21.ゼクス―訓練兵―(中)
王国最大の学園内で一人歩くアカシア。
今は夕刻に差し掛かった為、生徒は各々の自宅へと帰る足を進めし、学園内の空気も静かになっていた。アカシアも特別な件も設けてないので、そろそろ学園から引き上げようと考えていた所である。
アカシアは歩く足を止めずに進む。そして、前方のとある部屋から戸が開く音が耳へ届いた。
「アカシア師団長」
扉から出てきた人物、学園を管理しているチャールズ理事長である。
チャールズは、向かってくるアカシアに気付いて笑顔で名前を呼びあげていた。アカシアも軽く会釈して、チャールズの前で足を止める。
「チャールズ理事長、何か御用ですか」
「いえいえ、大事な特別講師に挨拶をするのは当然の事でしょう。貴方が我が学園に就いてから、今日迄で約140日。レイリー以上の評判の先生に、無視するなんてとんでもない」
にんまりとチャールズは笑う。
その言葉にあった通り、学園でのアカシアを評価する声の大半は良いモノだらけであった。本隊の師団長だから当然、という声もありはすれども、講演内容は実に有意義で理解もし易く入り易いと受けている生徒だけではなく、聴講しにくる他の講師からも評価が高かった。それを耳に入れて最も喜んでいるのは、当の本人ではなく、この理事長チャールズである。
機嫌よさそうに振る舞うチャールズは、ボンと己の手を叩いて一つアカシアに言い始めた。
「そうですね。挨拶だけでは難ですので、三日後の配備についての進行具合を聞いておきましょうか。もちろん、アカシア師団長なら滞りもなく済んでいるでしょうが」
「“迷宮”の件ですか」
これより三日後に学園生徒による迷宮訓練が始まる予定になっていた。アカシアクラスの生徒51名が、生まれて初めて迷宮の攻略に踏み切る。その為に日頃は学園内で仮想訓練が行われてはいるのだが、生徒にとって迷宮攻略及び魔物との実戦はコレが初めてとなるものだった。
アカシアが続けて、その大事な迷宮についての話をチャールズに向けて進める。
「生徒の補助には、例年通り師団から適正のある者を選出しています。今回は私が学園に配属という事で、私の師団から相応しい者を選びました」
「これはこれは、本隊からですか。それならば例年以上に心配はなさそうですね」
通例なら学園迷宮訓練に当たる師団は、王国警備師団と云われる第四十師団以下である。しかし、今回それを成すのは本隊である第五師団。選りすぐりのザイエンデであり、戦をする者として優秀と王国内を騒ぎ立てる者達である。
「生徒の方に関しても、学内授業に含まれる戦闘技能訓練を見る限り問題ないかと。流石に優秀な子を集めたクラスなだけはあります」
「そうですか。アカシア師団長が其処まで言って下さるならコチラとしても腰を据えて安心出来ます、ええ」
元々学園内でも優秀な生徒が集まったクラスなのだから、当然といえばそうなのだろう。チャールズ自身も、それをよく理解している為、アカシアの言葉と合わさって、より安心が確信のものになったと受け取っていた。
「ただ問題があるとするならゼクスですかね。当日にきちんと参加してくれれば問題ないのですが」
だが、添えるようなアカシアの言葉で、チャールズの表情がやや強張った。
赤髪の少年ゼクス。ただ、心配事は生死に関わる事ではない。アカシアが来学した当時から話にでていたゼクスの休み癖の心配である。前任のレイリーが受け持ってた時からある癖は、アカシアに代わっても変わる事がなかった。
アカシアは直接ゼクスに、何故休むような事をするのか訊ねた事はあっても、ゼクスは言葉を濁すだけで、深く話そうとはせずであった。そして、アカシアもゼクスの性格を考えて、深入りしても仕方がないと早々に休み癖に関して諦めたのである。
しかし、今回の“迷宮訓練”は、逃せば将来に関わってくる大事な講演の一つ。アカシアは幾度も、その事についてゼクスに聴かせている為、幾らゼクスでも今回に限って休む事はないと考えているが当日になるまで何とも言い難い事が歯がゆいものだった。
