1.邂逅
ここは、ある私服指定の高校一年生の教室。7限目が終わり、HRも終わり、一日の終了。HRは担任が特に報告もないという報告だけだった。後は生徒にも何かないかと聞いて学校は終わりとなる。日常とは、まさにこの事だろう。
ガヤガヤと教室が騒がしくなるのは、生徒が下校する為に立ち上がったり、今日は何する、何処行くなど、友人同士で話し合ったりの為に作られる音だ。そんな様子を窓辺の席で「奥井勇気」は、いつもの光景だなと眺めていた。高校の二年の今、そして中学校からこの風景は変わらない。HRは素っ気ないものだが報告があったらあったで何かしら面倒な事がある訳なんだから、無い方が楽でいいと思いながらクラスの中を眺めている。
「奥井! 今日の帰りゲーセンいかね? 夕方から格ゲーの大会あんだよ!」
左手で格闘ゲームのスティックを持ってるのを見立ててワイン持ちしている人が勇気の名字を呼んだ。勇気の仲良い友人の一人である阪下だ。勇気と阪下、学校帰りの特に用事がない日は、よくゲームセンターに格闘ゲームをプレイしに行く二人でもある。
「パス。晩飯の買い物頼まれてる」
ふっ、と手を軽く振って坂下の誘いに否と勇気は即座に答えた。
「なんだ、勇ちゃん行かんのか」
阪下の隣に居る山口が愛嬌の言い声で勇気に言う。
男三人、何処行って遊ぶか、という何処にでもある光景。彼らの周囲も似たような光景が広がっている。
「フ、臆したか勇気よ。名折れな奴め」
「うっさい。俺が出ない分、お前の勝率が上がるだろ」
勇気はスクールバッグに教科書類を詰めながら、やや不機嫌そうに煽るような口調で阪下へと言葉を返した。言葉は多少悪くても、空気は悪くない。コレぐらいのちょっかいの出しあいが彼らの普通な掛けあいだった。
「まぁ確かに。お前には7:3つけられてるし。でも今日の大会、店員が隣町の覇者が来るって言ってたんだぜ。名前なんて言ったっけなー、珍しい名前だったんだけどさ」
「ん、その人ってもしかして――」
「勇ちゃん、話してるのもいいけどタイムセール間にあうの?」
「そうだな。坂下、山ちゃん、悪ぃけど二人でオレの分も楽しんできてくれ」
勇気は鞄の中からチラシを一枚取り出して友に見せながら言葉を返す。
「親孝行な奴だ。まぁ、俺は店長さんに予約入れちゃってるから行って来るわ。行こうぜ、山」
「じゃぁ、勇ちゃんまた明日ねー」
コイツは折れないと悟って阪下と山口は教室から一足早く出て行った。そんな二人の後ろ姿を見ながら勇気は「さて」と席から立ち上がって、ゆっくりと教室の扉へと向かう。勇気が行く先は先に帰った二人の行く所とは逆の商店街。一人は少し寂しいなと、勇気は思いながら足を進めた。
◇
「ただいまー」
家の玄関を開けて帰宅する勇気。けれども声は一つも帰って来なかった。
玄関には靴が一つもないので、誰も居ないのも当然かと勇気は息を吐いて納得する。
「希もいないのか。珍しく遊びに行ってるのかな」
希とは勇気の歳の差3つ違いの妹の名。父親、母親、勇気ときて、奥井家では一番年齢の低い子息である。
勇気の親が男なら「望」、女なら「希」と子どもに付けたいと願っていた、と奥井家の団欒の時に話があった。その時に勇気が返した言葉は、何故オレの名前は「望」にしなかったという事だった。そこで勇気の父親がこう返す。
「先に望にしてしまえば、希望にならんだろ?」
なるほど、と勇気と希は納得したが、勇気は気に入らなかった。それでは自分が外れ者みたいな気がしたから。
そんな不貞腐れたような勇気に対して父親が勇気の頭をガシリと掴む。
「まあ、希はコイツが願った名前。じゃぁ勇気はというと、オレの独断で名前を決めた。昔から生まれた息子に付けたかった名だ。勇気ある子、勇敢な子。素晴らしい名前だ。ありがたく思えよ」
