2.ヴァルハラ
「≪ヴァルハラ≫……」
勇気は少女が言った言葉を歩きながら小さな声で復唱する。そして、ココに訪れる直前に自宅で行った事をすぐに思い返した。PCを起動して、すぐに確認した事。何処かの運営が自分へと送ったネットゲームの招待メール。そこに書かれていた≪ヴァルハラ≫という文字。その時は鼻で何だと笑っていたが、今はそう気軽に振る舞えない。関連性が余りにも深く有り過ぎる。
どこかの誰かが仕掛けた大規模なドッキリとでも言って貰えれば楽なのだが、さっき勇気が見た少女の獣を突き刺す光景は、どう見ても現実のモノだ。彼女の衣類の僅かに掛かっている獣の返り血がそうだと物語っている。
勇気は今まで過ごしていた現実と別の世界なのかと思う。だがどうしても非現実的な事を受け入れられない自分が居た。
考える程に青ざめて行く勇気。自分でも冷や汗が止まらないと焦る他なかった。
「体調優れないみたいね」
勇気の数歩先に歩く少女が、ちらりと後ろを振り向いて語り掛ける。
「頭の中が混乱して整理がつかなくてさ」
少女は勇気の返答を聞くと、ふぅんと軽い相槌を打つ。
勇気は再び現状を纏めて何とかこの状況を打破できないかと悩み始めた。
数分、二人は無言の状態で歩く。行き先は少女が案内しようとしている村。
勇気はずっと考え詰め。少女は勇気の表情を何度か確認するだけで二人が歩く様子に代わり映えがなかった。
ガサリッ。
何処かで木が揺れる音。途端に勇気の身体が震えあがる。思い出す二足で立つ犬顔の獣の襲撃。必然的に勇気の目は細くなり、身構えていた。
「魔物じゃないわ。ただの馬」
少女が指差す先に美しい白馬が此方を向いて佇んでいた。犬顔の獣と違って襲ってくるような気配はない。
二人が歩む進行方向に白馬は居ないので、ただただ眺めるだけで先へと急いだ。
勇気は、ほっと胸をなでおろす。そして、少女が話した内容にある頭に引っかかった言葉を少女へと投げかけた。
「魔物ってのは、さっき君が倒した二足で立ってた犬顔の獣の事?」
「……そう、コボルトの事よ」
少女は勇気の顔を、ジッと睨みつけた後で答える。そして少女は足を止めて勇気へと語り返した。
「魔物の事を聞いたり、この世界は何って聞いたりしてるけど、もしかしてアナタ記憶喪失?」
少女の言葉で勇気の心臓が波打った。
「分からない。でも、たぶん記憶喪失に近いんだと思う」
魔物や北欧神話内の名を冠した世界名の≪ヴァルハラ≫というのは、この世界では常識なのだ。彼女にとってそれが当たり前。勇気の世界は≪地球≫。少女の世界は≪ヴァルハラ≫。地球を知らない日本人なんていない。それは常識なのだから。今の勇気は、その常識を分かってない人物になる。だから、記憶喪失に近いと少女に答えた。
眉を寄せて心配そうに勇気を見る少女。勇気は軽く笑って大丈夫と返した。
「まぁいいわ。もうすぐ村に着くし、その時にゆっくり聞くから」
さらに数分、少女が先導して森の中を歩く。木々は段々と減って行き、遠くには建造物が何軒も建つ景色が目に映っていた。その景色が見えると少女は真っすぐ進まずに、建造物を回り込むように歩いて行く。勇気も黙って、今までと同じように少女の後に付いて行った。
暫く歩くと、ある民家らしき家の裏口で二人は足を止める。日本ではみなれない建屋。周囲に映る建造物も日本とはほど遠いものばかりだった。
「私の家。入っていいわ」
少女は素っ気なく勇気に言うと、扉を開けて、さっと入って行ってしまった。ここが自宅なら普通だろう。ただ勇気はどうだ。前も後ろも分からない状況が続いている。この入口を通り抜けてもいいのだろうか。これ以上踏み込めば自分が知る現実には戻れない気がして恐かった。
「ほら、突っ立ってないで入りなさいよ」
裏口で戸惑っている勇気を見るに見かねた少女が手を取って無理矢理に家の中へと引っ張った。少々不機嫌そうにする少女に勇気はゴメンと頭を下げる。