「きっと大丈夫でしょう。さすがに彼も理解しているでしょうから」
「それならば受け持つ私としても良いのですが」
愛想に近い互いの笑いは、飛ばして当日の不安が起きない事を願うようだった。
「態々足を止めさせて申し訳ありません。また明日も生徒達の方を宜しくお願い致します」
「承りました」
最後に、二人は軽い会釈を交えて別れを告げた。
三日という刻は瞬く間に過ぎ、現アカシアクラスにおける迷宮訓練の日が訪れた。
アカシア、生徒、そして補助にあたる師団員11名が迷宮第一層の大広間にある女神像の前に集合していた。
生徒は総勢51名。迷宮訓練の参加の可否は生徒自身にある。それは命の危険を伴うからだ。しかし、アカシアクラスの生徒は誰一人不参加になる事もなく、全員がこの場にいる。
緊張と興奮で、生徒はやや騒がしい。そんな様子にアカシアは一声上げて、生徒に整列するように呼びかけた。
「これより、迷宮攻略訓練を開始する。以前にも打ち合わせした通り、五人一組もしくは六人一組の班となって行動して貰う。各班には、補助としてこちらも以前説明したように第五師団から一人ずつ当たる。各班、担当の師団員の指令には絶対に従うように。撤退しろと言われたなら撤退。帰還水晶を使えと言われれば使う。もし従わなければ死が見えると思え」
アカシアは講義を行っている時と同じ真剣な声色で、本日の最も重要であり、生死に関わりかねないという内容を説明した。これに反論する生徒はいない。それは当然であり、絶対だと理解しているが故である。
「それでは確認の為に点呼を行う」
アカシアは冊子を手元に現介させて生徒へと告げ始めた。
「第一班、班長カエサル」
「はい」
声を高らかに上げて返事をする片手に剣、もう一方の手に盾を携えた少年カエサル。体格は決して大柄ではないが、他の生徒と比べれば重鈍な装備で身を固めていた。
「アイギス」
「はい」
カエサルの後ろに付く長槍を携えた少女アイギス。前のカエサルと比較すると明らかに軽装である。
装備についてはアカシアから言う事はなく、生徒独自の判断で学園から支給している物を選ばせている。よって、どんな装備であろうとアカシアは装備について口を挟む事はしていなかった。
「フロレンス」
「はい」
アイギスの後ろの小柄な少女フロレンスが声を細くして返事をする。彼女はクラスでも少ない法衣と杖を持つ生徒だった。これは彼女が≪治癒士≫のスキルを持っている事に起因している。
≪治癒士≫は≪剣士≫や≪槍士≫等と比べると圧倒的に割合が少なくなる特殊な類のスキルの一つ。レイリーの冊子にも、この事を重要項として記されるぐらいのものである。
「グスタフ」
「はい」
フロレンスの後ろに付く少年グスタフ。カエサル程ではないが、がっしりした鎧を身につけ盾と剣を携えている。中でも目立つとすれば体格だろう。クラスの中でも背丈の高い部類であった。
アカシアはグスタフの返事を聞くと一瞬だけ間を置く。次に記された名前が問題の少年だったからだった。しかし、本日は休む事なく姿を見せている。皆の前に立っている今のアカシアの場所からでも姿を確認できていた。
「――ゼクス」
名を呼ぶが返事が来ない。
見ればゼクスは剣を杖代わりに身体を乗せて、自身の≪ウィンドウ≫を弄るのに集中していた。
「ゼクス」
「ん、ああ、すまない。初めての実戦訓練のせいか、緊張して頭がすっからかんで聞き取れんかった」
二度目の呼び掛けでやっと返事をしたゼクスに対し、周りからくすくすという生徒の笑い声が聞こえてくる。
アカシアは、他と比べると些か緊張感に欠けるゼクスに何を言うまでもなく、段取りを次へと進めて行った。
「第一班の補助はクリフォード師団員だ。名と顔をしっかりと覚えなさい」
生徒の前のアカシアと一緒に並ぶ師団員の一人が、自分が挙げられた師団員だと言うように一歩前に出る。
此度の生徒の補助に当たる師団員は、アカシアと比べれば断然に若い師団員が多かった。それでも皆、本隊の師団員である。その実力の程は見るまでもなく高いものだと生徒も理解していた。