ガシガシと勇気の頭を強く撫でる父。気分が急降下した勇気は、すぐに機嫌を取り直して家族との会話を続けた。勇気は父親を尊敬しているのだ。父親が家に時々連れてくる父の社内の人達と父は仲が良い。まだ子どもである勇気にとっても父は社内の人に信頼されていると分かるぐらいだった。そして、父は休日には家族を連れてレジャー施設や温泉に連れて行ってくれるぐらい家族想い。それにゲームセンターにまで行くゲーム好きの勇気のTVゲームに付き合ってくれる優しい父である。これほどに出来た父親は居ない、と勇気は心底思っていた。
「最近は残業続きみたいで寂しいな」
ポツリと呟く。でも正義感の強い父なら、それも仕方ないと勇気は諦める。どちらにせよ後数時間、適当に過ごせば誰か帰ってくるだろうと気軽に構えた。
スーパーで買ってきたセール品を冷蔵庫に手慣れた手つきで、せっせと収納し、専用の買物袋を所定の位置に戻して、自分の部屋がある二階へと昇る。
二階は寝室、そして子ども用の部屋が2つ、空き部屋、物置、トイレが一つある間取りである。勇気は迷わずに自分の部屋へ一直線に進み。ドアを開けてベッドの上に、ボスン、と寝ころんだ。
さすがに一人で夕飯までぼうっとするのもな、と勇気は考えながら枕元に置いてあったノートパソコンを開く。十数秒の起動していく画面を見た後に、認証画面へ移り、パスワードを手早く打って進めて行く。パソコンがスタートプログラムを終えるまでの時間は、携帯を弄りながら適当にやり過ごしていた
――テレン。
警戒な音を奏でるノートパソコン。その画面の右下には『新規メール受信、一件』という文字が浮かび上がっている。
『タイトル:テストプレイ』
余りに簡素過ぎて溜息を吐く勇気。怪しいこと極まりないが、迷惑メールボックスにも入ってないので一応確認するかと、ウイルスチェックを行ってからメールを開いた。
『剣と魔法、神々の武器が存在し、人と魔が争う異世界“ヴァルハラ”。勇気と希望が世界を救う何寄りの鍵。貴方の力が世界を浄化し真の楽園へと変えるかもしれません。≪深き迷宮≫、≪広大な大地≫。私が貴方を未知の世界へ招待しましょう』
「いつの時代のテンプレだよ。“ヴァルハラ”、って今時ありがちな名前……。北欧神話の王宮の名前だっけ……?」
メールの文章も短い上に、見るからに怪しい文章を見て勇気の口から声が出ていた。
メール本文の最後列付近に“オンラインゲーム”と大きく題売っている。どうみても基本無料プレイのオンラインゲームの招待文。近頃ではダウンロード、インストール、プレイは無料のゲームが氾濫している。では、ゲームを出している会社は何処で採算を賄うか、というとゲーム内で別に課金できるシステムがあるのだ。課金者には、ゲームでスムーズにプレイできるようなワープアイテム、経験値増加アイテム、ゲーム内マネー取得増加アイテム等々、ゲーム好きな人なら手をつけたい魅力が眠っている。特に協力プレーや、対人要素があるオンラインならではの、自分が優位に立つという心理を上手くついてくるので、こういう課金形態は理に適い、儲けるという意味では素晴らしい手法であると、勇気も思っていた。
勇気もオンラインゲームに仲の良い友人の坂下と山口と一緒に2年程プレイした事はある。その際は最低限の課金だけをするライト層レベルのものだった。1ヶ月の小遣いが決まっているので、多くは使えないのだ。それに、勇気は多くのゲームに手を付けるタイプなので、オンラインゲームにのめり込むタイプ、所謂廃人というレベルには遠く及ばなかった。それでも色んな人と遊べて楽しめたし良い思い出だったのは確かだった。