多少強引であるが、勇気にとって少女の行動はありがたかった。気が強く、身体も強い少女を見ると不安が和らいでいた。
「そこらへんで適当に座ってくつろいでて」
少女は傍にあるテーブルに備えてある椅子を指差すと何処か別の部屋に行ってしまった。
勇気は少女に言われた通りに椅子に腰かけて、少女を待つ事にする。
辺りを見渡す勇気。外観と同様に内観も日本離れしていると視覚的な新鮮さをしばらく味わっていた。
「ほぅ」
勇気が何処からか頷く声に反応する。音の方へと顔を向ければ髭を生やした老人が自分の髭をもしゃもしゃと掻きながら勇気を観察していた。
「あ、どうも。お邪魔しています」
すぐに勇気は礼儀である言葉を老人へ送る。
老人はおそらくこの家の住人なのだろうと。きっとさっきの少女のお爺ちゃんだろうなと、勇気は予測していた。
「何もそう堅くならんでもいいわい」
老人はそういうと、勇気の前の椅子に座り、ニッと笑って勇気に語り始めた。
「孫からお主と出会った経緯は簡単に聞いた。はてさて、それでお主は何処のものなんじゃ」
少女の祖父と名乗る老人。その発した言葉の内容に勇気はビクリとする。
悩む勇気。自分は此処の世界とは全く別の世界から来た者です。と、さらりと言ってしまっていいのだろうかと。
「話せぬか。それとも本当に孫の言うとおりお主は記憶喪失なのか」
言い淀む勇気を見て老人から言葉をつづけた。
「まあよい。お主のその様子では行く当てもないのだろう。当てが出来るまでここに住まうて構わん」
「えっ、ですが……」
「構わんと言うておるに。ワシの家は、質素ではあるが人を一人二人養うだけの資産はある。ただし、帰る当てができたのならしっかりお主の家に帰るのだ。それがお主の家族にとっても一番の幸せだろう」
「……ありがとうございます」
老人の提案に勇気は素直に呑んだ。老人の言うとおり勇気には帰る当てが皆目見当がつかない状況である。右も左も知らぬ此処で一人で生きろ、など言われれば野たれ死ぬか、森で襲われたような犬顔の獣に殺されるのがオチだろう。故に老人の善意に甘えるしかなかった。
老人は礼を言って頭を下げた勇気に、頭を上げるように言うと席を立つ。
「アリサ、ワシはこれより待ち人と会うてくる。コチラの――」
「自分の名前は、勇気と申します」
「そうかそうか。アリサ、ユウキ君に村の案内をしてやりなさい」
老人は言うと足早に部屋から去り、家を出て行った。そして老人と交代する形で少女が勇気の下まで来て、さっきまで老人が座っていた椅子に座る。
「えっと、アリサさんで良かったかな」
勇気は今しがた老人が言った名前を少女に向ける。すると少女は不機嫌そうに勇気を睨んだ。
「歳同じくらいなんだから呼び捨てでいい。私もそうするから。そっちの方が余所余所しくないし、肩の力もいらないでしょ、ユウキ」
「分かった、アリサ」
勇気の応えに、アリサが微笑む。それは、どうしようもないぐらい可愛らしく素敵な表情だった。
勇気はすぐに気を引き締める。呆けてなかったかと思い若干恥ずかしくなった。
「ところでさ。アリサが森の中で≪ネームロス≫とか言ってたけど、どういうこと?」
顔の火照りを誤魔化すように勇気がアリサに質問する。
「それも分かんないとなると、どう教えようかな――うーん、見せた方が早そうね」
アリサがとった勇気の質問に答えるべく取った行動は、席を立ち、勇気の迎えから勇気の隣に席を替える事だった。
余りに唐突で勇気の目が泳ぐ。心を落ち着かせようと話題を変えたのに、こうも接近されては落ち着かせようとも頭の中が許さなかった。そんな勇気の動揺を気にもせず勇気に肩を寄せるアリサ。一層と動揺が増す勇気だったが、次のアリサの一言でそれも一瞬で無くなる。
「チェック」