「次に第二班、班長――」
前に出た師団員が一歩下がると、アカシアは次へと点呼を同じように進めて行った。
そして、計十班、生徒51名、師団員10名の名を呼び上げた所で、いよいよ本日の目的が開始する。
「第一班から順に出発してもらう。残る班は各自装備を確認しておくように。では、第一班は私の後に付いてきなさい」
アカシアが女神像から離れ、迷宮の奥へと進んでいく。後ろには第一班の生徒5名、加えて最後にクリフォード師団員が歩み進めた。
「お前の装備動きにくいんじゃねぇの?」
アカシアのすぐ後ろにつくカエサルが隣に寄ってきたゼクスに喋り掛けられる。疑問を投げかけるゼクスに、その言葉通り重そうな装備をしているカエサルが眉を寄せて反論し出した。
「馬鹿を言うなよゼクス。学園から借り受けられるモノの中でも抜群に上等なものだぞ。それにお前こそ軽装過ぎないか? アイギスみたいに槍を使うなら分かるけど、片手でも振れる剣なんだからせめて盾ぐらい持てばいいだろ」
「俺はコレでいいんだよ。余計な物を持たない分、別の道具持っていけるしな」
「確かに、軽装はソコが有利な点か。それでも不安に変わりないが……コレ以上装備について言っても、相手が君だと無意味だな」
くっくっ、と笑うゼクスにカエサルは呆れたように言葉を切った。言い合いはしているものも空気は悪くない。これが二人の平常のやり取りなのだから当然であった。
大広間から迷宮内部へと続く入口でアカシアが足を止める。
「私は後ろに付く。カエサル、後は君が先導しなさい」
「判りました。皆、戦闘準備を忘れぬように」
カエサルの言葉に第一班の面子は、各々違う言葉で同時に返事をして、遂に迷宮を進む事になった。
先頭はカエサル。そしてカエサルの横に半歩遅れてゼクス。二人の後ろにアイギスとフロレンスが並び歩き、その後ろにグスタフが歩む。最後にアカシアとクリフォード師団員が第一班の後方を付いて行っていた。
光水晶が照らす迷宮内を歩み進む一向。先頭のカエサルは一層に神経を張り巡らせて先導している。目と耳の感覚を最大限に活用して、迷宮に必ず存在する敵に注意を向けていた。
別れ道を二つ、カエサルの意思の下で進み抜き、三つめの四方に別れた道に辿り着いた時、遂にその瞬間が訪れた。
「全員、戦闘態勢――!」
カエサルが声を大きく宣言する。少年少女達は、凶器をそれぞれ構え目前に映る敵と向き合った。
魔物は曲剣を携えたコボルト。数は七。戦闘態勢を取る五人の生徒と比べれば二つ多い。しかし、一向はその数に怯む事なく息を整えている。
「僕とゼクスが前に出る。フローは後方待機。アイギスとグスタフは僕達の援護を頼む」
カエサル達と敵となるコボルト七つの内の四体が前へ駆けるのは同時だった。
前に出た魔物の目標が、尤も前に出ている二人の少年に向かう。
刹那に剣が鉄を打つ音が響く。最も突出していたカエサルが一体のコボルトの剣を盾でいなし、そのまま体当たりで体勢を崩して、更にもう一体の注意を引いた。
その隣で並ぶように戦闘を始めたゼクスが、残る二体の注意を引き、剣を使うこともなく体術のみで見切るようにかわしている。
少年少女達が戦う後方、戦闘に干渉しない位置でクリフォードとアカシアは、その光景を観察していた。
「まさかここで同時七体とは……師団長、初めての魔物にしては数が多いと思います。せめて同数の五体まで減らすのが上策かと」
アカシアに提案したクリフォードが、己の装備である剣を手に取り、アカシアの答えを窺う。
「いや、一まずは様子見だ。だが、お前が危険と悟り次第手を出してくれ」
アカシアの答えを聞いたクリフォードは一言「了解しました」と返し、取り出した剣はそのままに、少年達の戦闘の観察を再び始める。
一体のコボルトがカエサルの剣の一太刀と後方から踏み込んだアイギスの槍の一刺しを受けて体勢を崩していた。しかし、その魔物に傷は見られない。それは未だ加護値が0に達していない証拠である。
カエサルは更に別の二体が自身目掛け突撃してくるのを目視し、一つ周囲の仲間に掛け声を送ってからアイギスと共に身を退く。
