18.ラグナロクの迷宮(Ⅴ)
王国に訪れて15日目の早朝。
ゼクス宅では朝食を終えて、家に居る面子は御馴染の三人。顔を隠している例の人物は、いつものように食事が始まる前に出掛けていた。
「どうしたんだ、やけに気合い入ってるように見えるが」
ゼクスがテーブルを越した向かいの席で懸命にウィンドウを操作している勇気に語り掛ける。
「副師団長が第四師団の休暇が終わるまでに11層に辿り着けば稽古をつけてくれると言ったので」
勇気がゼクスの問いに言葉を返す。
昨日、セトの店を出た後の副師団長との掛け合い。勇気は一日考えた結果、副師団長の出した案を受ける事にした。
謂わばコレは気紛れな機会だ。副師団長が、あのような提案を二度出すとは限らない。ならば今受けなくて、いつ動くのか。
コレは0か1にしかならない選択。迷うならば前に進もうと決めている。
「アイツが稽古……?」
ゼクスの語尾が上がった。
不思議と思うのは勇気も同様。何がおかしいのか、とゼクスを見て首を傾げた。
「いや、アイツはそもそも仕事以外は、お前達も見て分かってると思うけど本読んでばかりだからな。師団の訓練場に行っても稽古取りなんてせずに端で眺めてるだけだしよ」
「訓練場なんてあるんですか」
初耳だと、勇気が声を上げる。
「ああ。専用の建屋でやるか、この王国を取り囲む外でやるかのどっちかだ。ここら辺りは平野だから、大規模訓練をするなら外だな」
「外という事は、魔物も現れるのでは……?」
「比較的出現率は高くないが、出たら出たでそれも訓練になる」
ゼクスは問題ないと言い切った。
つまり、何度もソレが起こっているのだろうと読み取れる。想定内ゆえに対処は用意という事のようだ。
「まぁアイツがやってくれるってんなら受けといた方がいい。剣で戦うなら俺よりは、アイツの方が適してるしな」
からからとゼクスが軽く笑って、剣をテーブルの上へと現界させた。
刀身は真っ直ぐに伸び、薄らと赤みを帯びている。勇気にとって、これは馴染深い色に感じた。
ゼクスのソレと自分の持つモノと違う点を探し眺める。
一つは刀身の丈がゼクスのモノの方が長い。そして、もう一つは柄部分に複雑な装飾が施されていた。何処か神秘的に感じるその部分。不思議と吸い込まれるような感覚に陥りそうになる。
まじまじと見た後に顔を上げれば、ゼクスが誇らしげな顔をしていた。
「師団長なのに、副師団長より剣の扱いが下手なの?」
脱衣所から出てきたばかりのアリサが言葉を挟む。
アリサはお風呂から上がりたてのため、髪に含んだ水分を布で取りながら、テーブルの上の剣へと視線を落としていた。
「俺が剣使うのはたまにで新兵の稽古ぐらいだからな。本気で戦う時以外は気分だ気分。剣も使えば、他にも棍や斧だって使うしな」
ゼクスは言いながら、現界させていた剣をテーブル上から消した。その後ろではアリサが台所へと行き、厨房の下にある水晶の力で冷蔵している箱の中から冷たいミルクを引っ張りだしていた。
「でも師団長って教えるの何か下手そう」
アリサはコップにミルクを注ぎながらゼクスへと言う。
「おいおい嬢ちゃん。仮にも本隊の師団長なんだから、見縊ってもらっちゃ困る。これでも訓練時の実践想定の打ち合いじゃぁ人気があって、評価も……高い……?」
どうだったか、と腕を組んで思い返し始めるゼクス。
これはゼクスの言葉の真偽が怪しいと聞いている二人は、苦い笑いを浮かべるしかなかった。
ゼクスは城へと向かい、勇気とアリサは迷宮に向かっていた。
勇気達の話題は、朝の話の続きかつアリサが聞いていなかった部分の副師団長の稽古付けの話だった。
アリサは勇気の話を聞きながら、ふぅん、と唸って数字を数え始める。
「今日が王国に来て15日目。王国に来た次の日から60日の休みって事になったから、あと46日ね」
「ああ。それで一層と二層が2日。三層が3日経っても攻略出来ずか」
「でも地図を見て四層に続きそうな所の目星ついてるでしょ」
「まぁね」