アリサが発した一言で、宙に現れる画面。まるでSF世界のようなウィンドウが浮かんでいた。確認できるだけで別れている項目が6つ。ただ勇気には浮かんでいる文字を読む事ができなかった。日本語でもなく、アルファベット、ハングル、ローマ、ギリシャ、勇気が知る限りのどの文字でもなかったのだ。
「これは≪ウィンドウ≫だけど覚えてる?」
「いや、覚えてない。それに浮かびあがってる文字も読めない」
「そう。言葉は喋れるけど読めない、か。識字能力がない人も珍しくはないけど」
アリサが言うと勇気に寄せた肩を戻して姿勢を正す。アリサの動きに応じるように≪ウィンドウ≫も動き、アリサの正面へと固定された。
「ユウキもやってみて」
急に話を振ってくるアリサ。唐突だったが、とりあえずやるしかないと諦めて一つ深呼吸をした。
「……チェック」
アリサと同じように同じ言葉を発してみたが、アリサのようにウィンドウと呼ばれる画面は勇気の前に現れなかった。
「呼び出そうと強く思いながらやってみて」
「分かった」
もう一度深呼吸。頭の中では強く出ろと念じる。
「……チェック。うおっ」
勇気の目前に現れる画面。しかしアリサのモノとは違っていた。勇気のウィンドウは項目が一つしかなく見るからに寂しものだった。
「これが≪ネームロス≫の証拠。それとは反対に私のような人間は≪ザイエンデ≫と呼ばれているわ。ユウキのウィンドウを指で触れてみて」
ユウキは人差し指で一つだけある項目に触れる。軽い感触と共に目前に表示されているウィンドウが変化した。
ウィンドウは広く表示され、さらに幾つもの情報が書かれているようだった。そして、このウィンドウに変わったことでユウキの表情が明るくなる。自分が分かる文字が含まれていると。それは算用数字でありアラビア数字である数字の0だった。未知の文字の後ろに0という数字が必ず添えられている。これが何を意味するかは深く考えず、アリサの言葉を待つことにした。
「この一番上。アナタがレベル0という証拠で、≪ネームロス≫の特徴でもあるの。≪ヴァルハラ≫に生まれた生物は、Lv0として存在する≪ネームロス≫と、レベル1以上として存在する≪ザイエンデ≫として別れているわ。私達人間や、牛や馬みたいな動物は、ほとんどがネームロスとしてヴァルハラに存在している。でも、さっき貴方が森の中であった異形の生物。まぁいわゆる魔物とかモンスターとか言われてるのだけど、それらは全て≪ザイエンデ≫として世界に存在しているの。ここまでは大丈夫?」
「ああ」
勇気は、この世界≪ヴァルハラ≫が、まるでRPGの世界だと感じた。レベルや魔物という概念がさらにそう思わせる。
「じゃあ続けるわ。ザイエンデには神からの加護があると言われていて、ネームロスだと傷一つ負わせる事ができない絶対的存在として世界に君臨しているわ。ほら、ユウキのウィンドウの数値が全部0でしょ――って読めないんだっけ」
「いや、数字だけは0だと読める。その前に添えられてる字はやっぱり分からないけど」
「そう。それで、その数値が加護の象徴。全てが0でしょう。≪ネームロス≫は0以外の数値は与えられないの。そして数値が1以上じゃないと魔物相手に傷すら負わせられない」
「じゃあ、あの時アリサが来てくれなかったらオレはどうしようもなく死んでたと……?」
頷くアリサ。
勇気は背筋がゾッとしたのを感じた。あの時アリサが来てなければ為すすべもなかったのだ。犬顔の獣に立ち向かおうとしていた自分は何も意味もなく勇敢ではなく、ただの無謀なだけ。この世界の常識から考えれば滑稽な奴としか言い表せないのだろう。
独特な単語である≪ネームロス≫と≪ザイエンデ≫。≪ネームロス≫はいわゆるRPGに出てくる村人と同意で、名無しと同じモブの存在であると。戦う力もなく外界の魔物から怯える立場にあるものだ。そして≪ザイエンデ≫とは、いわゆる勇者的ポジションの存在。彼らなしでは、人々は生活していられない。彼らが世界に君臨する魔王を倒すことで世界に平和は訪れる。そんなことを勇気は考えていた。同時に勇気は落胆する。折角なら村人ではなく勇者としての立場で居たかったと。勇気ぐらいの年頃の少年ならば誰もが思うだろう。強く、英雄的な存在でありたいと。