前衛に出ていたもう一方。ゼクスは、というと三体まで増えたコボルトに対し、未だ剣を使うこともなくかわし続けていた。
ゼクスに剣を振るい体勢を崩したコボルトに対し、グスタフが援護をするように剣を的確に外から当てている。そして、そのコボルトの標的がゼクスから攻撃を当てたグスタフへ。苛立つような声を上げて敵意が変わる。
「ギャウ――」
だが、そのコボルトの背からゼクスが一撃を後頭部目掛けて当て、更に体勢を崩し悲鳴を上げさせた。奇襲染みた一撃に憤怒しながら、コボルトは再びゼクスに目掛け飛び掛かる。
ゼクスに向かう数は三と変わらない。それどころか、何も行動していなかった残る一匹とカエサルとアイギスが攻撃を与えていたコボルトまでもゼクスに向かい始めた。
「退くぞ」
ゼクスは近くのグスタフに聞こえるように一言放ち、一体のコボルトを蹴り返しながらグスタフと共に最前線から身を退く。
戦況は振り出しになり、再び体勢を立て直した第一班前衛四人が近いコボルトへ攻撃を繰り出してゆく。
「カエサル訓練兵は盾の使い方が巧いですね」
「受けの技術はクラスの中でトップレベルだったからな」
遥か後方のクリフォードはカエサルの盾捌きを称賛し、アカシアは記憶にある訓練を思い返していた。
実際、カエサルの盾の扱いは言われる通り巧い。防御技術は当然、攻撃の起点にすら盾を巧みに扱っている。一連の動きが盾に沁みているようだった。
人が四、魔物が七の戦い。数でカエサル達は負けていても怯む所か押してさえいた。
「フローは、どうする?」
二体のコボルトを相手取りながら、ゼクスが大きな声を上げた。
「君が何体か引き受けてくれるなら、フローにも経験を積ませた方が良い。集団戦闘はいずれ積まねばならないし、良い経験になる」
カエサルがコボルトを盾で押しのけて相手が居なくなってから、その問いにすぐさまに答える。
ゼクスは、それを聞くとすぐに一体を相手取っていたグスタフの援護に向かった。
「グスタフ頼むぞ」
ゼクスのコボルトを剣で跳ねのけながらの言葉に、グスタフは頷いてすぐさまにフロレンスの下へと駆けた。
ゼクスが相手取るコボルトは三。その内、二は未だ距離を離したばかりで間合いは遠い。残る四は、アイギスとカエサルが一斉に迫って来ない様に巧く立ち回り相手取っている。
そして――
「ゼクス!」
起きる出来事。物事はいつも唐突だ。
一人の槍使いの少女の叫びと同時に事態は一変していた。
ゼクスが少し前まで相手取っていたコボルト二体は、未だ距離を詰め切れていない。だから相手取るコボルトは目の前にいるグスタフの代わりに受け持った一体でいい筈――だと言うのにゼクスの背後から二つの曲剣が振り下ろされていた。
アイギスとカエサルが相手していた四。ゼクスに向かっている最中の魔物が二。そして加えて目前の一。これで相手していた数は計七。
ならばゼクスの“背後に迫る”二は何処から来るものか? それは単純な答え。人が無数にいるように、魔物の数も計り知れない。単純明快。新たな二は、その通り新たな魔物の援軍を表していた。
七から更に二つ増えた魔物に、いち早く気付いたアイギスがゼクスを援護しようと駆け――均衡が崩れてしまった。
アイギスとカエサルで牽制し合っていた四の内の一がカエサルに真っ向からぶつかる。最悪なのは“残りの三”がグスタフを追いかけてしまった事である。
そしてさらなる問題点、グスタフの下には未だ実戦を知らぬフロレンスが居る。そんな味方を守りながら三のコボルトと同時に戦える腕はグスタフに持ち合わせていない。
静かな呼吸音が戦場の遠くで鳴り渡る。それは戦っていた訓練兵である生徒達ではない。これは戦の中で生きていた第五師団の息である。
時が来ていた。己の上官が言い放った、自身の判断の下に守るため動けという時が。
「む……」
緊迫した中で唸る声は師団の長のものだった。
時は来た。その守るべき為に動く時が。だが、その時が来たというのに地を蹴ろうと構えていたクリフォードの足に力が無くなっていた。