迷宮探索を進めた日数は計7日。三層攻略が3日として、これ以降も同じ日数で攻略するとなると30日掛かる計算となる。
46から30を引けば16。単純計算なら、かなり余裕があると見ていい。
だが実際はどうだ。勇気とアリサが一緒に迷宮を潜るのは1日置きである。つまり46日分の内、23日しか探索が進まない。
どう捻出すれば間に合うか、と考える勇気。足りない分を補う為には、一人で潜っている時も上層の地図埋めではなく、下の層に進めるように探索すれば、どうにか間に合うかも知れない。ただ二人で潜っている時よりは格段と能率が落ちる事は間違いなかった。
「私も今度から2日行って1日休みにする。どう、これで間に合う?」
「……大丈夫なのか?」
突然のアリサからの提案。勇気は動揺を隠せなかった。それはアリサは毎日潜るのは精神的に持たないと数日前に言っているから。故に、この提案は素直に受け取れる訳が無い。
「無茶はしないわよ。辛くなったらユウキに悪いけど休むつもり」
アリサは勇気の目を真っ直ぐに見て言う。ごめん、と謙った目だった。
――オレの我が侭のせいなのに。
コレは個人的な願い。アリサには関係のない自分だけの話。それを無理矢理付き合わせている。
今の言葉を口に出せば、きっとアリサは「そんな事ない。良い機会だから努力するつもりで頑張る」とでも言うだろう。彼女が前々から、休み休み潜る事に負い目を感じているのは勇気には分かっていた。でも、幾ら今まで通り一日置きにしようと言ってもアリサは反論するだろう。もう副師団長の条件の話を聞いてしまったのだ。彼女が手伝うと決めてしまった以上、無理に断っても黙ってついてくる。彼女はそう言う人だ。
勇気は黙ってアリサの目を見て、アリサの提案を了承した。
アリサは笑顔で「それなら良し」と意気込む。
「それに、昨日はアイギスさんに良い調合店を教えて貰えたから突っ走れるから時間の短縮も出来るわ。二つあるからユウキもその気なら大丈夫よ」
アリサが手元にスッ、と一つの大きな瓶を現界させた。
よく見れば瓶に調合者の名前入りのラベルが付いている。それは勇気も見たばかりのモノだと笑みが漏れる。
「オレも副師団長に教えて貰った」
勇気も同じ大きさ、同じラベルが付いている瓶を手元に出した。
アリサは目をまん丸にして瓶を見る。そして、互いに笑顔を漏らしていた。
「通りで、あのお爺さん準備がいいと思ったわ。疲労回復薬欲しいって言って少し理由話したら、すぐに出してくれたんだもの」
「セトさんはオレの名前は出さなかったのか?」
「うん。そもそも客の情報は店側から出す事はないし、客の方から伝えてくれとでも言わない限り店の方は違うお客さんに何も言わないわ」
店側には秘匿義務が存在する。むしろ、そうしないと客が不振に陥ってしまう。有ること無いこと喋る相手と誰が取引しようか。故に店側は近しい人でもない限り、べらべらと喋る事はないそうだ。
「じゃあ急ぎましょ。今日は前回行った所の続き、でいい?」
「ああ。分かれ道のどれかが当たりだといいんだけどな」
そう言い合うと、二人は迷宮に向かう足を早めた。
迷宮攻略は思った以上に順調に進んでいた。
それもセトの店から購入した疲労回復薬のお陰と言っていい。一層から前回の攻略した所まで薬の効果で疲れる事なく迅速に到着出来ていた。二人ならば駆け抜けても問題ないという事もあるだろう。
そして何よりも薬が無味の点が二人には大きかった。ハーブの苦味はどうしても馴れないので、敬遠しがちになる。それが水と同じように飲めて疲労を回復出来るのだ。コレならもっと早くに知れたならば良かったと、口を揃えて言ったのは述べるまでもない。
セトの調合薬を使い始めた日は、三層の攻略がすぐに終わり、四層へ到達した。元々目途は立っていたので、この攻略速度は想定内の範囲である。そして、そのまま四層攻略を進めていた。
