第29話 同じ歩幅の向こう
ヴォスの倉庫には、二つの出口があった。
表は運河に面し、裏は帳簿を扱う事務室へ続く。捜索班が表で令状を示す間、ミレイユとカインは班員二人と裏へ回った。
「箱は、窓際の棚だ。運ぶ時には重い物を下へ積む。帳簿だけなら、一人で持てる箱に分ける」
ミレイユが説明する。班員は彼女を先頭にせず、自分で扉の開放を求めた。
中で物の落ちる音がした。
開いた戸から、下働きの服を着た男が出てくる。低く頭を下げ、汚れ物の籠を抱えていた。
ミレイユが横へ避けようとした時、カインが手を上げた。
「止まってくれ」
男は歩調を変えた。
カインは一歩追い、班員へ視線を送る。
「ヴォスの可能性がある。顔を確認してほしい」
右の踵を浮かせて方向を変える動きに、見覚えがあった。ラウルを引き渡した日、荷下ろしで痛めたと本人が言っていた足をかばう仕草だ。ただし、それだけで本人とは決められない。
班員が止まるよう命じると、男は籠を投げた。帳簿の角が床を打つ。顔を上げたのはヴォスだった。
逃げた先の門には、先に配置されたもう一人がいた。ヴォスは左右を見て、立ち止まった。
「これは、不当な捜索です」
「抗議は記録する。まず手を見せてください」
班長の声は、怒鳴るほど高くなかった。
カインが前へ出ようとすると、班長が制した。彼は足を止める。止められて当然の場面だと、分かっていた。
籠の帳簿には、三人の証人へ渡した金が記されていた。
だが、金を払っただけなら交通費だと言い逃れられる。エマが必要だと言ったのは、依頼の中身が分かる記録だった。
見つかったのは、処分を待つ紙の束だった。偽の盗難届の下書きと、マヤたちの居場所の写し。三人の署名練習まで同じ紙に残っている。清書の日付は、盗難があったという日の前だった。
班員がページに番号を振り、見つけた棚の位置を記す。箱を封じ、立会人に署名させる。
ミレイユは、もどかしくて腕を組んだ。いま持って走れば、拘束先へ早く着ける。それでも、早く着いた紙が捏造だと退けられれば、三人は戻らない。
ヴォスは椅子に座らされ、作業を見ていた。
「私が消えれば、この仕事を別の者が引き受けるだけですよ。返してほしいという家長がいる限り、需要はある」
「だから、あんた一人の話で終わらせない」
ミレイユが答えた。
彼は笑おうとし、カインの手にある一枚を見て口を閉じた。
大臣府へ出された、契約の不備に関する報告だった。家籍移送の書類に本人の同意がないこと、期限を延ばされた者がいること。その訴えを監督部署が受け取り、『混乱を避け、従来処理を継続』と指示していた。
大臣が金を受け取ったという紙ではない。
問題を知りながら、人が運ばれる仕組みを止めなかったという紙だった。
カインは文書番号を声に出し、班員に控えてもらった。
マヤたちの拘束が解かれたのは、翌日の午後だった。
押収資料だけで全てを終わらせず、取引先の証言と照合し、虚偽の告訴に基づく拘束を続ける理由がないと判事が判断した。ヴォスの他の事件は、そのまま審理へ進む。
ミナは門から出てきた母を見ても、すぐには駆け寄らなかった。
マヤがしゃがみ、名前を呼んだ。それからようやく、娘は走った。
「また行く?」
「今日は、帰る」
マヤはそれだけを約束した。
アンナは工房の鍵を受け取り、ベラは頭を下げた。ミレイユは礼を止めなかったが、借りとして数えるつもりもなかった。
「まず、飯にしよう」
押収記録の別の箱から、ルカとシフォンの現在の勤務先が確認された。二人の返還根拠にも同じ偽造があるとして、移送の停止が命じられる。ダニエルはすでにさらに移されており、次の照会が必要だった。
三人とも助かった、と一息に言える日はまだ来ない。
ミレイユは名前の横に、確認できた日付だけを書いた。
夜、カインが監督部署の文書の控えを持って来た。原本は裁判所に預け、別の場所に写しも残してあるという。
「ここから先は、ヴォスを逮捕しただけでは済まない」
「最初から済んでいなかったんだろうね」
ミレイユは窓を閉めた。
表の道を走る荷車の音は、昨日と同じだった。どれに人が乗せられ、どの行先だけが帳簿から消されているのか。知った以上、もうただの街の音には戻らなかった。