全てが一瞬の出来事だった。本来、救援に向かう筈であったクリフォード。生徒達が優勢から劣勢に変わった状勢を救うべく駆ろうとしたのを止めた。止めるに至った原因、それは新たな魔物の襲撃と云う不意打ちを受けた筈のゼクスであった。
「弱いモノ狙うってのは、ただの獣と違って知能はある程度高ぇのか。それとも本能か」
ゼクスが現状を見渡し、言葉を吐き捨てる。その腕には僅かに涙を瞳に溜めたフロレンスが抱えられていた。
場を今一度確認する。ゼクスの背後から不意を突いた新たなコボルト二体は、ゼクスが居た筈の場で空ぶった曲剣を睨み佇んでいた。
そして、何よりこの場で目立つのは壁に頭を剣で貫かれた一体のコボルトの死体である。この一体は、フロレンスとグスタフに向かった三体の内の一体。残る二体の内一体は壁付近まで転ばされた体を起き上がらせている最中で、もう一体はグスタフと剣を交えていた。
誰がコレをやったのかを誰もが全てを見ずとも理解している。その人物が己を狙う計五体の魔物を振り切り、一体の息の根を止め、一人の少女を助けたのだ。
「どうせなら俺も助けろよ」
グスタフが剣を交えていたコボルトを剣で跳ねのけて、背後に立つ仲間に愚痴を吐いていた。
「生憎、人二人を抱えて逃げれる程の力はねぇよ。でもお前なら無事だろ」
ゼクスは抱えたフロレンスを降ろし、ニッと笑い飛ばした後、すぐに己の武器の下へ、一つの命を絶った下へと行く。
ゼクスが流れるように次に取った行動は、すぐ側に態勢を立て直したばかりのコボルトを強引に片腕で投げ飛ばし、檄を飛ばす事であった。
「作戦変更だ。アイギス、カエサル。一人一体ずつ確実に処理しろ。グスタフはフローのサポート。残りは俺が引き受ける」
戦陣がゼクスの言葉の下で変わる。
訓練兵の不意打ちの動揺など、もうすでに無くなり、新たな魔物の増援など無かったかのように形勢に不利など感じさせなかった。
「これは……」
クリフォードが声を微かに震わせた。
彼の声を震わせた要因は、ゼクスが発言通り残るコボルトの相手をゼクス自身が取っていたからだ。その数、アイギスとカエサルが一体ずつ受け持った者を引いた六。
剣と身のこなしでゼクスが一撃も食らう事はない。それどころか反撃さえ与えている。二つの同時攻撃なら難なくかわし、四つになればかわしながら剣で受ける。六つになれど数に怯みはせずに。
コボルトの敵意の矛先が変われば剣を振るい、自分へと注意を向けさせた。
クリフォードは単純に驚いていた。学園支給の装備は、言ってしまえば悪い部類だ。最低限に戦える物しか与えられてない。強い能力を付加した装備なら簡単に一層の魔物なら楽に倒せるだろう。だが、それでは迷宮訓練という“訓練”の意味をなさない。
そもそも一層の相手ならば人数最低限の装備でも人数さえ揃っていれば、基礎戦闘技術さえ学んでいるなら問題ないのだ。それに加え師団という最大限の補助もある。それゆえに最悪の死という直面には、ほとんど出会う事はない。
だが、ゼクスのコレは想定を超えている。初の戦闘で、尚且つ悪条件な装備なら優秀な者でも一人で二体、最高に優秀だとしても三体が限度だとクリフォードは判断していた。しかし、ゼクスはその二倍を相手にしても余裕すら見せているのだから驚かずにはいかれない。それも敵の数は二倍でも必要な戦闘技術は単純に二倍所ではないと知っているのだから尚更にクリフォードは驚きの感情が露わに出てしまっていた。
「彼の名前は……確かゼクスと。ああ、師団長が話していた彼ですね」
クリフォードはゼクスの名を上げると納得したように言葉を続け、ゼクスの戦闘を注視していた。
「アイギス、グスタフと交代して二人で相手しろ」
ただただ冷静にゼクスが指令を渡す。
その言葉の先、カエサルとアイギスが相手度っていたコボルトが一体断末魔を上げて絶命していた。
「呆れた少年ですね。これでは私がいる意味がない。実に呆れます」
クリフォードは、尚も五体ものコボルトを一人で相手しているゼクスを見ながら言った。