ポチポチとマウスを動かし、キーボードでネットの波を徘徊する。そして現れる一つのホームページ。デカデカと浮かぶ「5年に及ぶオンラインサービスは終了しました。プレイヤーの皆さんありがとうございました」という文字。会社が不景気の波に乗ってしまったのか、想定外の失態を冒してしまったのか、勇気がプレイしていたオンラインゲームはサービス終了という事で終わってしまっていた。こればかりは、勇気にとってもどうしようもなく、ただただ終わって寂しいという感情に流されるしかなかったのだった。
ふと、思い出したかのように、先程届いたメールを再度開く。
また前みたいに多くのゲームプレイヤーとわいわい騒ぐのもいいな、と思ったのだ。新しいゲームなら、仲の良い二人も誘ってやろうか、と。
メール本文の中にあるアドレスをクリックする。そして、一瞬で立ちあがったブラウザには勇気の思っていない文字が浮かび上がっていた。
「ホームのリンク切れてやがるし……」
≪404 Not found≫ネットを使う人なら一度は目にする文字だった。
はぁ、と深い溜め息を吐いて、まぁいいかと、さっきまでのメールは忘れたかのように、大型動画サイトを開く。
――ピンポーン。
来客者を告げる家のベルが鳴る。勇気以外誰もいない奥井家。居留守もする訳にも行かないので勇気が出るしかなかった。
「はーい、どちらさまですか――――」
勇気は声を発すると同時に玄関のドアを開けた。
「……ん?」
目を見開く勇気。彼は自宅に居た。家の扉を開けたすぐ外は石段があり、車を一段止めるスペースがあり、道路がある。それが現実で、何年も彼が通ってきた道である。ところが今はどうだ。扉を開けた先は緑が茂った大森林の中。人っ子一人も居ない景色。叫べば声が何処までも続く木々へと吸い込まれるだろう。
彼の頭に白昼夢という単語が通った。でも、自分の精神状態は普通の健康体。頭も打った覚えもないし、変な薬をやっている訳でもない。では、この景色は何だ、と頭の中で疑問が堂々巡りを起こしていた。
「うおっ!?」
前のめりに勇気が倒れた。
いたた、と顔を片手で抑えながら上げる。そして、深い息を吐くこと一つ。不可思議な景色は何一つ変わらずに、未だ大森林の景色の中に居ると自分は理解できた。さらに自分が顔を抑えてる手とは逆の地につけてる手。土と草の感触が不可思議な景色は本物であるのではないかと、嫌なほどに頭を突いてきていた。
とにかく家に戻ろうと立ち上がり振り返る。
「マジですか……」
そこにさっきまで手を付けていた扉もなく、森の風景が広がるだけであった。
「夢なら覚めてほしいけど」
ペタリと傍の木に手を触れる。ざらりとした木目の感触が現実だと思わせる。次いで自分の右頬を思い切り叩いてみた。痛みを堪える声が自然と口から洩れる。確かめようとすればするほど世界が現実だと伝えてくる。勇気の行動は夢の世界ではないと決定づけるだけだった。
学校帰り、加えて買い物帰りで疲れているから、森林浴もありと言えばありだけど、それでもさすがにコレはない、と思う勇気。余りに唐突すぎるのだ。感動も糞もなく、あるとすれば恐怖ぐらいしか感じない。だが泣き叫ぼうが解決するものでもない。どうにかして家に帰らないと、という考えでいっぱいだった。
救いなのは木々の間の天から光が射す事。これが暗くては不気味さも増して満足に動けなかった事だろう。ただ、幾ら光が射すとはいえ森の中では薄暗い上に気味が悪いので慎重に足を運んだ。
さくっ、さくっ、と勇気が草を踏み倒す音だけが木霊する。人の気配どころか、生物の気配も感じない森の中。一人ぼっちの状態でしばらく勇気は歩き続けた。