四層の新たな魔物は蝙蝠型。大きさは蛾の魔物とさほど大差は無く、必ず二体以上で現れた。これも今までと同じように苦労はしない。ただ蛾の魔物と同じように飛び上がられると、アリサが主だって戦闘を行っていた。
「ユウキ、準備は?」
そして今日、王国に訪れて18日目。
初めてアリサが二日連続で迷宮へ潜り、一日休んでから本日も迷宮に潜っていた。
二人は下へ下へと、目的を果たす為に進み、現在は五層へ続くだろう闇の手前に居る。
「大丈夫。行こう」
互いに顔を一度合わせると剣を持つ手に力を込め、空いている手を前に突き出し闇の方へとにじり寄った。
溶けるように消える闇。前方には何度も見た覚えのある下に続く無骨な階段が在った。
「五層ね」
アリサが≪地図≫を見ながら言う。
「まだ夕刻までは余裕あるし、回復薬も余裕あるから進みましょう」
「アリサがそう言ってくれるなら頼む」
勇気は心身ともに余裕も未だある。だが一つある不安に感じる隣に立つ心配事の存在。アリサは迷宮に潜る日程を増やしても、辛い顔を見せずに勇気と一緒に行動している。それもあって勇気は、アリサを一層と気にかけている。ただ彼女の性格を考えれば声を掛けられずにいた。だから今の勇気は、慎重に様子を見て、少しでもおかしな部分があれば引き上げさせる予定にしている。それまでは、いつも通りに二人で迷宮を進むだけと。
いつものように階段周りに魔物の気配はなく、一時休む場として利用出来る。
「この階も飛行型の魔物だったら、少し対応考えないといけないな」
「適当な所で壁蹴りの練習一緒にした方がいいかもね」
二人は疲労回復薬を飲んで、万全の状態にしてから五層の奥へと進む。
新たな層を進む時の警戒心は一段と高めなければならない。
暫く進むも、今まで戦ってきた魔物ばかりであった。これまでなら、もっと早い段階で遭遇する上に、その層で新たに出てくる魔物の比率が高かっただけに不思議と不安が入り混じる。
「アリサ、頼む」
勇気の声を聞くとアリサが壁を蹴って残る蝙蝠の魔物に跳びかかる。
空中で一閃。蝙蝠の魔物は大口を開けたまま、青色を帯びた剣に両断された。
小さな着地音を鳴らすアリサ。さも当然のように戦いを終えたと一息つく。そして、直前まで別の魔物を相手取ってくれていた勇気へと視線を移し――目の色が変わった。
「ユウキ、後ろ!」
勇気が振り向くと同時に剣を縦に構え防御の姿勢を取る。
「ぐっ……」
左構えに剣を置き、跳びかかるように振るわれた太い腕の大振りに合わせた。
だが咄嗟の出来事のせいで、足の踏ん張りが効かなく、数歩分、地を滑らされてしまった。さらに不完全な防御のせいで加護値が減っている。
すぐに勇気は臨戦態勢を取りつつ状況判断へと思考を変える。
襲ってきたモノは自分やアリサより、ずっと大きい。それどころかゼクスや副師団長よりも大きい獣型の魔物だ。全身は茶色と白で混じった毛で覆われ、顔は梟に何処となく似ていた。両手には計6つの鋭い爪が顔を出している。そんな二足で立つ獣の魔物は何処となく熊を模しているように見えた。
黒く丸い瞳は勇気を見降ろし、嘴に似た口から荒々しい息を吐いている。
一瞬の膠着から最も速く動いたのはアリサだった。前傾姿勢で一気に最高速まで加速させる。向かうは明らかな敵意を醸し出している梟顔の熊。
間合い。右の足を支点に、身体の回転を利用して右袈裟に振り上げるように払った。
「なっ……」
アリサはすぐに梟顔の熊から跳び退く。
振るった剣は、3つの爪によって防がれ、もう一方の3つの爪で反撃されていた。
明らかな大柄の魔物による防御態勢。剣を危険と察知して動いている。今までの魔物も、それらしき動きはあったが、ここまで冷静に対処してきた魔物は初めてだった。
「逃げるべきか?」
勇気が正面の脅威に睨みつけたままアリサへと訊く。
梟顔の熊がすぐさま襲いかかってくる気配はない。ただ隙を晒せば、今にも襲いかかってくる気がしていた。
「それでもいいけど、問題はコイツが五層から出てくる魔物なら、逃げるのは上策とは思えないわ。振り切れなくてもう一体現れたって事になったら笑えないもの」