彼の言葉にあるように、これでは補助員としてついている意味をなさない。時に危機を救い、助言を行い、戦の理を手助けする役が既に存在する為に。
「ああ、私もそう思うよ。あの少年は学内の戦闘訓練時も手を抜いていた訳でもないが、全てを曝け出してない事を理解していた。それだけに、こう本番になってからの光景は余計に呆れる」
アカシアが言う否定的な言葉とは裏腹に、その表情は笑みで溢れていた。
今、戦場では基本的に二人組、時に一人で魔物を相手にして繰り広げられている。この全ては、ゼクスの指示。決して自分の相手をする魔物に止めを刺す事なく、同じ班員に戦わせる為に魔物に対し手加減する姿は余裕だというのは明らか。
そして、魔物が遂に残る一体になり、フロレンスがゼクスの援護を受けながら相手をしていた。フロレンスは、不格好ながらも杖を使ってコボルトの剣を受けたり、かわしたりもある程度可能になっていた。それを見てゼクスが「もういい」と一言フロレンスに送り、退かせてからコボルトに止めを刺した。
「だから、僕は僕よりもゼクスが班長になるべきだと言ったんだ。指示する隊長格は、やはり君しかいない」
戦闘が終わり次第、カエサルがゼクスを迎えて言葉を吐露する。対するゼクスは、やや不機嫌そうな顔でカエサルに向けて言葉を返した。
「んな面倒な事出来るか。俺はただの班員でいいんだよ。お前も腕と頭は良いんだから、あとは戦闘の経験積んで頑張れや。それに俺とアイギス、あとグスタフはお前が一番班長に向いてるって言ったろ」
「ハァ……なら班長の肩書は僕でいいから、暫く戦闘での主な指示は君がやってくれ。もう少し戦いを続けたら僕がそれらしくやるからさ。皆もそれでいいだろ?」
カエサルの問いに反対の意見は誰からも飛んで来なかった。こうなっては、ゼクスも嫌々と言っているがカエサルの出した提案を受けざるを得ず、ぶっきら棒な言葉で仕方なく了承した。
「まぁ、次こんな事なっても俺主体で動かねぇからな」
「それでいいわ。最初だから戸惑ったけど、これぐらいの相手なら次はどうにか出来るだろうし、貴方が主に前線に出ても訓練にならないもの」
アイギスが槍をゼクスに向けて自信満々に唸った。そんなアイギスに「おぉ、こわい」と茶化すようにゼクスが言葉を返す。そんな二人を見て第一班の空気が幾らか軽いモノになっていた。
しかし、ここで一人、しょんぼりと俯いている者が居る。
「ごめんなさい、私がとろいから……」
小柄なフロレンスだった。己が身に降りかかった二つの脅威を自身で退ける事が出来ずに竦んでしまった彼女。最後はゼクスの補助があったものの、他の班員と同じく戦闘をしっかりこなして居たのだが、初めの魔物との接触の失態を後悔していた事を引きずっていた。
フロレンスとグスタフを狙った三体の魔物に迫られた時、彼女は立ち竦む事しか出来なかったのだ。もしゼクスが助けなければ、クリフォードが彼女を助けただろうが、それでも戦場で立ち竦むのは失態としか言えない。それは彼女自身が理解している。
そんな失望している彼女へ一番に声を掛けたのは、ゼクスだった。
フロレンスは、自分の目の前に寄って来たゼクスを小柄な身体で見上げる。
「しゃぁねぇさ。人なら誰もが得手不得手を持ってる。確かにフローは俺やカエサルみたいな戦闘技術はないし、その技術で言えばクラスでも最低レベルだ。少し臆病な所があるのも知ってる。まぁ、その性格を知ってるお陰で、いち早く手助けに向かう考えが出たんだがな」
「ごめんなさい……」
「それでも皆が使えねぇ治癒術を使える治癒士のスキルを持ってるんだ。そっちを存分に生かしてくれりゃ有難いってもんよ。それでもこれぐらいの相手なら、心構えさえ多少変えればフローにだって十分以上に戦えるからな。最後もきちりと戦えてたしよ」
涙を溜めるフロレンスに目いっぱいの笑顔で言葉を贈るゼクス。その言葉は嘘偽りもなく全てが本心だと言い放っていた。
「相変わらず、良いとこ悪いとこハッキリ言うわね」
「そういう性格だって分かってるだろ」