30分歩いた所で、考えを変える。道標もない此処ではくるくると回り続けるだけではないかと。そう思えば次にする事は早く、近くの木に登り、手ごろな枝を折った。そして枝の太い方で、枝を折った木にガリガリと印を付け始めた。数字で棒が一本の1。この木が一本目だと分かるように書いた。書き終えると、すぐに足を進める。さっきまでと変わったとすれば頭の中で歩数を数える事。30まで数え終えると近くの木にローマ数字でⅡを書き出した。使い慣れているアラビア数字の2より直線的なローマ数字の方が書き易いからだ。
しばらくは同じ作業が続いた。1時間程度経過した頃だろうか。単調な作業に比べ、堂々巡りはせずに何処かへ進めているとは分かっていても、繰り返せば手が疲れ、身体もだれて来る。勇気は新たな目印を木に付ける前に「疲れた」と木にもたれ掛かてしまった。
――ガサリッ。
草を掻き毟る音で勇気の身体がビクリと跳ね上がる。それも音の発生位置は自分ではない。此処から幾らか離れた場所で突然発生したのだ。
まず勇気の脳裏に描いたものは希望的観測ではなく、悪い方向のものだった。森といえば野生の獣が居てもおかしくない。それも人を襲う熊のような凶暴な動物が居てもてんで変な話ではない。歩き続けて少し掻いた汗が一瞬で引く。音の発生は自分が寄りかかっている木の後ろ。確認せずに逃げるか、しっかり確認するべきか、ひたすらに迷っていた。もし、熊であって、こちらに気付いているなら背を向けて走るのは危険である。対処として背を向けて走るより正面で向き合ってゆっくりと後ずさりするのが正解だ。獲物と思われ、追いかけられたなら自分の足では、きっと凶暴な獣からは逃げられないだろう。それなら木に登った方が幾らか生存率が上がると。
考えは一瞬、すぐに勇気は決断した。音の発生位置を確認する。自身は音を立てないように静かに立ち、木から覗くように身体を構えた。そこに居るのが凶暴な獣じゃなければいいと願いながら。
「――――――」
息を呑む。言葉は出ない。
目を擦り、そして、もう一度自分が見たモノを確認する。
額にじわりと汗が流れる。夢ではないか、と何度も思った事を、また思いたくもなる衝撃だった。
獣が武器を持っている。
勇気が見た光景はコレだった。顔は犬、だが人間と同じように二足で立ち、片腕にサーベル型の剣を携えていた。何度確認しても、網膜に焼きつく光景は変わらない。
あんな生物が現実に居てはいけない。
逃げないと。一刻も早くここから。
足が進まない。何故? 疑問。
「っ…………」
目線を下に降ろせば異常に足が震えていた。全く気付きもしなかった。圧倒的な未知と言う名の恐怖が自分を襲っている。果たして足を動かしても逃げられるのか。頭が犬なら匂いで追って来られるのでは。聴力はどうだ。動いただけで気付かれるのでは。あの剣で切られてしまえば――考えれば考える程絶望しか出て来ない。
見付けるな。見付けないでくれ。そのまま立ち去ってくれ。何処かに……。
ガサッ。
――ソンナ甘イ希望モ通ラナイ――
「うわああああぁあぁあっ!!」
勇気の絶叫が辺り一帯に響く。
思い描いていた最悪が起きてしまった。犬頭の獣に気付かれてしまった。勇気が木越しに見ていた獣とは別に、もう一体居たのだ。不意をつかれ、恐怖は最高潮に達し、腰を抜かし地に手をつける勇気。しかし、それでも勇気の次の行動は早かった。体勢を必死に立て直し、すぐさま駆け出した。
殺される。何とか逃げないと――ッ。
死にたくないと、抗うように全速力で逃げだした。
走る。走る。走る。息を切らしながらも足の力を抜かさずに全力で。
しかし、それにも限界がある。人である以上体力は有限なのだ。徐々に失速していく。目蓋は重く、身体も重く、足も重くなってゆく。
「つぅ……ッ」
そしてついに限界が来たと足がもたつき転げてしまった。乱れ続ける呼吸。それでも、走り続けないと自分は――
「グルルルルゥ」
再び立ちあがろうと手を地につけたが、既に遅かった。
二足で立つ犬顔の獣が何時の間にか周り込み、目前で唸り声を上げて立ち塞がっている。