勇気はこれだけの世界の常識を知ってただ一つ、しなければいけない事がある。
「改めてありがとう。アリサは命の恩人だ」
「礼なんていいわ。ザイエンデがネームロスを助けるのなんて当然だもの。アウト」
最後の言葉でアリサのウィンドウが消失した。勇気も同じようにして言葉を発してウィンドウを目の前から消す。
「さてと、お爺ちゃんからも頼まれたし、村の案内でもしましょうか」
アリサが席を立ち、背伸びして元気よく声を発した。
「その前に服を調達した方がよさそうね。ユウキが目立つの好きならその格好でも構わないんだけど」
「そんなに珍しい?」
「ええ」
一高校生の誰もが着るような私服でも、ここでは通じないようだ。それもアリサのRPGによくある冒険者の格好を見れば頷けるのだが、自分も同じような趣向の格好をするとなるとコスプレのようになるのではと少なからず拒否反応が出る。
「じゃあ案内頼む」
勇気はそれでも目立つのは余り好きではない。アリサがこう言うのなら、それこそ冒険者や村人の格好をすべきだろうと思った。着れば慣れるだろうと。常識とは周りから生まれ、形成されていくもので、周囲と溶け込めなければ常識とは言わない。今、常識とは違うと思っているアリサの格好もいずれ慣れるのだろうと思っていた。
アリサの案内で勇気は正面口から家を出る。そして広がる村といわんばかりの光景。
勇気が日本で日頃見ていた鉄筋やコンクリートの家屋など存在しない、木材で作られた一階建ての長屋ばかりの建造物。アスファルトなんてものもなく、綺麗に慣らされた土の道。どれもが自分の生まれた日本とは違う光景だった。
「はぐれる訳ないと思うけど、ちゃんと付いてきてよ」
「ああ」
アリサの後に付いていく勇気。
昼間のせいか村人は余り見当たらない。きっと仕事に行っているのだろうと勇気は思う。
ただというか、やはり勇気の格好は目立つようで、村人に会うと物珍しげに見る視線を貰うことになっていた。
しばらく歩くとアリサが露天のような店を開いている所で足を止め近付いて行った。
勇気は、その店の見たこともない品揃えに興味が津々と湧き出た。布や何かの革のようなもの。そして武器と言える刀剣類や槍。通常では考えられない品揃えに驚いていた。
「ジャックおじさん、アイテム拾ったんだけど」
アリサが新聞のような紙面を読みふけっていた店主と思わしき店番を一人で行っている男に語りかける。店主はアリサに気付くと読んでいた紙面を近くに放り投げて笑顔でアリサを出迎えた。
「アリサか。アイテムってまた森の中に入ったのかい。バナード爺さんに怒られるぞ」
「今回は色々あって御咎めなし」
アリサと店主は仲良さげに会話を交える。その様子は昔から付き合いがあるのだろうと思わせた。
勇気は会話の中であった店主が話した言葉の中の一つを記憶する。アリサの祖父の名の≪バナード≫という名前。自分は名乗っておいたにも関らず、聞きそびれた事だ。これから世話になるだろう人物の名前を知らないなんて礼儀しらずも極まりない。
少しばかりしてアリサが一向に店側に寄らずに離れた場所で商品を眺めている勇気を手招きする。勇気も商品をまじまじと眺めるのを止め、すぐに反応してアリサの方へと移動した。
「見ない顔だな、坊主」
店主がまず勇気の顔を確認、そして服の方を確認する。
やはり珍しいようで、勇気の服を眺めて難しい顔をする店主。そしてもう一度勇気の顔へと視線を戻した。ここで勇気から語りかける。
「ユウキと言います。森で迷ってるとこをアリサに助けて貰って、何とかって感じです」