アイギスのきつめの一言に、からからと笑うゼクス。そして、ゼクスは付け添えるようにフロレンスに「気にせず、次に生かせ」と笑みながら言葉を贈った。
そんな彼らの様子を後ろで見ていたアカシアは、またも満足そうな表情で笑う。
「クリフォード、後は任せるぞ。くれぐれも目を離さぬようにな」
「ええ。いらぬ心配かもしれませんが」
アカシアが来た道を戻って行く。彼はゼクス達の第一班だけではなく、残り九つの班を見なければならない。先に生きる者として、今、新たな道に進むかどうかの決断を与える場を全員が達成できるように、次へと行動を進めた。
一層女神像大広間。第十班まで迷宮内へと送り込んだ後のアカシアは女神像の側で、師団員の一人と共に居た。地べたに座り込み、十数に及ぶウィンドウを手元に浮かべて、これ忙しと目を配らせている。
「アカシア師団長、そろそろ頃合いかと」
「もうそんな時間になったか」
アカシアは隣に立つ師団員の言葉を聞くと、全てのウィンドウに一度触れてから一斉に其れを閉じた。
「どうやら何事もなく終わったようですね」
「私達が問題を起こせば師団は世間から延々と笑われるな」
「そうですね」
二人は笑う。その笑い声は自信を持った声だった。
本隊であるが故、ミスは有り得ないし許されはしない。万全の準備の下に挑んだのだから、無事なのは当たり前だと言わんばかりだった。
アカシアも立ち上がり、師団員と二人で迷宮の先を黙り込み待った。そして、現れる数人の人影。間違えなく生徒と師団員のものである。一つの班が、出発点に帰ってきたのだ。
さらに待つ事暫く。続々と別れた班は帰還し、先程アカシア達が言いあった通り、何事もなく、誰一人欠ける事もなく全員が出発時と同じように集まった。
疲弊した顔も、ちらほらと見えてくる。それとは逆に、まだやりたりないという顔も見えていた。だが、この訓練時間は全員を考慮した最適な時間。誰に何を言われようが、本日はコレ以上の迷宮訓練はしまいとアカシアは決めている。
「諸君、御苦労だった。今日は疲れただろうから、挨拶は簡単に済ませる。明日は予定通り休学だ。十分に身体を休めて欲しい。しかし、前にも言ったように今日の反省点及び課題点を、しっかり纏めておくように。此方もコレから補助に当たった師団員と本日の成果を話し合い、次の授業の時に皆に指摘を行う。以上だ。解散」
早々と終わりを告げる言葉で生徒達は、ぞろぞろと迷宮の出口へと足を運んで行く。
アカシアは、帰還する生徒達の背中を見る。そして、生徒らしく黙って帰るゼクスの背中を一度見た後に、並ぶ師団員の方へと視線を変えた。
「では、皆の者。暫く時間を与えるので報告書を纏めるように。アイザック、出来た者の報告書から順に複製して配ってくれ」
「了解致しました」
アカシアにアイザックと呼ばれた師団員も含めた師団員は、各々のペンを出して紙面に文字を綴って行った。
一番に、その作業を終えたのはクリフォードだった。澄ました表情で、アイザックへと数枚の紙面を渡す。
受け取ったアイザックは一言「複製」と紡ぐ。すると数枚の紙面は十倍にも増し、厚みを増やした。そして、アイザックは数枚の紙を皆の下へと配りまわる。
こんな作業が計10回行われた。アカシア及び、報告書を書き終えた順に師団員は各々の報告書に目を配らせて行く。
そして幾らかして、一つの報告書の前で複数から声が上がった。
「おいおい、この報告のゼクスって奴の話マジかよ、クリフ」
「話盛ってるだけじゃないのか?」
「一人で六体の相手をするって、あの学園の糞装備でよくやるもんだ」
「こっちなんて一体だけ現れた魔物を突き技で一瞬で絶命させる、だぞ。その前にも同じような事やってるみたいだしさ。幾ら一層でも、あの装備でコレは凄いな」
数人の師団員がクリフォードの纏めた報告書を読んで続々と声を上げていた。それに続くように、まだ目を通していない師団員もクリフォードの報告書を優先して目を通して行く。
彼らが言う話題の中心はゼクスだった。クリフォードが記述した紙面には、ゼクスの件が他の者に比べて多い。それは、贔屓という訳ではなく、それだけの事をした証拠。アカシアも、この報告書を見て何ら違和感もないと思っていた所であった。