「それなら――」
道は一つ。戦うしかない。
己を奮い立たせる。幾ら今までの魔物と毛色は違うといえども、咄嗟に反応は出来ている。ならば勝機も十二分に存在しよう。
「合わせて」
一寸前を再現するようにアリサが駆けた。
しかし、二度同じ状況には落ちない。梟顔の熊が迫りくる小柄の少女を迎撃するように腕を振るった。
風を薙ぎ切る脅威を視認。アリサは更に姿勢を地に潜るが如く低く駆け、剣を上に振るう。これは攻撃ではなく防御。獣の横に薙ぐ腕を上方へといなして見せた。
魔物の視線は後ろに回り込んだアリサへと向く。
急停止したアリサは、身体を回して全力の一撃を叩き込もうとしている。
「チッ……」
舌打ちしたのは後方へ向いた熊の背から大振りの剣を当てた勇気だった。
熊はよろける所か、斬られ事を気にも留めずにアリサに向けて腕を振り被っている。
先に届いたのはアリサの剣。梟顔の熊が腕を振るう時には、アリサの回転切りが胴に届いていた。そして、剣が当たると同時に横に跳ぶ。自分を押し潰そうとする太い腕から逃れる為に。
「下がって!」
アリサの大声に背へ二撃目を当てたばかりの勇気が飛び退く。
直後、梟顔の熊が身体を目いっぱい捻り回しながら腕を後ろへ向けて振るう。
空だけを切る大振りの一撃。梟顔の熊の大きな体が流れる。アリサは、その一瞬の魔物の崩れた隙を逃さなかった。
跳び掛かる小柄な身体は、己よりも遥か高い相手の頭部へ、青色帯びた剣を見舞う。
「ユウキ、突き!」
勇気が左前方構えから、跳び、右足で踏み込み、魔物の喉に向けて赤色帯びた剣を突き出す。
壁でもあるかのように剣の先端は魔物の肉を貫く事はなく止まる。だが、勇気は怯む事なく、全体重を剣に乗せて圧した。何故なら魔物から動く気配がないから。故に、この機を逃しはしない。
突きを当てて二つ数えた程度の時間で、魔物の腕がピクリと動く。勇気は、その僅かの動作を見逃さず、突いた腕を引き、魔物の後ろへ抜くように回り込みながらに剣を振り抜いた。
突如動き出す梟顔の熊。標的は勇気へと変わり、腕を上から斜めに振り下ろす。勇気は大きく飛び退いてソレを回避した。アリサのように寸前で見切り、攻撃に転ずる技術など無い事を理解している。だからこそ、可能な限りの最善の行動を取った。
魔物の標的は変わらずに勇気に向かう。勇気は襲い掛かる連撃を、回避にのみ集中し、行動を取り続けていた。好機、とアリサが魔物の背から再び頭目掛け跳んで剣を振るう。
未だ倒れない。
二度アリサが斬りかかった所で、魔物の標的が勇気から変わり、甲高く吠えた。
碌に当たらない魔物自身の攻撃に対して、怒号を轟かせ、毛を逆立せている。その怒りの感情は魔物の動きを速くさせた。
しかし、魔物の大振りはアリサに当たる気配はない。それどころか、かわす度に反撃を入れている。
ダンッ、と大きく地を鳴らす音が響いた。その刹那、梟顔の熊から悲鳴染みた声が響き鳴る。
魔物の背から、赤き一閃が縦に貫いていた。
噴き出る鮮血。だが手は止めない。止めれば油断、慢心、愚かな行為だ。存在を刈り取る必要がある。
勇気は、魔物の背から飛ぶ血を避けるように、左に一つ踏み込み、赤みを帯びた剣を袈裟に全力で振り上げた。
肉と骨を断つ感触が手に纏わりつく。ただそれは、戦いの勝利を表すものだ。
「……やっと、終わった」
勇気は地に倒れ伏した大柄の魔物を見下ろして、深く息を吐いた。
今までの魔物は、二撃、もしくは一撃で倒せる相手ばかりだった。二人で息を合わせれば一瞬で終わる。しかし、今回の相手は、反応速度、耐久力といった基本能力が段違いの強さ。たった一体にも関わらず、少しでも油断すれば大打撃を受けていただろう相手だった。
「一旦、帰りましょうか」
「そうだな。さすがにコイツと連戦になるのは勘弁したい。次の為に幾らか作戦立てておくべきだと思う」
二人は疲労回復薬と加護値を回復する薬を飲んだ後、五層から四層に戻る道へと足早に進めた。




