第40話 生きていた人
会えたら何を言うか、何度も考えた。
生きていてよかった。助けに来た。今度は私が運ぶ。
どれも、閉じた戸のこちら側では言えなかった。
「……ごめん」
出てきたのは、それだけだった。
セラは寝台の端を空けた。
「座りな。立って泣かれると、見張りが来る」
「泣いてない」
「じゃあ、その顔は雨漏りかい」
昔と同じ返しだった。ミレイユは膝をつき、女の手を握った。冷たく、骨ばっていた。握り返す力は弱かったが、ちゃんと返ってきた。
セラは四十九のはずだった。十年は、その数字だけでは数えられないものを顔へ残していた。
「処刑されたと、聞いた」
「そう伝えた方が、探す者が減る」
「私は、探さなかった」
「探させないための嘘だよ。きちんと効いたね」
責められた方が楽だった。ミレイユはその手を離せず、俯いた。
しばらくして、セラが尋ねた。
「店は?」
「続けてる。月無し運送。今は、私以外にもいる」
「その人たちは、あんたがここへ来ると知っているかい」
ミレイユの返事が遅れた。
セラはため息をついたが、説教は続けなかった。
「なら、帰って話すことが一つ増えたね」
帰る、と彼女が言った。その言葉で、ようやくミレイユの呼吸が戻った。
ここは第七移送所だった。
名前の上では、家籍や債務の争いがある者を次の受入れ先へ送るための中継施設。実際には、行先が決まらないまま何年も拘束される者や、告発の返事を待っているだけの者までいた。
セラは十年前に連れてこられた後、施設内の記録整理を命じられた。以前の書記の技能が、彼女をここに留める理由にもなった。
「記録を読める者は要る。だが、読んだ者を外へ出したくない。便利な人手だよ」
彼女は、机の代わりに使う板へ指を置いた。
「公式の帳面は管理室にある。私は所在と食い違いを書き留めた。名前を一度に全部覚える頭はないからね」
紙片は薬包紙や食糧伝票の余白だった。名前だけでなく、入った日、元の家、転送先の番号。誰かが後から原本を探せるよう、棚の位置も書いてある。
「一人に、二つも三つも名前がつく。数だけ足すと、同じ人を何人にも数えてしまう」
セラの指先が、紙片の縁を撫でた。
「消されたのは、名前だけじゃない。つながりなんだ」
ミレイユは、彼女が十年働いていた場所を見た。牢の中の細い寝台と、外へ持ち出せない紙の束。役所へ毎日通っていたわけでも、外の全てを知っていたわけでもない。
分かる範囲を一つずつ、捨てずに残してきたのだ。
「帳簿を燃やすという話は本当かい」
「古い分の廃棄命令は来た。検査が入ると聞いて、早めている。今日は夜明けから仕分けだ」
「人は?」
「別の施設へ移すという。全員をどこへ送るのか、表はまだ見せない」
それを止めるため、セラは外へ紙を出した。
来るな。名を守れ。
自分を助けに入るのではなく、外で記録を確保してほしかったのだ。
「私は、あんたが店を続けていると最近知った。食料を下ろす者が話してね」
「その伝言を、見張られていた」
「そうか」
セラは目を閉じた。用心したつもりでも、施設の中から見える範囲には限りがある。
「私も、読み違えたんだね」
「違う。後の紙はあんたの字じゃなかった。私が……確かめずに使った」
ミレイユは初めて、誰にも聞かせなかった部分を全て話した。
セラは途中で慰めなかった。最後まで聞き、頷いた。
「では、分かったところから始めよう。いま出せる連絡はあるかい」
食事の時間には、隣の作業室へ出される。
歩ける収容者はそこで伝票を束ね、布を畳む。扉は見張られ、外の門も閉じている。だが、一人一人が別の牢へ閉じ込められているわけではなかった。
ミレイユは、外で見た荷車の位置を思い出した。
作業室から荷捌き場へ、伝票が出る。その伝票に、今度はこちらから何を残せるか。
救いに来たと胸を張るより先に、自分がここにいることを、外の仲間へ知らせる必要があった。
遠くで、朝の最初の鐘が鳴った。
セラは立ち上がり、伸ばしにくい指をゆっくり開いた。
「行こう。書ける物があるうちに」




