来る。
「今日の迷宮でユウキがあの武器使ったせいなのか、ずっとこんな感じよ」
アリサが出てきてからの一声。その「あの武器」が指しているモノが何であるかをゼクスはすぐに理解する。
「強敵にでもあって苦戦したか?」
しかし、問い返したのは「あの武器」についてではなく別のものであった。当の扱う本人が寝てしまったという事もあるが、何故そのような切り札を使わざるを得なくなったかの方の興味が強かったからだ。
「ええ。下半身が馬、上半身が牛……というよりもミノタウロス型かしら。その魔物に手こずったわ。でも、倒したお陰で十一層に行けた訳だけど」
アリサは台所で飲み物を詮索した後に、事の顛末を話し始めた。
◆
牛馬の魔物を倒した二人。その後、広間に現れた大きな扉の先にあったのは整えられた下へと続く石階段であった。今までの下へ続く階段と違い、やけに整えられている階段に違和感と不気味さを感じたが、階段の途中にあった層を隔てる見覚えのある「闇」があった為、それ程拒否感も出ずに進んだ。
闇を超え、更に階段を降りた先には再び広間が見えてきた。一層の大広間より狭いが、それに次ぐ広間。それも今度の広間には一層の大広間にある女神像と同じものが広間の中心にある。十層で見た、やや薄汚れたものとは違い、本当に似たものがそこにあった。
アリサは疲弊した勇気を女神像の前まで連れて、女神像の前に座らせる。そして、すぐにこの女神像は一層のものと同じであるか確かめた。
ウィンドウのステータスを開き、心で女神像に語りかければ、ウィンドウの数字が変動する。レベルが一つ上がったのだ。
勇気も同じ作業をやったようで、どうやら互いに上がった事を確かめ合う。
その後は、すぐに帰還水晶を使用して一層の大広間へ辿り着き、迷宮から帰路へと向かった。
装備についた魔物の血も気化してしまった勇気が一人で歩けると言って、二人は自分が帰るべき場所へと歩んで行った。
◆
「今レベル幾つだ?」
ゼクスがアリサへと訊ねる。
「ユウキが12、私が13よ」
「ってことは、アイツと戦ったのはそれより一つ下か」
コクリとアリサは頷いた。
「装備とステータス見せてみろ」
アリサが言われるが侭にウィンドウを開き、必要な所を座っているゼクスへと見せにいく。
「……よくコレで勝ったもんだ。そもそもよくそのレベルで向かったな」
アリサのウィンドウから手を離したゼクスは、ゼクスにしては珍しい表情の若干呆れた笑いになっていた。
「でもアイギスさんは十層迄ならコレでも大丈夫って」
「まぁギリギリ問題ないな。問題はレベルだ。基本的に5以上放れた魔物と戦うのは得策じゃない」
「…………」
そう言われてアリサは思い返す。自身が持っていたレベルを確認出来る水晶で牛馬の魔物のレベルを確認した時は7も上、勇気にしてみれば8も上である。
ゼクスが言う5以上という考えに基づけば無謀に変わりない。自分だってレベル差があると気付いてもいた。
「おそらく、そのレベルとお前の能力値だとまともに食らえば一撃耐えられない。アイツはレベル以上に固体としても優秀だしな。それも軽装なら尚更耐えられない。本来は一撃耐えられる状態で、食らえば回復薬を即使用。後は人数で押すとかだが、二人じゃそれも無理な話だ。それに少し戦ってキツイぐらい分かっただろ」
「まぁ……ね」
アリサは何も反論する事がなかった。ゼクスが言う事は全てが尤も事で的確ある。
まともな一撃は確かに貰う事はなかったが、防御した一撃でも危険域に達していたのだ。当然、まともに貰えば加護値なんて関係なしに両断されるのは簡単に想像できていた。
「大抵のザイエンデは六層から急激に魔物が強くなるせいで慎重になる。装備を整え経験を積むのに慎重になるんだ。それでもお前らは先を急いだ。それだけ実力があるのかもしれないが、急ぎ過ぎってぐらいに。まぁ急ぐ事情も知っちゃいるんだがな」
急ぐ理由。それは副師団長が勇気に期日を科したからである。十一層までに特定の日までに辿り着けと。そうすることで副師団長は勇気に生きる為の術を教える。これは当人でないアリサもゼクスも知っている事であった。
アリサも勇気に協力しようと迷宮に潜る日程を増やしたぐらいである。
「不幸なのは、お前達の相性がすこぶる良かったって所か。そうでもないと、こんな短期間に攻略なんて出来ねぇよ。お互いに殊勝なこった」
