第30話 奪われた職印
カインへの正式な停職通知は、ヴォスの拘束から二日後に届いた。
理由には捜査手続きの逸脱と、公務の中立性への疑いが並んでいた。身分証はすでに預けている。今度は返却日が決まらなくなった。
「異議は出す」
月無し運送で、カインはそう言った。
「だが、これから俺の名で保護留保は発動できない。照会も捜索も、現職の担当へ頼むことになる」
ミレイユは通知を読んで返した。破っても、彼の職は戻らない。
「手伝った礼がこれか」
「お前に頼まれたから、という異議は出さない。自分で選んだ仕事だ」
そう言われると、代わりに怒り続けることも難しかった。
その午後、オルフェンの使者がミレイユを訪ねてきた。
拘束ではなく面談の招請だという。断る余地がどれほどあるかは分からない。ミレイユは日時と場所をエマに残し、指定された会議室へ向かった。
大臣はヴォスの名を嫌そうに口にした。
「不正があれば正す。君たちがこれ以上、市民を扇動する必要はない」
「なら、契約が偽造されていた人を先に返してください。行先の回答を待っている者がいます」
「膨大な照会だ。順序がある」
「運ぶ時には、順序待ちにしなかったんでしょう」
大臣の目が上がった。
「家籍制度は、食事と住まいと身元を一つにまとめて保障する仕組みだ。問題のある家を一つずつ正すならともかく、全てを捨てて出ろと勧める者が増えれば、路上へ人が溢れる」
「うちでは三日分の寝床を用意して、その後も住む所を探している」
「それで王都の全員を養えるか」
ミレイユは答えなかった。養えない。エマの帳簿を見れば分かる。
オルフェンは、その沈黙を譲歩と受け取ったらしい。
「秩序を担う者は、個別の願いだけでは動けない。ヴォスのような業者も、制度の空白を埋めてきた。多少の歪みを拡大して、全体を壊してはならない」
「多少、に名前をつけてくれますか。マヤ、ラウル、アルマ。あんたの紙では、どの欄なんだ」
大臣は机を指で叩いた。
「君自身の過去についても、調べる余地はある」
ミレイユは膝の上の拳を開いた。ここで反応すれば、どこを掴めば動くか教えるだけだ。
「手続きに従うなら、書面を送ってください」
カインと同じことを言っていた。そう気づき、場違いにも少し笑いそうになった。
面談は終わった。
帰りに、カインが広場の端で待っていた。
「何を言われた」
「全員は養えないだろう、ってさ」
「事実だな」
「慰めが下手だね」
「お前の店一軒が養う仕組みの方が、おかしい」
ミレイユは足を止めた。
逃がすことだけを考えてきた。寝床を増やし、仕事を作り、帳簿を整えた。それでも、一軒の店で王都全体の拒絶を受け止めることはできない。
「なら、どうする」
「まだ答えはない。だが、記録を残して人を守る仕事も、今の役所一つへ任せきりにはできない」
彼は停職通知を持つ懐へ手をやった。
ミレイユはその手を見て、袖を軽く引いた。
「飯を食っていきな。今日はマヤが戻った祝いの残りがある」
「余り物か」
「足りなければ、私の分を半分」
「それなら二人分、買って行く」
二人は市場へ向かった。金を払ってパンを買い、誰に断ることもなく同じ道を歩く。そんなことが、妙に大きな出来事に思えた。
夜、月無し運送の戸を叩いた客は、食事時を避けるほど長く外で待っていたらしい。
地味な外套の下で、上等な靴だけが目立った。
「依頼をしたい」
若い男は、フードを下ろした。
エマが息を呑む。貨幣の肖像とは違うが、祭礼で見た顔だった。
「第三王子アドリアンです。王宮から、私を逃がしてほしい」
ミレイユはパン屑を払い、椅子をもう一つ引いた。
店の机は、大臣府の机ほど大きくない。それでも、座る人の話くらいは聞ける。




