第38話 三つの点
「今夜、中を見る」
ミレイユが言うと、カインは手元の申立書から顔を上げた。
「立入命令はまだ出ていない」
「何日も待てば、移されるかもしれない。納入の荷車は見た。人が入る道もある」
「どこで見た?」
問いの短さに、彼女は口を閉じた。
カインは続けた。
「昨日、一人で行ったのか」
「外の道からだ。施設へは入っていない」
「それを、先に教えてほしかった」
咎める声というより、疲れた声だった。ミレイユはかえって身構えた。
「あんたに外出許可をもらう気はないよ」
「許可の話じゃない。お前が見られたかどうかで、皆の計画も変わる」
エマが、その間へ地図を置いた。
立入命令の申請は進んでいる。翌朝、当番判事が追加資料を受け取る。施設の予算と収容者の帳面を照合し、証人保護が必要かを判断する予定だった。
「そこまでの時間だけでも、一緒に確かめられませんか」
ミレイユは窓の外を見た。待つ時間を、セラはもう十年過ごしている。
それを知りながら、さらに一夜を紙の上へ足すのか。
「誰も出せないまま、帳簿だけ整えて終わるのが怖い」
思っていたより低い声が出た。
カインは、すぐに反論しなかった。
「俺も、間に合わないのは怖い。ノラを探した時の照会待ちを思い出す。だからこそ、一度見つけた場所を失いたくない」
妹の名を、彼は武器にしなかった。ミレイユも、セラを持ち出せば勝てると思いたくはなかった。
結局、二人は夜の納入便の出入りを公道から確認し、施設へ近づくのは命令を得てからと決めた。見張りは二人一組で、店には交代の時刻を残す。
その日の夕方、返却された空箱の中から小さな紙片が見つかった。
月無し運送へ戻る荷に、紛れ込ませてあった。表には三つの点。その下に、短い文字がある。
――来るな。名を守れ。
ミレイユの指が止まった。
三つの点は、セラが危険な受渡しに使った符号だった。左の点だけが低い。急いで書いても、そこはいつも同じだった。
「本人の字?」
エマに聞かれ、彼女は頷きかけた。
「似ている。だが、符号を誰かが知っていれば真似はできる」
自分で言うと、少し冷静になった。
紙は古い納入伝票の端だった。裏の数字は、最近の食料便と一致する。十年前の書き置きではないらしい。
カインは書記へ見せるため、両面を写した。原本は封じてエマに預ける。
「少なくとも、向こうから外へ紙を出した人がいる。これも保護の必要を示す資料になる」
ミレイユは、来るな、という文字を見続けた。
来るなと言った人は、昔、自分には来いと言った。
それを覚えている自分だけが安全な所にいてよいのか、と考える。セラが助けた命を危険へ戻すな、という意味かもしれないとも分かっていた。
夜、カインは裁判所へ行った。
明朝の申立てに紙片の写しを追加し、施設側へ通知する前に資料を保全できないか相談するためだ。ミレイユは店に残り、北の道を知る運送人から荷の情報を集める役になった。
出る前、彼が彼女へ尋ねた。
「今夜の予定は?」
「店で待つ。連絡があれば、エマにも見せる」
カインは頷いた。
口づけの夜から、二人はそのことを話していなかった。いま触れれば、引き止める理由にしてしまいそうだった。
ミレイユは彼の襟を直すだけにした。
「書類と喧嘩してくるなよ」
「勝てそうな相手を選ぶ」
彼が出ていくと、店は少し寒くなった。
夜半過ぎ、裏の戸を叩く音がした。
今度の使いは、名前を名乗らなかった。