「何で笑うのよ」
ゼクスの含んだ笑いに、アリサは眉根を寄せて睨む。ゼクスも「すまん」と二度言った後に、気を引き締めて次の言を綴った。
「何にせよ。あそこを超えられたなら一応一人前のザイエンデだ。死者が一番多いのもあそこだと言われるぐらいだしよ。なんてったって帰還水晶も往復水晶も使えん場所だからな」
「……帰還水晶使えないって……そうなの?」
「そうだ」
聞き返したアリサは自分の血の気が引くのを感じた。
あの時は危なければ帰還水晶で逃げるという考えを持っていたが、もし実行していたのなら不発に終わっていたのだと云う事になる。
しなくてよかったと、アリサは重々に思う。もし、帰還水晶を使っていたなら絶望していただろう。そうすれば戦いに濁りが出て負けてもおかしくない。
牛馬の魔物を倒し切れないのなら死んでいたのだ。もし、勇気が果敢に挑み、絶命させていなければ自分も勇気もこの場には居やしない。
「死なんでホッとした」
最後に付け足すようにゼクスが言った。いつものように無邪気な笑いを含めて。
それを見たアリサは深く息を吐く。内心では、帰ってこ来れた喜びを確かに味わって。
「私はお風呂入らせて貰うわ。その後買い物行くけど、師団長は欲しい物ある?」
「んー。別に買い物なら俺が行くが。買って来るものさえ教えてくれりゃな。疲れてるだろ?」
「その方が嬉しいけど。ユウキの為に疲れが取れる料理でも作ってあげないといけないし。師団長に頼むと無駄遣いが多くなるし、買ってくる物も心配だもの」
アリサは、そう言ってすぐに疲れた体を癒す為に浴室へと向かった。
湯を浴びて身体の汚れをすっかり落としたアリサは、すぐに家を出て商業区へと向かっていた。
「何にしようかしら」
頭に描く、疲れて倒れてしまった勇気の為の献立。肉料理は、体力もつくけど疲れきった後の寝起きに良くない。後は勇気が好みだと云っていた魚料理。鮮度が特に関わってくるコレは、選択が難しい。焼いてしまえば一緒だろうと云う人も居るかもしれないが、料理人として下準備も含めた全ての工程の重要度に違いはない。
それよりも勇気にセトの疲労回復薬でも効果を示さなかった事が大きい。せめて、食事でそれを幾分か癒すぐらい出来ればいいなと思っていた。
「アリサ、買い物か」
ふと、名前を呼ばれてそちらへと顔を向ける。すると、いつもの鎧ではなく、民衆と同じような服装の師団員であるガウェインが居た。
「はい。ユウキが疲れて倒れちゃったので何か体に効く料理を作ろうかと。ガウェインさんは今日は休みですか?」
「ああ。ちょっとした個人の集会に行ってきてさ。今はアリサと同じように夕食に使う適当な物買って帰るとこだ」
ふぅんと頷くアリサ。
ガウェインのおじさんな風貌からして何処か料理という行動が似合わない気もしたが言わずに、言葉の中にあった集会ってなんだろうと頭の中をよぎる。聞けば早いのだが、何故か聞くのを躊躇った。変な予感がした為に。
と、ここでアリサの視線がガウェインからチラリと別の場所に移動した。
「どうした?」
当然、ガウェインがそのアリサに気付く。
「いえ、副師団長が見えたから」
アリサの視線の先、今はもう見えないが宿舎にも居なかった仮面をつけたあの人物が一瞬映った。
「珍しいな。あの人は余り人が多い所には来ない筈なんだが。って、おい」
アリサはガウェインを余所に歩き進んで行く。その先は、さっき見えた人物が消えた先の道であった。
ガウェインも、む、と唸って悩んだ後にアリサの後ろをついて行く。
「幾らアリサの副師団長といえども私事について探るのは良くないと思うんだが」
「まあ、そうだけど。副師団長の私生活って気になるし」
気になる。それはアリサだけでなくガウェインも一緒であった。だからガウェインも申し訳なさそうにしながらもアリサについて来ている訳である。
副師団長の見た目が奇抜なだけに国では目立つ。それにガウェインも言ったように、彼は外を歩き回る事が少ない。家に居る時は本を読み続け、外に出る時は師団としての仕事の為に城の行き来ばかりすると聞く。だから、こうして民衆が多く居る<商業区>で彼が歩き回るのなんて希少な現象だと云えよう。
道を一つ曲がれば、人が何かから避けて歩いているのが見えた。その何かは、言うまでも無い。