「そうかいそうかい。それはアリサ、人助けとは大成果だ。バナード爺さんもそれじゃぁ叱れんなぁ」
気前がよく人当たりも良さそうな人で、ほっと息を吐く勇気。そんな勇気の気はいざしれず、アリサが自身のウィンドウを開き何やら操作していた。トントンと手慣れた手つきで操作する。すると店のカウンターにハーブのようなもの、刀剣、石等々と勇気にとって見慣れないモノが突如カウンターに並べられた。
店主は並べられたものを見ると、すぐに背中を向けて店の中にある金庫と思わし箱を開き、銀色に光るコイン一枚と銅色のコイン数枚をアリサへと手渡した。
「ありがとう。また何か仕入れたら寄るわね」
「いつでもどうぞ。でも余りバナード爺さんに心配かけるなよ」
言うと次の行動は早し。アリサは笑顔で店主に挨拶して、手を振って先へと行ってしまった。
「年頃も同じくらいだし、よかったら仲良くしてやってくれ。おっと、俺の名を言い忘れてたな。俺はジャック。色々おいてる万屋だから、物に困ったら寄ってくれよ」
勇気は店主であるジャックから最後に添えられから一言を聞いて、アリサの後を追った。
ジャックの店でのやり取りを終えてからは再びアリサの先導で二人は歩く。何を喋る訳でもなく黙々と歩いた。行き先は当然ながら当初の目的である服屋だろうと勇気は思っている。
やはり歩む道に人通りは少なく、余り人と出会うこともなく目的の所に着いた。
今度は露天ではなく、列記とした一軒家の店。入口に看板が添えられているが、勇気にはウィンドウの時と同じく文字が何を意味しているのか全く理解できなかった。
「レクさんいますかー?」
アリサが店の扉を開けると一緒に大きめの声を上げる。カランカランと扉の内側に設置された鐘の音が鳴っていた。しかし、店の中には人っ子一人いない。それどころか店の間取りが衣装屋や服屋と言えるものではなかった。テーブルと備え付けの椅子が5台。衣装なんてものは何処にもなく。お洒落な花瓶や絵しか見当たらない。喫茶店とでも言えるような光景だった。
アリサは誰もいない店に気にする事はなく、空いてるテーブルの席へと腰掛けた。勇気も立っているのも難だとアリサと同じ席へと腰掛ける。
二人が待つこと十数秒。暖簾で仕切った部屋の先から顔に少々皺の入った女性が現れる。
「おや、アンタが店にくるって珍しいじゃない」
女性がアリサの顔を見て一言。勇気は、この人がアリサが言っていた≪レク≫という人なのだと分かった。
「ちょっと、こっちの人の服を仕立てて貰いたくて」
アリサがレクに対して店にきた理由を述べる。するとレクは勇気の前に来て「立って」と一言放った。勇気も大人しく席から立ち上がると、レクは勇気の服をじろりと目を大きく開いて眺め、次に手でトップス、シャツ、ボトムスと感触をたんまり確かめるように丁寧に触れて行った。
「見ない服、色使いだね。素材は羊毛。綿……あとは一つ混じってるみたいだけどなんだろ、分からないねぇ」
勇気はすぐに残る一つの名前が頭に過ぎった。それは衣服によく使われるポリエステル。化学繊維素材の一つ。それが、この世界にあるかどうかは分からない。でもレクの反応で化学というモノが存在するかどうか怪しいと新たな疑問を得た。それとは別に、目で見て、触れただけで何が含まれているのか理解している女性に凄いと勇気は感嘆していた。
「おっと、すまない。余りにも珍しくて横道にそれちゃったね。外の人もこんな衣装来てるのは見た事もなくてさ。それで、目立つのが嫌だからそこらの普通の服を仕立てればいいってところかい?」
「そう。その格好じゃ村中の的になっちゃうから不便になるもの」
確かに。とレクはアリサに同意する。そして、レクは目的が分かったとなると腰のポーチから巻糸を取り出して、勇気の首、肩、腕、胴と様々な部位から長さを測っていった。
「よし。じゃあ腰かけて待ってな」