周りから声が段々と張りあがって来たのを聞き、クリフォードが騒ぎを止めるべく一歩前に出て簡単に語り始めた。
「やはり目立っていたのは、皆が言うようにゼクス訓練生です。広い視野、状況判断能力、戦闘能力、率先能力、何を取っても優秀でした。アイギス訓練生とカエサル訓練生も現段階で単独で一層を突破出来るぐらいに高い個人能力や集団行動能力を持っていましたが、ゼクス訓練生と比べると霞みます」
クリフォードは、ピシリと言葉を締めた。
「ハァ、俺のトコなんて3回も補助に回ったぞ」
「普通はそんなもんだろ。いや、むしろ少ない方じゃないのか」
「私は別師団の時に一度だけ同じ任を受けた事があるが、この報告書を見る限り初回のこの様子なら今回の訓練生は皆優秀な部類だ」
がやがやと第五師団員の男達は思う事を惜しむ事なく自分達が受け持った生徒について、クリフォードの報告書にある才覚溢れたゼクスについて、言い合った。
そして、師団員の一人がクリフォードに向かって一言放った。
「それよりクリフ。こんな奴居るんなら今度の迷宮訓練で班交代してくれよ」
「それなら俺だって交代して欲しいぞ。一度、このゼクスという少年を間近に見てみたい」
興味本位と場が騒ぎ始める。だが、それもすぐに一つの手を叩く音で止む事となった。
「こらこら、遊びじゃなくて仕事なんだ」
一喝するように、アカシアが声を張り上げていた。
黙る一同。その様子を見て、アカシアは次の言葉を告げ始める。
「お前達の言い分も当然分かる。これだけの事をやってる少年を見たい気持ちは理解できる。ただ、この能力ならば学園の卒業後に師団から声が掛かるのは間違いないだろう。それならば遅かれ早かれ、お前達の目にも届く。それからでも遅くはあるまい。何にしても補助員が、あっちこっちと交代しては生徒も混乱しよう。すまないが、しばし辛抱してくれ」
アカシアは眉を顰めて、願い出るように頭を下げた。
「いえいえ、我が侭言っているのは此方なので、師団長が頭を下げる事は」
「ええ、そうです」
アカシアのへりくだった願いに、ゼクスの話で盛り上がっていた師団員は、ただただ申し訳ないと頭を下げた。
アカシアが下げた頭を先に上げて、師団員に頭を上げるように言い、今後について説明した。
「迷宮訓練は残り6回だ。次の日程は7日後、各自資料に目を再三通して最適になるように準備をしておくように。お前達も解散だ」
ピシリと師団員達はアカシアに向けて一礼して、生徒達と同じく迷宮から外の世界へ足を向けた。
「クリフォード」
師団員が先に足を動かす中、アカシアが名を呼ぶ。クリフォードは振り返り、速足でアカシアの下へと戻った。
「ゼクスに変わった事はなかったか」
「いえ、私が提出した報告書通りに真面目な訓練生でした。手を一切抜く事なく、自分の為に、何より仲間の為に動く良きザイエンデです。アカシア師団長が以前に学園を休みがちで不真面目な生徒とは嘘のようだと思えるぐらいに」
クリフォードの言葉を聞いたアカシアは喉を唸らせるだけだった。そして、クリフォードは、一拍置いてから話を続ける。
「私も学園の出ですが、アイギス訓練生やカエサル訓練生レベルの者は居ても、ゼクス訓練生程に優秀な者は居ませんでした。才覚ある少年です。この少年を育て上げれば間違いなく次の世代を担う者になるかと」
「そうなってくれるのなら国の未来も明るいだろう。だが、ゼクスは縛られるのを良しとしない節がある。果たして師団という枠に合うかどうか」
「そうですね。僅かな時間でしたが私もそういう少年だと感じました。ですが、それでも彼は重要な人物になるかと」
クリフォードが一層と声を張り上げる。それは断定。自分が言う事に間違いも嘘もなく、将来そうなる日が確実に訪れるという確かな自信がそこにあった。
「お前がそこまで強く言うのも珍しいな。それならそうと期待しておこうか」
歳を重ねてきた威厳ある笑いが薄暗く光る迷宮内を響き渡っていた。