二人は目標から距離を離しながら、時には店の前で買い物をする振りをして目標の後を尾けて行く。
そうすること暫くして、目標はある店の中へと入って行った。
アリサもガウェインも店の前へと行き、そこが何かを示す看板を見る。
「料理店?」
「なんかいやな予感がするぞ」
如何にも高級そうな料理店であった。建物としての景観も素晴らしい。それに回りも見れば似たように高級そうで、お金持ちの方々が訪れそうな店がずらりと並び経っている。つまり此処は高級料理街に一つと云う事になる。
アリサは息を呑む。後ろめたい気持ちも確かにある。しかし、その手は店へと伸びていた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「え、ええ」
店に入れば女性の一人が受け付けで対応していた。
すぐに二人は女性店員から店の中を案内され、一つの席に案内される。
尾行中の二人は、店中も外観と同じく達観した雰囲気を醸していた為に、こんな普段の格好で来ていいのかと、若干そわそわとしていた。
「あそこね」
席につきアリサが言い、目線だけで示す。
仕切りがあるせいで全ては見えないが、副師団長がいつも身に纏うローブが僅かに見えていた。
「おいおい、やっぱり私事に首を突っ込み過ぎるのは――」
「貴方もここまで来たんだからしっかりしてよ!」
アリサの小さな怒鳴り声で、ガウェインが、うっ、と委縮する。
ガウェイン自身も興味本位でついて来たために反論が出来ない状態である。こうなれば、腹を括って堂々としようと店の料理一覧に手を伸ばしたのであった。
アリサは他人には勘付かれないように目標に集中する。
「誰かと一緒に居る……?」
気付く。副師団長の対面にいる人物に。しかし、というよりやはり仕切りのせいで全てが見えない。それでも、あの人付き合いが悪い副師団長が、こんな高級料理店で誰かと共に居て話している事に俄然興味が溢れ出てきていた。
「飲み物だけで、この値段かよ……」
アリサの向かい席では一覧を見て絶望している中年男の小さな姿がある。
そんな男に気にせずにアリサは、目標がどんな人物と話しているのかを確認しようと目を凝らしていた。だが、それも店の接客員によって遮られる。
さっ、とアリサの視線は接客員に移り、ガウェインを横目で見る。何だか、やや涙目のガウェインは、元気が無い声で飲み物の名前を読み上げていた。
「何をしている」
低い声がアリサ達の座る席に響く。「あ」と震えた声を出したのは、アリサの対面の男。接客員も注文を聞き終わっていたので、事が大きくなる前にと、そそくさと店の奥へと行ってしまった。
「副師団長が、こんな御洒落な店で食事をしてるから気になっただけよ。ガウェインは丁度会っちゃって私が無理言ってついてきてもらったの」
アリサ達に声を掛けて来たのは、述べるまでも無く副師団長であった。
顔の見えない仮面が二人を見下ろしている。
「非番ならば寛ぐといい。店代は私が払っておこう」
「ちょっと……!」
副師団長は、それだけ言って店の出口へと行ってしまう。アリサの制止の声も聞く間に受付に一声掛けてから店を出て行ってしまった。
それをガタリと慌てて席を立ちって追いかけるアリサ。呆然と眺めるしかなかった中年男を残して二人は店を出て行った。
「誰と会ってたの?」
すたすたと高級料理街を歩く副師団長の横に並んだアリサが訪ねる。
周囲は副師団長を避けるような人の流れが形成されていたが。二人は気にも留めない。
「私事について探るのは良くないと聞かされなかったか」
うっ、と息詰まるアリサ。
先ほどまで一緒にいたガウェインに二度も言われている。いけない事とは分かっていても、溢れる好奇心に負けたので咎められても文句は言えない。
それとは別に、一つ懸念している事があった。
「もしかして、私……邪魔した?」
副師団長は入ってすぐに出て行ってしまったのだ。それも自分達の存在に気付いてからである。
自分から言って、ますます罪悪感が心の中で増していた。
「必要な封書は受け取っている」
一つの留められた書をアリサに見せる副師団長。自分の用事は済んだと言った。