レクは勇気の肩を叩いて勇気を席に座らせると、再び暖簾の奥へと姿を消して行った。
こうなっては暫く待つに違いない。勇気は、だんまりの時間をただただ過ごすのも一人では問題ないのだが、生憎と他人と席を同じくしている状況。何か話を持ちかけないと気まずいか、と勇気は思案して気になった事をアリサへと尋ねた。
「アリサ、さっきのジャックさんの店でウィンドウを操作して剣や鉱物のようなものを出してたと思うんだけど」
「ああ。アレね。ザイエンデはネームロスと違って、ウィンドウに項目が幾つもあるって家で言ったでしょ?」
アリサは話し始めるとすぐにウィンドウを出現させた。そしてウィンドウを手にとって、ノートを見せるかのように勇気に差し出す。
「ここに物が入ってるの。持てる量は、右上に浮かんでる数値までで、これを超えると入れれなくなるから注意が必要。レベルが上がれば持ってく量を増やす事もできるわ」
相変わらず勇気には見えない文字。ただ今度の画面は勇気のステータス画面とは違って右側に0以外の数字だけが表示されている。そして右上の小さいウィンドウに『20.4/36.3』と表記されている。これがアリサの言う持てる量なのだと理解した。つまり残り12.6まで余裕があるという事だ。
「コレいっぱい入ってるけど」
勇気はウィンドウの中にある一つの文字を指差す。他は一桁ばかりだと言うのに、勇気が差したものだけは17と異常に多く、誰の目にも付き易いものだった。
「これは加護値回復ハーブ。あなたはネームロスだから加護値は0/0だけと、ザイエンデはしっかりと最大値と現在値があるの。これはその現在値を回復する草。ちなみに現在値が0になるとネームロスと同じ状態で、魔物の攻撃を受けてしまえばザイエンデであろうと一溜まりもないわ。それに0になると特殊な道具が必要で回復するのも面倒。だからこの道具がないと命に関わるからいっぱい持ってるのよ」
アリサは明るい表情で説明するが、勇気には少なからずゾッとするものだった。
システム自体は似たシステムをよく知るから理解はし易い。しかし中身が現実に起きるとなると生死に直結するものだ。それをさも当然のように話すアリサは、勇気にとってどこか遠く感じていた。
「ホントは薬系の方何かと便利なんだけど、私には調合術もないし、村に調合士もいないから、入手困難ってことで魔物から直接手に入れたコレを口にする訳」
アリサはそういうとウィンドウを操作して、手の平に一枚のハーブを手品の如く出現させる。ハーブの大きさは手のひら程度。それを迷うことなく口に運んだ。
小さく口を動かすアリサ。勇気は、その表情を見て口元がにやけてしまった。
「苦い?」
明らかにそうだと言える表情なのだ。真面目な態度の彼女が僅かに涙ぐんで、眉をよせ難しい顔をし、小さく口を動かし続けている。
「うん、すっごく。何回口に入れても慣れない」
ごくりとハーブを飲み込み終えたアリサが溜息を吐いて喋る。そしてハーブの項目が16へと減ったウィンドウ画面を変え、二度指で操作して違うウィンドウを勇気へと見せた。
今度は表示された文字が更に少なく、中央の大きなウィンドウには文字の列が二つしかない。その大きなウィンドウとは別に上に横長のウィンドウ、右下に小さいウィンドウが表示されていた。
「次にこれはスキル。今の所、私が覚えているのは2つね。私は剣士だから剣技しかないけど、村長さんや村長の側近さんは多才な技を持ってるわ」
勇気は剣技と言われて斬撃を飛ばすものでもあるのかと想像する。文字さえ読めれば名前から予測できるかもしれないが、それも今は叶わない。店の中で実践してもらう訳にもいかないので心に留めておくだけにした。
「今の聞く限りだと村長さんはザイエンデで、村の防衛も村長の仕事とか?」
「そうね。村の中心の人達は王国直属師団にも負けないぐらい強い人で頼りになる人達よ」