すぐに襲い掛かってくる気配はない。だがそれも時間の問題だろう。どう見ても、この不可解な獣は自分を敵視している。
立ちあがり、体勢を立て直す暇はくれたようだ。でも手足が疲労し切って上手く動かない。一度動きを止めたせいで一層と身体は重くなっていた。
嫌でも目立つ獣が携える剣。ただでさえ鋭い牙を持っているのに、凶器まで持っている。逆に勇気は素手。覆しようもない力の差が一目で誰もが判断できよう。
「クソッ……」
悪態づく震えた声。恐怖は止まない。それでも生きようと疲れた身体を震わせ身構える。両手を前に構え、腰を落とした何の変哲もないファイティングポーズ。格闘技の経験もない勇気に取れる可能な限りの戦闘手段だ。
頭にあるイメージはどうにかして剣を携える腕を制し、剣を奪って返り内にする。ハッキリと無理と分かっていながらも、それしか足が満足に動かない自分の助かる道はないと己を奮わせる。
思うことは幾らもあったが。勇気の脳裏にある言葉は一つ“生きたい”という執着だけだった。
「グルァアアッ!」
飛び掛かる獣。5メートルはあった間合いを一飛びで詰める勢いで、その場で跳ねた。
尋常じゃない獣の脚力に対し勇気が目を見開く。
――きっとオレはココで死ぬ
。
――それでも先に描いたイメージを成せば生き残れる。
歯を食いしばる。
圧倒的な死を前にして全霊の力を身体中に廻した。
「退いて」
透き通った声が辺りを突き抜ける。
それは誰の声か。決して獣の声ではない。では勇気か。彼は喋れる状態でもない。では、それは何か。それは勇気を救う神の息吹に等しい囁きだった。
鉄同士が打ち鳴らす甲高い音が響いた。勇気のすぐ前方で、飛び掛かっていた獣を止める人の姿があった。獣と同じく剣を両手で携え、獣の剣と鍔迫り合いをしている。
「ギャウッ――!」
獣が悲鳴を上げ数メートル先に吹き飛ぶ。勇気の前に割って入った人が鍔迫り合いの状態から懐に蹴りを放っていたのだ。息も尽かない間に、蹴りを放った人物は転げ回る獣へと飛び、獣の心の臓を目掛けて一刺し。まさしく束の間の一瞬だった。勇気は絶対的な死からものの数秒で生還の道を辿る事になった。自分に味方してくれた圧倒的な力のお陰で助かったのだ。
心から助かってよかったと、安堵で腰が抜ける勇気。みっともないと僅かに感じながらも生きている今に心底感謝していた。
ざりっ、と低い土を掻く音が勇気の耳に届いた。勇気は自分を助けてくれた人が獣に突き刺し地面にまで届いた剣を抜いていると理解する。その人は腰に下げる鞘へと剣を収め、勇気へと振り向いた。ここで勇気の目が泳ぐ。その人物の風貌がいかにも怪しかったのだ。全身を覆うコートのようなマント。ちらりと見える収めたばかりの剣の柄。何より怪訝に思えるのは顔を隠すフードの存在だった。
間一髪の所で助けてくれたとはいえども、相手がこのような格好では体が強張るのも無理がなかった。何より、剣を振るい獣を殺すという行為が勇気の日常ではありえないモノなのだ。非現実的な事象のせいで、相手が感謝の対象といえども素直に受け入れる事はできない。
正直に言えば逃げたかった。だが疲れた身体と安堵しきったばかりの体が言う事を全く利かない。
「大丈夫?」
掛けられた一言で勇気の緊張の糸が解けた。この人は自分に敵対する人ではない。その声色から自分の安否を心から心配しているのだと感じたから。
勇気の目の前に立つ人物が手を差し伸べる。この行為が勇気を更に安心させた。
「あ、ああ。助かった。ありがとう。本当にありがとう」
