第47話 空いた仕事場
三夜が過ぎ、相談を受けた人数は二千を超えた。
ラウルは修繕を終えた車へ寄りかかり、もう当分は車輪を見たくないと言った。その直後、軋む音に反応して立ち上がったので、エマに座らされた。
「休むのも決めたでしょう」
「耳まで休ませるのは難しいんですよ」
ミレイユは笑いながら、翌日の配車を別の者へ渡した。自分にも休みがあると認めるまで、まだ少し抵抗があった。
王都には、いつもと違う朝が来た。
全ての工房が止まったわけではない。賃金を払い、休みを認めていた店には人が残っていた。
止まったのは、安いどころか払わない賃金を前提に受注し、本人が辞められないことで納期を守ってきた仕事場だった。
大口の洗濯物が届かず、宴会の支度が遅れ、仕上げ前の品が倉庫へ積まれる。家長たちは損害を訴えたが、注文した側も、従業員に何を払っていたかを尋ね始めた。
「契約がある」
何度も聞いた言葉の後に、別の質問が続いた。
本人も同じ契約書を持っているか。
賃金の支払記録はあるか。
その人を部屋へ閉じ込めなければ続けられない仕事なのか。
返答できない者は、声を大きくした。
保護所へ押しかけた商人の一人が、エマへ名簿を要求した。
「うちの奉公人がいるはずだ。確認するだけだ」
「ここでは、個人の所在をお答えしません。審理の窓口へお願いします」
「私を何だと思っている」
「来訪者として記録します。お名前を」
エマはペンを持った。かつて父や兄にそのように言い返せなかった娘の手が、今日は震えていない。
ミレイユは横から相手を叱りつけず、少し離れて見ていた。エマが助けを求めた時に動ける位置だけを取る。
男は書類を置き、帰った。
扉が閉まると、エマは深く息を吐いた。
「上手く言えたでしょうか」
「必要なことは言えた」
「それなら、よかった」
彼女は男の書類を、他の申立てと同じ箱へ入れた。嫌な相手だからと破らないことも、今の仕事だった。
困難が消えたわけではない。
保護所の食費はかかるし、仕事を失った者が全員、翌日から別の仕事に就けるわけでもない。子供を抱える人には通える範囲の勤め先が要る。読み書きのできない者が書類を理解するには、説明する人の時間が要る。
マヤは食事の列を増やし、アルマたちは診療時間を分けた。セラは長時間座れず、書記の質問に答えるのも休みを挟んだ。
旧税関の管理費のうち、不要になった支出を保護へ回す案が提出され、議会は緊急の食費と宿泊費を承認した。ただし期間と支出の報告を条件にした。
十日後にも寝床がある、と言える根拠が、ようやく一つ増えた。
オルフェンは、行政封鎖の継続を求めた。
無断移動が増えたため、強制移送を認める非常令が必要だと主張する。だが、アドリアンは署名しなかった。帰還した後も、その意思を公に変えずにいた。
王族の他の代行権者にも、巡回裁判所の記録が届いていた。署名先を付け替えるだけでは済まない状況になっている。
裁判所は、保護中の者に対する一括移送を差し止めた。個別の犯罪捜査まで免除するものではない。本人へ会わずに家長の署名だけで戻すことを、認めなかったのだ。
大臣府の監督責任については、公開の審理が決まった。押収資料の閲覧妨害を防ぐため、オルフェンは対象部署の指揮から一時的に外された。
免職や有罪が、その日決まったわけではない。それでも、彼の名が書かれた指示書だけで窓口が閉まることは止められた。
その夜、アドリアンは新しい制度の草案を持って来た。
個人籍法。成人の籍を本人に属させ、雇用や徒弟契約と身体の拘束を切り離す案だった。
「窓口を作れば十分とは思っていない」
彼は言った。
「運べる者にしか届かない窓口もある。字を読める者しか使えない紙もある。君たちが困った所を、教えてほしい」
エマは費用の欄、マヤは子供の代理、ラウルは契約書の控えについて書き込んだ。カインは閲覧権限と、誰が記録を見たかを後から調べられる仕組みを指摘した。
ミレイユは、緊急保護の申告の欄に線を引いた。
「相手の許可をもらってから、困ったと言いに来い、には戻さないでくれ」
アドリアンは頷き、そこを書き足した。
大きな印一つで生まれる法律ではない。違う仕事をする人間の手が、同じ紙の上に重なっていた。