勇気はアリサが言った王国直属師団という新しい単語が耳についたが、もうひとつ浮かんだ疑問を先に尋ねる。
「アリサもザイエンデだから、もしかしてアリサも村の防衛に関わってるのか?」
きっと、そうなのだろうと思った。だから咄嗟の状況で自分は助けて貰えたのだと。
「いいえ。私は未熟だから村の防衛の役ではないわ。私が村の外に出るのはあくまで趣味に過ぎないレベルのモノだもの。それに、この村の周りの魔物はザイエンデなら誰でも倒せるレベルだからね」
しかし、返ってくる答えは違った。淡々と喋るが何処か自信なさげに喋るアリサ。
勇気は、なんとなくだが彼女の気持ちが分かった。口に出しにくいような自分の嫌な考えが当たってるのなら、それはきっと彼女の在り方として間違っている。
「そうか。でも今日の出会いがアリサの気まぐれってのなら、感謝しないとな。今、オレがココで喋れてるのもアリサのお陰なんだからさ」
勇気は言いきってからキザな台詞だと小っ恥ずかしくなったが、何とか顔に出ないように抑える。
「……ありがと」
そしてアリサは小さな声で礼をした。
だんまりの雰囲気に変わってしまう。勇気はコレ以上喋ると余計に変な空気になってしまうのでは、と懸念して喋らない。アリサもアリサでウィンドウを閉じて沈黙していた。
「ほら、仕上あがったよ」
そこで沈黙を破ってくれる救世主が現れる。レクが片手にコーヒーカップ。もう片方に衣服を抱えて姿を消して行った部屋から戻ってきた。
トットッと足早に勇気とアリサへと寄って、仕上がったばかりの衣類をテーブルの上へと載せる。
「相変わらず早いわね」
「速さと質が売だからさ。ほら、試着室はそっちにあるから着ておいで」
レクが勇気を急かす。
勇気の目からは見るからに自分の認識では特殊な服。でも仕方ないと割り切って端にある試着室に向かった。
アリサとレクが二人きりになると、アリサがウィンドウを開く。
「レクさんお代は」
「いやいいよ。珍しい物みせてもらったからね」
しっしっ、と手ぶりして金は結構だと言うレク。
アリサは微かに唸って、ウィンドウを閉じた。その後は女性陣二人で適当な談笑をして、着替えに行っている男を待つ。二人の話題は最近何をしているか、勇気とは何処で会ったのかのかと極々普通の会話をしていた。
しばらく経過して、勇気が片手に今まで身につけていた服を抱えて試着室から出てくる。
「何でだろう。普通の格好の筈なのに似合わないわね」
アリサが勇気の格好を上から下まで眺めてから総評した。それを隣で聞いているレクは苦笑いである。
「オレ自身も理解してるから気にしないでくれ……」
そして、しょんぼり項垂れる勇気だった。
アリサがまた来るとレクに行って店を出て行く。
勇気は商品を受け取ったのに。お金をどうするかと困惑する。代金についての話は聞いてないので仕方も無い。それを察して、レクが勇気の肩にポンと手を乗せた。
「お金はいいよ。それより、よかったら君の服少し借りてもいい?」
ニコリと語りかけるレク。勇気は少し悩んで、レクに元の世界の服を手渡した。
今の目立ちにくい服を手に入れたのだから、わざわざ目立つ服を着る必要もない。それにお金の代わりになるのならお安い御用だという勇気の考えだった。
レクの毎度ありという言葉を聞いて、勇気も退店する。すぐ外では、腰に手をあてたアリサが勇気を来るのを待っていた。
「ん、騒がしいわね」
アリサが言う。勇気も確かにと思っていた。さっきまでと違って人通りに人の姿が多くなっている。
アリサはそばに通り掛かった人へ、何かあったのかと尋ねた。
「何でも王国直属師団が大隊を率いて村に来たみたいなんだ。商業人なら分かるんだけど王国直属師団が何でこんな辺鄙な村に――」
「あ、アリサ」
尋ねた人の話を最後まで聞かない内にアリサが走り出した。
勇気もすいませんと、話を聞いていた人に言ってから、走るアリサの背中を追った。




