第3話 鍵職人の徒弟
翌朝、材料受取の帰りにもう一度寄ったラウルは、三つの品を並べた。
父の壊れた鍵。自作の真鍮の測定具。母の弁当箱。
「弁当は、入っていません」
「見れば分かる」
「もう何年も空で。持っているだけなのが、少し」
「空なら、次の飯を入れられるだろう」
ラウルは弁当箱の蓋を撫でた。
測定具の目盛りは、仕事の合間に自分で刻んだものだという。工房の道具を盗んだと言われないよう、いつ作ったか、見ていた者がいるかも確かめた。借りている工具は持ってこない。
「昨夜から、気持ちは変わった?」
「出たいです」
「分かった。危なくなれば、中止して別の方法を考える。乗った後でも、声を出していい」
ラウルは頷き、今朝の納品に戻った。三つの私物は先に店で預かる。身体を隠す箱の中へ、余計な荷まで押し込まないためだった。
工房には、その日の昼に金属くずの回収が入る。
ミレイユは回収業者に事情を話し、代役と車を借りた。報酬は払うが、巻き込まれる危険を隠して頼むことはしない。以前から互いの荷を回し合う相手だった。
大きな木箱の中には、ラウルが膝を抱えて座れる仕切りを作った。上へ金属くずを直接載せず、固定した板で重さを受ける。脇には空気の通る穴を残し、内側から外へ合図を出せるようにした。
普段より回収量が減る分、人の重さが加わっても、車全体は通常の積載の範囲に収まる。ただし、箱の奥まで検められれば見つかる。
重さをごまかす魔法はない。積み方と、普段の仕事の中に収めることが頼りだった。
工房の裏口へ着くと、兄弟子が回収票を確かめた。
「今日は代わりか」
「ああ。受取りはいつもの業者名で頼む」
ミレイユは木箱を下ろした。
ラウルが廃材を運ぶ係になっているのは、事前に確かめてあった。彼は何度か資材置場を往復し、最後に箱の脇へしゃがみ込む。
「行くぞ」
ミレイユが低く言った。
彼は頷き、仕切りの中へ入った。蓋を閉め、外側の袋を縛る。空洞を隠すための袋で、本人の上に荷重が掛からない位置だ。
積み込みには、工房の荷役用の板を使った。一人で男ごと箱を持ち上げるようなことはしない。兄弟子は親方に呼ばれ、支払いの印を残して中へ戻った。
門を出る直前、治安官が路地へ入ってきた。
ヨレたコートの男は、荷札を見て声を掛けた。
「貸食器屋の回収も、こちらで?」
「たまに。うちは運べれば何でも」
ミレイユは答えた。伯爵邸の聞き込みをする追跡官のことは、回収業者から聞いていた。初めて近くで見る顔は、思ったより若かった。
カインは車を一周し、修繕した車軸を見た。
「この車の、昨夜の使用先を確かめたい」
「昨夜は別の御者だ。記録は組合にある」
「積荷は?」
「金属くず。工房の受領印もある」
彼は票の数量と袋を見比べた。ミレイユは帽子を直し、手を落ち着かせる。
その時、工房の中から親方の声がした。
「おい、ラウル! 細工錠を仕上げろ!」
木箱の中で、小さく布が擦れた。
カインの視線がそちらへ動く。
「いま何か」
ミレイユは、言い訳を急がなかった。
代わりに、受領票の二つの数字を示す。
「ここの数量、親方に確かめてくれないか。外した部品の代金までこっちが払うことになってる」
実際に、工房が回収重量へ未回収の品を混ぜていた。下見で見つけ、交渉用に残した不一致だった。
兄弟子が戻り、票を奪うように見た。
「細かいことを言うな。いつもこれで」
「いつもなら、なおさら確かめた方がいい」
カインが割って入った。
路地の幅が狭く、後ろには次の納品車が待っている。ミレイユは車を隣の回収場へ寄せると告げ、御者席へ上がった。
カインは登録票を手元に残し、工房側の数量を確認しに戸口へ向かった。登録があるから後で追える、と考えたのだろう。
ミレイユは車を急がせず、指定した回収場へ入った。
そこで、待機していた別の運送人と荷を分けた。金属くずはそのまま正規の引取りへ回す。ラウルは荷を下ろす人の陰に紛れて箱を出て、作業着の上へ別の前掛けを着けた。
カインが戻るまで長くはない。
二人は、回収場のもう一方の通用口から歩いて出た。
後には、空洞のない回収箱と、本物の金属くずを載せた車が残った。
隠れ家へ着くと、ラウルはしばらく声を出せなかった。
「呼ばれた時、返事をしそうになった」
「しなかった」
「身体が、勝手に動くんだな」
ミレイユは水を渡し、預かっていた三つの品を返した。
三日分の寝床と食事は手配した。契約の写しを誰に相談するかも伝える。別の修理屋で手伝いをできるか、旧知の職人へ打診するが、離籍の問題が片づいたことにはならない。
ラウルは弁当箱を開けた。
空だった箱へ、宿の主人がパンと豆を入れてくれた。
青年は、測定具より長く、その弁当箱を見ていた。
翌朝、工房では仕上げを待つ客が声を荒らげていた。
親方はラウルを恩知らずと罵ったが、客は逃げた理由を尋ねなかった。
「代金は、お前に払った。納品できないなら返せ」
親方の手元に、誰も仕上げられない細工錠が残った。
その日の夕方、公認の仲介業者が工房を訪ねた。マレク・ヴォスと名乗る男は、未完成の錠を一瞥した。
「連れ戻す費用を払えない? では、私が請求権を買いましょう」
親方は、差し出された金を見た。
ラウルのいなくなった作業台の上で、新しい契約書が開かれた。




