第39話 一人で持てる重さ
男は納入の手伝いだと言い、紙を一枚差し出した。
「さっきの伝言に、足りないことがある。北の荷捌き口が、今夜だけ開く。明け方から古い帳簿を燃やすそうだ」
ミレイユは男の手を見た。縄の跡はあるが、それだけでは荷運びか警備か分からない。
「誰に頼まれた?」
「中の女だ。字を書ける年寄り。名前は知らない」
セラとは言わなかった。その曖昧さが、かえって本当らしく聞こえた。
紙には三つの点がない。セラの字でもない。焼却の時刻と、北の通用口の位置だけが描かれている。
「本人が書いた物か」
「俺が聞いて書いた。そこまで疑うなら、行かなきゃいい」
男は返事を待たず、荷車の陰へ消えた。
呼び止めて顔をもう一度確かめるべきだった。エマを起こし、カインへ知らせるべきだった。ミレイユには、やるべきことが一つずつ分かっていた。
だが、焼かれる、という言葉が他の音を押しのけた。
前の紙は、名を守れと言っている。帳簿が燃えれば、セラの十年も、その中の人々も失われるのではないか。
朝の命令を待つ間に、それが起きたら。
ミレイユは机の上へ手を置いた。
誰かに知らせれば止められる。止められた後に行くには、全員を説得しなければならない。まず自分だけで確かめれば、危険も自分一人分で済む。
その考えのどこが間違っているか、今ならエマもカインも説明するだろう。
だから、起こさなかった。
店には『北の納入路を確認。明け方までに戻る』とだけ残した。
新しい紙は懐へ入れた。疑わしい使いの話を隠したままでは、留守の者は判断できない。知っていて、隠した。
武器は持たず、通常の運送票と小さなランプを持った。目当ては侵入ではなく、燃やす準備をしているか確かめること。そう自分に言い聞かせると、店の鍵を掛けられた。
北の道は湿っていた。
紙に書かれた通用口には、確かに灯りがある。荷を待つ台車が一台。炉の燃料らしい木片も積まれていた。
戻って知らせるだけの証拠としては足りない。
そう判断した瞬間、ミレイユは公道から一歩、施設側の敷地へ入った。
荷受けの男が顔を上げる。
「遅かったな。こっちだ」
彼女を別の業者と間違えているらしい。ここで訂正すれば出られた。黙って戸の内側を覗けば、もう少し分かる。
ミレイユは運送票を握り、続いた。
中庭から、人の咳が聞こえた。
焼却するのは紙だけなのか。頭に浮かんだ問いが、足を止める代わりに前へ進ませた。
背後で、戸が閉まった。
「月無し運送のミレイユ」
名前を呼ばれた時、もう間違いではないと分かった。
通路の両側から、制服の上に作業着を羽織った者が現れた。ヴォスの雇った私兵ではない。施設の管理に当たる警備員だ。
来た戸へ戻ろうとして、鍵が掛かったことを知る。裏口は空いているのではなく、開けて待っていた。
「不法侵入だ。荷を置け」
ミレイユはランプを床へ置いた。五人相手に戦えると思うほど、自分の体を過信してはいない。
「中で誰かを拘束しているのか」
「質問する立場ではない」
両腕を押さえられ、懐の紙を抜き取られた。男がそれを見て、口元を動かす。
偽の伝言を掴まされた。だが、焼却の準備まで偽物とは限らない。
考えたところで、今は誰にも知らせられない。
役人は運送票の住所を読み、彼女の顔を見た。
「来るなと書いてあっただろう」
彼らは最初の紙まで知っていた。外へ出た伝言を黙認し、その後に道を足したのだ。
セラを心配する自分の気持ちさえ、運ばれてきた荷のように利用されている。
ミレイユは目を閉じた。
エマは朝、何を読んで自分を探すのか。カインは公道にいるはずの相手が消えたと知り、どこから調べ直すのか。
一人分で済むはずの危険が、いま店へ向かって広がっていた。
連れていかれた先は、石造りの収容室だった。
所持品は番号をつけた袋へ入れられた。手首を縛る縄は戸の内側で外されたが、外の錠は重かった。
誰かの寝息がする。藁の匂い、湿った布、消えかけた灯り。
隅から、女の声がした。
「字を、読めなくなったのかい」
ミレイユは顔を上げた。
灯りの下にいる女は、記憶より痩せていた。髪には白いものが混じり、右手の指が曲がりにくそうだった。
それでも声は、間違えようがなかった。
「来るなと、書いたのに」
セラが、こちらを見ていた。