気を使ってくれたのか、アリサの罪悪感が和らぐ。どうにせよ、自分達が現れなければもう少しゆったりと話し寛いでいたハズで、邪魔したのに違いない。今後は興味本位であっても気を付けようと心に留めていた。
「でもやっぱり仕事なのね……」
しかし、好奇心で探ろうとしたことも、やはりこの男は、この結果しかあり得ないのかと呟いてしまう。
「今日は城に行き、第五師団長と議会の打ち合わせを行う予定であった。しかし、先方も急遽都合が悪くなってな。故に別の件の処理を先に成した迄だ」
淡々と話す副師団長に、アリサは乾いた笑いしか出て来なかった。
「しかし、お前も何かしら用事が会って商業区に来たのではないか? 私を見付けたのは偶然だろう」
「ええ。ユウキが疲れて倒れちゃったから、元気が出るモノか、好きなモノか、食べ易そうなものでも料理できたらいいなって。セトさんの薬も効かないから困っててね」
アリサの本来の目的はコレ、勇気の為の食事である。
当然、好奇で向かった副師団長の件とは別に覚えているし、忘れずに商業区で食材を買って行くつもりだ。だが、肝心の料理内容が決まっていない。どうせならさっきの店で、何か参考になるものがあったかを見てくるんだったと僅かに後悔する。
「ならば粥がいいだろう」
うーん、とアリサが悩む所に隣の男から助言の言葉が飛んできた。
「かゆ?」
しかし、副師団長が言ったソレは、アリサにとって初めて聞く単語であった。
「病人に作る米を使った料理だ。そこらの病院食にもなっている」
「米……米か。米を作った料理は作った事ないのよね」
材料としては知っているが、身近に触れた事はないというアリサ。
「比較的塩味の足りなくなる料理であり米単体で構成される事が多い故に、塩の匙加減一つで美味くも不味くもなる。付属で入れる物を例に上げれば、肉類なら鳥でも入れて酒蒸し、魚類ならそのままでもいいだろう」
「……副師団長も師団長も料理はしないって言ってたと思うけど」
副師団長のまるで作った事のある物言いに、アリサが思わず言葉を挟んだ。
アリサの記憶に違いなければ、王国に来た当時にそのように二人が告げていた覚えがある。だからこそ、自分が毎日料理番をしている。当然、料理が好きという点もあり、嫌々という話ではないのではあるが。
それよりもアリサの料理人の観点から、副師団長に興味が湧く。料理に塩は必要不可欠であるし、重要性も高い。鳥を酒蒸しにするなんて言葉も料理を全く知らない人からは出て来ない。副師団長の相方に聞けば、腹に入れば何も同じだし美味けりゃいい、というような言葉しか返って来ないだけに俄然と隣の男に興味が湧く。
「必要ならば行うだけだ。決して出来のいいものではないがな」
だというのに付け足した言葉は、何と簡素で合理的な解答だろうか。この男を表しているに等しい。
つまり、今は代わりに料理が優秀な者がいるため行っていないと言っている。そこを評価してくれているのは、アリサにとっても大変喜ばしい事であるが、何処か寂しくもあった。
不必要な事はしない。それでも趣味といえば本を読む事だろうか。師団長とは正反対な人物。人どころか、誰かに操られた人形のように一定した人。
話の内容も自分から出さずに全て受けて返すだけの一定さ。不必要な事は決してしない。料理の話にせよ、自分達が尾行していた話にせよ全てが自発的ではない必要最低限。
理解はしていたが、何か外れた人だと。
「十一層には辿り着いたのか?」
しかし、そんな考えも打ち砕かれる。
そうだったと。副師団長が自発的に提案したもの。自分と共に歩む仲間に期した事があった。する必要もない最低限より上のものを彼が提案していた。それを自分達が必死に今日までやってきて達成したのだ。
「ええ。どうして分かったの?」
「そんな気がしただけだ」
副師団長らしからぬ言葉が返ってきた。
アリサの口から笑いが漏れる。この人もちゃんと人なんだと。
「付いて来い。必要な食材は此方に売っている」
「むぅ。身長差あるんだからもう少しゆっくり歩いてよ」
そう言ってアリサは、少し歩を遅めた長身の男と並び歩いた。
確かな目標の達成。それは自身のものではない。それは自分にとって大切な人の一人のもの。
師団と比べればまだまだ力量も浅い。それでも少しでも協力できたのかな、と此処に居ない人に問いながら彼女は微笑む。
――勇気達が王国に訪れて54日目であった。