勇気は礼を言いながら、差し伸べられた手を辿り立ちあがった。そこで気付く。助けられた人物が自分よりも小柄な事に。自分よりも力のある人物だから、てっきり大柄だと思い込んでいた。ところが、目の前の人物の背丈は自分の目線ほどぐらいしかない。ただでさえ自分自身が、それほど大きくもないのも理解している。しかし、目の前の人物は、こんな小さな身体であの獣に臆することなく立ち向かった。感謝の気持ち以外に尊敬の念も勇気は抱いた。
「よくもまぁ≪ネームロス≫が森の中を歩いてる――っと」
勇気の目の前の人物が喋る。聞き慣れない単語が有りはしたが、優しい言葉に更に心が軽くなった。
「顔隠したままじゃ失礼ね」
勇気の目の前の人物が続けて話すと、顔にあるフードをめくる。助けて貰った人の顔を知れて改めて礼を言えるのと、未知なモノが無くなるという二つの点でありがたいと思う勇気。
しかし、相手のこの行動が勇気を新たに驚かせる事になった。
「何?」
首を傾げる勇気の前の少女。そう、勇気を救ったのは女の子だった。それも綺麗で端整な顔立ち、加えて日本人とは掛け離れた別の国の顔立ちである。そんな女の子が臆する事なく凶暴で凶器を持った獣に立ち向かった。年頃もきっと自分と大差はないだろう。東欧か米か、何処の国の子だろうと思ったが、それなら何で日本語を話せるのだろうとも思った。ただ日本暮らしなら別におかしくないと。そんな色んな考えが勇気の頭を回って、彼女の疑問に答えるような言葉が全く出て来なかった。
「ねぇ、聞いてるんだけど」
「あ、ごめん。オレも何が何だか分からないんだ」
痺れを切らしてズイっと寄って訊く少女に勇気がたどたどしく答える。
「ところでココって何処なんだ? オレの住んでるとこの近くにはこんな森無かったし、それにあの犬顔の獣なんてまるっきりゲームみたいだったし……?」
今度は勇気から疑問を投げかけるが、言葉の最後では自分で言った事に対し自身が疑問を抱いた。
犬顔の獣が凶器を持つなど現実ではありえない。そんな生物が居たら間違いなくニュースに取り上げられる。それに始まりから非現実的だった。自宅から急に森の中に出されるなど現実じゃありえない。極度の疲れや法外の薬でも摂取しない限りは幻覚染みた現象など起こりはしない。しかし、ココはどう足掻いても現実である。これほど鮮明で意識の続く夢はありえないし、痛みも疲れもある。
現状を考えれば考える程、勇気の顔は青ざめて行く一方だった。
「アナタ、大丈夫?」
そんな表情をみてか少女も勇気を心配して勇気の顔を覗きこむ。
対して勇気は考えるだけは埒が明かないと、一つの結論に至る。きっとこの質問を彼女にする事によっては自分の知りたい真実が分かると。
「君って日本人……じゃないよね」
「ニホンジン? 聞いた事もないけど」
足元が崩れたが如く心に衝撃を受ける勇気。彼女の返答が嘘偽りのないものなら、この答えはあってはならないものだった。彼女の表情は至って真面目だ。とても勇気には彼女が嘘をついているとは思えなかった。
あってはならない、それは何故か。彼女が喋る言語は勇気にとって最も親しい日本語だ。日本語を喋れるのに日本人を知らないのは誰もがおかしいと、すぐに分かるだろう。
少女は勇気の焦りの表情を浮かべているのに不思議と思いながら勇気を眺めていた。数秒、勇気を観察した後に首を微かに動かして辺りを見渡す。
「ここで話し続けても、また魔物が出れば厄介だし、一まず村まで行きましょ」
そう勇気に少女が喋ると先行して歩き始めた。
勇気はまたしても、少女の口から出た日常では到底聞き慣れない単語に口元をゆがませる。言葉の意味を知っている為に余計に嫌な寒気が起きる。
少女の斜め後ろを一歩遅れてついてゆく勇気。そして、これから彼の運命を決定づける質問を少女に投げかけた。
「もう一つ質問いい? この世界って何て言うんだ?」
「この世界が何って、≪ヴァルハラ≫じゃない」
少女は当たり前のように素っ気なく答えるだけだった。




